意識組み替え遊戯 6
新しい隠れ家で眠ったのはほんの六時間ほどだった。
眼が覚めると、カーテン越しでも光が眩しい。目をこすって、思わずあくび。
「呑気なことだ」
部屋は比較的広いが、しかし一部屋しかない。二台のベッドが置かれ、片方を俺が、片方をメインが使っている。そのメインは、椅子に座って、こちらを見ている。
「眠っている間にも仕事をしていたさ」
「ちゃんと眠った方がいいぞ」
「意識を眠らせるのが難しくてね」
そんなことを言いつつ、俺は狭い洗面所で歯を磨き、髭を剃って、顔を洗った。綺麗なタオルで顔を拭いて部屋に戻る。小さなクローゼットに、密売人の女が用意しておいてくれた背広があったのは、前日、確認してある。
それを身につけていると、机の上に紙袋があるのに気づいた。
「気がきくな、昼飯があるとは」
「周囲を偵察がてら、買ってきた」
偵察とはまた物騒だが、俺は例の女を信じる気になっているので、あまり意味を感じない。メインのこういう几帳面さが生きる場面もあるので、やめさせる気もない。
紙袋の中身のハンバーガーは、小規模なチェーン店のものだが、俺は好きだ。
椅子に座って食べ始めると、メインは部屋の隅の冷蔵庫からコーラの瓶を出し、こちらに投げてきた。片手で受け取る。
「それで、眠っている間に仕事は終わったか?」
「今、最終確認をしているよ。それより、例の取締官は蘇生したのか?」
メインの目の焦点が一瞬、消える。意識通信で報道系の意識領域を見ているようだ。
「いくつか、そういう報道があるな。どれも意識は回復したが、記憶に重度の破損がある、としている」
俺の仕事は完璧だったわけだ。反企業勢力の方々は、さぞ嬉しいだろう。
「反企業勢力は俺に気付いているか?」
「まだ本腰ではないな。昨夜、お前が撃たれた場所で意識不明の男が見つかった、という偽情報はきっちりと働いている。深く探れば実態はないし、シイナとの連携を加味すれば、情報の上では身元不明の重傷者が病院の集中治療室にいる。といっても、この偽情報もそろそろ限界だ」
だろうな。俺が奴らでも、裏を取ろうとするだろう。
「それじゃあ、反撃作戦の要旨を説明しよう」
俺はハンバーガーを食べ終わり、包み紙を丸めた。
話し始めた俺をメインはじっと見ていたが、話が終わると、どこかうんざりしたような顔になっていた。
「それを本気でやるのか? また肩身が狭くなるな」
「これくらいうやらないと、気が済まないんでな」
「わざと茨の道を選ぶこともあるまいに」
そういったものの、メインはいくつかの助言をしてくれた。
コーラを飲み干して、いよいよ動くことにする。時計を確認。十三時半過ぎ。
「じゃ、始めるぜ」
メインが頷いたので、俺は個人の意識上で構築していた巨大な情報を、共有領域に送り込む。いきなりは放り込めない容量なので、いくつかに分割し、全てが揃ったところで全体が稼働するように細工してある。
「そういえば、例の男だが」
メインが話し始めた。例の男って、誰だ?
「例のスポーツカーの男だ」
「ああ、あの人ね。何かわかったか?」
「これを最初に伝えておくべきだったかもしれない」
それからのメインの話を聞いて、俺はやっと納得がいった。道理で頑丈な車に乗っているわけだ。
「作戦に変更はない。ちょっと火の粉を被る人間が増えるだけだ」
「そうか」
もうメインは興味を失ったらしい。
それから一時間以上かけて、俺の渾身の作の巨大意識情報体が共有領域に出現し、稼働を始める。
あとは自動で動くので、遠くから観察していればいい。
「早めの夕飯にするか」
時刻は十五時で、まだ早いが、今日はもう余裕もないかもしれない。
この隠れ家に入った時、ちゃんと冷蔵庫を確認したので、そこに保存食があるのは知っている。電子レンジもちゃんとある。という訳で、二人で冷凍食品をあるだけ取り出し、ちょっとしたパーティーを展開した。
メインが解せないという顔だったが。
「なんで急にこんな誕生日会を開く必要がある?」
「良いじゃないか、料金は払ってある」
「後で請求させるかもしれんぞ」
そう言いながらもメインも食べ始め、しばらく黙々と二人で食事に取り掛かった。スパゲティ、ピラフ、唐揚げ、フライドポテト、なんかやけにハイカロリーだが、まぁ、良いだろう。
結局、全部を平らげて、二人でそれぞれにベッドに転がり、また黙っていた。
俺の意識の片隅が共有領域を見ているように、メインも見ているのだろう。
と、俺が網を張っている意識通信が、警戒網に引っかかった。
起き上がる。やっぱり食べ過ぎたな。
「第二フェイズだぞ、メイン」
「お前が役者、こちらは観客さ」
「いざとなったら合いの手でも叫んでくれよ」
俺は背広を整えて、最低限の荷物を持つ。メインも身支度を整えた。
「じゃ、また会おう」
「無事を祈る」
こうして俺たちはそれぞれに安全なはずの隠れ家から外へ出た。
夕方の街には仕事帰りの連中とこれから仕事へ行く連中が入り乱れている。
その人混みに紛れ込みつつ、目的地へ。
意識を飛ばす。それもかなり深く。
手が震えるが、まぁ、どうにかなるだろう。
目的のドアの前に立ち、ノック。ブルブル腕が震えるので、変な音になったが、中から返事がある。
どうにかこうにかドアノブをひねり、中に入る。
「あなた……」
部屋にいるシイナが目を丸くしていた。椅子から立ち上がれず、こちらに向き直ったまま硬直している。
「また会えて良かったよ。ロケットランチャーを食らった割には元気そうだな」
「減らず口を。よくここまで入れたわね」
シイナはほとんど無表情だ。どこにも怪我を負っているようには見えないが、対戦車ロケットから中にいる人間を保護するスポーツカーとは、恐れ入る。
それはまぁ、別にいいか。
「俺はどこにでも入ることができるのさ。そちらさんは忙しそうだが、やりがいがあるだろ?」
その一言で、シイナは気付いたらしい。わずかに眉尻がつり上がった。
「反企業勢力の奴らが、私を攻撃し始めている。あなたの差し金?」
「そうじゃなかったらびっくりだな。連中は俺を殺そうとした。そのしわ寄せを、あんたが受けているわけだ。胸熱だろ?」
「私と彼らはうまくやっていた。いえ、今もやっているはずよ。どうやって彼らを誘導したのか、教えてもらえると助かるわ」
俺は立ったままで、じっと彼女の身振りを確認した。腰にレーザー銃がある。非常時の警報ボタンは、机の下か。すぐに手が届きそうだ。
おおよそ、想定通りかな。
「連中に勘違いさせた、それだけだよ。連中は、あんたが反企業勢力を私警に突き出そうとしている、と、思っている」
「事実無根よ。それくらい彼らも気づける」
「いや、気づけない」
俺は首を振ってみせ、彼女はわずかに表情に険を覗かせた。
答えを教えてやるか。
「なぜなら、彼らが見ている意識情報のユーリ有機治安警察は、俺が作り上げたデタラメだからだ」
「……デタラメ? 意味がわからないわ」
「本物そっくりの、ハリボテさ。俺が一から情報を組み上げて、それっぽく見せかけた、意識情報における一夜城さ」
シイナの体がはっきりと強張った。もうちょっとプッシュしてやるか。
「つまり、連中は俺が作った偽物のユーリが自分たちを売ろうとしていて、それをやめさせようと、本物のあんたを叩き始めた。シンプルだな」
「ありえない……」
「コツがある。実際の意識情報上の私警の通信や情報を徹底的に調べ上げ、後はそれを一度バラして、それからモザイクのごとく、組み直す。根気だけが問題だな」
俺が見ている前で、シイナがわずかに姿勢を変えた。レーザー銃の位置を調整したのだ。
これも予定通り。
「例のお友達のことも知っているが、聞きたいか?」
もうシイナは表情を変えない。機会を伺っているのは明らかだ。構わず話すとしよう。
「この前のスポーツカーのお友達だよ。調べたところ、厚生省の官僚らしいね。進歩的薬物管理課長。聞いたこともない部局だが、まぁ、名は体を表すともいう。例の意識麻薬の開発は、国家が主体か?」
「それも調べたらいいでしょ?」
「俺を殺すつもりだろ? だったら、答えてくれてもいいだろう?」
やっと彼女の表情が動いた。失笑という奴で。
「あなたも無謀よね。ここから無事に出られると? 不法侵入で逮捕できるし、意識犯罪を暴いていけば、命がないわよ」
「それはそちらさんも同じこと」
「残念ね。私はこれでも警察官よ」
おっと、それは忘れていたな。
「それを言うなら、こちらも一般人ではない」
「もう話すことはないわ」
一瞬でシイナがレーザー銃を抜いて、発砲。
俺の意識が宙ぶらりんになり、しかし即座に指向性を取り戻す。
視点が変わり、シイナの執務室を斜め上から俯瞰している。
『乱暴だな』
シイナが振り返った先は、デスクの上のモニターだ。音声はそれに付属するスピーカーから出でいる。モニターには今の俺の視界が表示されていた。
部屋に倒れている男も見える。俺も知らない男だが、身分としては、ユーリの警察官になる。
「何が……」
椅子の上で、シイナが困惑している。答え合わせをしてやるか。
『あんたの意識に侵入して、どこぞの警官を俺に見せかけた。油断したな。これであんたは反企業勢力への協力と、身内殺しでお縄になる』
「あなたも無事じゃ済まないわよ……」
『国家権力とやり合うのだけが、心配だよ』
シイナの手が持ち上がり、レーザー銃の銃口を自分のこめかみに向けた。
『厚生省はおそらく、秘密裏に意識麻薬の開発と効果の実験をしているんだろう。国際条約で一部の向意識薬は開発にさえ制限があるくらいだからな。しかし、トキオ・シティはほとんど独立しているし、意識の発展が段違いだ。そこでなら来るべき未来を想定できる。細部は知らないが、あんたもやりすぎたな』
シイナが引き金を引いて、かすかに煙が上がってから、椅子から転がり落ちて動かなくなった。まったく、後味が悪い。
意識を回収し、トキオ・シティにいくつかあるカフェの一角で新聞を読んでいる自分に戻る。
首を回して、テーブルの上のコーラを一口飲んだ。ちょっと炭酸が抜けているな。
次は反企業勢力の皆さんを監視しよう。彼らはたった今まで徹底的に意識攻撃を向けていた相手が、唐突に機能停止したことを悟っただろう。
彼らが考える可能性は二つだけ。ユーリが動き出して、シイナを意識通信から隔離させたか、そうでなければ抹殺したか。
どちらにせよ、反企業勢力は一転、ユーリから離脱せざるをえない。
シイナを攻撃することは許されても、反企業勢力としてはユーリ全体と衝突する愚は避ける。
実際、俺が認識している範囲で生命倫理援助会は撤退していく。それも粛々と、丁寧に下がっていくので、むしろ感心してしまった。
それを許す俺でもないが。
コーラを飲み干し、新聞を畳んで荷物に突っ込み、席を立つ。
先払いだったので、グラスを返却して、外へ。
その時には俺の意識撹乱の影響で、ユーリ有機治安警察に生命倫理援助会が捕捉されている。強力な意識戦が始まり、思わずほくそ笑んでしまった。
いいぞいいぞ、もっとやれ。
通りを歩いているうちに、生命倫理援助会の情報集合体の本体が見えた瞬間がある。
俺も無理をすればこんなに待たなくても暴けただろうが、その労力を手抜きしたのはどうやら正解だった。
その情報集合体に接触。ゾワッとするほど強力な意識防壁。
中和と突破に時間と集中が必要そうだったが、実は細工がしてある。
その情報集合の内部に組み込まれた意識情報が発動し、まるで海が割れるように俺のために道を作ってくれる。
俺は何の苦労もなく生命倫理援助会の情報集積基地まで飛び込み、用意していた意識破壊理論を解放する。
離脱と同時に、生命倫理援助会の意識領域が、まるでブラックホールに飲まれるように破綻していく気配。
そこから逃れてくる情報を精査して、見物しつつ、網を張って待ち構える。
現実の俺はタクシーを拾って、イタリアンストリートのそばへ移動している。
タクシーを降り、イタリアンストリートに踏み込む。夜なので、余計に治安が悪そうだが、逆に変な奴がいないとも言える。
意識では、もう生命倫理援助会の破滅も一段落し、俺も情報がおおよそ手に入っていた。
例の本屋はまだ開いている。中に入ると、保育園児くらいの子供がいて、驚いた。店主の男がこちらを見ると、その幼児に声をかけ、不思議そうな男の子は一人で奥へ逃げて行ってしまった。なんか、悲しい。錯覚だけど。
(あんたの孫か?)
(子どもだよ。四人目だ)
冗談も通じない。
男がカウンターの向こうに行き、椅子に浅く腰掛けてこちらを見据える。凄みがあるが、子どもが四人もいるとなると、どこか柔らかい気もするな。
(意識上で大騒動になっているのは、知っているんだろう?)
そう言われて、俺は口を緩く曲げて見せる。
(話が早くて助かる。実は、意識麻薬を商っていた間抜けどもの情報があるんだ)
(ほう……)
目が細められると、凄みが二割増しだ。
(いくらで買うか、それが問題か?)
(金はいらない。別のものが欲しい)
(別のものだって?)
俺は適当な本を手に取り、パラパラとめくった。意識は無言だ。
(おい、もったいぶるなよ。何が欲しい?)
(国に働きかけて欲しい)
相手を直視していないが、店の中の空気がぐっと下がったような気がした。珍しく俺も動揺しそうだったが、耐えた。
沈黙の後、男がため息を吐いた。
(幹部連中次第だぜ、俺には決められない)
(無理なら無理でいいさ、何かの時に返してもらう)
本を棚に戻し、男の方を見る。
(行くぜ)
俺は彼に意識情報を流した。
(続く)