意識組み替え遊戯 4
「この店はお気に召したかな」
俺の向かいの席で、男がやはり無表情で問いかけてくる。
「沈黙食堂よりはいいね。何より、意識通信が封じられているところが気に入った」
個室で、俺と男が二人だけだ。トキオ・シティにある高級料理店の一つで、密談のためとしか思えないが、意識通信を妨害する装置がかなり強力に稼働している。
これではメインを呼ぶこともできない。
「私は生命倫理援助会のものだ」
それはビックリ。表情に出す義理もないけど。
「聞いたことがないな」
「とぼけても無駄だ。お前が充分に探っているのは知っている」
「そういうセリフは、レーザー銃を向けた状態で、口にするべきではないか、その方が威力があると助言したい」
「ここが本当に安全だと思っているのか?」
訂正しよう。俺が座っている椅子が次の瞬間に吹っ飛ぶ可能性がある。どこかの創作みたいに俺がピョンと跳ねて終わりなわけもない。そうなれば、きっちり挽肉にしてくれる。
「それで、反企業勢力の方がこのしがない男にどのような御用が?」
「君はまともな会話ができないと見える」
「会話の仕方は学校で教わらなかった。といっても、中卒だがね」
男がわずかに身じろぎする。苛立ったのかもしれない。
「君に頼みたい仕事がある」
「俺が忙しそうにしているところを見なかったのか?」
「全てを話そう」
全て、ね。もしかして天地創造を一から教えてくれるのかもしれない。
「例の取締官を吹っ飛ばした件か?」
「あれは我々にも予想外だった。そして今現在、極めて困っている」
困っている、という言葉は滑稽に響くが、表情は確かに困っている。いや、かすかに、困っている。
「彼は生命倫理援助会が送り込んだ、情報操作担当の諜報員だ」
「諜報員?」俺は自分の意識の中の記憶領域を走査。「嫌な予感がするな。二重スパイか?」
あの取締官は私警に雇われていた存在だった。自然、二重スパイを疑うだろう。
事実、目の前の男が頷いた。
「彼は我々に都合がいいように情報を書き換えていた。私たちは最新型の意識麻薬を開発し、それを自在に売り、この街にばら撒いたのだ。いや、言い方が悪いな。管理された販売と、管理された放出、とでも言えばいいか」
「それはまた、莫大な財産が転がり込んだだろう」
「活動資金は潤沢なものになった。それは事実だ」
それがどうして、あの哀れな男は意識をバラバラに破壊されたんだ?
「誰が敵なのか、それとも身内に裏切り者がいるのか、それは我々も把握しようとしている。つまりお前と同じ行動を取っていることになる」
「協力して調べましょう、って感じでもないな」
それは始めから感じていた。それに意識麻薬を密造、密売している連中が束になれば、俺一人の思考速度など余裕で突破できる。
男がかすかに顎を引いた。
「我々は例の彼、取締官が今も意識不明で私警の医療施設にいることを、非常に危惧している」
妙な展開だが、筋は通る。
「あの男の頭の中を覗かれるとやばい、ということ?」
「我々に不利なことに、彼の意識は近いうちに専門家の力で再構築される予定になっている。その過程ですべてが明るみに出ることは避けられない」
「俺にできることがあるとも思えませんけど?」
男はやっぱり無表情。感情をどこかで焼き払われた可能性がある。
「お前には、私警と繋がりがある。そこから警察病院に侵入し、彼の意識を根こそぎに奪取してほしい」
「おいおい」とんでもない話だった。「意識窃盗は重犯罪中の重犯罪だよ。相手が犯罪者でもやっちゃいけないことだ。それは国際条約の、シンガポール条約で取り決められている。あんたら、どこに喧嘩を売っているか、わかっているのか?」
「これを見たまえ」
男が無造作にこちらに手を向けた。
何かを握り込んでいる。スイッチに見えるのは、勘違いかな。
男がボタンを一つ、押し込んだ。
どこか近くで爆音がして、床も壁も震えた。
「わかったか?」
とんでもない奴らだ。本当に俺を消し飛ばす気らしい。
打ち合わせというより、ただの指示を受けて、そこでやっと料理が来た。男は料理に箸もつけずに、「任せたぞ」と言って部屋を出て行ってしまった。
食事の前に部屋中を確認したが、爆弾はなかった。あれはハッタリだったはずだが、あの爆音は本物だ。料理を恐る恐る食べていると、店員が来たので、爆音について質問できた。数ブロック先でテロがあったようですよ、と呑気に言われた。
すごい時代ではある。
食事には毒はなかったけど、もうヤケで掻き込んだので、味は記憶に残らない。それにしても、どこかの平行世界では俺は死んでいただろう。
外に出て、やっと意識通信が回復する。
(メイン、聞こえるか?)
(変な店に変な男に連れ込まれたようだな)
(最悪な仕事を受けちまったよ。ユーリの警察病院の詳細を一緒に探ろう。心躍るだろ?)
沈黙。黙るなよ。やめてくれ。
(内容を聞こうか、仕事の)
(人を一人、さらうんだよ)
(物理的に?)
答えづらいが、答えないわけにはいかない。
(意識的にだ)
(地球上にいられなくなるぞ)
(いざとなったら宇宙ステーションへ逃げる。それはことが明るみに出たら、だよ。そうならないように、可及的速やかに情報を集め、作戦を練り、実行に移す)
また沈黙。本当に、やめてくれ。
(お前一人で実行しろ。準備は手伝う)
(一緒に泥舟に乗ってくれ)
(泥舟が沈んだ時、木製の船でお前を拾い上げる)
嬉しいような、そうでもないような。だったら俺も最初から木製の船に乗りたいところではある。
こんな雑談をしている暇もないので、とりあえずはホテルの部屋に戻り、そこにメインもやってきて、話を進めた。メインはきっちりと仕事をするので、ユーリ有機治安警察の警察病院の建物の図面と警備スケジュール、警備員の配置など、おおよそを把握していた。
俺の方は意識通信でどれだけ相手を欺瞞できるか、そんなことを徹底的に洗っていた。
「どこの間抜けがこんな馬鹿げたことを考える?」
心底から嘆かわしい、という口調でメインが言うが、俺は黙っているしかない。
どこの間抜けや馬鹿が考えたにせよ、細部を詰めるのは俺たちだし、実行役は俺だ。
これはどうやら、どこかに高飛びすることも考えた方がいいかもしれない。
もう文句を言う気もなくしたらしいメインと相談しているうちに夜になった。
これは調べていく中でわかったことだが、例の取調官の意識再構築施術は明日の朝八時からスタートする。彼の意識の断片はおおよそが整理され、後はそれをまとめていく作業だけらしい。
現時刻は二十時。最悪なことに、十二時間しか猶予がない。
行き当たりばったりというより、無謀に近いが、こちらはすでに首根っこを押さえつけられているし、まずはそれを脱する必要がある。
というわけで、懇意の衣装屋からいくつかの服を借り受けて、鞄も借りて、俺とメインは颯爽とユーリ有機治安警察の警察病院へ、自転車で乗り付けた。
「無事を祈る」
そんな言葉を残して、情に厚い相棒は去って行った。
もう二度と会えない、とは思わなかった。俺が捕縛されたら、メインも巻き込んでやる。
絶対に。
そうして俺はまず警官に見える背広を着て、意識情報を徹底的に欺瞞し、情報の上では新米の警官という形で警察病院の中に入った。
警備ドロイドはあっさりと回避できるが、人間はこちらを視認するし、防犯上、昔ながらの監視カメラも多い。監視カメラに関しては意識通信式だし、それを管理するのは人工知能か、あるいは人体改造を受けた超高速通信が可能なの人間なので、つまりは意識さえ乗っ取れば、欺瞞が可能。
現実の警備員には、電子身分証を見せるしかない。もちろん偽物。情報屋から買い付けたユーリ有機治安警察の身分証にそっくりだし、情報的裏付けも偽装してある。
立場としては、意識不明の取締官の現状確認、である。当然、真っ赤なデタラメ。
それでも目的の部屋にたどり着いた。
看護師がちょうど入れ違いになる。彼女は夜勤のためか、真っ赤な目をして頭を下げて去って行った。時刻は十二時を回っている。
疲れている人間の集中力、注意力の欠如を実感しつつ、俺は病室に入った。
例の男は穏やかな表情で横になっている。これから意識を改変されるとは思ってもいない顔だ。まぁ、意識を改変されると知った時の顔は、絶望の表情以外にないだろうけど。
鞄から取り出した小型ながら大容量の有機記憶装置と俺の意識を連結、即座に目の前の男の意識にも接続する。
普通の人間の意識を覗き見ると、まずは意識防壁のヒリヒリというか、チリチリとするような錯覚があり、次に壁のようなものを感じる。
壁は、意識の大きさを示す。
今、俺の目の前には壁はなかった。意識防壁もなく、何か、思念の塊のようなものが無数に散らばっている印象。
肉眼では男の表情を見つつ、俺の意識がその一つ一つを記録装置にコピーしていく。
それと同時に彼の意識の断片を時系列順に並び替え、その上で、彼の本体、かろうじて損傷を免れた心識に連結されている意識を、制御していく。
人間の意識の改変、あけっぴろげに言えば記憶の改変は、重大犯罪だが、前例がないわけじゃないし、それどころか最先端犯罪では最も伸びている手法だ。そしてまだ伸びしろが大きくあるとされる。
俺の技術は暇さえあれば研究に費やしているので、一流の研究者と同等のつもりだし、工夫にも力を入れているので、一概には言えないが、やろうと思えば心識さえも改変できるだろう。
実に珍妙な現象だが、人間が自身の精神と呼ばれるものを意識と心識に分離した時、心識は人間には認識できても、操作不能な領域だった。最初期には意識と心識の関係さえも曖昧なまま、技術だけが発展した。
今では心識へのアプローチや支配、改変も理屈が成立しつつある。
そんな不可侵だったはずの彼の心識に繋がる、いくつかの重要な意識を俺は書き換えた。
記録装置の中に、もう彼の中にはない情報が蓄積される。七割、いや、八割を超えた。
どうやら仕事はうまくいきそうだ。
と、外で人の足音。思わず動きを止めるが、意識は止めない。九割を超える。
間に合え。
ドアノブが回る。俺はポケットに記録装置を押し込んだ。隠そうとしなかった自分に驚く。こんな簡単なことも忘れるとは、俺も深夜のせいで注意力が落ちているかもしれない。
ドアに向かって歩き出したところで、ドアが開いた。
眠そうな目をした医者だった。
「警察の人?」
特に気にした様子もなく、尋ねられたので、俺はビシッと敬礼をした。
瞬間、ポケットから記録装置が転がり落ちた。この程度で壊れるほどヤワじゃないが、大きな音がなり、床を滑った。
二人でそれを見て、医者は口をもぐもぐさせる。
「あんた、何しているの?」
俺は記録装置を拾い上げると、改めて、敬礼した。
「シイナ警部補からの指令で、取締官の意識の複製をいただきました」
「へぇ……。ご苦労様」医者は髪の毛を混ぜるようにした。「遅い時間に、大変だね。彼女によろしく」
「はい、失礼します」
俺は素早く部屋を出た。
まったく、本当に夜の人間の思考力は、子どもにも劣る。
医者であってもだ。
意識空間では、記録装置に全ての情報を複製し終わった通知がある。取締官の意識も、十分に撹乱出来た。これで彼は明日の朝、意識を再構築されても、何も覚えていないだろう。
やれやれ、危ない橋は渡るもんじゃない。
医者が追いかけてこないとも限らないので、足早に外へ出た。警備員たちは特に警戒しているようでもない。テロは日常だし、トキオ・シティで私警を襲撃する人間は、稀なのだ。彼らを責めても仕方ない、俺のような人間こそを責めるべきだ。
ホテルはもうメインが俺の代理で引き払って、これから新しい居場所が意識通信で送られてくる手筈になっている。
道を歩きながら、俺はポケットに入ったままの有機記憶装置を意識し直した。
実は、不安というと語弊があるが、まあ、不安なので、安全策を取っておく気になった。
その細工をしているうちにメインから通信があった。イタリアンストリートにほど近いホテルのようだが、聞いたことがない。意識空間でトキオ・シティの地図を確認し、さらに店の情報もチェック。
ほとんど廃墟のような外観のホテルだった。
正直、泊まりたくはない。
そう思っていたからではないはずだが、歩いている俺のすぐ横に自動車が近づいてきて、少し先で停車した。まったく、せっかちだな。
窓が下がり、例の生命倫理援助会の男、俺の雇い主が顔を見せる。
「終わったか?」
「きっちりとやりましたぜ」
鞄から取り出した有機記憶装置を彼に投げ渡す。
受け取って男が頷いて、何かをこちらに突き出した。
光が瞬く。胸に衝撃。
背中から歩道に倒れ込み、俺は夜空を見上げた。しかし視界がチカチカして、星もまともに見えない。
車が走り出す音と気配。助けを呼ぼうにも、深夜の上に人通りもない。
きっちり一分だけ倒れていてから、俺は体を起こした。座り込んで、体が無傷なのをチェックした。
「その妄想力には感服するよ」
自転車でやってきたメインが、しげしげと俺を見る。
衣装屋で借りた背広はもうダメだ、胸に大きな穴が開いている。その下に来ている耐レーザーベストももう使えないだろう。それくらい強力な一発だった。
「どうしてレーザー銃で攻撃してくるとわかった?」
「なんとなくだよ。火薬式の銃だと、銃声がする。レーザー銃は、夜だから光が目立つが、ほぼ無音だ。それに、私警の備品でもある」
俺は立ち上がり、近くに例の男の車がもう止まっていないのを念入りに確認し、やっと落ち着いた。殺されかかった割に、我ながら立ち直るのが早い。
「さて、この事態はどう転がるのかな?」
何気なく口にすると、メインが嫌そうな顔をした。
「観客になるのもいいが、自分が命を狙われている自覚、あるのか?」
全くなかった。
「じゃ、まずは身を隠すとするか」
自転車の後ろに飛び乗り、ふと思った。
「あの廃墟ホテルは無しだぞ」
「贅沢を言うなよ」
自転車がゆっくりと走り出した。
(続く)