意識組み替え遊戯 3
翌朝、ホテルを引き払って、いくらかグレードは落ちるが別のホテルに部屋を取った。
メインと一緒に部屋に入り、荷物を置いて、作戦会議になった。
「例の取調官と反企業勢力はどうも繋がっているな」
そう言っているメインは、じっとウイスキーの瓶を眺めている。彼は成人しているが、飲酒しているところはほとんど見たことがないな。
「やっぱり意識麻薬だな、これは」
俺はベッドに横になり、しかし靴も脱がずに、メインを観察していた。
「シイナは何かを知っている。彼女が親玉か? どう思う?」
「それはお前が調べろ、アスカ」
「つれないな。一緒に地雷原に飛び込もうぜ」
「これでも安全第一がモットーだ」
やれやれ。
意識は話をしている間にも、意識空間を駆け巡り、ユーリ有機治安警察を徹底的に洗っているし、どこぞの爆弾魔も探っている。
部屋の加速器では出せない演算速度と認識範囲は、私物の違法改造の加速器があるから可能だが、あまりやりすぎると、意識ごと心識が肉体から切り離されて、死ぬだろう。不審死だが、まぁ、誰も気にしない。
(その安全第一の相棒に頼みたいことがある)
メインがこちらを見た。疑り深げな瞳。
(ユーリを徹底的にマークしていろ。金の出入り、武器の出入り、人員の出入り、全部だ)
(それは大きすぎる。もっと限定できないか?)
俺はベッドから降りて、荷物の中から無機有機混合演算装置の小さな端末を取り出して、メインに投げた。彼は片手で受け取り、ウイスキーをそっと机に置いた。
(どこでこんなものを手に入れた?)
(前に仕事をした相手からもらった。仮想共有領域はこっち)
彼に意識を飛ばし、意識空間座標を伝えておく。何かを吟味した後、メインが頷く。
(いつまでやるか、は聞かなくてもわかるよ。終わるまでだな)
(お前は別働隊、俺が本隊だ。ちょっと飯にしようぜ、まだ何も食べていない)
二人でホテルを出て、すぐ近くの無人コンビニに入った。
意識に直接、店内放送が流れ込んでくる。これを合法にした政治家は大間抜けだな。いたずらで店内放送の音声を差し替えてやりたいが、しない。これでも分別はある。
意識通信でコーヒーメイカーと、ホットドッグマシンに注文を出し、三人ほど並んでいる客の最後尾についた。
(どこで狙われているかわからないのに、呑気なものだ)
笑っているメインに、俺も笑いを返す。
(コーヒーが毒薬にすり変わったり、ホットドッグが爆弾になったら、むしろ相手を褒めたい)
(ホットドッグマシン自体が炸裂するかもな)
(そいつはホットだな、と言っておくよ)
結局、無事にコーヒーとホットドッグが手に入った。メインは何を頼んだかと見れば、野菜ジュースだった。それも食物繊維も摂れるという触れ込みの、ジェル状の奴。
俺からすれば人間の食い物じゃないものを、ストローで吸い上げる相棒の横で、俺はホットドッグをかじりつつ、短い距離を歩いた。
打ち合わせは即座に終わり、別れた。
食べ終わったホットドッグの包みをポケットに押し込み、コーヒーをすすりつつ、歩くが、意識の一部は今も意識空間を彷徨っている。
分かってきたこととしては、今回のメインスポンサーは、生命倫理援助会、と名乗っている反企業勢力だ。例の如く、背景は不明。新興の組織のようなので、情報不足だ。
最近の動きとしては、意識麻薬をやけに攻撃対象にしているのがわかる。わかるが、彼らは情報の上では非武装だ。言論の自由も標榜していて、武力闘争をやりそうにもない。
まぁ、いずれ、というか、すでに、というか、武装していてもおかしくない。私警の連中はレーザー銃を腰に釣っているわけで、しかも私警の連中がこの街の法律であり、死刑執行人も兼ねている。それに対抗する暴力は、自然と必要になってくる。
それにしても、ユーリの麻薬取締官の意識を消し飛ばした奴は、誰なんだ?
可能性を吟味してみよう。攻撃をした人間は三種類、浮かぶ。
一つは、私警が、自らの身内を良いように切り捨てた。
一つは、反企業勢力が、意識麻薬取締官を狙って攻撃をした。
一つは、意識麻薬の使用者、もしくは何らかの関係者が、取締官に天罰を下した。
うーん、どれも曖昧だ。気になっているのは、昨日の夜、シイナが俺の質問に答えなかった部分になる。
彼女は取締官が不正をしている、と見ているようだった。
その一点で、私警が身内を切って捨てる理由にはなる。事故、もしくはテロを装って、あの取締官を消すというのは、私警の間違った自浄作用としてはあり得るか、どうか。
ただ、不正があった、とすると、別の側面も浮かび上がる。
誰が不正の相手だった、要は、例の裏帳簿の多額の入金が誰からあったのか、という部分が、今度は疑問を生む。
意識麻薬の製造者、もしくは販売者、だろうか。
取締官の不正の質はどんな可能性があるだろうか。ちょっとした違法行為を見逃した、という感じではないな。あの金額を見れば、どでかい犯罪としか思えない。
よし、今はそういうことにしよう。
つまり、取締官は、自身の不正のあおりで処分された。
こうなっても、誰がやったかがわからない。シイナとは昨日の夜以来、連絡を取っていないが、彼女が攻撃された理由はなんだ? 俺のついで、ではないはず。彼女は取締官の上司だったはず。
これはどうにも、複雑だ。
俺は考えているうちに、深夜に尋ねたダーツバーに辿り着いていた。
階段を上がって中に入ると、灯りは消されていて、代わりにカーテンが開いている。しかし窓の外が見えるわけではなく、窓には環境映像が最適投影され、まるでど田舎の田園地帯に建っているらしい小屋からの光景になっていた。
カウンターの椅子に店主の男が座っていて、タバコを吸っていた。
彼の横に座ると、彼がこちらに小さな名刺を滑らす。受け取って、そこに書かれた複雑な、圧縮記号の羅列を俺の視線が一瞬で理解。
意識に複数の情報が浮かび上がった。
(助かったよ)
俺は懐から使い捨てのマネーカードを取り出す。当然、市販品だが、中身はまるで違う。情報を書き換えて、カードに表示されている額の百倍がそのカードには内包されている。使う時にテクニックが必要だが、裏稼業の連中でその技がない奴は、全員があっという間に鉄格子の向こう側に行く。
男がこちらを見て、カードを受け取り、ちょっと目を細めた。
(ここに来るまでに尾行は?)
(ないはずだよ。俺の姿、見えていないのか?)
実は俺は朝から、周囲の意識通信網を超高速演算で支配して、防犯装置にも、意識通信を介した視覚映像にも、実際の姿と違う人間の姿が映るようにしている。これで今の社会の七割方はフォローできる。
(あれを見ろ)
男が窓の向こうを指出した。
ぐにゃりと緑の映像が歪み、実際の窓の外が見えた。
近くの建物の二階だ。何の部屋かわからないが、わずかに窓が開いて、銃口が覗いでいる。
(巻き込んで悪いな)
(さっさと逃げることをお勧めするよ。この店の中は誰にも覗けないがね)
(俺の方で処理しておく)
意識を加速。一瞬でそこにいる狙撃屋の男の意識を把握。ダーツバーの窓ガラに施されている欺瞞を破れず、こちらを探っているところだ。
(また会おう)
男がそう言って軽く手を上げて、カードを懐に入れて店の奥へ行ってしまった。
俺は堂々と外へ出て、堂々と例の建物に入った。セキュリティが弱いから、暗殺者に侵入させるわけで、それはとどのつまり、俺にも侵入が容易い、となる。
二階のその部屋に入っても男が気づかないのは、彼の意識は俺が常に用意している意識迷路に取り込まれているからで、彼は繰り返し繰り返し、俺を探り続けている。もう俺が背後にいても、彼は気づけない。
トン、と彼の肩を叩くと、彼はやっと我に帰るが、もちろん、俺だって抜かりはない。
意識絶縁装置と呼ばれる小さな箱を、彼の首筋に押し付けていて、彼はもう体を動かせなくなった。だが、意識はある。いやらしい設定だが、口だけは拘束から除外している。
「やあ、初めまして。名乗れるかい?」
「あ、あんた、どうして、そこに……」
「お互いプロだ。そして俺には時間がない」
絶縁装置の機能で相手に電流を流し、スタンガンとして使用して気絶させる。
昏倒した彼の意識を即座に掌握。意識防壁を中和し、侵入と同時に、その心識の外郭まで制圧した。
依頼主の情報があるが、一般市民らしい。彼の意識に記憶されている名前、映像、音声、全てを複製し、自分の中に入れておく。
他には、武器の調達ルートも確認。密輸品だが、なんとレーザー式の最先端狙撃銃。こうなると例のダーツバーの店主に感謝しかない。もしスコープがもう少し高性能で、俺の姿が捕捉されていたら、今頃、俺は生きちゃいない。
男の個人情報にはこれといってみるところはない。ただ、アロー武装警察と関係があった履歴が見つかった。私警の一つで、しかしどうも汚れ仕事をさせるために雇ったことがあった、という程度だ。
俺は個人的にはアローとは関係がない。関係はないが、トキオ・シティで私警と揉めるのも良くない。
結局、男を処分することはやめて、絶縁体を回収。これで男はそのうち、起きるだろう。
部屋の隅に楽器のケースがあり、そこに狙撃銃を入れていたらしい。古風な男だ。俺もそれを借りて、狙撃銃を回収した。どこかで売り払えば、金になる。
ちゃんと窓を閉めて、男を残して外へ。
もう俺の意識は、別の方へ向いている。ダーツバーで受け取った名簿を即座に閲覧。
反企業勢力の二つの名簿だが、どうやらこれは外れ、かもしれない。
高い金を払ったのに、と思っていると、意識が何かに気づいた。メンバーの一人に、生命倫理援助会の男の名前がそこにもある。
そうとわかれば、意識は自然と反企業勢力二つの構成員と、生命倫理援助会の構成員のすり合わせを一瞬で行う。
重複しているのは四名。
これはどうも、生命倫理援助会は、反企業勢力の中のエリートだかはぐれものだかの集まりらしい。
そうなると、生命倫理援助会は、反企業勢力の一角であり、理念や信条も大差ない。
生命倫理援助会が、取締官を殺そうとした、となるのか?
そこにどんな理由があるだろうか。もう少し生命倫理援助会を探るしかない。意識はまた意識空間を泳ぎ始める。
体はといえば、ゆっくりとした歩調で裏通りを選び、自然と銃を買い取ってくれる店に向かっていた。場所はイタリアンストリートと呼ばれる一角だが、はっきり言って治安は最悪だ。
本物のマフィアがいる、という噂もある。
それが噂じゃないことを、裏稼業の連中はみんな、知っているが。
目的の店にたどり着く。小さな書店の形をしているが、もちろん、文学青年がやってくるわけもない。店主は片腕が無機義肢の男性で、片目を眼帯で覆っているので、文学青年どころか、子供は寄り付かないだろう。それなのに絵本などを置いているのだから、もう笑えない。
(いらっしゃい)
野太い意識通信。俺はレジの上にケースを置いた。ちなみに例の暗殺者がケースに意識通信を利用した施錠装置をつけていたが、あっさりと破ってある。
男が中身を見て、天を仰いだ。
(ジーザス、ちょうど欲しかったところだ)
(それならよかった。何かと交換してくれる?)
(お前が銃器を欲しがるのか。珍しい)
(まさか。情報だよ。例えば、自走式爆弾とか、対戦車ロケットランチャーとか)
さっさとケースを閉じてカウンターの向こうに下げた男が、こちらを睨む。
(俺はこれでも真っ当な密売人だ、乱暴なことはしない)
(そうかい。なら、真っ当な情報をくれ)
(ここら一帯で、最近、ラリっている若造が増えて、親父連中が騒いでいる)
ラリっている?
(麻薬はこの街でも、国でも、違法だぜ)
(その麻薬は、粉でも液体でもガスでもない)
なるほどな。つながったぞ。これは幸運だ。
(意識麻薬だな。どいつが売っている?)
(どいつもこいつも、だよ。身内は親父の怒りのせいで放り出されるが、どういうわけか、余所者がやってくる。ここは治安が悪い、と変な宣伝があってな)
(入手経路を辿るくらいするだろ。あんたの親分にかかれば、意識どころか心識さえも支配できる)
男がニヤリと笑い、こちらに手を向ける。握手じゃない。金か。
(ここに金をもらいに来たようなものだけどな)
財布を取り出し、紙幣を一枚、渡しておく。
(なんだ、しょっぱいな。もっと奮発してくれ)
やれやれ。もう一枚、手渡すと、男はやっと手を引っ込めた。
(浮かび上がったのは、どこぞの私警の取締官だった、ってオチだ。どうも半殺しにされたようだが)
(半殺しね。死ぬ寸前で俺が救ってやったようなものだ)思わず苦笑いするしかない。(その時は悪人とは思わなかった)
(私警は正義なんて気にしない、無法者だぜ。善人なんかこれっぽっちもいない)
俺は頷いて、財布からもう一枚、紙幣を取り出してカウンターに置いた。
(どこのマインド・ハッカーの仕事だ? あんたの身内だろ?)
渋面と一緒に、珍しいことに紙幣を突き返された。
(秘密、かな? もう二枚追加するが?)
(秘密でもない。余所者で、俺は知らないんだ)
(余所者?)
男は首を振ると、さっきの楽器ケースを持ち上げると、こちらに背を向けて奥へ行こうとする。どうやら打ち切りらしい。
(深入りすると、危ないか?)
そう背中に問いかけると、返事があった。
(自分の命を守る程度にしておけ)
それはまた、いい言葉だな。
俺は店を出て、いつの間にか昼間なので、昼食の算段をつけ始めた。
つけ始めたが、予想外の事態が起きた。
イタリアンストリートを出るか、というところで、目の前に黒塗りの乗用車が止まった。もちろん、昨夜のスポーツカーとは似ても似つかないが、共通点はありそうだ。
つまり、どんな攻撃にも耐えられる、頑丈な走る棺。
ドアが開いて、その向こうに若い男が座っている。
「乗ってくれると助かるが」
年齢の割に重みのある口調だ。美容整形か何かで若い姿をしているのかもしれない。
「こちらとしては昼飯を都合してくれると助かるね」
男はニコリともせず、身振りでシートを示した。
こうなっては乗らないわけにはいかない。
(続く)