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9/9 -September_Nine-  作者: 懐中時計
第一章 大いなる樹
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第三話 『冒険者の街 サクソン』

第一話、二話と同日、早朝のサクソン市の視点です。

もう一人の主人公『ユリウス・ガヴリエル』が初登場します。

彼もまた闘争の渦へ招かれた運命。

サクソン市中央広場・同日早朝


 日が昇って間もない頃、普段なら家で休息を取っているものだが、ここ最近はとある行事が迫っているため住民総出で準備を行っている。


 とある行事とは『競売会(オークション)』のことである。


 競売会は市内外問わず商人や貴族などが一堂に会する一大行事。そこには妖精族のみが扱える貴重な魔術書であったり、かつて栄えた国々の骨とう品。果ては研究の進んでいない魔物の皮・鱗・内臓と言った様々なモノが出品される。

 それゆえ凄まじい大金がこのサクソン市に一挙に集まるのだが、それを狙った盗賊団の出現で毎年少なからず被害が出ている。


 市としても駐屯騎士団の増員を図ってはいるのだが、競売会を除いてサクソン市で主催される行事は殆どないため元老院から反対多数で押し切られているのが現状だ。さらに、サクソン市より遥か南には丘陵地帯を越えて『果ての山脈』しかないことが拍車をかけている。


 北には世界樹、東には妖精族の国エーランド、西には獣人族の国バルトラ帝国という立地上、南は敵国の侵略を受ける可能性が非常に低い。防衛拠点としても優先度がかなり低いとなれば現状維持がもっとも国庫を節約できる。仕方ないと言えば仕方ないのである。



 広場には仮組ではあるが舞台が作られており、その中央にはこれまた年季の入った演台が広場を見下ろすように設置されている。元は小規模だった競売会が時代の移ろいの中で万人に受け入れられるようになったのは歴史的に見て最近のことだが、特にここ数年は盛り上がり方が凄まじい。


 大体サクソン市の住民は三十万人ほど。しかし競売会が開催される期間は、延べ百万人がこの市へ足を運ぶ。中央広場もそれに伴い幾度か改装し二十万人ほどを収容できる形にはしているが、溢れた人々は中央広場に隣接する宿屋の窓から顔を出し競売会へ参加する。


 そのため遠くからでも視認しやすいように舞台は地上から五メルほど高く設置することになっている。

 しかし地上五メルともなると、木の枠組みを設置するだけで一苦労。どこかしら傾けば崩れてしまうかもしれないため、設計段階で熟練の技師たちが綿密な計画を立てる。その中でも最年長の技師長は今年で九十六歳にもなる老人であった。今日も朝から広場に出向いており、若い世代に自分が培ってきた経験と知識を伝えている。


「おじいさま、こんな朝早くから出てこなくても広場は逃げませんよ」

 

「なあに、これしき。わしは若い頃宮廷お抱えの魔法師だったんじゃぞ。これぐらい屁でもないわ」


「じいさんそれ何度目だよ?」


 老若男女の笑い声が広場のそこら中で上がる。恒例となりつつある漫才だが、これがないと作業が始まらないと感じているヒトも少なくない。


「それじゃあ始めるとするかの!」


「おう‼」「任せろ‼」「御昼ごはん作っておきますね」


 老人の気合の入った合図で若者たちが一斉に動き出す。 

 昨日までは仮組の段階でひと悶着あったが、それを乗り越えた男たちの間には確かな友情が結ばれている。作業もお互い信頼しきっているため比べ物にならないくらい効率が上がっていた。


「わしも引退が近いかの」


「おうじいさん、なんか言ったか?」


「なんも言っとらんわい。口動かさずに図面通り木材はこべぇい!」

 

 早朝から始まった舞台作りは滞りなく進み、昼前にはほぼ完成後の姿が見えていた。三日後に開催される行事は誰しも大成功を収めると、この時は誰も疑いはしなかった。


 そんな準備期間で賑わう市民を路地裏からそっと見守る少年と少女が一組。

 最近サクソン市へ親の仕事の都合で引っ越してきたこの二人は、初めての行事に胸を躍らせていた。何しろ五大精霊が一人『スエルタ』が降臨することを聞いてしまったため余計に浮かれている。


「ねえ私たちにもなにかできないかな」


「うーん……あっそうだ! スエルタさまに花束をおくるのはどう? きっと喜んでもらえるよ!」


「すてきね! じゃあはやくお花見つけに行きましょう」


「ぼくね、花屋のおねえさんからお花がたくさんとれる場所を聞いたんだ。そこに行こう」


 少年少女は手を取り合い、花屋の女性から教えてもらった花畑へと向かう。しかしそこは門の外。出入りが厳しく制限されている中、子供たちだけではどうやっても通り抜けることはできない。案の定というべきか、門番に見つかって足止めを食らってしまった。


「うんうん、そうかそうか。でもなぁ子供たちだけってのは、おじさん許可できないなぁ。お父さんやお母さんには話をしてみたのかい?」


「ううん、お母さんたちはお仕事でたいへんそうだから、私たちだけで行こうってお話ししていたの」


「そうかぁ、うーんでもやっぱり子供だけっていうのはなぁ」


 門番も悪気があって少年少女を外に出さないわけではない。市外からやってくる観光客や早くに到着した商人などから、盗賊団による被害が出ているとの報告を受けているのだ。

 サクソン市の直ぐ側まで目撃証言があるため、外を出歩く際には護衛を付けることを義務化させている。子供は親の随伴が必須で、例え保護者が身内だとしても外出は認められていない。


 願いを叶えたい思いと、壁内で盗賊団の被害から遠ざけたいという警備員としての使命感に両挟みにされたおじさんはどうしたものかと頭を悩ませる。


「おやおや、どうしましたメルケルさん」


「あ、あなたは! ベム・ロウ市長‼」


 立襟の背広を着こなした長身小太りの男が側付きを二人ほど引き連れて何処からともなく現れる。あまりの唐突さに驚く警備員のメルケルであったが、それ以上に子供たちは口を開けたまま固まっているように見える。


「おっと、これは驚かせてしまったかな。ハハハハッ‼ これね、おじさんの魔法なのだよ、皆には秘密だぞ。ガハハハハッ‼」


 顎鬚と口髭で囲われた口を豪快に開け、笑い飛ばすベム・ロウ。強面な外見とは裏腹に大の子供好きであり、五児の父で愛妻家。市民から絶大な信頼を寄せられており、任期は過去最長の三十年にも及ぶ。


「ベム・ロウ市長、実はこの子たちが――」


「――ふむ、なるほど……うん、そうだな、メッサーくん。君はこの場合どうするのが正解だと思うかね」


 かいつまんで説明するメルケルとそれを頷き、時には悩みながら聞いたベム・ロウ。話を終えた段階では答えを出しているようにも見えたが、側付きの一人である若い男に話題を振った。


 側付きの男は数秒の後


「私であれば、外の警備に当たっている腕利きの冒険者を数名護衛として雇い、この子たちの目的を安全かつ迅速に完了させます。その間の穴ができてしまった警備は、新たに外部の冒険者へ時間帯報酬を二割増しで依頼を出します」


 とはっきりと答えた。


 その答えに満足しつつもベム・ロウはメッサーの意見に訂正を咥える。


「ただの腕利き冒険者ではなく、このサクソン市と契約している冒険者が望ましいだろうな。外部の冒険者はいざとなれば自分のみを守ろうとする傾向にある」


「いやしかしこの子たちにそのように冒険者を雇うほどの金銭はあまりにも」


 メルケルの心配を他所に、またしてもガハハと文字が浮かんで見えるほど笑いを飛ばすと、次には真剣な顔つきに、最後には白い歯がキラリと光って見えるほどの笑顔を見せる。


「なに、それぐらいわたしが出そう。君たちは運がいいぞー‼ わたしの護衛を長年務める最高の冒険者を貸してあげるからな。ガハハハハッ‼ どれ、まずは組合に連れて行ってあげよう……それっ‼」


 掛け声と同時に少年を左肩に担ぎ上げ、続いて少女を右肩に乗せる。子供の扱いをよく理解している理想的ないい父親である。


 中央広場の一角に拠点を構える組合へと側付きを引き連れて向かうベム・ロウ。道中市民から声を掛けられれば立ち止まり一言一句聞き逃さないように耳を傾ける。


 八百屋に魚屋、肉屋など様々な出店に立ち寄っては品の状態を確認し、最近困ったことはないかと事細かに状況を聞いていく。些細な問題でも見逃さず、サクソン市をより豊かにしようという気持ちが市民と市長の間で行き来している。そういった姿を肩に乗った少年少女は間近で体験し、自分たちが住んでいる街、住人がどのような在り方をしているのか、しっかりと目に焼き付けた。


 しばらく歩くこと数分。

 ゴシック建築の集大成とでも言うべき洗練された石造りの聖堂が見えてくる。建物の周りはどうやって作ったのか、複雑な彫刻が至る所に施されており、極めつけに細長い石の塔が聖堂正面に十数本ほど聳え立つ。

 どう見ても礼拝堂だが、目的地はここだと言わんばかりにベム・ロウは構うことなく進んでいく。


「それ到着だ。外装も凄いが、中はもっと凄いぞ。なにせ、王都にある本拠地と同様の内装にしてあるからな‼ ガハハハッ」


 両手が塞がっているベム・ロウの代わりに大きな扉を押し開ける側付きの男たち。


 ゆっくりと重厚な音を鳴らしながら開いていくそれは、少年少女の心に涌き上がった好奇心をさらに高ぶらせていく。


「ようこそ‼ 我らが誇る冒険者組合(ギルド)へ」


 扉を開けたその先は、真っ白な外観と打って変わって赤を基調とした暖かな色合いの空間が広がっていた。

 壁には黒十字の文様が描かれた掲揚旗と、アルメリア王国の国旗が掲げられている。

 石造りの床には、赤い絨毯が敷き詰められており、ステンドグラスから差し込む日差しはとても鮮やかで温かい。


 そっと少年少女たちを床に立たせると、手招きしつつ受付台へ誘う。そこには見目麗しい女性たちが横にずらりと並んでおり、依頼を終えた冒険者たちに労いの言葉を掛け、報酬を渡し、次の依頼を提供している姿があった。


「す、すごい――」


「うん」


 中央広場に比べて圧倒的な人口密度を目の当たりにし、活気で溢れる空気がやけどを思わせるほど肌を刺激してくる。少年少女たちは、これが世界を股に掛ける大人たちの姿なのだと実感した。


「ガハハハッ、気圧されたかね? 分かる‼ 分かるぞ、その気持ち。なにせ私も初めて冒険者たちをこの目で見たときはその纏うオーラに憧れさえ抱いたほどだ。もちろん、今も憧れと尊敬の念は持ち合わせているがね」


 少年少女から返事はない。しかしその目はベム・ロウの欲しかった答えを雄弁に語っていた。


「オルテシア、彼は今どこにいるかな」


 声を掛けられた受付に並ぶ一人の女性は、彼という言葉に眉をピクリと動かし、一度深呼吸。爽やかな笑顔でベム・ロウを迎え入れる。


「これは市長、よくお越しくださいました。彼は二階の個室で資産家の若い女性から一時間ほど前からでしょうか、ずっと相談を受けているようです」


「おや、何か不機嫌そうだねオルテシア。まあ自分より若い女が憧れの君と個室で一時間。それも個人的な相談となれば――」


 バキィ‼


 オルテシアが右手に持っていた承認印が音と共に真二つに割れた。


(えぇ‼ それ大理石の判子だよね!? えぇ……)

 

 悪い癖が出てしまったベム・ロウは見えない服の下で冷や汗を滲ませる。


 その光景にまたかと呆れる常連の冒険者たちと、顔を伏せているオルテシアの表情を見上げる形で目撃してしまった少年と少女。腰が砕けそうになりながらも震える手をお互いに握りしめ何とか踏ん張ってはいるが、オルテシアの放つ冷たい空気に一歩も動けずにいた。


「お、オルテシアさん?」


 先月より着任したオルテシアの後輩は、初めて見る彼女の姿に困惑しつつ肩に手を掛ける。


 ビクンッと体を跳ねさせたオルテシアは、ぬるりという擬音語が似合う動きで頭を上げると


「行き遅れで悪かったわね‼ 私も必死なの、彼とは生まれた時からずぅぅぅぅぅううっと一緒で、何をするにも側にいたのよ!? それなのにそれなのに、いきなり冒険者になるとか言い出して私も一緒になるって言ったら拒絶されるし、受付嬢になってもなにも言ってくれないし‼ ねえどうして? どうして私は二十八にもなって独身なの? ねえ応えてよ市長ぅ……うぅうぅ――」


 とついには泣き崩れてしまった。


「オルテシアさん!? どうなさったのですか、オルテシアさん‼」


 嗚咽までし始めた彼女の背中を摩りながら、どうしたらいいか分からずおどおどと辺りを見渡す。タイミングがいいのか悪いのか、二階から赤いドレスを身に纏う美しい女性を、右の手でしっかりとエスコートしながら降りてくる男性冒険者と目が合ってしまう。


 これはまずいと即座にオルテシアとその二人組を遮る位置に立つが時すでに遅く、なんとか立ちなおったオルテシアの心は、あっけなく砕け散った。


「それではまたね、ユリウス。後のことはわたくしに任せて、貴方は貴方のやるべきことを、しっかりとなさい。三日後、楽しみにしていますよ」


「ははは……もう随分待たせてしまいましたからね。気張ります」


 返事に気を良くしたのか、可憐な笑顔を咲かせた女性は、赤いドレスの裾を蝶々が羽ばたくように翻す。去り際、男性冒険者たちの視線を欲しいがままにその場を後にした。


「さてと、ん? これは市長、如何なさいました」


 どうやらベム・ロウの存在に気が付いていなかったユリウスは、慌てた様子で足早に駆けつける。先程受付嬢と目が合ったはずだが、どうやら彼の目にはたった一点しか映っていなかったようだ。


「おほん、うむ。少しばかり君に頼みごとができてしまってね。二人とも、紹介しよう。ユリウス・カヴリエル、私の右腕であり、このサクソンにおいて最強の冒険者だ」


「ほう、これはまた可愛らしいお客人ですね。よろしく小さな冒険者たち」


 子供目線にひざを折り、おずおずと手を差し出す少年少女に両の手で握手を交わす。将来この子たちが優秀な冒険者になるようにと願いを込めて。


「それで頼みとは。魔物狩りでもなんでもやりましょう。丁度いま体を動かしたい気分でしてね。小一時間座りっぱなしだと如何せん体が鈍る」


「なら話が早い。依頼人はこの子たち、私は代理人と思ってくれて構わない。正門より少しばかり東にある森に、綺麗な花々が群生する場所があるようなのだ。スエルタ様に贈る花束の調達、またその護衛。やってくれるかな」


 眉をぴくりと動かした後、ほう、と一言。


「それは良いことだ。やりましょう、スエルタ様への信仰はこの街を守る意思と同義。むしろ私が同行せねば罰が当たるというものですよ」


 屈託のない笑みで了承するユリウス。精霊スエルタに命を救われた過去を持つ身としては、まさしく義務であると感じている。それを知っているからこそベム・ロウは彼に依頼したという面もある。


「決まりだな。では私の方で依頼の手続きと荷馬車の手配、それと案内役で話を聞いた花屋の店員、あと一人護衛を付けよう。そうだな、三十分後正門前、でよいかな?」


「しかと。では後程――」


 と礼儀正しく一礼しその場を後にしようとした時、一人の冒険者がユリウスの肩に手を回す。フードで顔を隠し気配までも完全に殺して接触したため、気を抜いていたユリウスは完全に凍り付く。周囲の冒険者たちも見ていたはずだが、その冒険者だけが意識の外に置かれているようだった。


「よお、ユリウス。なんだか面白そうな話になってんな俺も混ぜてくれよ」

 肩に回した手でユリウスの頬を撫でながら、フードを被った冒険者は耳元で囁く。

 ユリウスはその一声で相手が誰なのか理解したようで、呆れた表情でフードを剥がす。


「おいおい盗み聞きはマナーが悪いからやめろって昔から言ってるだろ、ファム」

「クシシ!」


 フードから出てきたのは赤毛の女性。額には右上から左下へ傷跡が付いており、只者ではないオーラを放っている。しかも彼女の耳はヒト族とは明らかに違った形をしていた。


「ひっどーい、せっかくお前のために帰ってきてやったってのに開口一番説教はないじゃん?」


「なら怒られるようなことは慎めよ、いい歳なんだから」


 じゃれ合う二人に周りは完全に置き去り状態。ベム・ロウもユリウスの隣に立つ冒険者は初めて見るため、状況に全く付いていけていない。

 オルテシアに限っては開いた口が塞がらないほど驚きが隠せていない様子で口をパクパクさせている。


「お、おほん! ユリウスくん、彼女とはどういった関係で?」


「ああ、すみません。市長は初めてお逢いすることになりますか。では改めてご紹介します。彼女はファム・エラノゥシス・アヴァティーノ。妖精族の国エーランドの上位冒険者です」


「「「な、なんだって!?」」」


 ベム・ロウと耳を傾けていた冒険者は一斉に身構える。

 彼らが驚くのも無理はない。そもそも諸外国の冒険者などは、国内でだけで活動する冒険者が一生関わり合うことのない存在だからだ。国境を跨いで活動する冒険者は、殺されても文句は言えない。そういうシビアな世界なのだ。


 ふふん、とでも言いたげにキメ顔で胸を張る女性、ファムは自分が敵国の冒険者であることを何とも思っていないようで、周囲から警戒されていても堂々とした佇まいのままそこに立っている。勢いでフードを外してしまったユリウスも申し訳なさそうにしているわけでもなく、普通にヒト族と変わらない態度で接していた。


「ご紹介に預かった、ファムだ。長ったらしいからファムでいいぜ、おっさん」


「おっさんって、一応彼僕らが住むこの街の市長なんだけど」


「まあまあ、俺からしたらここにいる連中全員年下なんだからいいじゃねえか。むしろ敬えって痛い痛い! 俺女なんだから尻叩くのはだめでしょ!? しかも皮手袋って、ほんと容赦ないな」


 口振りから、ユリウスとファムが旧知の仲であることは見て取れるが、しかしベム・ロウとオルテシアが全く知らないというのは二人にとって心穏やかではない。一体どこで知り合ったのか、今すぐに問いただしたい両名であったが、それはすぐ解消されることになる。


「彼女、ファムと初めて出会ったのは十年前になりますか。実はこいつ昔はアルメリアの冒険者組合に所属していたんですよ。確かその時の名前はロナ、ロナ・フレーニだったな」


「ロナ……ロナ、どこかで聞いた名前だな。オルテシア、君は聞き覚えあるかね」


「ロナ、ですか。うーん……あっ! もしかしてユリウスのライバルと呼ばれていた『飛燕(ひえん)』?」


 ファムはオルテシアの出した答えに『正解!』と指を鳴らして答える。

 

「流石に君は知っていたみたいだな。そう、当時の俺は飛燕という二つ名を持っていた。あまり表に顔出さないから、というか出せなかったし。二つ名ばかり先行してその名を持った冒険者が誰なのかは知らないやつが多かったようだが」


「なんと、君があの飛燕だったのか。はぁ、世界は狭いものだな」


「まあ別に俺はアルメリア王国の敵じゃないってのは分かってほしい。今日も喧嘩を売りに来たわけじゃないんだ。俺の目的はユリウスだけだし」


 そう言うと、ベム・ロウの陰に隠れて様子を伺っていた少年と少女に近づき、友好の証として奇妙な形をした白詰草を手渡した。初めて見る異種族と、その国で自生しているおかしな植物に、少年と少女はどう反応していいか分からず、取りあえず『ありがとう』と返した。


 その様子を暖かな目で見守るユリウス。彼の表情から、本当に彼女は安全な人物なのだと周りは受け取るしかなかった。


「ところで、ファム話とはなんだ? わざわざ文ではなく直接伝えに来たということはそれなりの内容なのだろう」


「まあね、俺が知る中でアルメリアで一番強い冒険者はお前しかいないからな。早急に耳に入れて置きたい情報があるんだ。どこか話せる場所はないか?」


「なら上の階を借りよう。あそこなら音が洩れる心配はない。っとそうだ、さっきの話を聞いていたなら分かっていると思うが、この後は小さな依頼人の護衛がある。そう長くは時間は取れないぞ」


「大丈夫さ。なんなら市長、あんたも来てくれ。一応市長なら聞いておいた方がいい。代わりと言っちゃなんだが、俺がそのもう一人の護衛についてやるよ」


 ベム・ロウはこんなやつで大丈夫なのかと疑いはすれど、アルメリアで二つ名を持っていた実力があるなら断る理由もない、とし了承した。ユリウスとファムは先に二階へ上がり、ベム・ロウはやるべきことを片付けるためにその場に残る。


「メッサーくん、暫くこの子たちに組合の中を案内してあげなさい。頃合いを見て正門前への道案内も任せる。これは手間賃として受け取っておきなさい」


 懐から取り出した金一枚を手渡す。一つのマナーのようなものである。


「畏まりました。お二人方、組合の秘密の部屋へお連れしましょう。どうぞこちらへ」


 秘密の部屋という心躍らせる言葉に少年少女は顔を見合わせるととびっきりの笑みを浮かべてメッサーの後ろをついて行く。


 それはそれとして、とでも言うかのようにベム・ロウは依頼書をそそくさと作成していく。手際の良さから長年に渡って休む暇なく業務を行ってきたことが見て取れるほど、彼の動きに迷いがない。


 紙面の上で踊る羽根は見ていて心地が良いと錯覚させる。これも相手が同じ席に着いていると仮定して、魅せることにも努力を怠ってこなかった証拠だ。


「ところで」


 紙面から視線を外さず、手も止めずにベム・ロウはオルテシアに控えめながらも声を掛ける。頭の上に疑問符を浮かべた彼女であるが、なにやらはベム・ロウの挙動から何かを話したがっているように感じた。


 決心がついたのか、ベム・ロウは言葉を紡ぎ出す。


「君は気が付いたかな、彼が花束という言葉にほんの一瞬だけ反応を示したことを。ああ、違う違う。先程のご令嬢に渡すのではないかと考えているならそれは間違いだと断言できるあのファムという女性も可能性は低いだろう……なら一体なぜ反応したのだろうね」


 その話をするのかと、オルテシアの表情は暗くなるが。からかうためにその質問をしたのではない、とベム・ロウの態度から察することは出来る。しかし質問の意図が読めない。自分にどう答えて欲しいのか、オルテシアは脳裏に浮かんだ答えを無視するように別の言葉を選んだ。


「それは……スエルタさまへの」


「いや違うな。彼は毎年花束ではなく特定のモノをスエルタ様へ献上している。今年も既に彼がそれを手に入れたことまでは確認してある。ではもう一度、なぜ彼は花束に興味を示したのかな」


 含みのある台詞にどういうことですかと彼女は答えるつもりはなかった。何を言いたいのか理解できないほど彼女は子供ではない。


 ベム・ロウは既婚者だ、いい歳になった男が花束に関心を寄せているのは、ある特定の条件があってのこと。これはかつての自分自身の経験と長年の知識からくる直観だった。それに先程の令嬢は、個人でそこそこ名の知れた服飾業を営んでいる人物であることを、彼は知っていたのだ。


 紅いドレスを完璧に着こなしていた彼女、クレア・リンドヴルムは名家リンドヴルム家の末妹だ。姉兄含め八人も兄弟がいるため、末妹ゆえに(しがらみ)のない人生を歩んでいる。


 彼女の仕立てるドレスは出来栄えが良く、多くの貴婦人がそれを求めて彼女の下に足を運ぶ。ベム・ロウの妻もその例外ではない。むしろ常連の一人だ。彼がクレアを知っていたのはそのためである。


 そして彼女が作るドレスの中で一番人気が高いのはウェディングドレス。


 しかしてオルテシアはそれを知らない。 


 普段から受付嬢専用の制服を身に纏い、愛しの彼とはどこにも出掛けられず、休日も部屋に籠っている。世俗には仕事上詳しいが、お洒落に関してはずぼらもいいところ。


 地がいいことも相まって、さほど化粧にも関心を寄せていない。顔の偏差値が平均よりだいぶ高いという自覚もないため、持ち前の武器すら活かしきれていない。そんな彼女の前にライバル(?)が現れたわけだが――。


「まあ、そこまで深刻な顔をするなら、いっそ付いて行ってはどうかね。彼は優秀な戦士であるが、子供をあやす能力は女性である君に遠く及ばないだろうし、ファムはあくまで彼と同じ護衛だ」


「いえでもお仕事が……」


 それは行きたいと言っているようなものだぞ、とベム・ロウは奥手にも度が過ぎる彼女の反応に、誰かが背中を押してやらねば進展は望めないと確信した。


「では聞くが、君は本気で彼と結ばれたいと考えているのかね? 彼と夫婦になった後の展望はあるのかな。君だからこそ明かすが、父親の代わりとして私に持ち込まれる彼に対する縁談は、全て断っているのだよ。なぜだか分かるかい?」


 縁談、彼女も親に数回ほど縁談の話を持ち掛けられているがそれを悉く断っている。自分ほどの人間でも色のある話が来るのだから、ユリウスにもないわけがないと頭では理解しているつもりだ。しかし、ベム・ロウはその話を彼に行く前に切り捨てている。その真意が全く持って理解できない。だから彼女は沈黙でしか意思を示せない。


「彼は私の右腕だ。これはただ単に護衛としての能力だけで評価しているわけではない。彼もあと十年も経てば冒険者を引退するだろう。引退した冒険者がどのような人生を歩むか、君は一番理解しているはずだ」


 相槌で話の流れを止めない。ただ彼の話をオルテシアは静かに聴いている。


「私は、彼が冒険者としての人生に幕を引いても田舎に引っ込むことをよしとしない。私が市長を引退した後、この責任ある業立場を引き継いでもらう人材が必要だ」


「……それはつまり、将来市長となる男の妻として相応しい女性が縁談を持ちかけてきた中にいなかった、と」


 ベム・ロウは静かに頷く。ではなぜ自分にこの話を明かしたのか。その意味を理解するには時間も経験も足りていないことを実感してしまい、果たして本当に自分が彼を追い続けても良いものかと思考の渦に嵌っていく。


「しかし――しかしだ。私は思うのだよ。幼い頃から彼を他の誰よりも近くで見てきた女性がいたならば、とね」


 言葉の終わりに彼女の手元に完成した依頼書を滑らせる。その依頼書には、同伴者の欄に空白が残されていた。斜線で消すこともせずそのままに、インクを丁寧に拭き取った羽根を添える。


「書き漏らしがあるかもしれないが、まあ君ほどの受付嬢なら私のミスも直しておいてくれるだろう。私は荷馬車の手配をしなければならないのでね、後のことはオルテシア、君の方で処理しておいてくれると助かる」


 ここまでお膳立てしたのだから、もう彼女が迷うことはないだろう。年長者としてやれるだけのことはやったはずだ、とベム・ロウは振り返ることなく二階へ向かう。


「さて、話とはなんだろうな。嫌な予感しかしない」


 普段は親父臭い男だが、今日に限ってその後姿は、とても逞しく見えた。


「失礼するよ」


 先に二階へ上がった二人が待つ部屋の扉をノックすると、ひと呼吸する時間もなく慌てた様子のユリウスが扉を開けて市長を引き入れる。


「待ってました市長。先に聞きましたがこれは恐らく私たちだけでは――」


「まあまあ落ち着けって、お前が慌てても何も解決しないから」


 一体何を聞いたのか、ベム・ロウはユリウスがここまで取り乱しているのを初めて目にした。

 ただ嫌な予感が当たるまいと、扉を閉め、ファムに向き合うように腰を下ろした。




 一方、組合所の受付には、書き掛けの依頼書を前に一つの決意を固めた様子の女性がひとり。インクをしっかりと纏わせた羽根を手に、空欄をしっかりと埋めていく。



『オルテシア・ミルトン』



 空欄だった箇所には、そのように綴られていた。




次回 第四話『盗賊団・黒蛇竜(こくだりゅう) 前編』

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