縁ある魂
贖罪の旅路。
いずれ生まれ来るアニマの魂を探しながら、私は世界をさまよいます。
神殺しによって呪いを帯びた私は、生と死の代理人でありながら、生の力を扱えない死神になってしまいました。
それは輪廻の環の流れを揺らし、大地に生きる人々にも影響を与えています。
死なない者――が現れたのです。
生と死の理から外れた彼らは、そのままでは世界の異物として排除されてしまいます。
そうなっては、二度と輪廻に還ることはできないのです。
私はそんな彼らの魂を探し出し、眷属として保護して、輪廻の環に還し続けていました。
それが私の罪の代償であり、贖いなのです。
*****
白い大地で、たくさんの魂が消えていきます。
髪も肌も瞳の中央さえも、白に染まった青年がただ一人、影のように立っていました。
青年は周囲の人間だけを殺めては、ふらりとどこかへ移動します。
彼は死白の亡霊……そう呼ばれていました。
青年が現れた地域では村や街が全滅し、どんな攻撃をしても亡霊のように効果がありません。
白い大地の人々は、いつ死白の亡霊が現れるかと怯えて暮らしていました。
そんなある日、一人の娘が、ちょうど村人を殺しつくした彼に近寄ってきました。
青年は意識があるのかも判別できない瞳を向けて、いつものようにその力を放ちました。
そうすれば、その娘も刹那のうちに体が灰となって崩れ去ります。
――しかし。
「私には、あなたの力はききません」
黄金色の目をした少女は、にっこりと微笑んでそう言いました。
まるで今初めて目を覚ましたかのように、亡霊の頬がピクリと動きました。
灰色の髪を揺らして、娘は彼に近寄ります。
「死白の亡霊さん、あなたを探していました。
死の理から外れた、哀れな我が眷属……」
何度力を向けても娘は変わらず歩を進めて、とうとう彼の手を握りました。
一回りも背の低い少女に怯えたように、彼の全身が強ばりました。
「ニクス――募った憎悪によって白き魔となった者よ。
あなたを我が眷属として保護します。
あなたが輪廻の環に戻るまで、私がそばにいましょう」
茶色い指先から伝わる体温を感じても、亡霊は何も言いません。
けれど、白い大地を脅かしていた死白の亡霊は、その日を境にぱったりと姿を消してしまったのです。
*****
街から街へ、大地から大地へ。
私は旅を続けます。
その後を、フードで深く顔を隠したニクスが歩いていました。
死の眷属となったニクスと共に過ごしてしばらく経ちましたが、彼はまだ一言も話してくれません。
魂を感知し、それを司る私には、ニクスの身に何が起こり、どうして死の理を外れてしまったのか分かっていました。
彼が輪廻の環に戻るには、長い時間が必要です。
「……ニクス、そろそろご飯にしましょう」
会話はなくとも、彼は私の言葉に素直に従います。
創り出した死の果実を渡せば、ニクスは黙々と齧り始めました。
死の理から外れた者に死の果実を与える事で、彼らを輪廻に戻す事ができます。
『死』が狂うには様々な理由がありますが……ニクスの場合は、あまりに強い生への憎悪でしょう。
「一つで足りますか? あなたは空腹を感じないけれど……もう一つ、食べた方がいいでしょう」
ほら、と差し出せば、やはり言われるがままに口にするのです。
魂を覗けば彼が何を思い、何を感じているかわかります。
ですが、それをするつもりはないのです――今は。
*****
『彼女』は、彼にとって至極不可思議な存在でした。
長く蓄積した感情が故に全身が白く染まり、ただ死をまき散らす者となったニクス。
死の色をまとった青年を従える、黄金色の瞳をした少女。
彼女はニクスを恐れる事なくそばに寄り添い、時に触れ、共に眠りました。
いつでも少し寂しげな微笑みを浮かべて、娘は世界を旅し続けます。
"アミカ″
大切な人にもらった名前なんです、と彼女は泣きそうな笑顔でうちあけたのです。
"素敵な名前でしょう? 私、あなたの名前も好きです。とってもキレイですね"
(そうか……? オレはキライだ)
凍り付いた心の中が、わずかに動きました。
それはまだ、表情には出ません。
*****
「プラウモ――喪失の悲しみから死を否定した者よ。
あなたを我が眷属として保護します。
あなたを輪廻の環へと導きましょう」
黒い大地に、また一人、死の理から外れた者がいました。
愛していた婚約者を不慮の事故で失ったのです。
彼女は婚約者の死を受け入れられず、死体をまるで生きているかのように扱い、ついには死体を操る屍体操者になり果ててしまいました。
その影響は周囲の人々にも及び、少なくない人々が犠牲になっています。
喪哀を帯びた女は、黙したまま数多の屍体を私に差し向けました。
彼女を止めようとした者、バカにした者、愛していた者……。
屍体操術は死の力です。
死神である私を害する事はできません。
だから、私は慌てる事なくただじっとしていて――。
(……え?)
――襲い掛かろうとしていた屍体が、次々と硬直し、灰の塊に変わっていきます。
覚えのある力でした。
まるで私をかばうように、ニクスが前に進み出てきました。
「ニクス……?」
ちらり、乳白色の眼がこちらを向きます。
(守って……くれた、んですか……?)
眷属になって以来、自分の意思というものを見せなかった彼です。
驚き、見つめ合っている間に、周囲に灰のじゅうたんが出来上がっていきました。
*****
灰色の髪をまとめて眠る『彼女』。
黄金色の瞳を細めて笑う『彼女』。
茶色い腕で手で指先で、彼に触れ導く『彼女』。
(……アミカ)
死神と称する少女の存在は、憎悪に自我を失くしたニクスの心を揺らしていました。
彼女が渡す白い果実の影響でしょうか、彼の力はだんだんと弱まっています。
本来のあるべき摂理に、死している者へと近づいている証でした。
けれど、ニクスの心が溶け出したのは、きっと果実は関係ないでしょう。
背中を見つめて歩いていたのを、隣に並んで歩むようになりました。
彼女が話しかけてきたら、なるべく返事を返すようになりました。
夜になれば、自身の腕を差し出して、まるで囲い込むように眠りました。
初め驚いていた少女も、今では当たり前にニクスに寄り添っています。
"私はこうするためにあなたを探して会いに行ったんですから"
一度、嫌ではないのかと問うた彼に、彼女は嬉しさを滲ませながらそう答えたのです。
陽光さながらに輝いた少女の目に、ニクスの心はゆっくりとほどけていくのでした。
*****
しばらく前から、ニクスの身体に色が戻り始めていました。
髪はうっすらと白金色に、瞳は夜明け前の好き取った青色に、肌にはうっすらと赤味が。
彼を白く染めていた死が薄れてきている証でした。
もうそろそろ、ニクスは輪廻の環に還るでしょう。
(お別れですね。長い旅でした……少し、寂しいですね)
彼とは長い間そばにいたせいでしょう、別れが私の心を沈ませるだろうと予感しました。
――それは新しい死の眷属を目指している旅の途中でした。
「アミカ、話がある。聞いてくれ」
「はい、なんですか?」
「…………愛してる」
緊張と恐れを押し込めた夜明け色の双眸が、私を真っすぐに見下ろしました。
(……なんというタイミングでしょうか。いえ……きっと、これこそがニクスが輪廻に還れる証拠なのですね)
私は手の内に二つ、白いリンゴを創り出しました。
「募った憎悪によって白き魔となった者、死白の亡霊と呼ばれていた者、死神たる我が眷属……私の愛しき友、ニクス。私はあなたの想いを受け取る事はできません」
差し出した死の果実を見ようともせず、ニクスはぐっと歯を食いしばりました。
「数え切れぬ人を殺したオレではダメか。
死の理から外れた醜きオレではダメか。
いまやお前を守る術を失くしたオレではダメか」
怨嗟のごとき言葉でした。
握りこめられた大きな手を開かせて、果実を手に渡します。
「今世界にある存在の中で、最も大きな罪を犯したのは私でしょう。ニクス、私はあなたを愛していますよ」
「ならば、オレの愛を受け取れない理由はどこにある」
私は思わず満面の笑みを浮かべてしまいました。
「ニクス、あなたはもう輪廻の輪に還る事ができます。
記憶は浄化され、新たなる生を持って生まれ変わるのです。
あなたの愛は、消えてしまいます」
「消えるものなら、受け取る意味もないと?」
震え出した腕を撫でて、私は首を横に振ります。
「あなたの魂は変わりません。今、あなたはすでに死している者です。だから輪廻の輪に還らなければいけません。けれど、もし……生まれ変わったあなたと出会ったなら、その時、私はあなたの愛を受け取りましょう。
どうぞ生ける者として、愛をください。
そうすれば、私はまたあなたが輪廻に還るその時まで、そばにいましょう」
さあ、と彼の手を持ち上げ、死の果実を差し出します。
焼き尽くすような視線を投げかけながら、ニクスは果実を食べました。
魂がほどけ、散っていきます。
"アミカ、アミカ、どうかオレを忘れないでくれ"
ニクスの心の残滓が、宙に響きました。
*****
うち捨てられた研究所の奥。
ボロボロの毛布の中に、一人の子供が眠っていました。
肌は浅黒く、手足の先端は一度千切れたようにつぎはぎに縫われています。
薄汚れた髪も細い眉も時折震える睫毛も、はっとするような真紅です。
「……" "……」
かすかな声が、もれました。
夢の中で、子どもは誰かに会っているようでした。
じゃり――と、人が訪れる事などなかったその場所に、足音が鳴りました。
扉すら朽ちたその部屋に、灰色の髪を持った少女が入ってきます。
黄金色の瞳で室内を一瞥すると、彼女は真っすぐに子供の元へと近づきました。
少女の茶色い細い腕でも軽々と抱き上げられてしまうほど、子どもは軽いようです。
真紅の睫毛から静かに伝う雫を拭って、少女は小さく笑みを描きました。
「……また、会えましたね」
*****
死神は世界をさまよいます。
白い亡霊は死神と出会い、色を取り戻して彼女を愛しました。
神殺しの少女は笑ってそれを拒否しましたが、来世の約束を彼にあげました。
そうして、二人が再開するのは500年後の事――。
二つの魂の縁は、この時から紡がれていくのです。