ヨーロッパ文学(小説) その黄金時代は17世紀~18世紀だった、まさに百花繚乱の様を呈していたのだ。全力総解説
ヨーロッパに置けるいわゆる近代小説(今私たちが普通に言ってるような意味での)が隆盛したのは、17世紀ころからだといわれている、それまでも、いわゆる小説的なものはあったのだが、それはいわゆる民話系とか物語系であり、「何とか物語」という形式であり、近代的な個人の主人公や、その主人公の成長だとか葛藤だとか心理とかはほとんどなきに等しかったのである、そういう意味での近代小説の元祖は「ドン・キホーテ」だといわれている、明確な主人公がおり、主人公の成長や心理、葛藤がえがかれており、
個人を中心とした個人史的な発展物語これが近代小説ですね。
とはいえこれ以降でも、物語系の小説(例えばピカレスク小説)もずっとあるわけですから、くっきりとした区分けは無理ですが、、、。
さらに、より近代小説の体裁を整えたものが出てくるのが18世紀です、
18世紀は特にフランスで小説の黄金時代を迎えます。
それ以前の文学といえば例えば戯曲。、演劇の台本などが主流でした、
シェークスピア
ラシーヌ
などが代表者でしょうか。
文字をそのまま、読む、つまり読書という習慣はまだ根付いていなかったということです。それだけ識字率も低くていわゆる読者層も少なかったのでしょうね。
読書という営為が成立しえなかった時代だったのです。
当時の市民層のお楽しみはまずは演劇・見世物、村芝居・歌や踊りでしょう、
あとはお祭りとか、さらに、ちょっと毛色の変わったたものとしては
死刑見物なんてのもありました。
当時の死刑は公開で大きな斧で首をちょん切るのです。
これは見物人が相当あつまったそうです。
さて本題に戻りますが、
読書が成立して近代小説が勃興したのが、17世紀後半ころからです。
特にイギリスとフランスが中心でした。ドイツがやや遅れてこれに続きます。
そうして、18世紀がその黄金時代を迎えます、
というのも近代小説の勃興は、「読者層」、があっての前提ですからその点ドイツはやや遅れていたわけです。豊かさを備えた近代市民階級の勃興で識字率も上がり、いわゆる良家の子女に、読書の需要が生まれたのです。この需要に対して供給として作家という職業というものも、出てくるわけです。
それまでは作家専業なんてありえませんでした。
物語作者は、牧師だったり、ほかに仕事があって片手間に小説物語を書いていただけです。
それがこのころから需要に応じて、出版社もでき、作家専業も出現したのです。
私はこの時代を勝手に「文学(小説)の黄金時代」と呼んでいます。
そのころ映画もゲームもDVDもアニメも何にもない時代ですから
小説しかなかったのです。だから小説の一人勝ちですね。
大げさに言うとこの時代は空前の小説ブームが巻き起こったのです。
小説の主人公に読者が自己同化して、泣き、悲しみ、はては同情自殺さえあったのです。
今でいえばアイドルが若くして死ぬとあと追い自殺があるようなものでしょうね。
そのころ小説は絶大な力を持っていたのです、その影響力もすごいものでした。
今、現在の小説にそんな力はありませんものね。。。
今は小説のほかにいくらでも心くすぐり感動し魅了するモノがいくらでもあるからです。
今、小説は、ほかのメディアや映像媒体にお株を奪われて衰退してしまったというわけです。
今 「小説」 というか「文学」全体がすっかリ衰退してしまいました。
それは18世紀のあの頃、言葉しか表現手段がなかったころのように
今現代ではもう、
言葉への絶対な信頼、同化、投影という、コトバのパワーの衰退でもあったわけです。
昔、言葉は神であった。言葉はすごい世界を変えるような力を持っていた、
今言葉は軽くなり、適当に発せられ、深い意味も喪失し
言葉の霊力。魔力は完全に失われたのだ。
大昔、、たった一言の言葉(呪文・言霊)で世界をひっくり返すこととすらできた、
今は、、もう無理です。これから、、、言葉の軽量化?うすっぺらさ?はますます進むのでしょうね。
さて本題に戻ります。
そんな文学の黄金時代 17~18世紀にはどんな小説があったのでしょうか、
早速、実際の作品を検証してみましょう。
おっと、その前に、このころの小説の大きなトレンドとして
「書簡体小説」というのがあります。
その起源は古くは「アベラールとエロイーズの往復書簡」だといわれていますが、
書簡対小説の一大ブームを作ったのはこのころの作家たちなのです。
ではなぜブームになったのか?
それは当時の読者を想定してみてください、
やっと富裕市民層ができ始めたころです。識字率もやっと定着し始めたころです。
市民同士の通信手段は当時手紙しかありません。
そういう時代に、そういう時代の読者にわかりやすく小説内容を伝えられるのは
「これは手紙なんですよ」という設定、小説形式だったのです。
手紙をやり取りするのはこうした市民層にもなじみがあり、
まあ、
「文学初心者」のこういう読者層にもすんなり受け入れられやすかった、というのが最大の理由でしょう。で、大ブームになりました。その代表作はイギリスでは「パミラ」リチャードソン作でしょう。そしてフランスではルソーの「新エロイーズ」です。
この二つの作品は当時の読者に熱狂的にもてはやされたそうです。
想像してみてください、
テレビもない、ゲーム機もない、映画もない、ユーチュブもない。漫画本もない。電話もない、
何もないんですよ、
文芸的なお楽しみなんて皆無ですよ。たまに演劇を見るとか、見世物を見るくらいが関の山ですよ。
当時の、日常生活では、いわゆる異世界疑似体験としては
小説本を読むくらいしかほかにお楽しみななんてなかったんですよ、
小説本が最大の最高の娯楽だったんですよ、本を読むことが最高のお楽しみだったんですよ。
それ以外になかったんですよ。日常生活を抜け出して別人になり疑似体験をするっていうのはね、
そういう意味では本(読書)は言葉の魔力をいまだ持ち得ていたといっていいでしょうね。
今、コトバはその信頼性も、影響力も、浸透性も、すっかり褪せてしまいましたものね。
そのころはまだコトバの霊力?があったころです。
言葉に自己同化して自己投影できたころです。
言葉の信頼性というか言葉の破壊力があったころです。
言葉は力であり、パワーがあり、言葉は世界そのものだったんですよ。
つまり、
もっとゲスな言い方でいうと、言葉にまだ
催淫力があったころですね。今、現在では言葉でなんかだれも、催淫されませんものね。
言葉がすごい影響力を持っていたころの、
そういう時代の小説たちなのです、だから18世紀は小説の黄金時代だと私が言うのです。
昔エロ小説がが発禁になったのもまだ言葉が影響力がパワーがあったからなのです。
今エロ小説なんて、発禁ですらありませんね。
今やエロ小説なんてそんなもの読んでも誰も催淫されないし、影響力があまりないからなのです。
大げさに言えばコトバのパワーの失墜現象ですよ。
それがひいては文学の衰退でもあり黄昏でもあるのでしょう。
今は言葉よりも映像文化全盛ですから。
言葉というシンボル・記号だけでは誰も催淫されなくなった?ということなのでしょう。
コトバの喚起力の低下、あるいはコトバの妄想力の劣化、
言葉ではもう誰も妄想を膨らませられない、という現代人の状況です。
それが文学の劣化?にも通じているのでしょう。
今は言葉よりも映像文化全盛ですから。
言葉というシンボル・記号だけでは誰も催淫されなくなった?ということなのでしょう。
コトバの喚起力の低下、あるいはコトバの妄想力の劣化、
昔の読者は言葉だけでものすごい妄想を膨らませて、わくわくして疑似体験できたということです、
それが、、今では、言葉なんかではもう誰も妄想を膨らませられない、というのが現代人の状況なのです。
そういう現代人の妄想力の貧弱化が
それが文学の劣化?にも通じているのでしょう。
だって文学なんて言葉という記号の羅列ですよ、
その記号が了知できなければただの無意味な記号にすぎないんですよ。
マヤ文字が無意味な記号としか見えないのと同様ですね。
文学とは小説とは、文字が読めてなんぼ、意味が分かってなんぼ、
そして最も重要なのが、、そこから妄想を膨らませられてなんぼ、、なのです。
こういう妄想力がないと、小説なんて無味乾燥な記号の羅列でしかないという事実なのです。
つまりどんなにエロイことが書いてあったとしても、その言語が読めなければ記号の羅列でしかないのです。催淫なんかされません。その言語が読めて意味が分かって妄想しての上でのことだからです。例えば私はフランス語が全く読めませんのでフランス語のエロ小説は意味不明ですから全くただのアルファベットの羅列でしかありません。私にとっては無意味そのものです。
ここが映像文化と違うところです。映像は万国共通だからです、読解力も言語力も不要です。見れば即わかりますね。文盲でも映像文化は見ればそれでわかるのです。
それに対して、文学は言語力と読解力の前提です。
しかも、たとえ読めても、
その肝心な妄想力が劣化しているのが現代人なのです。その一つの原因が映像文化の蔓延でしょうね。
映像文化は妄想力不要です。直に映像が現前するからです。
アニメ、映画、漫画、テレビゲーム。などなど
こういうのに慣れてしまうと、
もう言葉だけの羅列でしかない小説を読んで、そこから妄想を膨らませて小説世界を
自己の脳内に現出させるという作業が不可能になるんですよ。
小説はただ文字面を読んでもダメです。そこからさらに自己の脳内にその小説世界を再構築して
自己の脳内に小説世界をありありと現出させるという精神作用が必要です。
そこで初めて小説が面白いということになるのです。
そういう面倒くさい精神作用の行程が、現代人には無理なのですね。
とまあ、そういうわけで小説・文学はこれからももっと衰退し続けるでしょうね。
余談が長くなりすぎましたね?
それではさて、
この時代(17~18世紀)の黄金時代の?作品を検証してゆくこととしましょうか。
概観なので個々の作品の解説は致しません。というかあまりにも膨大で、できませんので、ご自分で検索して、お調べください、
しらべてみると、知らなかった結構のものすごい隠れた大傑作に出会えるかも?
(凡例) 作者名 作品名 コメント の順です。
その1
まずイギリス文学では、このころの代表的な作家として、以下のような人々がいます。
ゴシック系、恋愛もの、冒険もの、エロ系、、いろいろあります、
ジョン・バニアン 天路歴程 宗教系です
ホレス・ウオルポール オトラント城奇譚 ゴシック小説です。
クララ・リーブ イギリスの老男爵
アン・ラドクリフ ユードルフォの秘密 イタリアの惨劇
マシュー・グレゴリー・ルイス マンク(破戒僧) 修道士の破滅を描く
ウィリアム・ゴドウィン ケイレブ・ウィリアムズ サスペンス小説の鼻祖です。
ダニエルデフォー
A True Relation of the Apparition of One Mrs Veal(噂話の記録、1706年)
Robinson Crusoe(ロビンソン・クルーソー、1719年) あまりにも有名。
Captain Singleton(海賊シングルトン、1720年)
Moll Flanders(モル・フランダーズ、1722年) 孤児の女性の一代記。
A Journal of the Plague Year(ペストの年に関する記事-1665年のロンドンで大流行、1722年)
Roxana(ロクサーナ、1724年)
リチャードソン
パミラ 小間使いが若主人から言い寄られるという書簡体小説これは当時大ヒットしました。
クラリッサ 悩める女性の書簡対小説、すごい大長編です。ウエブ上に
完全邦訳が公開されています。驚きですね。
シャルル・グランソン卿の歴史 1753年
ジョナサンスイフト
ガリバー旅行記 あまりにも有名。
フィールディング 、、、、イギリス小説の父といわれています、
シャミラ これは大ブームなった「パミラ」を茶化した作品です。
ジョゼフ・アンドリュース パミラの弟という設定の冒険小説、
ジョナサン・ワイルド 泥棒一代記
トムジョーンズ 孤児のトムの冒険と恋の物語
クレランド ファーニーヒル 1749年 有名なエロ小説です。
ファーニーヒルの娘 (続編です。)
ベックフォード ヴァテック ゴシック小説です。
その2
フランス文学ではこのころはまさに百花繚乱です。エロチック小説から悪漢物。恋愛もの、SFまで何でもありです。ボードレールはこういっています、「その当時の好色小説がフランス革命を準備した」と、
それくらいエロチック小説が量産された時代でもありました。以下、題名でそれらしいのはエロ系です。
ニコラ・コリエー ルイザ・シゲアの対話
ネルシア フェリシア
サンシール パウリスカ
ミオー、ランジュ 娘たちの学校
クレビヨン ソファー
マルキ・ダルジャン テレーズの告白 サドの前駆をなす作品です。
ミラボー伯爵 フランスの伊達男 エロチカ・ビブリオン
ラクロ 危険な関係
フェヌロン テレマックの冒険
ルソー 告白、ルソーの自伝です。
新エロイーズ 当時、熱狂的に読まれたそうです
レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ ムッシュー・ニコラ 性的自叙伝です、
原書は全6巻の大長編です。邦訳本はその5分の一です。
堕落百姓 パリの夜
ボルテール ミクロメガス カンディード オルレアンの乙女
ディドロ 修道女物語 (シュザンヌの告白)
おしゃべりな宝石(不謹慎な宝石)
カサノヴァ 回想録 正式名は「ヒストワール・デ・マ・ヴィイ」
( わが生涯の物語)
イタリア人ですがフランス語で執筆しました。
サド ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え、
原書は大長編です。渋沢龍彦訳はその5分の一の抄訳です。 が、原書はすごい冗長ですのでむしろこの抄訳のほうがすっきり読める?と好評のようですね。サドは渋沢によってむしろダイエットされてよみがえった。
ジュスティーヌ物語あるいは美徳の不幸、
ソドム120日
閨房哲学
ラファイエット夫人 クレーブの奥方
カゾット 悪魔の恋
シラノドベルジュラック 日月両世界旅行記 SFです。
ルサージュ びっこの悪魔
ジルブラース物語 ピカレスク系です。
アベプレボー マノンレスコー
マリボー マリアンヌの生涯 成り上がり百姓
サンピエール ポールとヴィルジニー ナポレオンが愛読したそうです。
その3
ドイツ文学では啓蒙時代を経てシュトルムウントドランク時代が到来していました。大衆向けには、ゴシック系も流行しました。
グリンメルスハウゼン
阿呆物語 Der abenteuerliche Simplicissimus (1668年)
放浪の女ぺてん師クラーシュ Die Ertzbetrügerin and Landstörtzerin Courasche (1669年)
シュピース 侏儒ペーター 有名なゴシック小説です。
レオンハルト・ヴェヒター 往時の物語(1787-98)七巻、 ゴシックです
ベネディクテ・ナウベルト、 『ウナのヘルマン』(1788)
クリスティアーン・アウグスト・ヴルピウス 『リナルド・リナルディーニ』(1799)
ハインリヒ・チョッケ 『アベリーノ』(1794)
カール・グローセ 『守護精霊』(1791-95)
ゲーテ 若きウエルテルの悩み
ウイルヘルムマイスターの修業時代1795年
シラー 見霊者 (ガイストゼーラー) オカルト小説です。
ヘルダーリン ヒュペーリオン 1795年
シュレーゲル ルチンデ 1799年。自由恋愛を唱導した作品。
ジャンパウルの初期の作品
パウル・ハインゼ アルディンゲロと幸福の島 1787年
ウエブ上に邦訳があります。
初期のドイツロマン派(ティーク、ノヴァーリスなど)もかぶってくるがここでは省略します。
まとめ
ざっと書名だけを上げてもこの通り、傑作がずらりと並びます、
これらは今まで受け継がれて保存されて、残った作品です。
ということはもっと埋もれて消え去った作品がいっぱいあったということです、
ですからその総量たるや、すごい量の作品が当時生産されたってことでしょうね。
そんな消え去った作品の中には当時はだめでも、今の評価ではすごい傑作があったのかもしれませんよね?そんな消え去った傑作がいつかひょっと発見されるかもしれませんよね?
以上列挙した作品は
一般には知られてない作品ばかりでしょうが、これらは隠れた傑作ぞろいです。
まさに文学(小説)の黄金時代だったのですね。今現在からでも一読に値することは保証できます。
なぜ小説がこれだけもてはやされたか?
その当時は文学しか表現手段がなかったということでもあるわけです。
市民層の娯楽としては読書という行為が市民権を得た時代なのです。
そういう市民の要求は、それは面白いことです。
面白いという範疇の定義は
艶笑系とか
冒険ものとか
まあそういう次元です、
今だってそうでしょう、映画だってエロ系とか冒険もの、アクション系は人気がありますものね。
当時は文学しかなかったから文学(小説)がそれらの需要のすべてを請け負っていたのです。
今なら映画でもビデオでもゲームでもアニメでもいくらでも表現手段があるので、
そちらに需要が行ってしまってそのために、
文学(小説)がすたってしまったのでしょう。
ヨーロッパの18世紀は
文学(小説)が、市民みんなから、ものすごい需要があった時代、
それがこの時代なのです。
だから、まさに、小説の黄金時代なのです。
以上、あくまでも私の私的見解であり、その学術的な信憑性は保証しません。
個々の小説作品についての詳しい情報はご自分で検索しておしらべください。
(注)私がご紹介している書籍については、
その書籍について私は責任は負いません。
あくまでも、自己責任でお読みください。