Track.5 There Is A Light That Never Goes Out「11」
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アンダーソンは鼻歌を歌いながら、夜道を行く。自身が好意を寄せている女性、ルイス・マクドゥーガルから電話が来たからだ。初めの頃は、まさしく高嶺の花。とても遠い存在だと思っていたが、近頃は彼女から誘いを貰える程親しい仲になっていた。
しかし、昨晩は思わぬ失態をしてしまった。いくら彼女が愛しくても、今後あのような行動は慎まなければいけない。今夜も出かけるかは躊躇ったが、大切な友人の激励を思い出し、アンダーソンは彼女に会うことにした。必死で働いている彼に報いる方法。それはルイスの心を手に入れることである。そう信じて、彼は夜の街へと繰り出した。
ショーウィンドウに映る自身の姿を確認すると、彼は馴染みの店の扉に手をかけた。以前はPUBだったこの場所、今はBARだ。同じ店のはずなのに、雰囲気がまるで違うように彼は感じている。
時刻は午後七時半過ぎ。いつもなら小生意気な表情で彼を眺めていた店主も今日は違った。
「何か良い事でもあるみたいだな」
随分と久しぶりに彼はアンダーソンへと声をかけた。
「今更何を。全部お見通しだろ」
軽い会話の後、アンダーソンはいつもの席に向かった。
「こんばんは」
「え……」
驚いたことに、アンダーソンより先に彼女が来ていた。
「あれ……もしかして私、時間間違えました?」
思わず彼は腕時計を確認する。予定よりだいぶ早めに家を出たはずだった。
「大丈夫ですよ、アンダーソンさん。私が早く来たくて来てしまっただけです」
上品そうな笑みを浮かべるルイスに対し、アンダーソンは気恥ずかしそうに顔をそむける。
「ご友人のお二人はもう来ないんですか?」
「あ、はい。今日も夜勤で」
「夜勤……大変そうですね」
「はい」
「乾杯しましょう。マンハッタン、もう出てますよ」
彼女に言われて、アンダーソンはカウンターを見る。すると、そこには頼んだ覚えのないマンハッタンが置いてあった。驚いた顔で店主を見つめるアンダーソンだったが、店主は彼に目をくれることなく黙々と作業を続ける。
「アンダーソンさん?」
「は、はい。乾杯しましょう」
そして彼らは揃ってグラスを傾けた。
***
一通り酒を酌み交わした後、二人は外に出かけることにした。映画に書店にCDショップ。まるでデートそのものの様な気分をアンダーソンは味わっていた。数ヶ月前の彼には想像もできない程、とても幸せな時間。
「あの!!」
「はい?」
ふと、アンダーソンは無意識の内に彼女を呼びとめていた。依然として、にっこりと笑いながら振り返る彼女。その顔を直視することすら出来ないほど、彼の心臓は脈打っていた。
「ど、どうして。俺みたいな人といてくれるんですか?」
「俺みたいな人?」
ルイスは彼の言いたい事が上手く理解できないようで、小さく首を傾げる。
「いや、だから……ルイスさん、あなたは完璧な方です。外見も中身もすばらしい。だから、そんなあなたが何で俺なんかと」
アンダーソンが勢い余って顔を上げると、彼女の顔は彼が思っていたよりも近くにあった。そして彼女は静かに口を開く。
「以前、一人だった時がありました。六か月前のことです。本当に私は一人だった。そして、偶々通りかかったお店で飲んでいた時、声をかけてくれたのがあなた――、アンダーソンさんだったんです。大したことない理由です。でも、人はそんな小さな出来事でも惹かれるものなのです」
彼女は自身の手を胸の前で握り、そっと目を閉じたまま続けた。
「やっぱり、こんな理由じゃ納得いきませんかね」
寂しげに微笑む彼女に見惚れていたアンダーソンは、はっと我に返った。
「い、いえ!!充分です!!」
すると、彼女の笑顔がぱっと明るいものへと変わる。
「この縁、続くといいですね」
「はい!!あの、俺も同じです!!」
しかし、彼の鼓動はまだ収まらない。いや、徐々に速まっている。何故なら、彼にとっての大勝負はこれからだからだ。今日、いい雰囲気になれたのなら、彼はルイスにプロポーズをするつもりでいた。そして今こそが絶好のチャンスである。
「ミ……ミス・ルイス!!」
「はい」
「あの、私はあなたを……!!」
彼女もアンダーソンの瞳を真っすぐ見つめていた。まるでこの後に続く言葉を分かっているかのように。
――ポンッ!!
――ポンッ!!
瞬間、黄色い信号弾が二発上がった。
――敵が現れたのか!!!
しかし、彼は動く事ができなかった。自身がどのように行動すればいいのか、わからないのだ。今ここで人生最大のチャンスを逃していいのか。頭に血が上って、破裂しそうな気さえもしていた。
――俺はどうすれば!!
ふと、アンダーソンの脳内に彼の顔が浮かんだ。
彼は――、大切な友人はいつもの笑顔で笑っていたのだ。
「ミス・ルイス」
「はい」
アンダーソンはルイスの肩に触れ、真剣な瞳で彼女を見据える。
「私は行かなければいけない、急用ができてしまいました」
「え?」
「先に帰っていてください!!後で必ず連絡します!!」
そして彼女の返事を待たずに、アンダーソンは走り出す。組織のために、いやそれ以上に大切な友人のために。
***
人々の往来も減り、街が暗闇に包まれる頃。
赤城は襲いかかる敵の攻撃を素早く避けた。相手は昨晩と同じ――、黒い影だ。
「ブリーゲルさん、これどうしたらいいんですか?」
「ふむ。そうだな、どうしようか」
言葉とは裏腹に、ハンスの中ではもう答えが出ているようだった。彼は敵の攻撃を避けると、その勢いを殺すことなく影の懐へと蹴りを入れた。
「まず触れる事ができるということから、あれは物体。つまり倒すことは可能だ」
言い終わるや否や、彼はナイフを投げた。影はそれを容易く避け、ハンスに向かって拳を振り上げる。
「そして戦闘パターンは単純」
瞬間、影の動きが止まった。見ると、ハンスが投げたナイフは地面に突き刺さり、青い光を帯びていた。
「周君、職員たちは避難したか?」
「はい、大丈夫です。あらかじめ潜伏していた甲斐がありました」
今から三時間前。赤城とハンスは、昨晩のような屋上ではなく協会近くの裏通りで網を張っていた。少しでも早く現場に向かえるようにするためだ。もちろんただ待ち構えるだけでなく、ハンスも策を巡らす。なるべく目立たないよう工夫した紙をいくつも地面に張り付けておいた。そして赤城の空間内で二人は外の様子を窺い、戦闘の時を待っていたのだ。
ハンスの魔法が切れ、影が動き出す。赤城は信号弾が上がった方を見上げ、拳銃を構えた。ハンスが相対している影とは別に、もう一つの影がそれを放ったに違いない。そう考えた彼は、じっと暗闇を見つめる。
「むやみに撃つな、周君。昨晩、経験したばかりだろう」
「でも、じゃあどうすればいいんですか!!」
「ひとまずあれは物体――人型に違いない。触れた時に骨と筋肉の感触があった。ならば当然、関節も存在しているはずだ」
「つまり、どうすればいいんですか!!」
「簡単だ。要するに行動不能にすればいい。私が合図を送る、そしたら君は奴の左足を撃て。私に当たるかもしれないなどという心配はしなくていい」
言い終わると同時に、ハンスは勢いよく前に出た。そして敵の前で素早く姿勢を落とした彼は、そのまま地面に数枚の紙を張り付ける。次の瞬間、ハンスは見事な足さばきで体を反転させると、自身の拳を影のおよそ顎と思われる部分に向けて精いっぱいに振り上げた。ハンスの予想通り、またしても彼の拳には人の顎を殴った時と同じような感触が残る。
――影のように見えるが、やはりこれはただの人間。だが、
ハンスの拳を真正面から受け取った敵は、しかし、苦しむ素振りを一切見せることなく彼に襲いかかる。一発、二発……続けざまに拳を振るう影だったが、持ち前の瞬発力でハンスはそれを易々と躱す。
瞬間、彼を追うような形で拳を振るっていた影の手が止まった。地面に貼っておいた紙が青く光り出す。
「今だ!!」
ハンスは、視線だけを赤城に向けた。そして、一発の銃声が路地に鳴り響く。弾は見事に影の左足を撃ちぬいていた。おかげで影の硬直時間が数秒は長くなるだろう。その間に態勢を立て直していたハンスが、影の肩に向けて重たい蹴りを入れた。そう、彼が狙っているのは骨折、もしくは脱臼させることである。
一度身を引いたハンスはナイフを手にすると、再び影に向かって突進した。足から肩、そして腕。いずれも骨に達するほどの深さに刃を入れていく。
「すごい……」
拳銃を手にしたまま、赤城は彼の手際の良さに思わず見惚れていた。もはや立つこともできず、ただ体を震わすだけの影を背にハンスは赤城の方へと振り返る。
「改造人間の中でも特異な存在だったな。以前の方がまだ感情を備えていて人間らしかったが、これはもうガラクタと同じだ」
「三年前の事件以降、研究所も金銭的な余裕がないのでは?」
ハンスの呟きを冗談気味に返す赤城だったが、彼は真剣な顔で首を縦に振った。
「確かにそうかもしれないな。奴らも大きな痛手を食らったはずだ」
「は……はあ」
ゆっくり会話をすることができるということは、戦闘はもう終わったのだろうか。そう思った赤城は、安堵の息をついて大きく体を伸ばした。
「油断するな、周君」
「あ、はい!!」
ハンスの鋭い視線を受け、思わず背筋を伸ばす赤城。そして――、
「そろそろ来るぞ」
ハンスは目の前の暗闇をじっと見据える。月にかかっていた雲が消え、先ほどよりも明快な視界が広がった。
「不気味ですね」
「ああ」
先ほどの影は薄暗い中で蠢く黒い物体だったが、今、彼らの目の前には月明かりの下に蠢く黒い塊――まさしく【影そのもの】がいた。
腰を下げ、再び戦闘態勢に入るハンスだったが、ふと影の後ろから徐々に彼らへと近づく人間が現れた。




