第4話 涙が溢れそう
4話目です、よろしくお願いします。
緊張し続けたせいか、今度は逆に力が抜けなくなってしまった。だがいつまでもこうしても居られない。ナイフを握ったまま固まってしまった右手を逆の手で掴んでゆっくりと降ろす。
「助かった、んだよな…」
熊が去った後の草原は満月に照らされて静かだった、風が吹き寄せて膝丈ほどある草を揺らした。
(さ、寒い?!)
安心すると今度は体が冷えていることに気付く。もうベースキャンプに今夜戻ることは諦めた方が良いだろうが、ともかくも暖をとり少し休みたい気持ちだった。一徹はとりあえずナイフを右手に持ったまま、その場をそっと離れることにした。
さくさくと音を立て、脛草を掻き分けながら進んでいく。満月が相変わらず煌々(こうこう)と輝いてる。
(そういえば先月は中秋の名月だったっけ、松雲さんの団子美味しかったなぁ……)
一徹の働くフラワーショップ『LUCCA Botanical life』は駅から続く商店街の一角にあり、その少し離れた同じ並びに和菓子屋『松雲堂』がある。そこの大将が作る丁寧な和菓子が好きだった。命の危機を脱したばかりと言うのに、次男坊で生来の楽天家である一徹はそんな事をふと考えていた。
30分ほど歩いただろうか、さすがにナイフはサイドポケットにしまってあるが今度はポケット地図とコンパスを片手に谷あいの小川沿いを歩いている。
早く夜営したいのはやまやまだが安全確保を優先し、まずは多少なりとも整備された道を探していた。しばらくすると川が大きく曲がった先、その土手に沿うように道が現れた。
少し早歩きになり、道を目指す一徹。
「ふう、これで安心だな」
一徹は道の上に立つと、今来た山の方へと振り返る。
月明かりに照らされた、幅160センチ程の山道。アスファルトで整備こそされていないが道に戻ってこれた。文明の香りだ。
じわじわと安心感が広がってくる。一時間前はあんなに必死になって逃げ回っていたのに、同じ現実とはとても思えなかった。
「で、ここはどこなんだろ…?」
ガサガサと地図を広げる。さっきからコンパスと合わせて川の曲がり方や山の配置から現在地を探っているのだが全く現在地を掴めていなかった。スマートフォンも圏外だ。
とりあえず道沿いの岩の上に腰掛ける一徹。
(まあこう暗くちゃ分からなくて当然だよな。この道をもう少し進んで……野営地を探すか。朝まで暖を取りながら休息して、それから猟友会、いや警察かな……)
しかしなんだったのか。熊は明らかに自分を襲う意思は無かったように思える。
あの巨体なら追いつこうと思えばそう出来た筈だ、なのにそうせず追い回すだけ追い回して結局は森の奥に帰って行ってしまった。
まあ、詰まる所熊がどうしたかったのなど熊語の話せない一徹には分からないのだが。それよりもとりあえずは生きている、その安心感と少しばかり日常という枠に戻ってこれた喜びが大きかった。
スマートフォンで時間を確認すると、きっかり23時、バッテリーは20パーセントを切っているがソーラーパネル式の充電器を携帯してたので朝から充電すれば圏内に入った時に連絡はつけられるだろう。
足についた枯れ草を手で払いながら立ち上がる。もう少し行けばこの感じだとどこか焚き火をできる開けた場所があるかもしれない。
ふと、視界の端にポツンと明かりがある事に気付く。
小さな小さな灯りだが間違いなく、人家だ。
まるで地獄で見つけたひとかけらの救済のように、頼りなく、だが確かに輝きを放っていた。
一徹は涙ぐみながら、一人ポツリと呟いた。
「………うう、俺泣きそう」