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憂木冷風童話

蜜柑星―第八回目の命懸け―

作者: 憂木冷



   1



 最近手が黄色くなりつつある。前の星に住んでいた時なら、何かしらの病気を疑ったかもしれないが……今俺が一人暮らしにして3LDKの社宅を借りているここ『蜜柑星(みかんせい)』は、地球星支配圏の中でも、主星である地球から遠く離れた田舎銀河の一角にある平和でボケた、オレンジと緑と社宅と地球人と蜜柑人くらいしかいない星だ。

 もちろんオレンジは蜜柑の事で、未だに暖かい場所でしか育たない大変後進的な果物のことで、緑は言わば現代の酸素供給機に命を与えたようなもので、社宅は鉄筋コンクリートの二階建てが数件で、地球人は俺ひとりで、蜜柑人はこの星で初めて見たけど、まぁ、別の星の西瓜すいか人とか、茄子なす人とかと似たようなもんだ。体はほとんど地球人と同じ形をしているし、蜜柑の被り物をしたバイトのおじさんだと思えば、地球人と相違ない……植物系の人類に比べれば、前の星に居た時に一回だけ見た『ツチノコ・サラマンダー』とかの方が壮絶だった。何が壮絶かというと、どの辺にツチノコの成分があるのか誰にもわからなかった辺りが壮絶だ。まず誰かツチノコ見つけたのかよ。

 っと、ツチノコは置いといて。

 そんなわけで俺は、蜜柑生産量銀河一を誇る蜜柑星で、前進も衰退もなく、安定したコストで安定した味の蜜柑を蜜柑人と三年くらい作り続けていた何じゃそりゃ。

 毎日毎日蜜柑食ってりゃ、そりゃあ手も黄色くなりますよって。

 最初の一年は、一日に食う内の半分くらいが蜜柑な上に話し相手も蜜柑でベルリンの壁より頑丈にできている俺の脳味噌さんがゲシュタルトという概念を忘れかけた。蜜柑と蜜柑人て何が違うんだとか、そもそも俺と蜜柑人は何が違っててホントは自分も蜜柑でこの蜜柑人たちによって作られて、未だに蜜柑なんて食ってる美食家とか金持ちにむしゃむしゃ美味しくいただかれるんじゃないかと恐怖に気が狂いかけて、蜜柑人を片っ端から倉庫にぶち込んでカビを生えさせるという暴挙に出たこともあったが、今では仲良く日々安定した蜜柑を作り続けている。

 こうして慣れてしまえばなかなかいい星だと思う。上司もいないし、無理に向上心を焚きつける熱血馬鹿もいない、がんばらなくていいし、無駄遣いもなくなった、ほしい物はアマゾンが届けてくれる。蜜柑人は、俺のような純粋な人間に比べれば知能は低いが、会話なんかは意外とできるし、気の利いた奴は、面白い話もできる。まあ、女は居ないが……今はギャルゲーがバーチャルリアリティでプレイできる時代だから……な。

 一応蜜柑人にも、雄雌の区別はあるが、流石に顔面蜜柑の奴とじゃなえなえだぜ。

 という感じで、俺のような落ちぶれた奴が行き着く先としてはなかなかぴったりの楽園である。俺にはこの環境が必要だったんだきっと。

 七転び八起きなんて誰かは言うけれど、七回しか転んでないのに八回起きるとか矛盾してるし、そもそも人間、七回も転んだら、もう起きあがる気力はなくなるっての。俺も確か七回だった。

 惑星開発チームを組んで、「絶対にこの星には住めない」と言われている星の開発に取り組んでいた。俺はいけると思っていた。だけど、長い年月をかけ、環境改善に努めたが、とうとうそれは叶わず、七回目の失敗で俺は研究チームを抜けた。

 そして今は田舎の管理会社で蜜柑の管理だ。

 自然が作る空気はうまい。

 年中暖かい。

 蜜柑は食い放題。

 最低限の管理さえしておけば誰にも文句は言われない。

 そして何より、ここには目指すべきものも、社会の荒波も何もない。

 がんばらなくていい。

 なんて平和な星なんだ。

 蜜柑人もいい奴だ。将棋やチェスを覚えた奴もいる。

 口答えや、説教垂れる事なんて、絶対に決して何があっても百パーセントありえ――

「おい人間。本当にそんなんでいいのか」

 ――ない。……ん?






   2



 蜜柑星人に反逆を起こされる俺の図。

 本来蜜柑を収穫して搬送、箱詰めするのが俺の仕事のはずだが。今は蜜柑に捕縛され移送、禁錮きんこ。ついでに緊縛。

「おい、貴様等どういうつもりだ。俺は、蜜柑に反逆を起こされる奴なんか聞いたことないぞ」

「みかかかかかかかっ。それがしも初めてだよ。何しろ今までの人間は、将棋やチェスといったもので、我々の思考力をあげるような訓練はしてくれなかった」

 なんてこった。俺は訓練をしていたのか。遊び相手を作ってるだけのつもりだったのに……って、そんなことよりか。

「おまえ、なんて笑い方をするんだ。ワンピのキャラかよ」

 開拓を進める奴らはいつだって欲を持っている。宇宙開拓の先人にして先陣、宇宙海賊『アナテス=S=ガリエンス』船長も、ワンピースを読んで海賊に憧れたとかなんとかネットに書いてあった。まさかこの蜜柑、もはやアマゾンを使いこなしてワンピースを読んでやがるのかそんなわけないか。

「ふっ、知れたことよ。某はワンピースを人間の家から注文し、全巻読んだ。そして、人間の脳の発達のヒントは、あの奇妙な笑いにありと踏んだのだ」

「このやろう、最近請求額が微妙に多い気がしてたよ」

 蜜柑どもに椅子に縛り付けられていなければ、殴りかかってブヨブヨにしてから綺麗に皮をむいてやるところだ。

「みかかかかかかかかっ。そう怒るな人間。某は、このまだまだ使えん蜜柑モドキどもの中から唯一進化した。これがどういう意味かわかるかね」

 待て待て。なぜ俺は蜜柑の事を蜜柑モドキと呼ぶ蜜柑に上から目線で質問されているのだ。なんかおかしくないか、周りの奴が蜜柑モドキということは、なんか知能の発達しているこいつが真の蜜柑ということなのか。そもそもその前に、

「まずお前はワンピースの代金を支払う気があるのか」

「宝払いで」

「メッチャワンピ好きだなお前」

 中学生かっちゅう影響の受け具合だ。いや、よく考えると、喋り方も中二病っぽいなぁ。精神年齢はおよそ十四歳か。

「某が何を好こうがどうでもよかろう。それより人間はどう思うのだ、某の進化について」

「俺の教育の賜物」

「違うわド阿呆」

「うわ、なんかすげーな、俺、蜜柑に『ド阿呆』って言われちゃったよ」

 こんな感じで、縛られたまま俺はしばらく柑橘系男子に罵倒され続けた。






   3



 蜜柑の言い分をまとめるとこうだ。

「人間にはやる気がなさすぎる「なぜいつまでも停滞を続ける「もっとドデカいことをしようぞ「蜜柑作ってれば満足なのか「海賊とかどうだ「宇宙海賊「宝だぞ宝を探すのだ「未開の地に行ってみたくはないのか「何かしようとは思わんのか」

 などなど。

 言いたいことは分かった。

「そんなにこの星から出たいんだな」

「そうだ、この広い宇宙へ……」

「じゃあ今度、食用の蜜柑と一緒に出荷してやろう」

「そういうことではなぁい」

「冗談だよ冗談。つまり、向上心と好奇心ありありのお前は、しかし進化したとは言ってもまだ知能が低い。そこで俺をブレインとして引き入れたいのだろう」

 協力すると言わなければ、いつまでも縛られ続ける可能性もあるな。馬鹿は限度を知らないから困る。

 どうするか。嘘で協力すると言ったところで、嘘と分かれば同じ事の繰り返しだ。説得するしかないか。はぁ、こいつ強情そうだなぁ。

「み、みかかかかかかかかっ。そうだ人間、某はブレインを欲している」

「でも、この星はどうする。まさか蜜柑の生産ラインをほったらかしにするわけにはいかないだろ。いくらなんでも、お前以外の蜜柑に管理職を任せるわけにもいくまいし……」

「それなら心配無用」

 歌舞伎役者のようなポーズでビシッっと手のひらを突き出し、俺のセリフを遮る。

「某より知能の高い蜜柑人が、既に三名誕生している」

「はぁ?」

「さらに四人の叡智えいちと多くの労働力を駆使して宇宙船もほとんど完成しているのである」

「はぁはぁ?」

「航行するのは、知能の高い蜜柑人の内二人とその他の蜜柑モドキ、そして人間だ」

「お前より頭のいい奴が二人残ると」

「みかかかかかかかかかっ。そうなるの」

 まさか、船まで造れる奴が現れたとは。それなら確かに、蜜柑の管理くらい任せられそうだが。

「しかし、人間。やはり某たちだけでは、大枠は作れても、最後のシステムに関する部分は無理だった。だから人間には、システムエンジニアとして船に乗ってもらいたいのだ」

 俺の周りで静かに立つ蜜柑モドキたちの中で、真の蜜柑は深く深く頭を下げていった。

「頼む」

 俺にはこいつの気持ちが分かる。

 かつての俺も、こんな風に頭を下げてでもやりたいことがあった。そんな時期もあった。だから、よく分かってしまうのだ。ほとんど果肉しか詰まっていない頭で宇宙船まで作ったという。こいつらの希望になっているもの。こいつらの夢。

 そして俺の気持ち。

 さっきまでどうやってこの場をやり過ごそうか考えていたが。

 俺は正直に答える。

「やだね」






   4



 こいつらは何も知らないから軽々しく新地開拓なんて目指せるんだ。

 確かに、大枠だけでも宇宙船を作ってしまったというのはすごい。だがしかし、蜜柑にしてはすごい、というだけの話だ。例えそこに俺が加わったとしても、広い世界から見れば、戦力は人間ひとりと食料だけだ。宇宙船を作る程度の技術じゃ、宇宙をわたっていくことはできない。ましてやシステムに関してはお手上げとくれば、こいつらにできるのは、せいぜい近くの星までお遣いが限界だ。

「俺だって昔はお前等と同じような夢を持っていた。いろんな星を旅して研究して開拓した。蜜柑なんかよりずっと頼りになる仲間も大勢いた」

「な、ならば、某と協力し新地開拓を――」

「ダメだったんだよ。何度やっても、どんなに時間を注いでも。もう今の技術力で到達できる星に開拓の余地はない。残ってるのはどうやっても環境改善が見込めない死の星ばかりだ」

「何度やっても? ならまだまだやればいいではないか。なぜ諦めたのだ、某と同じ夢を持っていたというならそんなのはおかしい。某の夢に終わりはない。失敗したのならまたやり直せばいいのだ。そうではないのか?」

「同じ星に七回だ。それだけ挑んで、十年以上何の成果も上がらなかった」

「七回だと? 人間。七転び八起きということわざを知らんのか」

「諺がなんだってんだよ。本当に七回転んだ人間の辛さが、何もしていないお前にわかんのかよ」

 口から唾が飛散するのが見えた。

 俺は蜜柑相手に、何を吠えている。

「だいたいおかしいだろ、七回しか転んでねぇのに八回起きるって。そんなの限界も物理法則も越えてるじゃんか」

 大人気おとなげねぇな。精神年齢せいぜい十四歳の蜜柑だぞ。

「もともと、昔の人間が作った言葉なんて欠陥製品みたいなもんなんだよ。蜜柑なら廃棄されてるぞ」

「違う。人間は何も分かっておらん。某の感情も、人間自身の感情もだ。言葉の揚げ足をとって諦める理由にするんじゃない」

「うるせえな、蜜柑のくせに。俺はもう無駄な努力も挫折も失敗もしたくねえんだよ」

「無駄ではない。人間が報われていないのは命を懸けて諦めない事をしなかったからだ。某は自分の夢を叶えるためなら、命を懸ける覚悟はあるぞ」

「そこまで言うなら――」

「動くな」

 俺の閉じこめられていた倉庫のドアが何者かに蹴破られた。

「無事か?」

 と何人かの軍人と思しき人間に倉庫から縛られたまま椅子ごと引きずり出された。縄もすぐにナイフで切られ解放される。

「人質救出。反逆者は処分せよ」

「はっ」

「ちょ」

 処分てどういうことだ、まず何が起きているんだ。と説明を求めようとしたところで、さっきまで俺と真の蜜柑が口論していた倉庫の中から大量の銃撃音と飛沫しぶきの散る音が聞こえてきた。

「――おいまさか」

 倉庫に駆ける。制止する声が聞こえた気がしたが、構わず走った。

 倉庫のドアについた時には、もう轟音は響いておらず、液体の滴る僅かな音だけが、その場所に残っていた。

「おい、危険だから近づくん――」

「なんだよ。これ」

 穴だらけの蜜柑が、大量に横たわっている。もちろん真の蜜柑も。皮ははぎ取れ、果肉はグズグズになって飛び散り橙の汁が足下に溜まる。

「なんで殺した」

 俺は近くにいる軍人に掴み掛かった。そのまま銃を奪って撃ち殺す勢いだったが、上官らしき人物に仲裁される。

「おいおいどうしたんだ」

「なんで、こいつらを殺したんだ」

「おかしな事を言うな、君は監禁されていただろう。これは蜜柑人による人間への反逆だ」

「だけど、なにも殺すことなかっただろ」

 なんだか今日は、吠えてばかりいる。

「おいおい、たかだか手足の生えた蜜柑だろ? 何をそんなに怒っているんだ。同じようなのはいくらでもいるじゃないか」

「……」

 ん? 同じようなの? もしかして、彼らは高い知能をもった蜜柑の存在にまだ気付いていないのか。ならば。

「……。いや、すみません。いくら蜜柑といえど、真心込めて育てたものですから、ちょっとカッとなって」

「む、そうか。それはこちらも配慮が足りなかったらしい。しかし、以後もこのような反逆が起きぬよう、しっかりと管理してくれたまえ」

「はい。ありがとうございました」

 思い出した。彼らは地球星支配圏の警備組織。通称『銀河まん』だ。






   5



 そこまで言うなら、お前が命を掛けてるとこを見せてみろよ。

 真の蜜柑との最後の会話で、俺はそんな幼稚な事を言おうとしていた。

 馬鹿らしい。あいつは、俺を監禁している時点で既に、命懸けだったんだ。そこまでして――命を懸けてまで、あの蜜柑は、俺を仲間に誘っていた。馬鹿らしい。そして下らない。

 なにも成せないまま食いつぶしたかつての俺の時間と同じ様に下らない。

 結局あいつは、何も出来ずにオレンジジュースになっただけじゃねえか。本当に馬鹿だ。

 ああいう馬鹿を見ると、昔の自分を思い出してイライラするんだ。

「信じるだけで夢が叶うなら、この宇宙に涙はいらねえんだよ」

 蜜柑畑の様子を見ながら、まだ完熟前の食用蜜柑に愚痴った。

某君それがしくんはそんなことを言ったかね」

 独り言に返事があったので驚いた。

 振り返ると、萎れて少し暗い色の蜜柑人が立っていた。人間でいうと老人で、彼の労働は免除していたはずだが、どうして畑に居る?

「某君とは、あいつの事か……まさかお前が、頭のいい蜜柑の残り三人のうちの一人だってのか」

「ええまあ、そういうことです。管理人さん、今日は日が強い。久々にワシの家で一局どうです? おいしいオレンジジュース入れますよ」

「この星のオレンジジュースなんて飲み飽きてるよ」

 老いた蜜柑の真意は分かりかねるが、彼らの知性についても、管理人として俺は知っておく必要がある。どんなものか試してみるか。

「まぁいい。俺も将棋を指す相手が死んじまって淋しく思ってたところだ」






   6



「うっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええ」

 ? え? ええ? えええ?

「なぁなぁ。このオレンジジュースなんでこんなうまいの? どこの星のやつ?」

「みょっへっへっへっへっへっへ。そりゃ、管理人さんが普段飲んでる、この星のもんとなんも変わらんよ。それよか、はよ次の手を打ちなされ」

「いやいや。もう俺の負けでいいよ。こっから勝てる見込みないし、投了投了。このジュースの秘密を教えてくれよ」

 見事に三局目の敗北を決めた俺だが、人口知能どころか蜜柑に人間が将棋で負ける時代が来てしまったわけだが。兎にも角にもこのオレンジジュースはうめえ。

「見てなされ」

 老蜜柑は、グラス二つと、オレンジジュースの瓶を用意すると、それぞれのグラスにだいたい半分くらいずつ注ぎ、俺に差し出した。

 飲めという事らしいので一杯目から飲む。

「うん。普段の味だ。さっき飲んだものには遠く及ばない……同じのをもう一杯飲むのか?」

「ええ。同じかどうかは、飲めば分かりますよ」

 飲んだ。

 うまい。

 蜜柑の皮の渋みや苦みを感じず、果肉の粒をぷちぷちと噛みつぶすように新鮮で爽快な蜜柑の酸味と甘みが広がり続ける。

 始めに出されたものと同じ。

「管理人さんは『氣功』というものを信じているたちですか?」

「まさか、そんな非現実的なもの、信じているわけないだろ。俺はこれでも科学者の端くれなんだ」

「それはそれは、頭の固い科学者ですね」

「なんだと」

「では、どうしてこのジュースの味が変わったと思うのです」

「それは、俺が気付かない様に何か入れたりしたんじゃないのか」

 あるいはグラスの底に始めから何か粉末でも入れていたのかもしれない。なんにしても、氣功なんてのは、幽霊と同じくらい下らない、あんなものただの枯れ尾花だ。

「天動説を知っていますか」

「なんだ突然。あれだろ、地球では昔、地球が動いてるんじゃなく、空に見える宇宙の方が、地球っていう世界の中心の周りを回ってるみたいなやつだろ」

「そしてその後地動説が提唱された。しかし、当時の人間は誰もその事を信じなかった」

「馬鹿な人類だ」

「都合の悪いことは信じない。人間はそういう生き物の様ですね。今の管理人さんのように」

「その話と氣功とじゃまた別だろ。どう考えたって証明しようがない」

「『観測出来ないほど微細な熱量・高周波の振動・微粒子。そういうものが影響しているのでは?』頭の柔らかい科学者ならこう考えるでしょう」

「な……」

 観測出来ないだけ……? と考えれば、非現実的とも言い切れない、ということか。

「だが観測出来ないものは存在していることにはならない」

「みょっへっへっへっへっへっへ。結果なら、ちゃんと管理人さんの舌が観測してるじゃろう」

 確かに。

「そういう考えは、なかったな。俺の頭が固かったという事か……面白い。氣功の存在、疑う価値は生まれたな」

 ここで意固地に老蜜柑の意見を否定するほどには、俺の頭は頑なではなかったという事か。

 氣功の存在証明。どうすればいい。既存の観測機器の強化に、氣功によって今回のジュースの様な、明らかな結果を出せるだけの達人。そんな人物がどれだけいるか。でもこの証明ができれば、氣功はこの宇宙でもグッと広まるに違いない。

「今の管理人さん、某君と同じ目をしているよ」

 言われて、自分の頬がゆるんでいることに気付いた。

「その好奇心を棄てることは、決して容易い事じゃないだろう。もしかすると、一生抱えるかもしれん。現実に悪夢はない。夢は見ているだけで幸せじゃ」

「でも、叶わなければ、不幸だ。そうじゃないのか」

「叶わない事が不幸なんじゃない。叶わないと諦めてしまう事が何よりの不幸だ。某君は、現実に夢を見続けていた。目を逸らしはしなかった。だから彼は幸せだったよ」

「そんなの……」

 そんなの気休めだ。

 転んだ傷を癒すのに、夢の存在は重すぎる。

 命を懸けて転んだら、痛いなんてものじゃない。今回は助かっても、次は死ぬかもしれないんだ。

 そんな簡単に、

「管理人さんは、たった一つの命より大事なものを守る時。命を懸けはしないのかい」

「命より大事なものなんてあるべきじゃない。そんな教育をしたら、きっと子どもたちはすぐに死ぬ」

「ああ、そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない」

 老蜜柑は、オレンジジュースを一口飲んで「うまい」と呟いた。

「命は一個しかない。大事にしなければいけない。でも命は、生きてるだけで消費される。ワシもそう長くはないじゃろ。だから」

 そう。だから最後まで大事に生きねば――

「だから、大事な時に、使わねばならない」






   7



 ロウソクの火は長く続く事に意味があるんじゃないのか。

 いいや、寿命を縮めて火力を上げてでも、照らさなければいけないものもある。

 それで燃えつくしても、照らすことができなかったとしても。

 それでも平淡に終わりを待っているだけのロウソクより、全力を尽くしたロウソクには、きっとやりがいとか、そんなキラキラしたものが生まれる。

 本当か。そんなもの、本当に生まれるのか。

「某君は『七転び八起き』という諺をえらく気に入っとった。彼の性格に合っていたんだろうね」

「またそれか。俺は嫌いだね。熱血馬鹿が考えそうな言葉だ。辻褄があっていないだろう?」

 俺は、老蜜柑に案内され、造船所まで来ていた。

 地下の窓のない廊下を歩いてゆく。

「みょっへっへっへっへっへっへ。辻褄の合っていない言葉が、何百年も残るかい」

 案内板が壁に合った。船までもうすぐそこらしい。俺は黙って、蜜柑の後を歩いた。

「この船を造るのは大変じゃった。労働力はあろうとも、知恵や知識はたった四人分。そんな無謀な戦力で船を造ろうとは、普通は思わんかもしれん。だがワシらはチャレンジした」

 懐かしそうに語る。歩調がゆっくりになった気がした。

「失敗した。何回もの。じゃが、もう一度チャレンジした。ワシらは止まっても、倒れても、もう一度始める事をやめはしなかった。人生を――命を懸けると決めたからの」

 廊下の先からは、何かの照明の光が洩れて見えた。

「なあ。管理人さん。夢を見ちまったもんは『転んだら起き上がる』なんて、受け身な考え方はしておらんのじゃよ。ワシらは、起き上がる前に、転ぶ前に、いつだって一念発起、始める事をしてきたんじゃ」

 最初に初めて、何度失敗しても最後にはまた始める。

 だから。

 七転び八起き。

 八回先も何度でも、命を懸けて始め続ける。

 それがこいつらの夢のみかた。

 廊下を抜けると、俺が見たことのない形をした巨大な宇宙船が出港の時を待っているようだった。

「システム面は不完全だと聞いていたけど。これ。完成してるんじゃないのか」

「いいや。まだ足りないものがある」

「なんだ?」

「乗組員が足りん」

「十分な人数がいるように見えるけど」

「蜜柑に宇宙飛行の免許は取れんじゃろ?」

 みょっへっへっへっへっへっへ。と、今更ながら、老蜜柑は奇妙な笑い声を上げた。

 つられて俺の顔もにやける。

「ちげーねえ」




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