第一章ノ2 『ロ』
神崎 優奈は、この春大学生になった。
今は九月で、計算上では五ヵ月経ったことになる。
長かった。と優奈は思った。まるで、もうすでに、一年くらい経ってしまったかのように、思われた。
新しい生活というものは、新鮮だからか時が過ぎるのがとても長く感じられる。長い時間かかって、やっと五ヵ月。
やっぱり、一人暮らしをはじめたからかな。と優奈は思った。高校とはまた違った、新鮮さもあるのだろう。
ふぅ。優奈はため息をついた。
優奈が、移り住んだのは『黒月』というところだった。人口は……どのくらいなのだろう。よく分からないが、多からず少なからず、といったところだろう。
肩ほどまで伸びた黒髪を、優奈は、近くにあったゴムでポニーテールにしようとした。だが、まだポニーテールにするのにははやすぎたのか、なかなかまとまらなくて苦戦した。なんとかまとまると、鏡を見てまとまり具合を確かめた。
鏡には、十九歳を向かえたばかりの自分の顔が映し出された。
見慣れた顔。十九歳にしては幼い顔。中学生に間違われたこともあった顔。
ふぅ。
もう一度ため息をついた。今日で何回目になるだろう。
疲れた……。
大学での生活が疲れたという訳ではない。それなりに楽しんでいる。只、ここの町、『黒月』の雰囲気か疲れるのだ。何と言えばいいのだろう、この妙な雰囲気を。
町の皆が、ぼーとしているような気がする。後悔というか絶望というかどうしようもならない悲しみに満ちているのだ。
この町に来てから、「笑顔」というものの意味が分からなくなったことがある。例えていえば、国語辞典でしか存在することの許されない難しい単語のようだ。
疲れたというより、怖い。この言葉が一番ぴったりかもしれない。「怖い」そう、今私はなんともいえない怖さに包まれている。
五ヶ月前から────
慣れ親しんだ街を離れ、優奈は家族の元を離れた。
まったく来たことのない異郷の地。これから始まる大学生活。そして一人暮らし。
優奈は、期待に胸を膨らませ、この黒月に移り住んだのだった。
黒月は優奈の想像を無視してそこにあった。
黒月の駅に着いたとき、優奈はその場の雰囲気に倒れそうになった。
なんなのだろう。ここは。
今まで住んでいた町とは違う。人が人の顔をしていない。いや、化け物ではない、普通の人間だ。
只、無表情と悲しみ。ここには、それしかないように思われた。
笑うこと、泣くこと、怒ることこれら全てが、最初からなかったかのように。
キキッ。車が目の前に止まった。黒塗りの古臭い車だ。
この車には見覚えがあった。神崎家で働く者の車だ。
優奈の家は、他の家より多少裕福な暮らしをしていたからであろう。お迎えが来たのだ。
優奈はお迎えだの召使だの、身の周りをすべてしてもらうのが、あまり好きな方ではなかった。どちらかというと嫌いな方だ。自分の事は自分でやりたい。これが、優奈の子供の頃からの夢だった。一人暮らしをはじめたのも、この夢を叶えるためだった。
だが、今は違った。はやくこの場所から、一刻も早く去りたかった。
運転手がドアを開けた。優奈は手荷物を預け、車に乗った。運転手がドアを閉めた。車が発進した。只、それだけの事なのに、妙な胸騒ぎがするのは何故だろう。優奈は、車に揺られながらそう思った。