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時は巡る

マサヨシの言っていた少年の名は、甲斐亘というらしい。本人から直接聞いた訳ではなく、部屋のプレートにそう書いてあった。


「失礼します。」


部屋の隅には確かに少年が独り。彼は今では珍しくなった紙製の書物を読み耽っていた。ページをめぐるその手は白蝋のように真っ白で細長く、どこか知的な雰囲気を醸し出していた。私は今自分の置かれた状況を忘れてちょっぴりドギマギしていた。まず彼に何て話しかければいいか分からない。


「あの、読書中すいません。」


だが彼は一向に応じる気配が無い。読書に熱中するあまりというよりも寧ろ知っていてわざと無視しているような印象を受けた。

気がつくとそのまま二時間何も話さぬまま時間が過ぎた。思えば今日は平日である。彼は学生である筈なのに、一日中この部屋で本を読んでいるのはどういうことだろうか。5冊目を読み終えたところでため息をつき、窓の外を見つめながら伸びをする仕草も魅力的だった。


「あんた何でここに居んの?」


彼は私に始めて質問した。


「何でって、治安課警察の人達に命令されたから。」


彼は怪訝そうに眉根を寄せて言う。


「だからって俺の部屋を使うのか。」

「どういうこと?」

「ここは刑務所じゃないっつーの。」

「えっ、そうなの!?」

「あんた馬鹿か?ここは博多研究学園の学生寮だぞ!?」


そう言うと彼は冷蔵庫からサイダーを取り出して2つのコップに注いだ。


「さ、とりあえず飲め。」

「ありがとう。」


炭酸飲料はげっぷをすると鼻にツンと来るので苦手だったが断る訳にもいかず飲んだ。ほんのりと甘く、爽やかな味が口のなかに広がる。私はともかく、町を散歩して補導されてここまで連れてこられたこと、補助AIを埋め込まれマサヨシという男に会ったこと等、今に至る経緯の一部始終を彼に話した。


「町を散歩?それで連行だなんて間抜けな話だなぁ。」

「笑い事ではありません。」


この先のことも話したかったが、自分の思考内容が監視されていることを意識して言えなかった。


「しかし君、補助AIや自己増殖脳細胞まで埋め込まれたとは…。」

「…はい。その通りです。」


彼はようやく納得した表情で腕を組む。


「ただの遅人が独りで徘徊すると大変なことになるって学校で習わなかったのか。」

「授業は聞いていませんでした。」


私はしまったと思った。今の発言がマサヨシに知れたらマズいと思った。


「なに、今は大丈夫だよ。あいつら何だかんだいって暇じゃないし四六時中人の思考内容監視してる訳じゃないしね。」


彼は私の表情から察してそんなことを言った。


「しかし君も不幸だね。つい最近試験的に導入された新人矯正プログラムの餌食になんかなっちゃってさ。一体どこのどいつがそんなアホ臭い制度作るんだか。尤も今回は君の不注意が仇になった訳だから自業自得だね。」


彼は制度を批判する一方で他人事のような冷やかな言い方をした。


「そんなこと言ってバレたら大変な目に遭いませんか?」

「きみ、僕が何だと思ってるのかい?」


彼は私服のシャツの胸にあるバッジを指差した。それは他でもない博多研究学園のセントラル・アカデメイアの紋章であった。ということは彼は生粋の才人であると同時に、学園最難関の選抜試験に合格したということだ。セントラル・アカデメイアにはたとえ試験に合格する学力があっても新人(遅人)と登録されている者は入ることが許されない。それはそこが寧ろ入学してからのほうが重要で、その後の授業は試験段階の武器を用いた実技を中心とし、遅人のキャパシティーや創造力を越えるとされているからである。だからその試験はよく「建前の試験」という二つ名で呼ばれる。尤も私は才人でもなければ合格出来るだけの学力もなかったので縁もゆかりも無い話である。彼が才人だと分かったとたんに今まで近かったような距離が一気に広がるように感じた。


「久しぶりに人から舐められたな。」


別に舐めたわけじゃないのだが…と、気になることが一つあった。


「じゃあ今日はどうして祝日でもないのに学校に行かないのですか?」

「そ、それは色々と曰く付きでな…。」


彼は気まずそうに言葉を濁した。


「というか、君だってもう普通に学校に行ってもい筈だ。」

「えっ、知らなかったです。」


思わず間抜けな受け答えになってしまった。


「あいつらは単に君に処置を施したかっただけだし、先程も述べたようにここは刑務所のような軟禁施設ではない。それから君、さっきから敬語使うのうっとおしいから止めなよ。」

「…はい。」

「だからそれが既に…もう、いいよ。」


それからまた暫くの間沈黙が続き、何となく気まずさを感じた頃私は肝心なことを思いだし、それについて切り出した。


「マサヨシという人が言ってたんだけど。」


彼に言われたように始めて敬語を使うのを止めたが少し違和感が残った。


「奴が何か?」


彼は知っているのだろうか?でも今の様子を見る限り知らなそうだ。


「青函トンネル内で自爆しろ言ってた。」

「……………………。」


予想していた通り彼は言葉を失った。驚きからではない。寧ろあまりにも現実離れした話に呆れたのだろう。


「3世紀も前の神風特攻隊みたいな面白くない冗談はよせ。」

「冗談だといいんだけれどね。」


いい終えた私は目の前に苦しんだ顔を見た。どうしてだろう?彼の首には人の手がある。誰のだろうと思っていたらその手は私の量腕に通じていた。


「!?」


私は我に返って手を離した。


「ご、ご免なさい。」


彼は顔が真っ青になりその場にへたり込んだ。


「お前いきなり何をゲホ、ゲホッ…。」

「ち、ちがうんだよ。」

「それとも…。」


私は確信した。これは邪悪な処置による所作だということを。


「移植した脳細胞がいよいよ覚醒したな。」


涅音は私のことを不気味な目で見ていた。


「そんな目で君に見られたくない。」

「奴らは俺のことを殺そうとしてる!?」


テーブルの上のグラスに入ったサイダーは泡が絶えかけている。彼はそのサイダーを徐に取り上げてゆっくりと飲んでから、


「いいか、落ち着いて聞け、辻堂シミラこと樫原みきさん。」

「君、何故その名前を…。」


私は悟った。目の前の美少年こそが確信犯にちがいないということを。


「貴方なんですね、私の頭の中に異物を入れたのは・・・・・。」

「いや、違うんだ、誤解だ。」

「ならば何故、私の名前を。」


先程から自分の話をしてもちっとも驚いた様子を見せないし、それどころかやけに詳しい所があるし、セントラルアカデメイアにいる才人でしかも私の本名を知っているとなればもう、疑わずにはいられなかった。私はいっそのことコイツを邪悪な処置による所作が為すままに殺してしまおうとさえ思った 。


「ところであんた、真実を知る前に俺をあの世に屠りたいか?」


私は手を止めた。勝手に止まったのかもしれない。不気味な程ピタリと止まった。


「確かに辻堂マサヨシは俺の父親だ。だがな…。」


彼はそこで一旦言葉を止めるとゾッとするくらいに低い声で呟いた。


「あいつは俺の仇なんだ…そう、本当は全てこんな筈じゃ…俺もあんたも同様に。」


彼は先程の自信に満ちた様子がまるで嘘のようにその場に崩れ落ち、咽び泣き始めた。私はそんな弱さに満ちている状態の彼に終ぞ留めをさすことが出来なかった。


「とにかく、事の一部始終を私に聞かせて欲しいな。」

「後でな。その前に例の忌々しい邪悪な所作の根元たる補助AIを何とかしてからだ。」


そこで私はヒヤリとした。補助AIをということは、もう一度自分の頭を開いて取り出さなければいけないということか。


「心配ご無用。」


彼は私の内心の不安を見透かしたように告げる。


「この『夢中の隠剣』がある限り、奴らの効力は少しは届くがまともには届かない。かく言う訳で、今まで君はAIによる制限反応があまり無かったということ。」


ーーー『夢中の隠剣』。いくら学校の授業を真面目に受けなかった元みき、現シミラでさえその名を知らない筈が無い程に有名な次世代武具。その効力の絶大さはこの世に破滅を齎す程で、世紀の悪魔という二つ名で呼ばれている。それはそうと、この剣は咲島科学技研のつくば支部から持ち去られた筈ではないか!!しかし何故それがこんな所に…。絶対におかしい。やはり黒幕は目の前の少年なのだろうか。


「こいつでもってその忌々しいAIを完全に撹乱させることが出来る。」

「待って、でもこれ本物?君、何で持ってるの?返さなきゃ駄目じゃ…。」

「ああ、十分に清めてからな。」


彼の言うことは全く理解が出来ない。果して彼は信用に足りる人物なのか、寧ろその逆で、自分を脅かす存在なのか。しかしそんな微かな疑問すら眼前の武具の威圧によってか心中に封じ込められ、口をついて出てくることはなかった。


「とりあえず俺達はここにはもう居ない方がいいな。」


内心の自分が問うてくる。本当にこいつを信用していいのか。自分はこのままこいつに騙られて惨めに殺されるのではないか。お前はどんな根拠でもってこの少年についてゆくのか。


「どうした?」


はっと我に返った。いや、それは寧ろ魔法にかけられたというべきかもしれない。彼の切れ長の目と細い鼻梁が目に飛び込んだ。同時にそれを美しい少年だと思う自分に気づいた。その瞳は私を見ているようでもあり、私ではなくどこか果しない虚空を見ているようでもあり、何とも形容し難い神秘的な儚さが双眸には見え隠れしていた。悠久の時を超越した懐かしい感覚。懐かしい?彼とはまだ会ったばかりなのに?でもこの所感はそうか、私は彼とこの先を歩むのだな…。だが、これがあの剣の効力だとしたら…。いや、果してそんな筈があろうか。


「あの、よろしくお願いします。」


我ながら自分の言葉に驚いた。


「よし、じゃあ、ついて来な。」


窓の外は既に黄昏の時を告げていた。まだ冬の肌を刺すような寒さが残る春の風が窓辺から吹き込む。夕方を越えて太陽がまた巡り、朝が訪れる、冬が終えれば春がまた訪れる。では人が死ねば、また新たな個人の生は訪れるのだろうか。そんな今だかつて誰も解いたことの無い命題を今宵の空に託しながら、私は彼の背後を追った。まるでそれは何かしらの終わりに訪れる次なる始まりのように。しかし、彼はそう簡単には終わらないだろう。長く、そして不気味な夜と冬の回廊がこの先には待っている。そしてふと気づく、私はついに終わりなき迷宮の一員となった。

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