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漆黒と桎梏

砥陵17年、福岡県博多特別市。私は町の中を独り闊歩していた。向かい側のビルの壁面にこつん、こつんと反響するのは自分の靴の音のみ。今時外の世界へ出ようとする者はほとんどいない。この町でも私独りぐらいじゃないだろうか。朝日が煌々とアスファルトを照らし、建物や私、路肩に乗り捨てられた車の影を地面に縫い付ける。その陰影は日の光よりも色濃く禍々しいまでだった。人類は太陽を敬うことを忘れてしまった。代わりに太陽など自らの手で作れるのだという人類の傲慢さがこの町を支配している。その昔、日本と分裂する以前のこの町の人々は太陽を敬い、町は活気に満ちて、様々な文化が交錯していたという。今ではその見る影も無いが。


「ププーッ!!」


単車のクラクションが悲鳴を上げる。燃料電池車なのでエンジン音がせずその存在に気づけなかった。


「こちら文科省警視治安課。遅人の屋外徘徊は原則禁止です。速やかに退却しなさい。」

「…はい、分かりました。」


(ちぇっ、見つかっちまったよ)樫原みきは内心舌打ちした。

分裂以後新たに設けられた文科省の警察隊員だ。公序良俗と名打ってその実恐怖政治も甚だしい。夜だけでなく四六時中人の屋外活動を監視し、望ましくないと思う人に出くわせば勧告する。少しでも背くと罰金を課せられたり署に強制連行される。


「ちょっと君、福岡区NS8886番地に住んでる樫原みきさんですよね?」


丁寧な言葉の裏にちらつく挑発的な感情が非常に癇に障った。だが相手は私の心中を無視して続ける


「はいそうですが」


違いますと言ったところで向こうには所詮お見通しなのだが治安課への態度を確認する為にわざわざ質問してくる。


「これでもう5回目なんですけど、5回で連行補導があるので後ろの席に乗ってください」


言うや否や警察車両の後部座席から体格の良い男が二人出てきて、みきの量腕をがっしりと掴んだ。


「ちょっ、何すんですか!!」


思わず堪忍袋の尾が切れた。早朝の散歩を徘徊と言われ、しかも力づくで連行されるなど屈辱この上無い。おまけに抵抗しても無駄だと知っている。


「反抗的な態度あり」


助手席にいた男がすかさずメモを取る。紙とペンではなく博多技研製の電子タブレットだった。窓ガラスには黒い電子紗幕が降りていて、外の景色を確認出来ない。


「私は散歩をしていただけです!!」

「遅人の分際で私たちに盾突くとはいい度胸だ。どんな魂胆がそこに宿ているかね?」


凄みのある声に怯んんでいる自分が情けなくて、腹立たしくて、でも言葉が遂に喉から出てこなかった。


「いいかお嬢ちゃん、君たち遅人は我々才人の科学技術と文化の発展の礎となる義務があるんだ。だから寸暇を惜しんで研究と勉学と労働に励み、その繁栄に助力しなさい。」


わたしに楽しむなと言っているのこの人は?何が科学技術と文化の発展よ、自分たちの都合を押し付けてるだけじゃない。そう思うも虚しく車は署に到着してしまった。助手席の男が先程のタブレットの文字を目で追っている。


「これは…。」


運転席にいた男に確認を仰ぐ。すると彼は血相を変えてこちらに近づいてきた。


「この思考内容はどういうことだ!!」


署の玄関からも誰かが来る。彼らに向かって男は怒鳴った。


「こいつを人格移植しろ!!」


一瞬何を言われたか分からなかったがその意味をようやく悟った時、恐怖で背筋が凍りついた。


「おまえの人格はこの社会にとって有害と見なした。だが死刑にするのも勿体ないので有効な資源に改良し、再びその身柄を解放する。」


署から出てきた男が恐ろしい程に淡々と説明してきた。まるで部品を検分するような冷徹で感情が隠らず無遠慮な眼差しだった。気づけば隣の男が注射針を手にしていた。私の意識は混沌としていった。もうここで本当の私は死んだと思った。やがて意識は闇の帳の中に完全に溶け込んだ。

暫くして目が覚めた。すると自分は知らない部屋で病院のベッドのような場所で寝ていた。もうどれくらい経っただろうか。部屋には時計もカレンダーもなく、手掛かりは窓の外の景色のみ。


「お目覚めですか?」

「はい。」


疲れていたので反発する元気も無かった。刹那、頭の奥に激痛が走る。この違和感の正体は何だ?と、昨日の男が口を開いた。


「処置として自己増殖脳神経と補助AIを移植しました。最初は違和感があるでしょうが暫くすれば慣れるでしょう。」


途端にまたプツンと切れた。ここまで人民が凌辱されるとは何が何でも許せない。しかし今度は明確に頭が痺れ、激しく傷んだ。


「あまり良からぬことを考えるとシステムが作動し苦しみますよ。」


そんな忠言なのか挑発なのか分からない言葉を無視して私はテーブルの小物入れにあったカッターナイフを徐に引ったくり、自分の喉を刺そうとしたが無理だった。恐怖からではない。それ以上手が動かないのだ。反射的にベランダへ駆け込み飛び降りを図るが、やはり手が動かなかった。


「死のうとすると行動が抑制されます。」


次の瞬間右手が勝手に動いて自分の顔を何回も何回も殴りつける。そこで気づいたが自分の手がやけに冷たい。


「勝手に死のうとした罰です。何度も死のうとすると両手の義手パーツが首を締めて確実に殺しにかかるのでやめましょう。」


これが私の手なのか…。こんな忌々しいもの付けやがって…。直後またあの痺れが襲う。


「お嬢さん、いい加減学習しましょう。」


すると男は胸ポケットから封筒を取り出した。


「これは戸籍謄本です。今日から貴女の名前は辻堂シミラです。私は辻堂マサヨシで今日から保護者になりました。」


…どういうことだ。この男が私の保護者など有り得ん。


「どういうことですか?」

「貴女の家族は貴女を見捨てました。人格が変わった娘など要らないと…。」


嘘、絶対に嘘だ!!こんな分かりきった嘘がどうしてつけたものか!?


「何故そんな嘘をつくのですか?」

「嘘ではないです、証拠があります。こちらがその映像です。」

「映像なんていくらでも捏造出来るでしょう?」

「そう言われると思いまして指紋印付きのお手紙を用意しました。」


渡された手紙はなんと見覚えの有る父の筆跡だった。その中にはしっかりとみきの名前があり、文中にはごめんなさい、人格の変わった貴女に辛くて会うことが出来ません。どうか私たちを忘れて平和に暮らしてください、とあった。違う、違うってばお父さん。私の人格はまだここにあって桎梏に操られてるだけなんだよ。しかもそんな無責任な理由で手放すなんて酷いよお父さん!!気がつくと目から涙がしたり落ちていた。テーブルの上に置かれた手紙の上に落ちてインクが滲む。こんなの嘘だ。本当であってはならない。すると隣で抱き寄せる感触。マサヨシだった。


「お辛いですね。心中ご拝察します。」

「触るな変態!!あんたなんかに同情される謂われなど皆無だ!!」


腸が煮えくり返ったが、また例の激痛に苛まれた。畜生、怒ることすら許されないのか。


「だからこんな辛い過去は忘れてしまいましょう。私が貴女をお守り差し上げます。」


すると男はライターを取り出し手紙を燃やした。


「…なんてことを。」

「辛い過去を事実と見なしますか?」

「そういう問題じゃ…」

「そんな可哀想なお嬢様に朗報が有ります。」


当てにするつもりは全く無いが藁にもすがる思いで振りかぶる。


「隣の部屋に貴女と同い年の甲斐亘という男の子がいます。」


こんな粗末な場所にまだ他に人がいたのか。けれどこんな状況下で同い年の男の子という言葉に少し興味を引かれている自分が場違いで腹立たしかった。


「単刀直入に言いますと、彼と共同戦線を張ってもらうということです。」


やはり思った通り、正気な回答ではなかった。


「彼と蓬莱からの召喚者の侵入を阻止する為に、青函トンネル内で自爆してもらう、それだけです。」


あっさりと言われて唖然としてしまった。ただそれだけです、と。それだけのことがどれだけのことなのかこの人はちゃんと想像出来ているのだろうか。恐らく否。だからこそ私たちにこんなことが頼めてしまうのだろう。この人はひょっとしたら感情が無いのかもしれない・・・・・。そう思うと恐怖がますます身に染みてきた。


「私について疑問をお持ちのようですね。ですが敢えて言及致しません。」


男はにやりと口元を綻ばせたが、目の色が連動していなかった。


「計画執行まで2人で訓練してもらいます。」

「はい」


もうこの人たちには何を言っても無駄なのだ。だったら大人しく従うほうが寧ろ楽なんだ・・・・・。でも、だからといって何の罪もない、例え時代が違う人の命を殺める危険をわざわざおかして良い謂われなど存在しない。だとしたら私は・・・・・。


「いいですねお譲さん、話をちゃんと聞いてくださいね。」

「計画に参加しないという選択肢はありますか?」


するとマサヨシは怪訝な顔をした。今更気付いたが彼は博多技研のピンバッジをしている。どうやら研究者のようだ。彼は私に計画につて打診してきた。きっと裏で政府との連携があるに違いない。


「この部屋で延命薬の臨床実験の為に半永久的に過ごしてもらって生物学的データを得ること以外に無いですね。それに、甲斐さんとも会わないで独りでの試練となります。」

究極的な二者択一が眼前に有った。生き続けて助けを待つのか、それとも計画に参加して自害するのか・・・・・。

「分かりました。計画に協力します。」


私は独りでいる自信が無かったといったら言い訳になるだろうか。


「では明日明け方に彼とコンタクトを取ります。今日はこの部屋で過ごしてください。」


そう言うやいなや、マサヨシはこの部屋の堅牢そうな扉を閉め、ロックを掛けた。私にはもう選択の余地など存在しない。瞳を閉じるとそこには静寂と底知れぬ不安とがあった。

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