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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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灰色のクジラ

掲載日:2026/09/29

これは広島原爆の話です

 ーー青白い光が俺の目を刺した。


 1945年の8月6日。昨日はろくに眠れなかった。だが、今日は一年生は建物疎開(たてものそかい)の休養日だ。山探検に友達と行こうか。俺はすぐに外に出る準備をした。


「行ってきます」


 俺は母親にそう言い、外へ出た。いつも通りの日々。今日はよく晴れていたし警戒警報も解除されていた。遊ぶしかない。友達を誘ったが、今日は家でゆっくりしたいそうだ。まぁ、一人でもいいか。そう思いながら俺は山へと向かった。


 早速、山に着いた。途端に、耳が痛くなるほどのセミの鳴き声が降ってきた。アブラゼミとミンミンゼミが、競い合うようにジリジリ、ミーンミーンと鳴き散らしている。俺は木に登って野いちごや、クワの実、シイの実などを探した。友達が来てたら戦争ごっこをするつもりだったんだけどな、と思いながら食べられる物はないかと探していた。


「あーあ、せっかく木刀持ってきたのに」


 俺はボソボソと独り言を呟きながら地面をじっと見ながら歩く。なかなか見つからない。夏でもシイの実くらいは落ちてるはずなんだが…。


「お!川だ!」


 歩き回っていると川を見つけた。丁度いい。今日は暑いし、川なら魚もいる。魚捕りでもしよう!そう思い俺はシャツの袖を捲(めく)り川へと飛び込んだ。水がとても冷たくて気持ちいい。


「さーて、どこだ…?」


 俺は水の中をじっと見つめた。俺はよく魚捕りをしていたから道具が無くても魚が捕れる。捕れたらどうやって持ち帰ろうか…、どうやって食べようか…。そんなことを考えながら俺は岩の隙間に手を伸ばした。


「よし!一匹!」


 俺は捕った一匹を上に掲(かか)げた。一匹でも母さんとは分け合えるはず。俺はふと思った。

 父さん、今どうしているのだろう。戦場でも元気にしているのだろうか。ちゃんと飯食えてるのだろうか。

 そう思いながら空を見つめていると、飛行機が飛んできて、何かを落として行った。見たことのない物だ、なんだろう?クジラみたいだ。


ーー青白い光が俺の目を刺した。


 太陽がすぐ目の前で爆発したかのような異様な閃光が、世界を真っ白に染め上げた。


ーー小さなクジラが、街を呑み込んだ。

 

 熱い、と思った。だが熱さを感じたのはほんの一瞬で、次の瞬間には、さっきまで耳が痛くなるほど鳴き喚いていたセミの声が、まるで世界から音が消し去られたように完全な無音に変わっていた。

 不気味なほどの無音。川のせせらぎさえ聞こえない。

 あまりの出来事で、俺は手に持っていた魚を落としてしまった。

 さっきまで手のひらでピチピチと生きて跳ねていた魚は、ポチャン、と力なく川の水面へ落ち、そのまま動かなくなった。


ーーゴゴゴゴゴゴ…


 地響きのような音が聞こえ、爆風が俺を襲った。持っていた木刀は吹き飛び、俺はあまりの風に倒れ込んでしまった。風が収まり、俺はフラフラと立ち上がる。「キーン」と耳鳴りがしてなんだかムカつく。そのまま俺は周りを見渡した。大きくて、灰色と不気味な黄色やピンクが混ざったキノコ雲が一つ。


「…え?え?」


 俺は動かなくなった魚と、キノコ雲を交互に見つめる。

 なにが起きた?どういうことだ?あのクジラは?

 疑問が絶えない。俺はハッと思い出した。あっちの方、俺の家とあいつの家が…。え、じゃあ母さんは?あいつは?


「母さん!」


 俺は木刀のことも気に留めず急いでキノコ雲へと向かった。


「あいつの家、ぶちあっちの方じゃんか…!」


 気がつくと空は煙色で、太陽の光を完全に遮(さえぎ)っている。割れたガラスや瓦礫(がれき)がそこら中にある。午前8時過ぎなのに夕方か夜の始まりのように薄暗く、不気味な紫や黒の混じった煙に覆われていた。俺はジャリジャリと粉々になったガラスを踏み締めて歩きながら周りを見わたす。まだあいつの家はあっちに…!そう思い走り出そうとした瞬間。声が聞こえてきた。


「あっちへ行っちゃいかん…火がまわっとるけぇ、早(はよ)う逃げにゃあ…」


 その人は、服がボロボロに引き裂かれ、皮膚が衣服のようになって剥がれ落ちていた。煤と血で顔が真っ黒で、誰だか分からなかった。それに対して俺は服の汚れだけで、怪我一つしていない。


「…あっちにゃ友達と母さんがおるけぇ。見殺しにゃできん!」


 俺はさっきの人の警告を無視して走り出した。絶対助けないと。あいつは大事な友達だ!


 しばらく走ってから俺はふと足を止めた。一面、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤、真っ赤だ。酷い臭いがする。吐き気がするほどだ。なにも考えられない。ふと、横を見た。

 崩れ落ちた民家の生垣のそばに、誰かが倒れていた。

 ボロボロに引き裂かれた衣服の隙間から、うっすらと紺色の布地が見える。それは、俺と同じ修道中学校の制服だった。泥と血にまみれた頭には、ツバの折れ曲がった制帽が辛うじて引っかかっている。


「あ……、先輩……?」


 よく見ると、それはいつも学校ですれ違っていた二年生の先輩だった。

 今日の建物疎開の当番だった、二年生だ。

 先輩の体は、皮膚が赤黒くただれ、まるで別人かと思うほどだ。息があるのかさえ分からない。

 その時、先輩の指先が、ピクリと動いた。煤で覆われた顔の奥から、濁った瞳がゆっくりと俺を捉える。怪我一つない俺を、先輩は見つめていた。


「おい、一年……」


 掠れた、今にも消えそうな声だった。先輩は痛みに耐えるように顔を歪めながら、弱々しく首を振る。


「街へ行ったら……いけん……。みんな、全滅じゃ……。早う、逃げろ……」


 その言葉を最後に、先輩の伸ばしかけた手が力なく地面に落ちた。


「あ、あ……あ、ああああああ!」


 俺がこんなことしている間も、先輩達は痛みに耐えているんだ。当番だったから。俺が代わってあげられていたら。戦争なんて起きていなければ。ここが本当の地獄だと思った。なにも考えれらない。考えたくない。俺は立ち上がり、あいつのいるところへと走った。まだ、もしかしたら…まだ話ができるかもしれない…!まだ助けられるかもしれない…!


「たす…けて…」


 俺は声をする方を見た。一人の女性が瓦礫に下敷きになっている。火の手がまわってきている。でも、俺の力じゃ、この瓦礫は退かすことはできない。


「…!ごめんなさい…!」


 俺は女性に謝り、そのまま走った。あの女性の悲鳴が聞こえる。


「水…水…」


「水…みずを、つかあさい…」


「あづい…あつい…」


「おかーさん…いたい…あつい…」


 いろんな声が聞こえる。目玉が飛び出していたり、内臓が飛び出していたり、身体中に窓ガラスが刺さっている人もいる。電車の中をふと見ると、吊り革に手だけがぶら下がっていた。さぞかし痛かったろうに、辛かっただろうに…でも、俺はなにもできない。俺だけ、俺だけ無傷なのに。悔しい。なにもできないのが、悔しい。水をあげたいけど、死んでしまうかもしれない。


 なにか、降ってきた。黒い、黒い雨だ。ドロドロとしていて、気持ち悪い。まるで重油のようだった。その雨は俺の白いシャツをポツポツと黒く、汚していく。さっきまでとてつもなく炎のせいで暑かったのに、肌がゾクゾクと冷えていく。暑いのか寒いのか、もうわからない。


「あぁ、雨じゃ…」


「水…水じゃぁ…」


 怪我をしている人は、大きく口を開けて黒い雨を飲もうとしたり、地面の黒い水溜りを啜(すす)っている。それほど喉が渇いていたのだろう。でも、俺にとってはとても悍(おぞ)ましい光景だった。

 煙と、雨のせいで数十メートルくらいしか前が見えない。本当にこっちで合っているのだろうか?もしかしたら、違う方に…?

 俺は焦燥感に駆られながら走った。合っているのだろうか。戻った方が…でも合っていたら…。周りに真っ黒焦げの死体がそこら中に転がっている。元々人間だったとは思えないほど黒かった。黒い木で作られた人形のようだ。その中から、見覚えのある死体が、一つ。


「母…さん…?」


 母さんだ。母さんが、真っ黒焦げになって倒れている。嘘だ。


「か、あ…母さん!あ、あぁ…!」


 俺は必死に駆け寄った。嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。なんで、なんで母さんがこんな目に?母さんは悪いことなにもしていないのに。


「母さん!母さん!嘘じゃろ?なぁ?…あぁっ!なんで、触ったら崩れちまう!クソ!」


 俺は母さんを抱こうとするが、触れば触るほど崩れてゆく。骨すらボロボロになっているようだ。


「母さん! なんでじゃ、なんで母さんがこんな目に遭わんといけんのや!目ぇ開けてぇや、母さん!」


 俺は必死に呼びかけるが、反応はない。母さんの横を見ると、母さんのハンカチ。母さんが、父さんから貰った、どれだけ破れても、縫って使い続けていた、あのハンカチ。俺は黙ってそれを拾い上げた。火で、端の方は燃えてしまっている。俺はそのハンカチをポケットに仕舞い込んだ。


「…母さん。行ってきます」


 俺は母さんに手を合わせ、あいつを探しに行った。まだ、生きているかもしれない。助かるかもしれない。


 俺は走り出した。あいつの家は、確か左だったはず…いや、右か…?あいつの家に行く時の目印になる物が無くなってしまっている。記憶を頼りに進んでいると、横殴りに、火の粉が吹きつけてきた。熱い、とても熱い。俺の行く手を阻むように火が燃え盛っている。どうやって行けばいいのだろうか…?できるだけ早く行きたいのに。いや、もう普通に行けばいい!そんなのろのろしてる時間なんてない!


 俺は躊躇(ためら)わず、火の中へと飛び込んだ。熱くて、息ができない。咳き込みながらも、火の中を越えると、あいつがいた。皮膚はドロドロで、剥がれていて、服も焼けている。身体中に窓ガラスが刺さっている。触れることすら躊躇するほどだった。


「…ゔ、勝(まさる)…か…?」


 あいつが、顔を上げて俺を見る。その顔はとても歪んでいた。


「す…進(すすむ)!おい!」


「なんでここにおるんや…早う、逃げんといかんじゃろ…わしはもう…動けんけぇ」


 俺はあいつに駆け寄り、抱き抱える。お前は相変わらず他人の心配か?自分の状態わかっているのかよ…。


「置いていかんでくれ…なぁ…もうお前しかいないんじゃ…」


 周りの建物が、崩れていっている。火の手が、まわってきている。ここに居たら、確実に押し潰されるか、焼け死んでしまう。息を吸うことすら苦しい。


「ほら…早う、わしを置いて逃げぇ…」


 呼吸が荒くなる。俺は火と、進を交互に見つめる。


「ゔ、あ…あぁ…」


 どうする?どうすればいい?


「…行くぞ!」


 俺は進を抱いたまま、走り出した。火が行く手を阻んでいても、気にせず突っ込んでいった。俺は必死に走った。走って走って走って走って走って走って、やっと、進を見つけたところよりも安全なところへ来た。火の手の届かない川原だ。でも川の水面には、熱さを逃れるために入ったであろう人たちがたくさんだ。気持ち悪いほどに、ひしめき合っている。


「本当に…わしんこと見捨てんかったんか…」


 進が言う。進は今にも消え入りそうな声だった。俺は進を下ろした。煙を吸い込んでしまったからだろう。喉が焼けるほどに痛く、咳が止まらない。腕の感覚がない、硬直して、震えが止まらない。腕が、上がらない。


「勝…大丈夫か…?」


 こいつは相変わらず他人の心配ばかりしている。お前の方が重症だろうが。視界がぼやける。吐き気がする。とてつもないめまいがする。なぜだ?


「…勝…ごめんな…多分、もう…わしゃ…」


 進が動かなくなる。いやいや、冗談はよしてくれ。お願いだ、動いてくれ。


「あ、あ…あぁ…神様仏様、どうか、どうか…俺の友達を、親友を連れていかないでください…お願いです…俺の、俺の大事な…友達なんです…、お願いです…」


 俺は震えが止まらない腕を必死に動かして、また、進を抱いた。進はもう、動かない。冷たくなっている。俺の中の何かが音を立てて崩れた。神様はこんなことして楽しいのだろうか?なんで、なぜ日本は戦争など始めたのだろうか?なぜ、爆弾など作られたのだろうか?

 俺は進を抱いたまま立ち上がり、フラフラと元来た方へと戻った。こんなんなら、生きていても…。


「安心せぇ…すぐにそっち行くけぇ…」


 俺は炎の中、意識が遠のいていくのだった。その後はなにがあったのかはわからない。戦争なんて、ない時代に生まれられたら、俺は幸せになれたのだろうか?日本は強くなりすぎたんだ。だから、こうなったんだ。


ーー俺はあの小さなクジラを絶対忘れない。

この悲劇は、もう起こしていけない

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― 新着の感想 ―
はだしのゲンを思い出しました…。 誤字報告は受け付けてないそうですが、2点、目についたのでこちらにて失礼。 ご自由にどうぞ。 〉今日は一年は建物疎開の休養日だ。 おそらくこの「一年」は1年間…
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