埴輪と旅する女①【会津若松編】第004回
『Mikiko's Room(https://mikikosroom.com/)』で連載した、会津若松への旅行記(原題は「単独旅行記Ⅶ」)です。
↓こちらは駅舎の脇です。
なんだか、テーマパークの入口みたいですね。
↓入ってみたら、エレベーターの乗り場があるだけでした。
↓「新津駅の歴史」。
そうそう。
新津には、油田があったんです。
その石油を運ぶため、鉄道網が発達したんですね。
しかし、昭和30年代の新津駅……。
「1日400本の列車が発着し、機関区には蒸気機関車60両、客車400両が待機する」ってのはすごいです。
そんな光景、見てみたかったです。
↓奇っ怪なモニュメント。
↓題名は「地球を縫う 新津」。
わたしには、抽象芸術が理解できません。
↓駅舎の2階から。
↓雨漏りするんでしょうか?
ちと情けない光景。
駅は街の顔です。
こういうところは、極力見せないでいただきたいものです。
↓かつての鉄道の要衝の名残が、少し想像できます。
↓駅構内の連絡通路。
↓人があんまり通らないことを物語ってます。
ダンスは、高校の部活でしょうか?
新潟の冬は、戸外では練習場所が見つけにくいのでしょう。
↓通路の反対側を撮りました。
見事に人がいませんね。
メインの連絡通路なんですよ。
ていうか、通路はこれしかないと思います。
時間は、朝の9時3分。
日曜日だからでしょうが。
駅舎に戻りましたが……。
まだ時間があります。
駅の反対側に出てみることにしました。
↓こちら側にも、動輪が置かれてました。
↓説明板です。
直径1.6メートル。
5ナンバーの自動車の横幅くらいあります。
さっきのより大きいですね。
↓駅舎は、表側と同じ顔ですね。
一件、大きな駅に見えます。
↓でも、ほぼ看板建築みたいなつくり。
駅の表と裏が、シンメトリーになってるのがわかります。
両側に薄っぺらな顔があって、その間は通路が繋がってるだけ。
かつての鉄道の要衝だった駅の、面目を保つための造りなのでしょうか。
↓こちら側は完全に住宅街です。
↓これは良い形のケヤキでした。
↓さて、そろそろ改札を入りましょうか。
おっと、その前に……。
今回の旅のお供をご紹介しましょう。
え?
単独旅行じゃないのかって。
いえいえ。
いつもの相棒です。
↓こちら。
●新津駅
「大阪駅-札幌駅」間を結んでた寝台特急『トワイライトエクスプレス』では……。
新津駅が、本州側最北となる乗降可能な停車駅だったそうです。
↓最後の時刻表を見てみましょう。
※印は、運転停車(停車はしますが乗降できません)。
駅名着発時刻
大阪11:11 30着
11:50 00発(以下同じ。最後の2桁数字は秒です)
新大阪11:55 00
11:56 00
京都12:24 00
12:25 00
近江舞子12:59 00※
13:04 00
敦賀13:46 45
13:48 45
鯖江14:22 30※
14:28 00
福井14:39 50
14:40 35
金沢15:37 00
15:40 00
高岡16:14 15
16:14 45
富山16:30 30
16:32 00
直江津17:56 45
18:06 45
長岡19:02 30
19:04 30
新津19:43 00
19:45 00
鶴岡21:48 30※
21:52 30
酒田22:16 30※
22:18 30
秋田23:47 00※
23:56 30
大久保0:14 30※
0:18 00
大館1:26 15※
1:27 15
弘前2:02 45※
2:03 45
津軽新城2:30 15※
2:34 15
青森2:42 15※
2:55 00
蟹田3:20※
3:22
五稜郭5:05※
5:18
洞爺7:18
7:18
東室蘭7:52
7:54
登別8:11
8:12
苫小牧8:50
8:50
南千歳9:10
9:11
札幌9:52
10:03
確かに、新津駅が本州最後の乗降駅になりますね。
『トワイライトエクスプレス』のラストランは、2015(平成27)年3月12日。
結局わたしは、寝台特急に乗ることがありませんでした。
残念なことをしました。
あと、本編に出てくる「看板建築」。
若い人には、聞き慣れない言葉かも知れません。
↓例によって、Wikiから(出典⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%8B%E6%9D%BF%E5%BB%BA%E7%AF%89)。
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看板建築とは、鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない中小規模クラスの商店によって関東大震災後に数多く建設された、かつての伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居である。
そのほとんどは木造で建物の前面に衝立を置いたような看板を兼ねた外壁を持ち、その壁面があたかもキャンバスであるかのように自由な造形がなされている。
看板建築という名称は後の研究者がつけたもので、震災後の大正末期頃には「街路建築」という用語が使われていた。
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こちら(http://www.greenmax.co.jp/gm-product/2163.html)の模型を見ると、その構造がよくわかります。
茨城県の石岡市が、看板建築の聖地と呼ばれてるようです。
街並みとして残ってるんですね。
でも、一棟だけの看板建築であれば……。
古い商店街なら、必ずあると思います。




