外部監査者「ゼロ」の介入と、神の交渉術
悟の眼前に広がる神の視界に、巨大な影が差した。
それは、アガルタの青い大気圏を割って進入してきた、幾何学的な構造体だった。光を吸収し、絶対的な秩序を体現しているかのようなその存在は、システムログが警告した**「高次元エネルギー反応」の源、外部監査者「ゼロ」**だった。
**『ゼロからの通信:新米創造主。直ちに介入を停止し、世界の制御権を放棄せよ。お前の世界は、**非効率な矛盾(苦しみ)の許容により、混沌の閾値を超えた。強制リセットを開始する。』
ゼロの声は、感情を持たず、ただ絶対的な**『法則』**そのものを語る、冷徹な響きだった。
悟は冷静に、神の力を総動員して、アガルタの全法則を一時的に**「ゼロによる書き換え不能」**状態にした。
「待て、ゼロ。私はこのプロジェクトの正式な後継者として任命されている。貴様の言う『混沌』とは、私が意図的に導入した**『成長のための不確実性』**だ」
悟は、人間の姿である伊勢崎サトルから、神としての意識体へと姿を戻し、ゼロの巨大な構造体と対峙した。彼の思考回路は、元サラリーマンとしての最高の交渉術と、神としての法則支配を組み合わせた戦略を瞬時に構築した。
『無駄な抵抗だ。旧神が飽き、放棄した時点で、この世界は「失敗プロジェクト」と見なされている。我々の評価基準において、苦しみや負の感情を許容することは、エネルギー効率の著しい低下であり、宇宙全体の秩序に対するリスクファクターとなる。』
ゼロは、アガルタの存在理由そのものを、**「非効率性」**というデータで否定した。
「リスクファクターだと?貴様の目的は、**『苦しみのない世界』の維持だろう。私の初期設計もそうだった。だが、苦しみを取り除いた結果、住民たちは『目的の喪失』**という、より深い精神的苦痛に陥った。それは、幸福度を長期的にゼロに収束させる、最大の非効率だ」
悟は、ゼロが最も重視する**『効率性』**という土俵に乗って反論した。
「私が導入した**『意図的な不確実性』と『苦しみの受容』の法則は、一時的な幸福度の変動と引き換えに、住民の『意欲値』と『自己実現度』を向上させている。これは、長期的な視点で見れば、『人類というリソースの最大活用』**であり、最高の効率性だ!」
悟は、最新の幸福度ログを、ゼロの意識体にデータパケットとして送りつけた。グラフは、ルカスの窃盗事件を乗り越えた後の、わずかながら確実なS(自己実現度)の上昇を示していた。
『データを受信。解析中。…確かに、短期間の変動後、特定の指標の上昇が確認された。しかし、嫉妬や怒りといった負の感情は、必ず戦争や破滅へと収束する。貴様は、その最終リスクをどう管理するつもりだ?』
ゼロの論調に、わずかながら「質問」のトーンが混じった。悟のプレゼンテーションが、ゼロの絶対的な論理に一瞬の亀裂を入れたのだ。
「その最終リスクこそが、私のプロジェクトの核心だ。私は、負の感情を**『排除』するのではなく、『昇華させるメカニズム』を社会規範として組み込む。それが、自由意志と永続的な平和**を両立させる、唯一の解だ」
悟は、ゼロとの交渉を一気に優位に進めるため、さらに畳みかけた。
「ゼロ。貴様がこの世界をリセットすれば、旧神が求めた『理想の解』は永遠に見つからない。私は、貴様が求める**『究極の秩序』を、『自由な成長』という非伝統的な手法で達成する、試行プロジェクトの責任者だ。このプロジェクトが成功すれば、貴様方の『秩序管理システム』**に、新たな可能性が加わる」
悟は、ゼロを**「顧客」ではなく、「提携先」**として扱う、高度なビジネス交渉術を用いた。
『提行…だと?我々は、お前の世界を監視し、危険な兆候があれば即座に介入する権利を求める。お前の言う昇華メカニズムが破綻し、苦しみが連鎖した瞬間、この世界はリセットされる。その条件を受け入れるか?』
悟は即答した。
「受け入れる。しかし、**『強制介入の権限』は認めない。貴様は、私が行う『法則のアップデート』に対し、『警告』と『データ提出の要求』のみを行える。最終的な判断と実行は、この世界を創造した私に帰属する。これが、プロジェクトのSLA(サービス水準合意)**だ」
悟は、神としての力を使い、この交渉内容を、ゼロが無視できない**『宇宙の基本法則』**に一時的に紐づけた。
ゼロは沈黙した。悟の論理と、法則を操る力、そして何より**「失敗を恐れず、試練を受け入れる」**という姿勢が、ゼロの完璧な予測能力を超えていたのだ。
『承認する。新米創造主。我々は、お前の世界を「アガルタ・トライアル・ユニット」として分類する。警告を繰り返す。お前の設計が、一つでも『不可逆的な破滅』を招いた場合、我々は強制リセットを行う。監視は永続する。』
ゼロの構造体は、静かに大気圏外へと退去していった。アガルタは、一時的な危機を脱した。
しかし、悟は安堵しなかった。
(ゼロは、私に**『猶予』を与えたのではない。『常に監視下に置く』**という、新たなプレッシャーを与えたのだ。私の行動一つ一つが、ゼロの評価対象となる)
悟は、神の視界から人間の姿に戻り、エデンヴァレーへ向かう転送装置に身を投じた。
今回の件で、ユートピアの内部危機は外部の脅威へと一時的に昇華されたが、内部の根本的な問題は残っている。それは、ルカスの窃盗が示した**「感情的な格差」**の問題だ。
エデンヴァレーに戻った悟は、建築家ライナスと再会した。ライナスは、共同住宅のリスクを克服するため、住民たちと協力して設計を改良し終えたところだった。彼の顔には、以前の虚無感はなく、達成感に満ち溢れていた。
「サトルさん!見てくれ!私たちは、神の法則を超える、新しい**『共生型耐震構造』**を完成させた!0.01%どころか、従来のシステムの基準の10倍の安全性を達成したんだ!」
ライナスは熱意に満ちていた。悟の導入した不確実性が、彼の人生に**『意味』**を与えたのだ。
しかし、その達成感の裏側で、新たな問題の種が生まれていた。
ライナスの成功に熱狂する住民の中には、彼と同じように自己実現できない人々がいた。その一人、芸術家を目指していたユリウスは、ライナスの成功を複雑な表情で見つめていた。
「すごいな、ライナス。君は本当に**『特別』**だ」ユリウスはライナスに賞賛の言葉を投げた。
だが、彼の心の中の感情ログを読んだ悟は、ぞっとした。
『ユリウスの潜在意識ログ:「なぜ私ではない?ライナスが特別なら、私は凡庸だ。この世界は平等なはずなのに、なぜ才能に格差がある?神は不公平だ」**』
ルカスが抱いた嫉妬は、**「才能の差」という個人的な感情だった。しかし、ユリウスの抱く感情は、「なぜ神は私に最高の才能を与えなかったのか?」**という、創造主そのものに対する根本的な不満へと変質していた。
悟は、気づいた。物理的な格差を消しても、精神的な格差は、人間の**『才能』という形で、永続的に存在する。この精神的な格差こそが、いずれ「不公平に対する神への反抗」**という、最大の戦争を生むだろう。
悟は、ユートピアの最大の課題に直面した。
(この世界では、誰もが自らの才能を発揮できる。しかし、**『最高の才能』を持つ者は限られる。この『不公平な才能』を、どうやって『誰もが納得できる公平なもの』に変えるか?それができなければ、私のユートピアは、『才能ある者』と『凡庸な者』**に分裂し、ゼロの予言通りに崩壊する)
悟は、神としての新たな法則の設計、すなわち**『才能の再定義』**の必要性に迫られた。




