第2話
レアは元々市井で母と二人、つつましく暮らしていた。
物心つくころには、父はいなかった。母いわく、父はレアがお腹にいたころに事故で亡くなったそうだ。
母はレアを大切に育ててくれた。女手一つで子供を育てる。それは、レアには想像できない苦労があったに違いない。
それでも、母はレアの前ではいつも明るかった。
『隣のおばさんにお野菜を分けてもらったの。今日の晩御飯は野菜たっぷりのシチューよ』
『久々に加工肉が手に入ったの。レアはなにか食べたいものはあるかしら?』
いつだって母はレアを優先してくれた。
もちろんいたずらをしたら怒られたし、悪いことをしたら叱られた。
けど、理不尽に怒ることはなかったし、最後には頭を撫でてくれた。
『ねぇ、どうしておかあさんはいつもえがおなの?』
母はいつもレアの前では笑っていた。どうしてそんなに笑えるのか。幼いながらに、レアは気になった。
『ふふっ、そう見える? お母さんは、レアがいるから笑顔なのよ。あなたがいるから、お母さんは頑張れるの』
『……そういうものなの?』
その言葉は、幼いレアには響かなかった。だけど、母の言葉が嘘ではないことは、彼女の表情を見て理解する。
『レアもいつかわかるわ。私の可愛いお姫さま』
寝る前。母はレアの額にキスをしてくれた。いい夢が見れるおまじないだと、母は言っていた。
レアはいつまでもこの日々が続くのだと、無邪気に信じていた。
――母が病で急逝するまでは。
『まだまだやりたいことがたくさんあったでしょうに……』
いつものように仕事に出かけた母は、職場で倒れてそのまま帰らぬ人となった。
葬儀のとき。レアは涙一つ出なかった。母の死を受け入れることができなかったのだ。
幼いレアは一人ぼっちとなった。母は親族がおらず、レアはこのまま孤児院に入れられることとなる――はずだった。
『……キミがエミリアの娘か』
『だ、れ?』
近所の人と一緒に、アパートの片づけをしていたときだ。レアの元に一人の男性が現れた。
彼は片付けを手伝ってくれていた大人を連れ出し、玄関先で話をしていた。レアは完全に蚊帳の外だった。
しばらくして、二人が戻ってくる。大人はレアと視線を合わせるためにかがみこむ。目には困惑が宿っていた。
『レアちゃん。あのお貴族の方が、レアちゃんと一緒に暮らしたいんだって』
大きく目を見開いた。先ほど現れた男が、レアのすぐそばにやってくる。
『私はキミのお母さんの知り合いなんだ』
正直、素直に信じることはできなかった。
迷うレアをよそに、近所の大人たちが集まってくる。貴族が来たといううわさを聞き付けたらしい。
レアをよそに、大人たちが盛り上がっていく。そして、気づくと周囲の大人により、レアは男に引き取られることとなった。
絵本でしか見たことのない豪奢な馬車に乗せられ、レアは侯爵家に連れてこられた。
侯爵家には男の妻と、レアよりも二つ上の娘がいた。男の妻はレアを見て気まずそうな表情をする。娘はレアを見なかった。
『引き取ることにした。いいな?』
男が強い口調で問うと、二人はこくんと首を縦に振る。
『さぁ、レア。こちらにおいで。キミの部屋はすでに用意してあるんだ』
先ほどの声とは裏腹に、優しい声で男はレアに話しかけてくる。
男の豹変っぷりに、レアは戸惑った。
(この人はどうしてわたしを……)
すれ違う使用人たちは、男を見て頭を下げる。何人かは、レアの顔を見てぎょっとした表情を浮かべていた。
『これから一緒に暮らせるんだよ、レア。……エミリアも、きっと喜んでいる』
(お母さんが、よろこんでくれるの?)
だったら、まぁいいか――と思っていた。だけど、これがレアにとってつらい日々の始まりだった。
連れてこられてから、レアは一度も――侯爵家の敷地から出ていない。出ていくことを、禁じられてしまったからだ。