第8話 モグリの街
翔子が覆面パトを運転した、助手席では瑠璃が憮然とスマホをいじっている。
「護城。お前は、どんな女になりたい?理想像っつうかさあ」
「理想像、ですか?」
「綺麗な女、賢い女、やさしい女…私は『かっけえ女』になりたいんだよな」
「はあ」
「護城はやっぱ、かわいい女か?」
「…いえ。どうしてそう…」
「だってみんなから『アイドルちゃん』とかって呼ばれてんだろ」
そう言ってスマホを見せる。画面上に「神奈川県警のアイドルポリス・護城翔子」という動画が流れる。ミニスカポリスの衣装で、県警PRの動画に出演している姿だ。
「ひい!」
悲鳴を上げて、スマホを奪おうとする。
車が蛇行する。
「運転に集中しろ!阿呆。パトが事故ったらシャレにならんわ」
「すみません!」
我に返って運転を立て直す。
「恥ずかしがるようなことか?県警の広報部が、毎年女性警官をPRに担ぎ出すやつだろ?立派な職務じゃないか。それに私も、新人の頃やらされたぞ」
「え?堂前さんもですか?」
「ああ。私の場合はナイスバディだから、アイドルってより男どものオナド…」
再度急ハンドルを切る。
「おい!」
「同性でも、下ネタはセクハラです!」
「やっぱ、アイドルじゃん」
むっとする翔子をよそに、さらに検索をかける。
「横浜南署の女性警官、被害者救出のため発砲。賛否の声」という記事がヒット。
(で、これが『問題児』の方か?)
会員制バー「ⅮIⅤERCITY」が入っている雑居ビルの前。
瑠璃と翔子が到着して降りる頃には、既に名倉ら二係員達が、強盗傷害事件の実行犯である酒井と水野を連行していた。
「切羽詰まってたようだな。ふたりとも、ソッコーでコマセに飛びついたか」
「係長。やはりグリムは来ませんでした」
酒井をパトカーに押し込みながら、名倉が報告する。
「不審がって覗きに来るかもと思ったが、そううまくはいかんわな」
がらんどうの店内。瑠璃は壁に掛けられた従業員の集合写真をチェックした。
酒井と水野の顔はあるが、神谷はない。
(アジトでも、神谷はツラを晒してない。用心深い奴だ)
翔子の方は、店名の内看板を見ている。
「ダイバーシティ…あれ?でも、綴りが違うような…」
「ああ。多様性のシティはSITYだが、ここのはCITY…『モグリの街』とでも訳しとくか。地下に潜ってるトクリュウどもには、ぴったしだな」
「ここは、先程課長が『リクルートの拠点』と仰ってた店ですよね?」
「神谷のリクルートは独特だ。まず奴はネットで使えそうな男達を集める。男をルアーにして女を釣り上げるんだ」
「車の中でも聞きましたけど、私にはどうしてもロマ…浪岡満生が、中原莉緒を騙したとは思えないんですが」
「そういう供述があるんだよ」
取調べ中の莉緒が、満生の写真を指で示して頷いたのだ。
「お前の話じゃ、浪岡は神谷に惚れてたんだろ?恋は盲目だからな」
「そんな」
「闇バイトは風俗だけじゃない。特殊詐欺のかけ子受け子出し子、窃盗強盗の実行犯。犯罪に手を染めた子たちは決まって言う。『悪い事とわかっていても、言いなりになるしかなかった』」
「え?その子たちは恋愛や結婚っていう、普通の夢を見ただけですよ!」
相手が違うとわかっていても、翔子は瑠璃に悔しそうに訴えた。
「言ったろ。トクリュウは死神だ、って。死神は夢を与えて、魂を奪う」
翔子の両手がわなわなと震えている。
ふん。こういうところが、こいつの長所であり欠点だな…瑠璃は翔子をそう分析する。
「いいか。グリムは神谷と決まったわけじゃない。浪岡かもしれないんだ。被疑者に感情移入するのはやめろ」
翔子は黙り込んだ。その通りだ。警察学校でもさんざん教わった。
外に出ると、別の覆面パトが待ち伏せていた。
「堂前!てめえ、やってくれたな」
血相を変えた幸田がいきり立っている。どうやら、組織対策係が狙っていた捜査対象と被ったようだ。
「おう。遅かったな、マル暴」
「この店は俺のネタだぞ。抜け駆けするとは…」
「こんなもん、早いモン勝ちだろうが。だいたいお前、以前グリムを取り逃がしてんじゃねえか。こっちは尻拭いをしてやっただけだが?」
「どうまえ!」
「堂前警部補殿、な。幸田巡査部長」
翔子の耳にまで歯ぎしりが聞こえるようだった。
二人のやり取りを見て翔子は思う。
(かっけえ、ってより怖ええッスよ、堂前さん)
署に戻った名倉は、第二取調室でさっそく容疑者を取り調べた。水野の前に二枚の写真を置く。右に映っているのが神谷で左が満生だ。
「このふたりに見覚えは?」
「…ありません」
「右は店のオーナーだ。マネージャーのあんたが知らないってのか?」
「いえ。採用された時もリモートだったし。業務報告や指示も…」
常にサングラスとマスク姿の人物がPC越しにしか対話しなかった、という。
「ちょうどコロナの時期だったので、そういうものかと」
「左の若い男は?」
「…見かけたことはあるような。多分客の一人じゃなかったかな」
そう言いながら、水野は目をそらした。
嘘をついている。
名倉はインプットしてから、水野を留置場に帰した。
「…今日はここまでにします。もうひとりは?」
そう言って筆記する事務官を見る。
「それが、体調が悪いということで、弁護士から聴取の延期を…」
(確かに、目が病的ではあったな)
逮捕時の中毒者のような酒井を思い出し、そのこともインプットした。
例の便利屋の事務所に向かう途中で、そのビルから出ていく君江とすれ違った。
「あ。浪岡さん?君江さんですよね?」
ビクっと立ち止まった女性は、確かに浪岡君江だった。
「上京されてたんですね。携帯の方に、何度かご連絡差し上げたんですけど…」
「あ。ああ。あの時の婦警さん」
また「婦警」だ。この人もか。
「息子さんのことで、いろいろお聞きしたいことが出てきまして」
「ああ。すんまっしぇん。携帯、水に浸かってしもてですね」
「では。新しい連絡先を…」
「ああ。ホテルに置いてきたばい。後でこっちから連絡するけん。そいじゃ」
逃げるように立ち去る後姿は、不審そのものだった。翔子は便利屋事務所のある階を見上げる。
(ここに、用事があったってことよね)
堂前瑠璃の忠告が蘇る。被疑者に感情移入はするな。