第5話 恋愛リアリティショー
現場責任者が課員たちに説明するのをよそに、高嶋が隣席に座る野村の耳元にささやく。
「ねえ、野村君。前歴者のデータは洗ったの?」
「管轄内はおろか、全国のデータベースに照会しても該当者はおりませんでした」
「じゃあ、行方不明者か?」
その呟きに呼応するように、千春がリストの束を最前列に渡す。
「これを回して。事件性の疑いのある特異行方不明者リストよ」
高嶋はあいかわらず野村と内緒話だ。
「野村君。組対はどうしたの?」
「あっちは今、県知事が宣言した『反社撲滅』の特命で手一杯ですので」
「ああ、来年は知事選があるもんな」
現在の神奈川県知事は元アナウンサーの剛腕女性知事・大楠みちるだ。彼女は保守政党の支援を受けながら、SDGs、特にダイバーシティの理念を訴えて圧倒的な女性票の受け皿となった。
就任会見でも「女性の社会進出を阻害する者は、保守政権といえどぶっ潰す!」と、歯切れのいい言葉で喝采を浴びた。
横南署刑事課長に生活安全畑にいた桜庭千春という女性が抜擢されたのも、知事の意向に沿うためという憶測さえある。
その千春がいま抱えている案件が、闇バイトによる強盗致傷事件だ。加害者であるはずの女性被疑者に世間の同情が集まっており、扱いを難しくさせていた。そこへもってきて、この謎の郵便物だ。パイオニアに対する試練ともいえる。
捜査官の一人がやってきて、千春に耳打ちする。
「課長。中原莉緒の取調べの時間です」
「わかった。すぐ行く」
署長の顔を立てるための会議はここで散会だ。最後に千春は刑事課員に宿題を提出する。
「皆さんが案件山積みなのは重々承知してます。手の空いたときでいいので、この特異不明者リストを潰していってください。以上、解散」
結局はローラー作戦ということだ。捜査員たちの倦怠感が募る。
横浜南署の第一取調室では、千春による何回めかの聴取が行われていた。
「恋愛リアリティショー?あの、動画サイトで人気の?」
「アイチューブ版で『カップルが成立したら十万円の賞金がもらえる』ってプロデューサーに言われて。そりゃ、こっちも選んでくれそうな地味メン狙うわよ」
莉緒の供述内容はこうだ。
恋愛リアリティ動画「勝手にマッチング!」の撮影が行われたパーティー会場。
男女数十名がお見合いをし、あちこちでカップルが誕生する。МCが
「さあ、今回も十数組のマッチングが成立したようだ」
などと、司会進行をしている。その中に、満生と莉緒のカップルもあった。МCが訊く。
「こっちのカップル。彼氏が彼女を選んだポイントは?」
満生は恥ずかしそうに「あ、全部、です」と答えた。
「彼女の方は?」と訊かれ莉緒は
「ええ?彼頭よくてえ、将来はお医者さんになるって言うしい…」
ⅯCがすかさずツッコミを入れる。
「動機が不純だよ!さ、ここからは、それぞれが愛を育んでもらうことになるぞ。気になる人は、チャンネル登録よろしく。アイ、チューブ!」
この収録がネット配信されるのだ、と莉緒は信じていた。
舞台はパーティー会場のあと、とある会員制バーに移された。 ふたりにはⅤIP席があてがわれた。
「今度、両親に会ってもらえる?」
と、浪岡満生が神妙に提案してきた。
「ええ?本気で言ってるの?」
「本気だよ。僕みたいなタイプは、遊びで女性と付き合うなんてできないよ。正式な交際をしたいんだ」
「ま、考えとくわ。おかわり!」
赤い顔でグラスを掲げた、という。
「ああ、この人と結婚したら、少なくとも将来の不安はなくなるな、とか考えたら急に気が抜けちゃって…」
酔いつぶれたのだ。
莉緒が目を覚ました時、店内に客はひとりもいなかった。
店長だと言うこと男が、300万円の請求書を差し出してきた。
「お客様。お支払いをお願い致します」
「え?何これ。訳わかんないんだけど」
「お客様は、70万円のドンペリ4本を店中のお客様に振舞われました。プラスお食事代とお席料…小学生でもわかる計算です。正当な価格ですよ」
強張った顔で辺りを見回したが、満生はいなかった。
「お連れ様はお帰りになりました。泥酔されたあなたに、呆れられたご様子で」
莉緒が顔面蒼白となるのも構わず、店長は続けた。
「無銭飲食は詐欺罪です。将来ある身で前科持ちは、いろいろシビアかと」
「で、でも無理よ!こんな大金」
「お支払いが難しいようなら、売掛け…ツケにしてさしあげますよ。それと、高額報酬のバイトもご紹介します」
第一取調室で、莉緒が千春に話す。
「アイチューブに、そんなチャンネルなかった。全員がグルだったのよ。もう誰も信じらんないわよ!」
「…その、バーの名前は?」
この夜も翔子は、久しぶりの捜査活動に疲れて帰宅した。
「しょ、翔子ちゃん。お帰り」
同居人の声が聞こえ、奥のキッチンから顔を出す。その顔は茶色く煤も付いている。
「亜美ちゃん。何してるの?」
キッチンに行くと、テーブルとシンクに食材が飛び散らかっている。
「な、何かあった?」
「‥カレーをつくった。な、慣れないから、なんか、汚した」
バスルームから轟音がした。
行ってみると、洗濯機から大量の泡が噴き出している。
「あ、また失敗したあ。ちょ、ちょっとでもお手伝い、したかった。ご、ごめんなしゃい。翔子ちゃん」
申し訳なさそうに俯く。
「…ううん。ありがと」
口ではそう言ったが、ストレスは増大した。
カレーを一口食べる。
(初めてだ。味がしないカレー)
しかし、亜美は黙々と食べている。取り繕うしかない。
「あ、おいしい。亜美は、お料理上手なんだね」
「お、女の子だもん」
はにかむ亜美の表情を見ると、やはり頑張ったことだけはわかる。
(この子は今まで、どういう生活をしてきたんだろう?」
思いを巡らせスプーンが進まないのを、亜美がたしなめる。
「早く食べないと、ママに叱られるよ」
その語調に違和感を感じつつ、翔子は大急ぎで食べ続けた。
数日後の刑事課長室。翔子はこの部屋の主の前で畏まっていた。
机上には、満生と神谷の写真がある。
応接ソファにはニ係長が座っている。
「護城巡査‥」
何か叱責されるのか?ストレスが角を出す。だが次の瞬間、桜庭課長は笑顔になる。
「お手柄だ」
「…あ、ありがとうございます!」
ホッとし、嬉しそうに敬礼した。
「えっと。ですが、一体どの辺がお手柄なのでしょうか?」
課長が苦笑する。
「ま、そうなるか。護城巡査も、先日の強盗傷害事件は知ってるわよね?」
「はい。グリム事件と呼ばれてますね」
「私達刑事課は、指示役の正体を探っていた。でもその『グリム』という仮名以外、本名も容姿も全く掴めていなかったの。それが先日ようやく、そのグループに浪岡満生という人物が関係してることが判明し、あなたに調べてもらった、というわけ」
「あ。では、本官の拙い捜査が少しはお役に立てた、ということでしょうか?」
「捜査ってほどじゃねえがな。二係長の堂前だ」
立ち姿は、ナントカ歌劇団の男役のように凛としている。
(わ。私に怒鳴った人だ)