第4話 小瓶の指
「お客様と何盛り上がってるんだか。ごめんね、婦警さん。あの子、上野愛子って言って、あたしの姪っ子なんだ」
婦警さん‥昭和の女性だった。
「あ、いえ。愛子さんは、私に付き合ってくれただけで。私の方こそ…」
「総務課長から聞いたけど、クライアントのことで何か聞きたいんだって?」
「はい。この青年です」
と言って、満生の学生証を見せる。
「…ああ。浪岡さんね。よく知ってるよ。でも、お客様の個人情報だしね」
「浪岡さんの安否に関わるかもしれないんです。是非お願いします」
「安否?んじゃあ、仕方ないね」
「録音してもいいですか?」
「どうぞ。さて、どこから話すかね。確か春頃だったと思うけど、浪岡さんの誕生日を祝ってほしいっていう依頼が来てね」
翔子はアプリを立ち上げ、赤羽の話に耳を傾けた。
「今年の春だったね、浪岡さんが初めてこの事務所に訪ねて来たのは。スーツ姿の朴訥そうな青年だったよ。
『ご予算は、おいくらぐらいで?』って聞くと『バイトをして貯めたお金があるので、このくらいまでは…』
ってメモに書いて、金額を提示してきた。妥当な金額だったから引き受けることにしたんだよ」
「家族でも友達でもない便利屋さんに、お誕生会の出席ですか?」
「よくあるよ。お葬式や結婚式に参列してほしい、とか。なにせ人数分のギャラが入るわけだから、こっちは歓迎だ。気前のよさそうなお客さんだし、ご挨拶がてら社長のあたしも参加したんだ。ちょうどお花見の時期だったし、オープン会場を貸し切ってね…」
真代はその時の写真を翔子に見せた。真代ら従業員数名が集まっている。日付は「4月5日」とある。テーブルにはシャンパンやオードブル等が揃っている。
こんな状況だったと真代が続ける。
「浪岡さん。お誕生日、おめでとう!」
クラッカーがけたたましく鳴る中、上座に座る満生は紙吹雪を浴びながらニコニコ笑っていた。それだけなら普通のお誕生会だ。
だが、クライアントの満生は、女装をしていた。清楚な女子学生の容姿に、真代たちは最初かなり戸惑ったようだ。
だが以前にも女装家の男性が「話し相手になってほしい」という依頼があったため、なんとか臨機応変の対応をしたという。暗黙の了解のうちに、しばらくはカラオケ等で盛り上がった。
「…宴もたけなわですが、最後に、ご本人から一言お願いします」
閉会の時を迎え、満生は恭しくお辞儀をしてから話し始めた。
「今日は私の誕生日にお集まり頂き、本当にありがとうございます。私には女友達がいないから、こんなパーティー、ずっと、ずっと夢だったんです!」
そう言って感激の涙を流したそうだ。
「戸惑わせてごめんなさい。でもこの姿も男の私も、浪岡満生なんです…事情をお話しします…」
「私の父親は熊本の総合病院の院長で外面はいい反面、家では事あるごとに母に暴力をふるう人でした。母を罵り殴ったあと、必ず父は『俺は差別をしてるわけじゃない、区別しているだけだ』と言い訳をしました」
真代たちは神妙な面持ちで、満生の告白に聞き入った。
「でも私は、そもそも区別した時から差別は始まっているのではないか?『性別』をなくせば『性差別』もなくなるのではないか、と考えるようになりました。男でも女でもない。でも、愛を忘れないひとりの人間でいたいんです」
「今日初めてカミングアウトします。小学生の頃から、私はこの気持ちをずっと心の底に沈めてきました。潜ってきたんです。でも、でももう、息苦しくて…」
そう言って嗚咽し始めた、という。
真代は満生に歩み寄って抱きしめた。
「いいかい。困った事があったら、必ず言うんだよ。商売抜きで手を貸すから」
「ありがとう…ござい、ます」
そんなやり取りをしたそうだ。
(うう。エモい)
翔子がBL好きだからというのではない。女子としての共感だった。
「そんな子が、恋をしたって言うんだ」
「恋?え、どんな?」
「なんだっけ。アイチューブとかいう動画の出演者募集に、興味本位で応募したらしいんだ。そしたら『そのプロデューサーの神谷さんも、自分と同じ指向性の持ち主だった』って嬉しそうに話してたね…ただ、その後どうなったかまでは知らないな」
「会ってないんですか?ロマ…満生君と」
「ぱったり依頼もなくなって、その恋が実ってくれたらいいな、とは思うけど…あ、そう言や、一度メールで…」
と、スマホを取り出し写真を見せる。
神谷と腕を組む満生の写真だ。
「これが、神谷…さん?この写真データ、頂けますか?」
「いいよ」
翔子のスマホに転送する。
「おっと、こんな時間か。このあと大事な用があるんで、これで失礼するよ」
社長は立ち上がり退出した。
(わあ、優しそうなひと。よかったねえ。ロマンちゃん…ん?何、これ?刺青?)
写真を確認してみると、神谷という男の胸元には死神の刺青がくっきりと映っていた。
9月3日。横浜南署総務課の月曜日は、郵便物の確認から始まる。
野村課長が厚みのある封筒を取り上げる。
表書きは「高島署長」宛てだ。
(署長じきじきに?)
軽く振って音と重さを確かめてみる。
(爆発物ではなさそう)
慎重に封を切って、逆さにする。
中から小瓶が転げ落ちてきた。
「総員、退避!」
課長の号令に、一同は迅速に机の下に避難した。
静寂ののち、恐る恐る野村が確認する。
「ああ。これは大ごとになりそう…だねえ」
小瓶の中には、ホルマリン漬けの小指が浮かんでいたからだ。
その日の午後。
大会議室には高嶋署長、野村総務課長、桜庭刑事課長以下刑事課捜査員が十名ほど集まっていた。
前面スクリーンに、小指と指紋の画像が映し出される。
横南署史上初の女性刑事課長・桜庭千春が今回の案件を説明する。
「今朝、わが横南署にこのような不審物が郵送されました。宛先は高嶋署長です。さりとて、手紙等の文書は同封されていなかった」
腰掛けで署長に赴任してきたキャリア官僚に、一同の目が注がれる。
「無論、私に心当たりはない。なにせ先月本庁から出向してきたばかりだからな。神奈川には地縁も知己もない。それに…」
画面が宛書のアップに切り替わった。
「シマの字が違うんだ。私のシマは山偏が付く。調べたら、県警のHPも山無しのシマになっとった。広報部のミスだ」
「つまり、送り主はHPで見た署長の名を事務的に書いただけ。本当の宛先は横南署全体と思っていいでしょうね」
その指摘に一同の表情が強張った。
「警察に恨みを持つ者が、ガセネタや脅迫状まがいの手紙を送りつけることはままあります。でも今回は、一概にただの嫌がらせとは言い切れないのです。というのも切断されたこの左小指はホルマリンに漬けてあり、指紋がきれいに保存されていました。このことは送り主による県警への何らかのメッセージ、もしくは挑戦状ではないか?とも解釈できるからです」