第20話 共鳴
彼女(彼)の計画を遂行させるために、あえて署に出頭して警察をミスリードするつもりだった。
ただ復讐を遂げてほしいと思う反面、誰かにあの子を止めてほしいとも思っていた。だからこの留置場から大雨が降っているのを見たとき、天が止めようとしているのだ、と思った。
もう、自分自身がわからない。いま願うのは、あの子が納得のいく未来を送ってほしい、ということだけだ。
(あんな健気な子が、生きづらい国って…一体何なんだろうねえ)
赤羽真代はひとしきり溜息をついてから、留置場の窓越しに広がる雨上がりの空を見上げた。
成田空港の到着ロビー。襲撃者の動きが止まっている隙をみて、警官たちが容疑者を避難させていく。
連れて行かれる前に、瑠璃は氏木の襟を掴んで引き寄せた。
「グリム、覚えとけよ。こんな風に、娑婆にゃお前を殺したい人間がゴマンといるんだ。懲役は長くしてもらった方が、身のためだぞ」
そう氏木の耳元に警告する。
「ふ、ざっけんな!メスポリが!」
怯える犬ほどよく吠える。強がる氏木の股間には失禁の跡が付いていた。
「聞いた時ねえな。チビる死神かよ。かっこ悪ッ!」
「メスポリ」のお返しをしてから、瑠璃は状況を確認する。襲撃者はいまだ銃を構えたまま動けないでいる。
(どうやら、護城と因縁があるようだな。任せてみるか)
翔子がじりじりと近づいて行く。
「話したよね。それでは、誰も救えないんだよ。ロマンちゃん」
「…翔子さん。私は、誰?」
「浪岡満生。『愛』と『ロマン』、素敵なニックネームを二つ持っている」
「僕は、男?女?それとも、異常者?」
「どれでもない。あなたは、優しいひと。性被害を受けた滝沢亜美に会いたい、って言ってくれた。きっと話が合う、って」
「…僕はある人に、バケモノと呼ばれました。でもその前からずっと、冷たい目で見られてきました。この国で、僕は…しあ、しあわせに、なれ、ます、か?」
「この国には確かに、多様性を認めない人がたくさんいる。でもしあわせになるためには、やっぱり潜ってちゃダメなんだ。誰が何て言おうと、堂々と道の真ん中を歩かなきゃ。まして、こんな後ろ指さされることをしちゃ、ダメなの」
「…わかってる。でも、あいつに人生を壊された人達の気持ちは、どうなるの?」
ああ。本当にそうだ。少し前までの自分なら返す言葉もなかっただろう。でも今の私は、可愛くて強い女の子を知っている。
「…亜美が、あなたが会いたいと言ったあの子が、通信教育で勉強を始めたの。高校卒業の資格を取るためにね」
翔子は今朝のことを思い浮かべた。
「行ってきます」と声をかけても、亜美はリビングで勉強に没頭していたっけ。
「そのあとは、警察学校に入りたいんだって」
「…」
「自分みたいなひとを、助けたいんだって」
共鳴。
浪岡満生と滝沢亜美は共鳴している。だからあなたには、亜美の決意の意味がわかるはず。
「あなたも、中原莉緒も、ほかの女性達も人生を取り戻せる。それが、堂々と道の真ん中を歩く、っていう意味よ」
「ああ!ああ…」
頬から涙を流れる。そしてそのまま、襲撃者は膝から崩れていった。
翔子はゆっくりと銃を取り上げ、グロックの弾倉を確認する。
「…皆さん、見て下さい。空です。彼女には殺意も傷害の意思も、ありません!」
そう言って、空っぽの弾倉を示して見せた。TⅤカメラがアップで撮影している。いくつかのスマホのレンズもだ。
「ロマンちゃん。裁判で真実を話せば、大きな罪にはならないと思う。全て終わったら、亜美と私に会いに来て」
包み込むように愛子を抱いた。
「堂々と歩こう…一緒に!」
今度はきつく抱きしめる。
「わああ!」
堰を切ったように、その子は泣き叫んだ。
「つらかったね…ずっとずっと…つらかったんだよね。怖くって、悔しくって、誰にもわかってもらえなくって…あ、なんか、私まで泣けてきた…わああ!」
この瞬間、留置場にいる赤羽真代や中原莉緒、ときおり発作を起こす滝沢亜美、ほかにも便利使いをさせられてきたすべてのオンナたちが共鳴している。一緒に泣いている…翔子はそう感じた。
訴えかけるような泣き声が、ロビーの中をこだまする。
(あの問題児、感情移入しまくりじゃねえか)
だが瑠璃は怒ってはいない。
(それも、かっけえけどな)
警官らが、翔子と浪岡満生を取り囲んでいく。
滑走路では、どこかへ旅立つ飛行機が離陸をはじめていた。
亜美の日記 20××年3月24日
きのう、通信教育の高校一年生を修了した。マジしんどかった。
きょう、翔子ちゃんがお祝いをしてくれるって。どんなお祝いかは、サプライズだそうだ。なんじゃ、そりゃ。
朝ごはんをふたりで食べたあと、翔子ちゃんは、わたしの前に一枚の紙きれをさしだした。
「亜美にプレゼントしたいものがあるの。新しい両親と、ちょっと頼りないおねえちゃんよ」
「養子縁組届」というしょるいだった。
それから翔子ちゃんは、熱心に説明をしてくれた。
18歳の亜美には家族を選ぶ権利があって、育児をほーきした母親とそのないえん(?)の夫と法的に縁を切ることができる。
そして新しい家族の一員になれる、んだって。
もちろん、亜美はおけ丸だよ、と答えた。
お昼から区役所の住民課というとこに行った。
なんやかや手続きして、一時間くらいで終わった。
たった一時間で、わたしはおねえちゃんを手に入れた。
中華街でお祝いしようって、翔子ちゃんと横浜の街を歩いた。
こせきしょーほんをちゃんと読んでみた。
「長女・翔子」のとなりに「二女・亜美」って書いてあった。
わたしはなんだか、うれしいようなくすぐったいような気持ちになって、走って翔子ちゃんの背中に抱きついた。
それから、はじめて「おねえちゃん」って呼んだ。
そのあとおねえちゃんは「会わせたい人がいる」って言って、山下公園通りまで手をつないで歩いた。
すっごい人混み。
いったい誰と会わせたいんだろう?
おねえちゃんの彼氏さんとかかなあ?
でも、ちがった。
そのひとは男の子でも女の子でもない、とってもキレイなひとだった。
「紹介するね。このひとが、ロマンちゃん」
やっぱり、男の子でも女の子でもない名前だった。
「ロマンちゃん。この子が…」
「亜美ちゃんね。よろしく」
さしだした手は、なんだか昔から知ってるひとの手だった。
おねえちゃんとロマンちゃんはそれから、フキソがどーとかホシャクがどーとかムツかしい話してたけど、亜美がたいくつしてるってバレて中華屋さんに行くことになった。
「じゃ、ごはんでも食べながらゆっくり話そっか」
山下公園通りは平日でもゲキ混み。
ロマンちゃんは、なんかそーゆーの苦手っぽい。
そしたらおねえちゃんがロマンちゃんを右手でぎゅってして、左手で亜美をぎゅってした。
「さ。行こう」
わたしたちは、ホコ天の真ん中をどーどーとあるいてった。
すっごくいい匂いがした。
男の子でも女の子でもない、性別なんてない桜の花びらが舞っていたんだよ。
終




