第17話 出動
さっきまでの第二取調室。
うろんとした目の酒井が苦しそうに言った。
「眠れねえんだ。夢の中に、グリムが出て来て。『アオ君。神谷を殺して下さい』って、耳元でささやくんだ」
「…神谷を?で?」
「殺したさ。じゃなきゃ、俺がグリムに殺されるんだ。ああ、くそ!」
すでに赤く血が滲む頭を、酒井がかきむしる。
名倉は酒井の前に写真を示した。満生、神谷、従業員の集合写真の三枚だ。
「もう一度訊くぞ。この中にグリムはいるか?いたら、指をさせ」
酒井はほかの二枚には目もくれず、じっと従業員の集合写真を見つめた。
「この男だ」
集合写真の中のひとり、氏木一人を指さしたのだ。
氏木の写真を見る。細面。鋭い目つき。よく見れば反社の雰囲気を持っている。
「氏木一人?瑠璃達が国際逮捕する予定の、確か、かけ子のリーダーよ」
「…じゃ、神谷勇樹というのは?」
幸田の疑問に名倉が答える。
「神谷はバーの共同オーナーで、グリムとは意見が合わず、ある日急に行方不明になったそうです。酒井は『氏木に脅されて、自分が殺した』と言ってます」
「じゃ、写真は…」
翔子は自分が入手した満生と神谷の2ショット写真を思い出す。
「フェイク?」
写真の神谷が氏木に変わる。バーで満生にキスする氏木。動画撮影しながら笑う氏木。
赤羽たちは神谷というスケープゴートを使って、グリム・リーパー氏木一人を隠したかったのだ。なぜ?
「その氏木以下詐欺グループと堂前は、今ちょうど帰国する飛行機の中です」
「あ。塚原が密売人から『素人でも扱える銃』を買った、という情報が…」
それらを総合すると、全員が同じ結論に至った。
「浪岡満生は…」
グリムを隠したかった理由…。
「氏木を襲うつもり?」
赤羽真代と浪岡君江が出頭してきた理由…。
「その援護のための、時間稼ぎのための嘘の供述?」
そう言えば赤羽は腕時計をチラ見していた。後で矛盾を突かれても構わない。今ここを凌げればよかったのだ。
「瑠璃」
千春は自分のスマホを取り出した。
上海発成田行の飛行機内には、北島参事官がだらしなく爆睡していた。
瑠璃はその隣の席でスマホの音声を聴いている。
「参事官。飲み過ぎですって」という瑠璃の声に続いて、「瑠璃ちゃ~ん。僕の部下にならな~い?本庁に推薦するよお」という泥酔した北島の声。「あ、触るな。酒くせえ。うぜえ」という音声データである。
(北島参事官。この音声データ、せいぜい利用させてもらいますわ)
利用できるものはなんでも利用するのが瑠璃のポリシーだ。昭和の老害だろうがなんだろうが。
と、着信音がイヤホンに飛び込んできた。「ちいママ」からのLINE通知だ。
アプリを開こうとしたそのとき、機内アナウンスが流れた。
―当機はただ今、日本国領内に入りました。繰り返します…。
通路には渡辺が立っている。
「堂前警部補。行くぞ」
「はい」
瑠璃はスマホを切って、容疑者の席に向かった。
6人の容疑者達は固めて座らせている。渡辺が口上を述べる。
「氏木一人以下5名、恐喝と詐欺の容疑で逮捕状が出ている」
令状を見せる。
「弁護士が来るまで、黙秘する」
氏木はクールに居直っている。
(かけ子のリーダーか。思いのほか、悠然としてるな。こいつも、グリムに顎で使われてたのか?)
実行犯は概ね弱みを握られているため、どこかおどおどしている。
(だが、こいつの態度は…)
瑠璃に新情報は入っていない。違和感を抱きつつも、職務を優先するしかなかった。
観察室では幸田、翔子、名倉が刑事課長の指示を待つ。
「名倉は、成田の空港警察に緊急逮捕の要請をして」
「はい」
「私は署長の裁可を仰ぐ。幸田。念のため、あなたも空港に向かって」
「は」
「課長。私も行かせて下さい!」
千春は翔子のまっすぐな目を見据えた。
「わかった。行きなさい」
幸田が横から助言する。
「だが行くなら、拳銃を携帯しろよ」
「…はい」
「捜査官は事件が起きてからでないと動けない。だけど今回は、これから起きる事件を未然に防ぐために動く」
刑事課長の言葉を噛みしめて、翔子は使命感と緊張を心に刻んだ。
「出動!」
全員が散開して行動に移った。
銃器保管室。貸出カードを手にした翔子は「護城」の保管庫の前で立ちつくした。
三年前に発砲した拳銃が、ガラス越しに黒く光っている。逡巡した挙句、彼女はカードをしまって退出した。
幸田と翔子が廊下を走る音が、真代のいる第一取調室まで響いてくる。
「二手に分かれる。護城はパトで高速。俺は白バイで下道を行く」
この声は、あのマル暴だろうな。
「はい」
そして、あの婦警か。あたしたちの意図は気づかれたかもしれない。だが、あたしはもう一枚ジョーカーを握っている。
また腕時計を見る。
「もう手遅れだ。最後の秘密は守った。あの子は捕まらないよ!」
赤羽真代は、廊下に向けてそう叫んだ。
警察車両駐車場に出た時、パソコンの表示通り大荒れの天気だった。
翔子はパトカーに乗り込もうとして、思い止まった。
(赤羽さんは、午後から降り始めたこの大雨を知らない)
手遅れではなくなる可能性が出てきたのだ。翔子はドアを閉めて踵を返す。
成田空港の滑走路は、荒天のため離発着機の渋滞が始まっていた。
到着ロビーのボードには「遅延」表示が並んでいく。
上海発の便も一時間以上遅れている。おそらく上空で旋回しながら、着陸の許可を待っているのだろう。
待合席で、じっとボードを見つめる女性がいた。
彼女の周りを、複数の空港警察官が巡回していく。
―22歳、やや小柄。写真データの男を、見つけ次第…確保…。
そんな指示が警官の無線からこぼれてくる。女性の口元が、苦笑いする。
(22歳の、男、か)
刑事課長室。インカムをつけた千春が各所と連絡を取り合う。
「名倉班長」からの着信灯が光る。
―空港警察には浪岡の顔写真を送りましたが、現時点で該当者なしです。取越し苦労の可能性もありますね。
「それならそれでいい。でも、顔写真か。この事件、初動からそれに振り回されてるからね。それと、性別。女性であっても、チェックするように要請して」
―あ、そうか。浪岡はオカ…いや、トランスジェンダーでしたね。女装している可能性もあるのか。
千春はあらためて、満生の顔写真を見た。
(総合病院の院長の息子、か)
浪岡満生のアイデンティティーを再構築しなければならない。




