第16話 8割の事実と2割の嘘
第一取調室。幸田が印刷した供述書を読み上げる。
「それから約半月、神谷をDiver Cityに監禁し、拷問にかけた。9月2日切断した左手の小指を横浜南署宛てに郵送した。9月22日、神谷を殺しDiver Cityに火をつけた…ここまで間違いないな?」
聞いているのかいないのか、真代は微妙な表情でときおり腕時計を見ている。
その仕草が気になり、翔子はパソコンの時計表示を確認した。15:40。時計の横にある「雷雨」というお天気表示も目に入る。
(あれ、雷雨?いつの間に)
朝出勤した時は曇ってはいたが雨は降っていなかった。顔を上げるが、取調室には窓がないことに気づく。
「ああ。ただ奴を拉致したあとのことは、晋也から聞いた話だ。あたしと君江さんは一切関わっていない」
「簡単に言うと、あんたと相模会が浪岡の仇討ちをしてやったってことだな。だがいち顧客のために、そこまでする理由がわからねえんだが…」
真代が突然机をバンと叩き、立ち上がった。
「許せるかよ、あんな外道!」
室内が静まる。
「なのに、お前ら警察は野放しにしている。権力で裁けないなら、暴力使うしかないだろ!」
これが伝説の姐御…翔子が真代の気迫に押される。そして何も言い返せない。
「神谷の小指を送りつけたのは、どういう意図だ?」
「当てつけだよ。あの指紋を照合してみろ、ってね。あんたら警察は、あの外道を把握してたのか?できてなかったろうが」
その通りだ。最初は浪岡満生のものと勘違いしていた。
「浪岡満生の学生証に、神谷の指紋を付着させたのもあんたか?」
「ああ。あんたらをからかってやったのさ」
矛盾している気もする。ならなぜ、今になって供述をするのか?
(でも結果として、死神は悪魔に始末された。私達警察は蚊帳の外…)
翔子は唇を噛んで、無力感を噛みしめる。
「大宮の座右の銘は『義侠心』だった。法に背いても、義は譲れないんだよ」
「三つ子の魂と言うが、あんたは今なお『任侠の姐さん』だってことか」
翔子は、10月8日時点での真代たちの証言と客観的事実を時系列でまとめてみた。
4月5日 浪岡満生のお誕生会。(供述)
5月27日 中原莉緒、詐欺被害に遭ったと主張。(事実)
6月3日 浪岡君江が行方不明者捜索願を提出。(供述)
6月中 浪岡満生が性被害に遭う。(供述)
7月2日 浪岡満生、自殺。(供述)
8月4日 高橋家に強盗傷害事件発生。(事実)
8月28日 相模会、神谷勇樹を拉致監禁。(供述)
8月30日 横南署組対係がDiver Cityに家宅捜索(事実)
9月2日 切断した小指を郵送。(供述)
9月13日 強盗傷害事件の詳細をマスコミ発表(事実)
9月22日 神谷勇樹を殺害。そして店に放火。(供述)
真代や君江の供述は、客観的事実と照らしても整合性はある。
(でも、なんだか…)
違和感。そもそも真代と君江はなぜ出頭してきたのか?その意図は?
幸田も腕組みをして考え込んでいる。まるで間を埋めるかのようにひとりの警官が入室し、幸田に耳打ちをした。
「少し、休憩するか」
幸田はわざとらしく吐息をついてから、翔子に目で合図を送った。
観察室に入ると、マジックミラー越しにチェックしていた千春の姿があった。
指示を仰ぎに来た翔子と幸田に伝える。
「たった今、相模会の構成員が自首してきた。『半グレ野郎を殺して、店ごと燃やしてやった』と宣っているらしい」
「最後の部分の、裏が取れましたね」
翔子はそう返したが、課長は不満なようだ。
「どうかな。タイミングが良すぎる。それに浪岡の遺書を呼んだけど、Diver Cityのことは書かれてなかった。なのに、どうやって赤羽達は神谷を襲撃できたんだろうね?」
「つまり、塚原達相模会が神谷を拷問にかけて殺した、というのは虚偽の供述ですか?」
「うん。傍から聞いていると、赤羽の供述は事実のようで矛盾点もたくさんある。適当に話して時間稼ぎをしているようにも思え…」
千春のスマホが鳴った。
「…はい、桜庭…うん…確かに浪岡は救急病院に搬送されたが…止血処理をして息を吹き返し回復後退院…わかった」
電話を切ると、翔子がほっとしたような困惑したような顔をしていた。
浪岡満生が自殺したのも未遂であって、虚偽の証言だったということだ。
「赤羽さんはなぜ、満生君が死んだことにしたいんでしょうか?」
「赤羽といい浪岡の母親といい、わざわざ自分から警察に乗り込んできた。当然、目的があるはずよ」
千春はミラーの向こうの筋金入りの姐御・赤羽真代を睨みつけた。
真代は考える。
(さて、デコスケどもは、何をどこまで信じたかねえ?)
嘘をつくときは、8割の事実の中に2割の隠したいことをくるませる。真代の持論だった。
8月28日。確かに塚原らヤクザ達と満生と真代は、閉店を待ってDiver Cityに忍び込んだ。
「小僧。任侠の礼儀を教えに来たぜ」
ところがグリムの姿はどこにもなく、会員制バーの床には男の遺体がひとつ転がっていた。胸を刃物で抉られているようだ。
「か、神谷さん?」
満生が青ざめている。遺体はこの店の共同経営者だという。
「どうやら内輪もめがあったみたいだね。こんな大事なモンを放ったらかしにしとくなんて、グリムは国外逃亡でもしたんじゃないのかね」
幾度もの修羅場をくぐり抜けてきた姐さんがつぶやく。
「だが、この死体は使い道があるかもしれねえ。一旦組に運んで、保管しておこう」
塚原の指示で、神谷の遺体はヤクザ達の手で運ばれていった。
9月20日。 社長室で真代、菜摘、塚原、佐藤弁護士が密談をした。
「中原莉緒に、私が弁護人になることを了承してもらいました。彼女は既に浪岡満生のことを供述したようです。それに、週刊誌の記者にもつきまとわれてます」
顧問弁護士の言葉に、総務部長の長谷菜摘が反応する。
「きっとマスコミは、いかにも今風な感じで、面白おかしく報道するでしょうね」
「ならいっそ、こっちから警察や世間にバラしてやるか」
所長の発言に総務部長が驚く。
「何言ってんの?真代姉。そんなことしたら…」
「但し、あさっての方向に誘導する。陽動作戦だ。満生君は、あの夜死んだことにする。そして、神谷の遺体を店ごと燃やす」
真代が満生にあらためて向き直る。
「満生君。あんたはそのあとで、行動に移しなさい。あたしらがしっかり援護するからね」
観察室ではまだ、千春達が考えあぐねている。
「『神谷』の名前と写真を、最初に発信したのは赤羽だ。一連の動きが陽動目的だとしたら、そこから疑うべきかな」
ガタンというドアを開ける音。血相を変えた名倉が駆け込んで来た。
「課長。強盗傷害事件の酒井が…」
一同が名倉に注目する。
「酒井が、落ちました」
彼が手にしていたのは、会員制バー「DiverCity」従業員の集合写真だった。




