第14話 供述
[いやあ。助けてください!]
流暢な広東語だ。瑠璃が日本人とは気づくまい。相手も広東語で答える。
[小姐。どうなさいました?大丈夫ですか?]
泣きながら先程描いた目の痣を見せる。
[日本鬼子にレイプされかけました!]
日本鬼子は日本人の蔑称である。公安警察官たちの愛国心が刺激された。
[日本鬼子?糞どもが]
[小姐。そいつらは今どこに?]
[あの、あの建物の中で乱暴を…]
そう言ってプレハブを指さした。
ひとりは銃を構えて、猛然と走り出した。
[小姐。これを]
もうひとりは、自分の上着を瑠璃に着せてやってから走り出す。
プレハブ内部が捜索、一斉検挙されるのは時間の問題だろう。
[公安同志。お気をつけて。ええ~ん。ええ~ん、っと]
ピタリと泣き止む。
「オンナでいるのも、たまにゃ便利だな」
上着を着こんでから、瑠璃は証言を求められる前に早々に立ち去った。
捜査二係の自席で、名倉はTⅤニュースに釘付けだった。
―8月に横浜市で起きた強盗傷害事件、またわかっているだけでも二十数件に及ぶ特殊詐欺事件の指示役、かけ子と見られる容疑者五名が、強制送還のため上海浦東国際空港を出発します…。
リポートの後、容疑者達が飛行機に乗る光景が映る。連行する捜査員の中に瑠璃の姿があった。
「お。瑠璃ちゃんが映った。かっけえ」
上司ではあるが警察学校の同期なので、陰ではそう呼んでいる。実は恋にも似た憧れも抱いている。
「名倉さん。始まります」
部屋を覗いた翔子から声がかかる。
「おっと。一斉聴取だったな。行くか」
資料をまとめ、第二取調室に向かう。第一取調室では、幸田と護城が赤羽真代を聴取。名倉は実行犯の酒井と水野を、会議室では桜庭課長が浪岡君江を参考人聴取する。同時に聴取することで、それぞれの証言の食い違いや矛盾を突く、というのは取り調べの常道である。
30年ほど前、真代が経営する高級クラブには十数人のホステスが勤めていた。オーナーである大宮組組長の大宮健藏はその店を密談や若い者の慰労に使っていた。
その夜も大宮の隣には、和服姿の若き真代が侍って接待していた。
大宮が個人タクシーに乗り込む。真代、菜摘らが丁重に見送る。いつもの光景だった。
だが、車内で煙草を吸う大宮に運転手が声をかける。
「…お客さん。車内、禁煙なんだわ」
俺を誰だと思っている。そうスゴむ前に、急ブレーキがかけられた。
そして大宮に向け、運転手が拳銃を連射した。
この夜、致命的に銃弾を浴びて大宮健藏は即死した。
アパートの一室からの再スタートだった。
部屋には、掃除道具や調理道具等でごった返している。窓には「家事代行承ります」の貼り紙がしてある。反社会的世界から足を洗いクラブで働いていた女性達を集めて、赤羽真代は便利屋を始めた。
もちろん高級クラブでの報酬とは比べようのない薄給だったが、自分たちの特技がみんなに感謝される…従業員たちは水商売にはない喜びを感じていた。
特にクラブではリザーブでしかなかった長谷菜摘は、経理や総務として手腕を発揮し、やがて総務部長となり真代の片腕となる。
菜摘が考案した「女たちの便利屋」というネーミングもよかった。『女性専門』を強調することでマスコミにも取り上げられ、現在の規模にまで成長した。
だが、彼女たちは初心を忘れてはいない。代表取締役社長室に変わらず掃除や調理の道具が並んでいるのはその証だった。
第一取調室で、幸田は真代からここまでの半生を聴き取った。幸田自身興味があったし、その背景を知らなければこれからの証言が理解できない気がしたからだ。
記録係の翔子が二人の前にお茶を出す。
「身の上話は、これで終わりだ」
真代は出されたお茶を、ごくりと喉を立てて飲んだ。
「…では、聴取を始めようか」
開始の合図に翔子がパソコンで筆記を始める。
「第1回聴取開始時刻 10月8日午後1時45分」と打った。
「まず、グリムの正体からだ。本名は、神谷勇樹。あの写真の男だ。ここから先は、あの男の顔を思い浮かべて聞きな。神谷が女の子達を、風俗や闇バイトに引きずり込む手口は、週刊誌なんかにも書いてある通りだ。ネット動画で誘い込み、神谷が経営するバーで酔いつぶれさせて高額請求をするやり方さ」
翔子は中原莉緒の聴取記録を思い出す。彼女は浪岡満生に騙された、と主張していた。
「浪岡満生も神谷とグルだった、ということか?」
「いいや。浪岡さん…満生君は、何も知らされてなかったんだよ」
営業終了後の高級バー「DiverCity」。カクテルを飲む満生とサングラスをかけた神谷がカウンターに並んで座る。
二人のほかにはバーテンの水野しかいない。
「ロマン。おまえだけだよ、ノルマをこなせてないのは。どうした?」
「…ごめん、勇樹君。」
「俺がロマンのこと、どれだけ買ってるか知ってるだろ?俺自身は構わないんだが、ほかの連中の手前…」
満生は椅子から降り、土下座しながら訴えた。
「勇樹君。こんなことやめよう!」
「…」
「僕は君の言う通り、ホストまがいのことをして、莉緒さんを口説いた。でもそれは、動画の撮影って信じたからだ。なのにいくら検索しても、そんな動画どこにもアップされてなかった」
「…で?」
「彼女に請求した三百万。あれは本気だったんだね?あとから『ドッキリでした』で終わる…そうじゃなかったんだね?それはもう詐欺だよ。よくないよ!」
涙ながらの訴えだった。
神谷は(やれやれ)と口の中で呟きながら満生の前にしゃがむ。
「確かに、俺は噓をついた。ホントは、バカ女どもを懲らしめる系の動画さ」
「それも嘘だ!金目当てだったんだ」
「…そうだ。俺は、金が欲しい。前にも告白したが、俺もゲイだ。だが、この国はLGBTに否定的だ。俺は金を貯めて、おまえとふたりだけで南の島でのんびり暮らしたいんだ。さ、座れ」
ふたりはカウンターに戻って話を続けた。
「た、確かにぼくは、勇樹君が好きだ。でも、ぼくは人を騙してまで…」
神谷が制する世に満生の唇に指を当て、微笑んだ。
「わかった。もう、あんなことはやめる。ごめんな、ロマン」
そう言って満生の唇にキスをする。
満生は戸惑いつつも、それに応える。
恍惚として満生が目を閉じたのを確認してから、神谷は水野に目配せをした。
マスターはグラスの中に大量の睡眠薬を入れた。




