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「元気?」
私は青白い顔色の彼、光井の表情を確かめながら尋ねる。彼は公園のいつも通りの茶色のベンチに座りながら、周りの様子をただただ見つめていた。
「ああ。元気だよ。」
虚空を見つめるその瞳は、澄んではいるがどこを見つめているかわからない。不安を抱きながら、一言ずつ言葉を発する。
「今日は調子良さそうだね。あんまり無理しないでね」
遠回しの気遣いしかできない。直接的に話してしまえば、彼の負担になってしまう。彼の心身に負担になるようなことを言いたくはなかった。隣に座っていいか尋ねると、身体を寄せて私の座る場所を作ってくれた。
「僕はまた失敗してしまった。これで2度目だ。
やはり、ひとおもいに一気にいける方法でやるべきだろうか。僕はまだ、この世界にやり残すことがあるから、決心がつかないんだろうか」
身体がビクリと反応する。あけっぴろげに話した彼は私の答えを待っている。私は、自分の思っていることすべてを話した。
「お願いだから、死なないで。あなたが死んだら私が悲しいの。あなたはこの世界が好きじゃないのかもしれないけど、私はあなたに死んでほしくない。やり残したことがあるから、生きたいと心から思ってるから生きたのよ」
光井は私を見つめてから、ふっと前を向いて優しい表情で言った。
「僕は生きていてわかったんだ。人は幸福だと思っていれば、ずっとそうだと。それがわからないから酷いことをするんだよ」
私は光井の腕を握った。分かったからといって死ぬ理由にはならない。この男はどうしてそんなにも死にたいのか。
「あなたがそういうことをするのは酷いことよ。自分を痛めつけてる。あなたは自分が幸福だと分かっていない」
「違うよ。僕は分かったから死にたいんだ。僕はそれを証明するために死ぬんだよ。僕みたいな人が1人くらいいたっていいと思うんだ。僕はただ怖気づいて、一気に死ねる方法で死ななかったから生き残ったんだ。簡単なことじゃないか」
光井の青ざめた顔はどんどん険しくなっていった。自分の起こしたことが失敗に終わったことを恥ずかしく思っていたのだ。私は彼の部屋に隠しカメラを用意して、彼の行動を監視していた。それは彼が死なないためにだ。光井は私の親戚の一人で、幼少期から可愛がっていた男の子だった。なぜ、こんなふうに変わってしまったのかが全く分からない。彼は、ある日部屋のテーブルに立つと、ガンガンと金槌で天井に金具をつけて縄をかけた。嫌な予感がした。私はその行動を夜中の2時あたりに見て、虚ろな眼をこすりながら彼の実家に向かうことを決める。すでに彼に家族はなく、一人実家に住んでいた。私は早足で三十分ほどで到着する彼の家に向かった。
玄関に入る。ドアには鍵がかけられておらず、入ることができた。2階に行き、光井の部屋に向かう。ドアを開けると、光井が天井から吊り下がっているのが分かった。急いで、椅子に乗り彼の身体を横たえる。救急車を呼びながら、人工呼吸を行った。
発見が早かったおかげで、光井は一命をとりとめた。
だが、彼は釈然としない様子で私を見つめるばかりだった。
その顔はいつもこう言ってくるようだった。
「なぜ助けたのだ」
と。
彼といることは私にとって重苦しいことであったが、それ以上に死んでほしくない気持ちのほうが勝って、仕事を在宅ワークにしてしまうほど彼を見守ろうと決心した。光井は日頃のルーティンが決まっていて、毎日その通りに過ごすことが分かった。彼の家に監視カメラを設置して、このときは家の中にいるが、このときは、外にいるということがはっきりした。食べ物も簡素なもので毎日同じようなものばかり食べている。食べない日もあるようで、あうたびにやつれてきた雰囲気はあった。
彼に精神科に行こうと言っても、首を縦に振ることはなかった。彼が主張するのは、僕は理性的に自殺することにするんだということだった。衝動的に自殺するのではなく、きっちりと日々のやることをこなし、そして自分の意志で死ぬことを大事にしていた。彼にとって、毎日の営みは決まりきったやりとりでしかなく、会話も自殺以外のことになると発言自体が減った。彼の興味関心は自殺のこと一点しかなくなっていたのだ。
なぜここまで彼が病んでしまったのかはわからない。死に魅せられたのか、何かからの影響でこうなったのか、分からなかったが、彼は何か悟ったように仕事を辞め、自宅に引きこもるようになった。彼は元々設計士であり、橋などの設計をしている男であった。それが突然仕事を辞め、自殺をするようになった。以前働いていた人たちに彼の様子を尋ねても、困った顔をして首を傾げるだけだった。
彼は毎日のように、自殺の準備をしていた。それを決行する日は決まっておらず、感覚的に自身の調子の赴くままにするらしかった。その唐突さに辟易しながらも、私は彼をじっと監視して、見張っていた。光井は私がカメラを設置していることに全く気づくことなく、生活していた。その無関心さに驚きながらも、私は見守っていく決意を決めた。