第十話 愛すべき偽り
私は野宿しながら数日かけて、人狼の村に続く森へと足を踏み入れた。
雨が降っていて、冷たい水滴が私の紅い髪を打ち、肌を刺すように冷たい。
雨粒が落ちてくるその音は、遠くで鳴る太鼓のように私の鼓動と重なっていた。
森の奥にある人狼の村には嘗てアキと過ごし、父との記憶が色あせない、私の家がある。
村の入り口までやってくると、そこには誰かが立っていた。
その背中姿に、私は思わず息を呑む。
冷たい雨粒が滴る、ビビットピンクの髪。
ゆっくりと振り返りこちらを見るその瞳は、透き通るように澄んだ薄茶色をしていた。
思わず足が止まる。
まるで時が止まったかのように、動けなかった。
胸の奥が熱くなり、喉が震える。
それは、確かに父だった。
「……キデ……さん……?」
思わずそう呟き、ふらついた足取りで歩み寄る。
足元の泥が靴底に吸い付くように重く、まるで私の心そのものだった。
父は、私を見て薄く笑う。
その顔は記憶の中のそれと完全に重なった。
「元気だった?」
静かな声さえも全く同じだ。
「父は……キデさんは……死んだ筈じゃ……」
「死んだ? ああ、そうだね。でも、死んだ者が戻る事もこの世界にはある」
私は一瞬の迷いを感じた。
私がアレックスの指輪を使った時は、甦らせる事が出来なかったのに……どうして?
だが、その迷いはすぐに喜びに変わる。
そんな事どうでもいい、と。
父が、キデさんが生きている。
それが今はとても嬉しい。
アキを喪い疲弊した私の思考は、もうそれしか考えられなかった。
私はその胸に飛び込むと、背中に腕を回して抱き付く。
その身体は温かかった。
「レッドウルフは……まだまだ子供だね」
その言葉に、私は眉を顰め腕を引っ込める。
「……父は……私の事を『レッドウルフ』とは呼ばない」
その瞬間、父の表情が僅かに硬直した。
ほんの一瞬だった。
だが私はその一瞬すらも見逃さない。
父は私の事を名前で呼んでくれた。
父が付けてくれた、尊い名で。
彼の目が、私の顔をじっと見つめる。
その瞳の奥にアンドロイド特有の角膜が見えた。
「……貴方は、父じゃない」
私の声が震えているのは、雨で凍えているだけではない。
「アンドロイドごときが……笑わせてくれる。誰の回し者だ?」
父──いや、その偽物を私は睨み付ける。
偽物の父は私に対して哀しそうに眉を下げた。
その表情に胸が傷んで。
もういっそ偽物でも良いと思ってしまった。
この人を私のものに出来るなら。
濡れたその両頬を包むように手の平を滑らせる。
「まぁ……でも……それでも良いわ。偽物でもいいから……愛してる」
その言葉は自分に言い聞かせるように、その偽物に告げるように、ゆっくりと私の口から吐き出された。
「父じゃないのならそれで良い……貴方を……愛してしまいたい気持ちを……私は止められない」
偽物の父の唇にキスをすると、彼は驚いたように目を見開く。
その唇は震えていて、生きている事を感じさせた。
この偽物の父は、恐らく私を動かす為に作られたアンドロイドだろう。
馬鹿にしないで欲しい。
そんな事で私が動くとでも?
このアンドロイドをケイドやアキの代わりにして、拠り所にしたやるわ。
人狼の村の奥にある家へと戻ってくると、私は偽物の父に清潔な布を渡す。
「身体……拭いて。風邪……ひいたら大変だし」
アンドロイドが風邪ひくか分からないけど。
「……ありがとう」
偽物は布を受け取り、そのビビットピンクの髪をワシワシと拭いた。
その仕草も、父にそっくりで。
「湯浴みの準備をしてきます」
私は逃げるように浴室へ向かう。
火をおこし、バスタブに湯を溜めた。
窓の外では雨がまだ降り続いていて、その雨音が今は妙に心地良い。




