第九話 アキの本当の名とケイド
ガットに刺された後、俺の意識は闇の海へと沈んだ。
水底へ背中がつきそうになるのと同時に、何かが俺の手を掴む。
それはまるで、俺を呼び戻すようで。
俺の身体は、水面に向かって引き上げられた。
目を開けると、そこには見知らぬ天井があって。
ベッドの傍らに立つ影が俺の顔を覗き込む。
「おはよう」
その美しい顔の男は、俺に小さく笑いかけた。
見た事のある顔だ。
確か、レッドウルフが大切にしていた魔境に写っていた男の人──
「ケイド……さん?」
俺の呟きに彼は目を丸くして驚いた顔をしたけど、また直ぐに微笑む。
「もしかして、レッドウルフから俺の話聞いてた?」
「ああ、はい……あの、ここは?」
「ここはシュウの隠れ家だ」
「シュウ……?」
「ガット・シュキル・マリシアス。俺は前世からの知り合いでね。シュウと呼んでいる」
俺は上体を起こそうとしたが、目眩がして直ぐにまた横になった。
「まだ無理はしない方がいい」
「……俺……死んだんじゃ……」
「ああ。シュウに刺されて死んだ。けど生き返ったんだ」
「……生き返った?」
ケイドさんはどこか遠くを見るような目をして頷く。
「シュウがアレックスの指輪を使って君の事を甦らせたんだ」
「……どう言う事ですか……?」
頭が混乱する。
死んだ?
生き返った?
甦らせた?
そんな馬鹿な話が現実に起こるってのか。
静かに立ち上がったケイドさんは、窓辺に立った。
差し込む光がケイドさんの美しい顔を照らし出す。
「アレックスの指輪を使って奇跡の力を使った」
「奇跡……? その……シュウ……さんは、何故俺を甦らせたんでしょうか」
「……君を……“神”にする為」
「かみ……?」
「君を“神”にして世界の滅亡を防ごうとしているんだ、シュウは」
「でも“神”だなんて……俺にはそんな能力……」
ケイドさんは窓辺から離れると、俺の所へやってきてベッドに腰を下ろした。
「君、名前は?」
俺がこの世界にやって来た時、もとの世界の記憶が曖昧だった。
薄っすら覚えていたのは『アキ』と言う名前だけ。
けれどデイーゴに会う事で記憶が戻るのと同時に、自分の本当の名前を思い出した。
俺の名前は──
「……アキデ……です」
「その名前には“神の文字”である“K”と“D”の文字が含まれている。それも……アレックスの指輪に選ばれし者だ」
ケイドさんの開かれた手の平には、藍色の魔宝石の指輪が乗せられている。
「“哀しみ”のアレックスの指輪。この指輪は君を選んだ」
俺の左手の薬指に、ケイドさんの手によってそのアレックスの指輪が嵌められた。
「選ばれた者は神殿バベルへ登り、音を捧げて“神”になる。それが宿命だ」
薬指で藍色の魔宝石が日光を反射して青色に輝く。
「アキデ……君はレッドウルフと旅をしてたそうだね? 君とレッドウルフの話を聞かせてくれないか?」
俺はレッドウルフが出会ってから、過ごしてきた日々を語った。
一緒に旅をする事になった事。
やっとお互いの事を知り合えたと思ったら。
「……俺は……死んでしまった……」
そう話すと、ケイドさんは申し訳なさそうに眉を下げる。
「その事は……すまなかったと思っている」
「そんな、ケイドさんが謝る事じゃ……」
「……それで、君はレッドウルフの事をどう思っている……?」
俺はレッドウルフの顔を思い浮かべた。
艶やかな紅い髪。
立派な耳と尻尾。
凛々しい吊り目。
長細い手足。
見え隠れする色気。
その全てが、愛おしいと感じると、頬が少し熱くなる。
「彼女の事は……誰よりも愛しています」
「……そうか……」
ケイドさんのその悲しげな顔を見て。
きっとレッドウルフの事が好きなんだろうと俺は察した。
「どうか、レッドウルフの事を頼んだよ」
「え」
ケイドさんがベッドから立ち上がるのと同時に、ガットが部屋の中へ入ってくる。
「君の身体が良くなり次第、神殿バベルに登り儀式を執り行う」
こうして俺は神殿バベルへ登る事になった。




