第四話 ガットがシュウだった頃
俺は、ケイドを吸血鬼の国から連れ出した。
馬車で帝都の領域に入ると、そのまま神殿バベルへと向かう。
隣で眠っているケイドは、俺の肩に頭を傾けていた。
その頭をそっと撫でる。
ケイドと出会ったのは、幼い頃に両親を亡くし、叔母の家に引き取られていた時の事だった。
叔母の住む村の外れには森があって、俺は夜な夜な家を抜け出しては、その森の中を散策していた。
村の人はその森を忌み嫌い近づかないようにしていたが、俺にとっては独りになれる特別な場所だった。
ある夜、森の奥にある古びた祠を見つける。
好奇心に負けてその祠の中へ入ると、そこには美しい男が眠っていた。
男は酷く衰弱していたようだったが、その姿はどこか妖しく見える。
俺はその透き通るような白い肌に触れようと、手を伸ばした。
ふとその目蓋が開いて、俺の方を見た。
「誰」
その声は低く、どこか艶かしい響きがあって。
思わず生唾を飲み込んだ。
「……ここで何してるの?」
男は俺をしばらく見つめていたが、やがてまた目蓋を閉じた。
「どこか行け」
それが、運命の出会いだったと、俺は思ってる。
「……貴方は誰?」
そう訊くと、彼は小さく息を吐いた。
それは笑いとも、嘆きともつかない音で。
「お前の声、煩い」
それでも俺は動かなかった。
しばらくの沈黙の後、男は微かにに唇を動かす。
「……名前は?」
「シュウ」
「……意味のない名前だ」
そう言いながらも、その口元がほんの僅かに緩んだように見えた。
「貴方の名前は?」
「……ケイド……」
その夜から、祠が俺だけの秘密の隠れ家になった。
ケイドは何かを隠している。
それはケイドの言葉の端々や、鋭い視線の奥に垣間見えた。
それでも俺はケイドを信じたかった。
いや、信じてしまったのだ。
俺は毎晩のように祠へ通った。
水や食料を持っていくうちにケイドの体調は少しずつ回復して、目つきも鋭さがなくなり、何処か遠くを見積めるような静かなものへと変わっていった。
「なんで俺を助けた」
ケイドの問いに、思わず答えに詰まる。
自分でもよく分からなかったから。
「……ケイドが……特別だから」
ケイドは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにそれを隠すように目を伏せた。
「馬鹿げた答えだ」
それでも、ケイドの頬がわずかに赤く染まっているのを見逃さなかった。
ケイドの正体を知ったのは、ある満月の夜の事だった。
祠の奥に月の光が差し込むと、ケイドの肌はより一層白く、そして不気味に輝いたように見える。
影が祠の壁に長く伸びて、まるで生き物のように蠢いていた。
風に撫でられるようにして、ケイドの長髪が揺れる。
その瞳が赤く染まって。
犬歯が鋭く尖った。
──吸血鬼。
俺はそう悟った。
「気付いてしまったか……」
ケイドは少し哀しそうな顔をする。
「ごめん……俺……」
「シュウが謝る必要はない。けど……ここにはもう来ない方がいい」
「嫌だ。俺はケイドが何者であろうと一緒に居たい」
ケイドが吸血鬼だって構わなかった。
俺はケイドの傍に居ると決めたから。
「……ダメだ……シュウ……」
その声には苦しみが混じっていた。
「俺は……お前を傷つける事しかできない……」
「それでもいい」
俺はケイドを抱き寄せる。
その身体は冷たく、死んでいるかのようだった。
けれど心臓の鼓動が確かに脈を打っていて。
ケイドの口を、己の唇で塞いだ。
それは激しくも切ない、初めてのキス。
ケイドの犬歯が俺の唇を掠め、唾液にほんの少し血が滲む。
その瞬間、ケイドは俺の背を引き寄せ、唇を吸い上げた。
ケイドの体内に俺の血が入り込む事で記憶がリンクして、俺はケイドの孤独を知った。
過去に刻まれた傷。
裏切り。
そして愛。
ケイドは嘗て──人間だった。
そして、愛する者を失った。




