第五話 旅の途中の一夜と小さな幸せ
ティーカップに注がれた紅茶の表面に映る自分の姿から、ハデスの方へ視線を移す。
「レッドウルフさんが見付けた緑色のアレックスの指輪なんですが……実は、数日前にこの屋敷から盗まれた物なんです」
「盗まれただって!?」
「はい。そして……アレックスの指輪が盗まれた時を同じくして、例の不審者が現れるようになりました」
「……なら盗人はあの不審者と言う事になるのか?」
「それはまだ分かりません。だから、不審者の事を調べて欲しかったんです」
理解は出来たが納得はいかない。
「何故、素直に盗まれた事を言わなかった?」
「だって……アレックスの指輪を差し出す条件、と言えばレッドウルフさんは絶対に必死になって調べてくれると思ったんですもの」
ハデスは反省した様子もなく、悪戯な顔で笑った。
どうやら彼は、根っからの悪戯好きのようだ。
コイツ……と腹が立ったが、ここは気持ちを切り替える事にする。
まぁ、良いだろう。
アレックスの指輪は無事に手に入った手に入った訳だし。
「でも、それにしたって自分で調べれば良かっただろ? なんでわざわざ……」
「そうしたかったんですが……あの小屋は呪われているじゃないですか。呪いは怖いですから」
ハデスは今度は肩を竦め笑った。
あぁ……成る程、結局呪いが怖かったのか。
私は呆れて溜息を漏らす。
大体の事が分かった所で、私はあの不審者の事が気になって仕方がなかった。
「なら、私とアキは今晩から小屋で不審者を待つから」
「ええ……!? どうして? アレックスの指輪は手に入ったんだから、もういいのでは……!?」
「アレックスの指輪が盗まれた件については、まだ何も分かっていない。それに……あの不審者の事も気掛かりだ……」
何が、引っ掛かっていた。
それが何なのか、まだ分からないが。
だから、調べなければならないのだ。
小屋で不審者を待つと言い出した私とアキの事を、ハデスは食い下がって止めようとしてくる。
「止めた方がいいかと……レッドウルフさん達はこの国の住人ではないから呪いは効かないかも知れませんが……」
「不審者を調べて欲しいんだろ?」
「それはっ、アレックスの指輪を差し出す条件で……」
「この件に首を突っ込んでしまった以上、納得いく答えにたどり着かなければ目覚めが悪い。それはハデス、君も同じだろ?」
「……わかりました」
私の言葉に納得したのか、はたまた諦めたのか、ハデスは渋々張り込みを承諾した。
小屋までやってくると、適当な場所にアキと身を寄せ合うように腰を下ろした。
小屋の壁を背もたれに座り込み、不審者を待ち構える。
陽が暮れると辺りは暗闇に覆われ、私はアキの肩を抱き寄せると、月明かりの下で静かに息を潜めた。
周囲からは時折虫の美しい鳴き声が聞こえてくる。
今、旅を初めて一番静かな時間を過ごしているかも知れない。
「寒くない? アッキー」
「大丈夫だよ。レッドウルフの尻尾が暖かい」
「フフ……それは良かった」
その頬にちゅっとキスをする。
時間を止めて……この瞬間を永遠に出来たらいいのに、なんて、思ってしまった。
「……アッキーは……」
「ん? 何?」
「ううん……何でもない」
アッキーは私を置いて行かないよね?
なんて聞いたって、何の意味もない。
そんな事聞いたって、置いていかれる時は置いて行かれるんだから。
あの日の私のように──。
日が明けるまで小屋の中で監視し続けたが、不審者は現れなかった。
「アキさん、レッドウルフさん、朝食持ってきました」
朝食を持ってきてくれたハデスが持つバスケットの中には、焼きたてのパンが詰まっていて。
食欲を唆る良い匂いが小屋内を漂い、鼻腔を擽った。
「ありがとうございます。頂きます」
アキがバスケットを受け取ると、私達は朝食に預かる。
アキが差し出したパンを一口齧ると、口の中に小麦粉の風味が広がり、その美味さに思わず頬が緩んだ。
アキが渡したてくれたのはシンプルなロールパンで、彼の選ぶパンはいつも私の好みに合っていて。
それだけでなんだか幸せな気持ちになれる。
「アッキーとこうやって一緒に旅が出来て……私ほんと幸せ」
「俺も」
お互い顔を見合わせて微笑み合うと、ハデスが「あのぉ……俺もここに居るんですけどぉ……」と呆れた顔をしていて、思わずアキと二人して笑ってしまった。
つられるようにハデスも笑って、三人で笑い合っていると、小屋の扉が突然開かれる。
開かれた扉の前には、黒いローブに身を包んだ少女が食料を持って立っていた。




