第三話 神の遺した塔と失われた子
翌朝、私は森を後にした。
私が育った人狼の集落から、一歩一歩遠ざっていく。
人狼達の視線は一様に冷たかった。
紅き毛の人狼である私を、今もなお異端視する目だ。
だが、私は振り返らなかった。
紅い毛を風に揺らしながら、北へと向かう街道を歩き始める。
旅の荷物は軽く、レイピアと水、そして母が残した古びた地図だけ。
地図には幾つかの印がついていた。
その一つが旅の第一目標。
神殿バベル。
父が人狼の村に帰って来る前、最後に訪れた場所だ。
私の足取りにはまだ迷いを帯びていたが、心の奥底には確かな意志がある。
母の願いを叶える為。
父の面影を追いかける為。
私は旅に出るのだ。
三日後、私は神殿バベルに到着した。
荒廃した雲の遥か向こうへと高く聳え立つその塔は、風が石壁を叩いていて。
塔の周囲には美しい木々の森が広がっている。
入り口には何やらこの世界には似つかわしくない、近代的なタッチパネルのような盤面があった。
何となく左手でそれに触れてみると、父の部屋から見つけ出したあの赤い魔宝石の指輪が光り出し、扉が轟音と共に開く。
私は期待に高鳴る鼓動を抱えたまま、塔の内部へと足を踏み入れた。
埃と湿気の匂いが鼻を突く。
内壁には、大きな文字が刻まれていた。
「……“K”と……“D”?」
これは、前世の世界で使われているアルファベットだ。
この世界に“K”と“D”と言う文字は存在しない。
類似する文字すら無い筈だ。
どうしてこんな所に……。
それが何を意味するのか、今の私には分からなかった。
表のタッチパネルと言い、この“K”と“D”の文字と言い。
もしかしたらこの塔は、私と同じく前世の記憶がある者が作ったのかも知れない。
もしくはこの世界に転移してきた人間か……。
まぁ、どうでもいい事だけど。
その後、塔内を調べたが塔の登り方が分からなかった。
塔の内壁には一人用のエレベーターが四台あったが、開閉の為のボタンが無い。
代わりにまたタッチパネルがあった。
しかし、全てのエレベーターに指輪を嵌めた左手を翳してみたが、どれも開かず、塔に登る事は出来なかった。
私は、仕方なく外に出る。
そこで、一人の老人と出会った。
薄汚いローブを羽織り、フードを目深に被ったその老人は、かつて塔に住んでいた神官だと名乗る。
「君は、彼の娘か?」
「彼……とは?」
「その指輪の持ち主だよ」
指示されたのは、私の左手に嵌めた父の指輪だった。
「それはアレックスの指輪と言ってな、この塔を司る神官にのみ所有を許された物だ」
「……父の事を知っているのか?」
「ああ。彼はこの国を作った第一人者だ」
「この国の……?」
「そう。そしてこの塔に登り、吸血鬼と人狼の国を統治していた“神”と呼ばれた存在だ」
成程。
他種族嫌いな人狼が父を敬っていた訳だ。
なんせ彼は、この国の“神”だったのだから。
「彼には君以外に子が居た。しかし、彼はある出来事があって、遠くに送り出す事になったのだ」
おそらく、ケイドの事だろう。
「出来事とは?」
フードの隙間から見えた老人の目が、遠くを見つめる。
「血の侵食……彼はその犠牲になる所だった」
血の浸食……ねぇ。
それはまた、ファンタジーな世界戦だ事。
あ、いや。
ここは魔法のある、ファンタジーな世界だった。
「彼は我が子を守る為に力を尽くした。そして、あなたに託したのだ」
「──!」
心に、父の面影が重く圧し掛かる。
「その、子供を見つけるには何処に行けばいい?」
老人は一枚の地図を私に手渡した。
「これは彼が残したものだ。二人の行く先を示してある」
「ちょっと待て。父の……彼の子供が産まれたのは、彼が亡くなった後だぞ!? どうして子供の行く先が分かるんだ!」
「覚悟は必要だ。闇は未だに彼らを狙っている。君もただでは済まないだろう」
「話が噛みあってない! 答えろ! 時系列がおかしいだろう!」
老人は私の話を聞かず、踵を返すと、森の中へ歩き去ってしまった。




