第八話 アキの過去
俺には、恋人が居た。
誰にも言えない、秘密の恋人。
同じバンドのボーカル。
俺達は、確かに愛し合っていた。
「アッキー」
レッドウルフと同じ愛称で呼ぶその人は。
俺の事を愛してくれていた、と思う。
そう、信じていた。
裏切られた、と思ったのは。
その彼の結婚報道を、テレビで見た時。
目も、耳も、疑った。
動けなくなった。
何も……聞かされ無かった。
教えてもらえなかった。
愛されていると思ってたのに。
画面に映る、その事実が。
信じられなくて。
ふらついた足取りで、俺は家の外に出た。
呆然としながら、地下鉄のプラットホームに立って。
突風を巻き上げて、轟音を轟かせながら。
こちらへ近づいて来る鉄の塊の前に。
俺は。
身を投げた。
そして。
気が付くと俺は、知らない家の中に居た。
傍には、赤い髪の狼人間が居て。
その狼は、自分の事をレッドウルフと名乗った。
俺の事を、アッキーと呼んで。
そして。
ギターをプレゼントしてくれた。
嬉しかった。
お返しに、一緒に旅に出る事にした。
そうして最初の国で出会ったのは。
愛していた彼に瓜二つで。
苦い記憶が蘇った。
忘れていた筈なのに。
忘れていたかったのに。
どうして?
どうして?
どうして俺の事、捨てたの?
ねぇ。
そう思った瞬間。
俺は意識を手離した。
目を覚ますと、豪勢な部屋の、これまた豪勢なベッドの上に俺は居た。
傍らでは椅子に座ったレッドウルフが眠っている。
絞められたカーテンの隙間からは、オレンジ色の夕陽の光が差し込んでいた。
もう、夕方か。
不意にノック音が聞こえて来て、ドアがゆっくりと開かれる。
執事が開けたドアから入って来たのは、町でぶつかった、愛しの彼によく似に男だった。
町で会った時とは違い、立派な服を着ている。
「あ、起きてたんだ」
男は俺の顔を見るなり、安堵したように微笑んだ。
その笑顔に、胸がときめくのと同時に、切なさを覚える。
「あの……貴方は?」
「ああ、申し遅れたね──」
彼はデイーゴと言って、この人間の国の王子だった。
名前まで彼に少し似ている。
「君は、アキって言うんだって?」
「なんで、名前……」
「彼女、レッドウルフが教えてくれた」
言いながらデイーゴは持ってきた毛布をレッドウルフの肩にそっとかけると、俺の真横へやって来てベッドに腰をかけた。
「アキって呼んでいい?」
「……」
アッキーじゃないんだ。
なんて、思ってしまったけど。
それは彼とは関係ない事だから。
「いいですよ」
「ありがとう。俺の事はデイーゴで良いから」
「え……でも……」
王子様に対して流石にそれは。
「デイーゴって呼んで欲しい。アキには」
二重の大きな瞳が、俺を見詰める。
その目には逆らえない、と思った。
「……わかりました」
するとデイーゴはそっと俺の手を握り、俺の目を真っ直ぐに見詰めてきた。
「敬語もやめて。俺、アキとは仲良くなりたいんだ」
彼に似ているデイーゴの瞳には、俺に対する確かな恋情が見えて。
それはまるで……彼が俺を見詰めていた瞳のようで。
「やめて……ください」
熱くなる顔を伏せる。
すると、デイーゴの端正な顔が近づいてきた。
「また敬語。そこは『やめてください』じゃなくて『やめて』でしょ」
囁かれた、その優しい声色が、心地よくて。
その唇を、避ける事が出来なかった。
唇が重なって、キスされる。
ちゅっと音を立てて、唇が離れると。
間近で目があって、俺は顔を逸らした。
「やめて……」
その俺の言葉に、デイーゴは満足げに微笑む。
「そう。偉いね」
頭を撫でられて。
こんな事でときめく自分は馬鹿だと思った。
デイーゴは穏やかな表情を浮かべながら俺を見つめる。
その顔もまた彼によく似ていて。
「そろそろ夕飯の時間じゃない? アキ食べられそう?」
俺は一瞬だけデイーゴの顔を見ると、小さく頷く。
「なら少し待ってて。持ってくるから」
「え、あ……うん」
デイーゴは俺の頬を優しく撫でてから立ち上がった。
「じゃあまた後で」
去っていくデイーゴを止めたくなって手を伸ばすも、俺は手を引っ込めた。
その手を取ってはいけない。
なんだか、そんな気がして。




