第一話 運命の川を越えて
「帰ってきてしまったか……」
人狼の村にある我が家。
家の中に入ると、私は糸の切れた操り人形のように力なく座り込むと、壁に背を預ける。
伸びた前髪が目元にかかったが、払う気にすらならなかった。
ケイドが居なくなった後、私は彼を探すために全世界を回った。
だけど、ケイドと共に帰ってくる事は叶わなくて。
吸血鬼の国の近くで目撃情報はあったけど、人狼は吸血鬼に嫌われている。
そのうえ、この紅い毛だ。
入国は丁重に断られた。
そうして結局、この村におめおめと帰ってくる事になってしまった、と言う訳だ。
強風でガタガタと揺られる窓を横目で見る。
鼻をクンッと嗅げば雨の香りがした。
今夜は嵐になるかも知れないな。
「ケイド……」
何年か振りにその名前を口にする。
瞬間、あの温かい日々が走馬灯のように頭を駆け巡った。
出会ってから居なくなるまで数年にも満たなかったけど、ずっと楽しい思い出しか無かった。
私は前髪をぐしゃっと掴むと、そのまま両手で顔を覆う。
今でも思い出すのだ。
独り置いていかれたあの時の悲しみを。
孤独による苦しみを。
あんな思いは二度とごめんだ。
もうあの頃には戻れない。
そう考えると涙が溢れて、発狂しそうになる。
持っていた魔鏡を取り出して翳す。
鏡面に写ったケイドに、そっとキスをした。
悲しみを押し殺してベッドへ直行する。
私は人狼の村を飛び出してから、ずっとケイドを探していた。
だから、もう彼以外考えられない。
「ケイド……」
もう一度その名前を呟くと、私は潜り込んだ布団の中で眠りについた。
どれ程眠っていたか分からない。
激しい雨と風が叩きつける窓の外から、人狼達の騒ぐ声が聞こえてきて、私は目を覚ます。
騒がしいな。
私は布団から這い出て窓を開いた。
村の入口の方から警報用の鐘が鳴り響いている。
この慌てよう、只事じゃなさそうだ。
ブーツを履いて家を飛び出し、雨に打たれながら人狼達が集まっていく方向へ私も駆けていった。
どうやら皆、村の横に流れている川の方へ向かっているらしい。
「おい!! 何してる!!」
叫びながら人狼達を掻き分け、群れの先頭へとやってきた。
私を見て人狼達は顔を見合わせたが、一人の人狼が雨音に負けぬよう声を張り上げて答える。
「川の中洲に誰か倒れてるんだ!」
指し示された方向を見ると、今にも濁流に呑み込まれそうな中洲に、男が倒れている様子が伺えた。
「誰も助けに行かないのか!?」
私の問いかけに、人狼達は一様に眉を下げ視線を逸らす。
「倒れてるのは……恐らく人間だ」
我々人狼と、人間の間には深い溝がある。
大昔、人狼が人の村に忍び込み、村人全員を食い殺したと言う逸話があり。
そのせいで人間は人狼を大変恐れ、人狼もまた人間を蔑んでいた。
しかし、人狼の村の前村長だった父の尽力により、人狼と人間の間にある溝は大分浅くなった。
それでも心の中では互いを毛嫌いする気持ちが少なからず残っているようで、今は互いに干渉しないよう生活している。
人間を助ける事を躊躇っているのは、その為だろう。
「お前達はまた人間との間に溝を作りたいのか!? このままあの者を見殺しにすれば、人狼への不信感が募るだけだぞ!!」
私が怒鳴っても、それでも人狼達は顔を見合わせるだけで動こうとしない。
「チッ……頭でっかちめ……」
私は川へ飛び込んだ。
濁流に呑まれそうになりながらも、中洲に泳ぎ着く。
意識があるかどうかを確認する為に、私は倒れている男の肩を揺らした。
「おい! 大丈夫か!! 確りし──え、……ケイド……?」
私は思わず動きを止める。
倒れていたその男は、ケイドにそっくりだった。
「……ぅ……」
男は唸り声を漏らして少し身動ぎをする。
生きてる……!
その事で我に返った私は、男を背負うと再び川へ飛び込んだ。
必死に岸を目指して泳ぐ。
対岸が目の前までやってきて、私は岸にある大きな岩へと手を伸ばした。
しかし、雨に濡れた岩肌に手が滑り、身体が急流に流される。
私もここで終わりか。
内心でそう諦めかけた時、伸ばした手を誰かが掴んだ。




