第73話 メロンソーダとラム酒と
「誠さん。みんなで一緒に暮らせるなんていいですね。にぎやかなのは私は好きです」
ひよこの言葉に顔を見合わせるサラとパーラには言うべき言葉が見つからなかった。西はひよこから質問されて下手な答えをしないために急いで敬礼してそのまま近くのコンビニへと走る。入れ替わりにタバコを一服したかなめが帰ってきた。
「うちは団地なんで狭くて……弟も自分の部屋が欲しいなんて言うんですけど……西園寺さんもうれしいでしょ?」
ひよこはそう言うと恥ずかしそうに視線を落とした。
「そいつはどうかねえ」
タバコを一服して戻ってきたかなめはそんな彼女を見て笑顔を浮かべながら意味ありげに笑う。
『……まあ、神前となら、こういう生活も悪くないかもな』
かなめはそう思いながら煙を吐き出した。
「違うんですか?みんなで暮らすってきっと楽しいと私は思うんです」
ひよこがアメリアのコレクションの運搬の仕事を始めてから初めてに無邪気な笑みを浮かべた。
「叔父貴に聞いてみな?アタシが人と仲良くやれる奴かどうか」
かなめの言葉に彼女を見守っていたアメリアに目を向けた。
「……まあいいや。ここにいても仕方ねえや。食堂で話そうや」
かなめはそう言って部屋の扉を開ける。誠達も彼女に続いて廊下から階段、そして食堂へとたどり着いた。
食堂に入ると薄ら笑いを浮かべながらかなめがどっかりと中央のテーブルの真ん中の椅子に座る。誠もいつも通り意識せずにその隣の席を取る。反対側に座ったカウラがいつものように冷たい視線を送るが、まるで気にする様子は無い。
「まあ西の野郎を待ちながらまったりしようや」
その場にいる全員が珍しくかなめの言うことに同意するようにうなずいた。
「買ってきましたよ!」
勢い良くコンビニ袋を抱えた西が駆け込んできた。両手のコンビニ袋の中には缶入りの飲み物がぎっしりと詰め込まれていた。
「カウラはメロンソーダだろ?」
そう言うとかなめはすばやく西から袋を奪って、その中の緑の缶を手にするとカウラに手渡した。
「なんかイメージ通りですね」
ひよこが苦笑いを浮かべながらカウラを見つめている。
「ああ、コイツの髪の色はメロンソーダの合成色素から来ているからな」
「西園寺、あからさまな嘘はつくな」
プルタブを開けながらカウラは緑のポニーテールの毛先を自分で手に取り何か納得したような顔をして缶に口をつけた。
「神前さんはコーラで良いですか?」
西は手にしたコーラを誠に押し付けた。思いを見透かされた誠は苦笑いを浮かべた。
食堂を出るとき、ひよこが西に小さく耳打ちした。
「……私、甘いのが好きなんです」
西は一瞬ぽかんとした後、コンビニ袋の奥からもう一本のココアをそっと渡した。
そこにトイレから帰ってきたアメリアがやってきた。
「ああ、飲み物買ってきたの?言ってくれれば私が出したのに」
アメリアの白々しい言葉にサラとパーラが顔を見合わせる。
「なんなら今から出しても良いんだぞ」
メロンソーダを飲みながら釣りを西から受け取っていたカウラの言葉を聞くとアメリアはそのまま背を向けた。
「どこ行くんだ?」
カウラが不審そうにアメリアに尋ねる。
「さっきの続きを読むの」
アメリアが出ていくがあまりにも彼女らしい言葉に誰も呼び止めることはしなかった。
「それじゃあ私はココアで」
全員がアメリアの方を見ていた間も飲むものに迷っていたひよこはそう言って袋からココアを取り出した。
「ああ、ごめんね。ひよこちゃん。アメリアはこういう時はココアなのよ」
パーラはそう言うとひよこの手からココアを取り上げた。
「パーラさん、アメリアさんに届けてあげるんですね。それなら私が持っていきましょうか?」
そう言ったのは代わりにジンジャエールを手にしたひよこだった。
「え?お願いできるの」
サラのの言葉にひよこは嬉しそうに頷いた。
「じゃあ僕も行きます」
釣銭を数えていた西がそう言った。立ち上がった二人は昨日と同じく楽しげな笑みを浮かべながら食堂を出て行く。
「気が合うのかな?連中」
かなめはそう言うと緑茶缶を袋から取り出して飲みだす。
「まあ、まあひとこちゃんが20歳で西君が18歳……年が近いから話題も合うのよ」
「そうなのか」
パーラの言葉にカウラは関心なさそうにつぶやいた。
「アレだな……天然同志気が合うんだろ」
そう言いながらかなめは缶の緑茶を飲み干した。
「ああ、疲れたねえ。でも飯まで時間が有るよな」
かなめは仕事らしい仕事はしていないのに、この場にいる誰よりも疲れた表情でそう言った。確かにあれだけ自分の性的趣向をアメリアに暴露されれば疲れるものだと誠は同情した。
「あのー今日は僕が食事当番なんですけど」
誠はかなめに向けてそう言った。
「それがどうした?まったりしようや」
かなめが誠の顔をまじまじと見つめる。
「それなんですけど、島田先輩から西園寺さん達に手伝ってもらえって言われたんですけど……手伝ってくれます?」
かなめが露骨に嫌そうな顔を向けてくる。家事をしないことは分かり切っているかなめが手伝うとは思えない。誠は良い返事は期待していなかった。
「なら仕方ないな。西園寺、アメリアを連れて来い」
カウラはすぐに立ち上がるとそう言って『図書館』で成人向け同人誌を読んでいるであろうアメリアに声をかけるように疲れた表情のかなめに言った。
「食事当番ねえ。全員外食で済ますって線ではいけねえのか?」
カウラに言われるとかなめが食堂を出て行った。
「私達も手伝おうか?どうせ西園寺さんは役に立たないだろうし」
パーラの申し出にカウラは即座に首を横に振る。
「ここに世話になる人間だけでいい。手出しされると要領がつかめなくなる」
真面目なカウラはパーラの申し出を丁重に断った。
「とりあえず夜はカレーだそうです。それに整備班は今日は徹夜だそうですから、人数は20人前くらいで良いらしいですよ」
誠の言葉にカウラは少しばかり驚いた表情を浮かべた。
「20人前か。大丈夫なのか?」
カウラは不安そうに誠の顔を覗き込む。誠に言わせれば50人を超える住人のいるこの寮で20人前と言うのは少ない部類に入る。
「やっぱり私達手伝うわね。誠君、材料は買ってあるの?」
パーラはそう言って腕まくりをする。サラも覚悟を決めたように立ち上がった。かなめとカウラ。どちらも家事とは無縁でその手伝いを戦力に数えるには無理があった。そしてアメリアの驚異的な創意と工夫で人知を超えた食品を作り上げる才能についてはパーラ自身がよく知っている。
「一番奥の冷蔵庫にそろっているはずですよ。三人が絶対家事なんかしたことが無いだろうってみんな思ってますから」
誠はそう言うとそのままカウラとパーラ、それにサラをつれて厨房に入った。誠が食堂の方を振り返るとあからさまに嫌な顔をしているアメリアがいた。
西とひよこが外へ出ている間、厨房には誠、カウラ、パーラ、サラ、アメリア、そしてかなめの6人が揃っていた。
「なんで私達が……私外食派だから」
アメリアはめんどくさそうにそう言った。
「アメリア、郷に入れば郷に従えだ……ジャガイモの皮むきを頼む」
カウラの言葉にアメリアはあきらめた調子でそのまま厨房に入ってくる。
「西園寺、鍋をかき混ぜるぐらいならできるだろ?」
仕切り始めるカウラに明らかに不機嫌になるかなめに向けてカウラはそう言った。
「わかったよ、その段取りになったら呼んでくれ」
かなめはそのままタバコを取り出し喫煙所に向かった。パーラが取り出した食材をカウラは立ったまままな板の横で眺めていた。
「ジャガイモ、牛肉、にんじん、たまねぎ」
「ちゃんと揃えてあるのね」
感心したようにパーラは誠を見た。
「本来は買出しなんかも担当するんですが、今日は島田先輩が用意してくれましたから」
そう言うと誠はにんじんに手を伸ばした。
「カレーのルーはブロックの奴なのね」
湯気を上げ始めた鍋を見ながらパーラはそう言った。
「ああ、この前までは隊長の元部下の西モスレムのエースとか言う人が持ってきてくれた特製ルーが有ったんですが切れちゃいましてね。まあ代用はこれが一番だろうってお勧めのルーを使っているんですよ」
誠もその男子寮特製カレーは食べたことが無かったが、その代用品のこのカレーも十分満足できる代物だった。
「ああ、西モスレムは北インド文化圏だもんね……カレーとかこだわりそう」
渋々厨房に入ってきたアメリアはそう言うと皮むき気でジャガイモを剥き始める。パーラは鍋を火にかけ油を敷いた。
「にんにく有る?」
「にんにく入れるの?」
パーラの言葉にアメリアは露骨に嫌そうな顔をしていた。
「ああ、そちらの奥の棚にありますよ」
「サラ、とりあえず二かけくらい剥いてよ」
サラは棚からにんにくを取り出すと剥き始める。
「臭くなっちゃうじゃない」
ぽつりと呟くアメリアの隣のカウラが冷静にサラのにんにくを剥く手に目をやった。
「当たり前のことを言うな」
カウラは再び誠から受け取った慣れない包丁でにんじんを輪切りにする。そして一本を切り終えるとカウラの視線が食堂に注がれる。
「かなめちゃん!手伝ってよ」
喫煙所から帰ってきたかなめが手持ち無沙汰にしているのをアメリアが見つけてそう言った。その言葉を聴いて躊躇するかなめだったが、誠と目が合うとあきらめたように厨房に入ってきた。
「何すればいいんだ?」
「ジャガイモ剥いていくから適当な大きさに切ってよ」
アメリアに渡されたジャガイモをかなめはしばらく眺めた。
「所詮コイツはお姫様だ。下々のすることなど関係が無いんだろ?」
挑発的な言葉を発したカウラに一瞥かました後、むきになったようにかなめはジャガイモとの格闘を始めた。
「あまり無茶はしないでね」
そう言うとパーラは油を引いた大鍋ににんにくのかけらを放り込んだ。
「誠君、肉とって」
手際よく作業を進めるパーラの声にあわせて細切れ肉を誠は手渡す。
「良いねえ、アタシはこの時の音と匂いが好きなんだよ」
自分の仕事であるジャガイモを切り分けることに飽きてかなめはそれを手の上で転がしている。
「かなめちゃん、手が止まってるわよ」
「うるせえ!」
アメリアに注意されたのが気に入らないのかそう言うとかなめはぞんざいにジャガイモを切り始めた。
「西園寺、貴様と言う奴は……」
「カウラ。それ言ったらおしまいよ」
不恰好なジャガイモのかけら。カウラはつい注意する。そしてアメリアが余計なことを言ってかなめににらみつけられた。
「誠っち!ご飯は?」
サラがそう言って巨大な炊飯器の釜に入れた白米を持ってくる。
「ああ、それ僕が研ぎますから」
そう言うと誠はサラから釜を受け取って流しにそれを置く。
「ずいぶんと慣れてるわね」
「まあ週に1回は回ってきますから。どうって事は無いですよ」
そう言いながら器用にコメを研ぐ誠を感心したように三人は見ている。誠にとって料理当番は避けられない業務の1つだった。なにせ戦闘能力を期待されていなかった入隊した当時の誠にとって『戦力』として認めてもらうにはそれしかなかったのだから。
「じゃあここで水を」
パーラはサラに汲ませた水を鍋に注ぎ、コンソメの塊を放り込んだ。
「ジャガイモ、準備終わったぞ」
「じゃあ今度はにんじんとたまねぎを頼む」
「おい、カウラ。そのくらいテメエでやれ!」
「切るのはお前の十八番だろ?」
「わかったわよ!まあ、かなめちゃん!本当にあなたは銃を撃つしか能が無いのね!私がやるから包丁頂戴」
仕事の押し付け合いをするカウラとかなめに呆れたように、かなめから包丁を奪ったアメリアがまな板の上でにんじんとたまねぎを刻む。
「意外とうまいんですね」
確かにアメリアの包丁さばきは外食派を自称する割にはカウラやかなめよりもはるかに手馴れていた。
「そう?時々ネタに詰まった時にラジオを聞きながら夜食とか作るからね……それに私が東和に来たのは落語家の弟子になるためだから。前座時代はそれこそ師匠の朝昼晩と食事を作る練習を姉さん達に仕込まれて……その時覚えた訳」
「深夜ラジオも役に立つ技量が得られるんだな」
「そうよ、かなめちゃん。面白いネタ無いの?」
「あっても教えねえよ!」
そう言いながらかなめはアメリアが切り終えた食材をざるに移した。
「いい匂いだな」
食堂に来たのは菰田だった。厨房の中を覗き込んで、そこにカウラがいるのを見つけるとすぐさま厨房に入ってくる。
「菰田。テメエ邪魔」
近づく彼に鋭くかなめが言い放った。
「そんな、西園寺さん。別に邪魔はしませんから」
「ああ、あなたは存在自体が邪魔」
そう言うとアメリアは手で菰田を追い払うように動かす。思わず笑いを漏らした誠を、菰田は鬼の形相でにらみつける。しかし、相手はかなめとアメリアである。仕方なく彼はそのまま出て行った。
「あの馬鹿と毎日面を合わせるわけか。こりゃあ誤算だったぜ!」
かなめがカウラを見やる。まな板を洗っていたカウラはいまいちピンと来てない様な顔をした。
「なるほど、もうそんな時間なわけね。誠君、ご飯は」
すっかり仕切ることに慣れてきたパーラはそう言って食事当番の誠に指示を出した。
「もうセットしましたよ」
「後は煮えるのを待つだけだね」
サラがそう言うと食堂に入ってきた西の姿を捉えた。西は勢いよく食堂に駆け込むなり叫んだ。
「西園寺大尉!」
西は慌てていた。呼ばれたかなめは手を洗い終わると、そのまま厨房をでる。
「慌てんなよ。なんだ?」
鍋をかき混ぜていた退屈そうなかなめは振り返るとそう言った。
「代引きで荷物が届いてますけど」
「そうか、ありがとな」
そう言ってかなめは食堂から出ていく。
「かなめちゃんが代引き?私はよく使うけど」
アメリアが代引きで買うのはおそらく成人向け同人誌だろうと誠は思った。
「どうせ酒じゃないのか?」
カウラはそう言って手にした固形のカレールーを割っている。
「さすがの西園寺さんでもそんな……」
言葉を継ぐことを忘れた誠の前に、ラムのケースを抱えて入ってくるかなめの姿があった。
「おい!これがアタシの引っ越し祝いだ」
あまりに予想にたがわないかなめの行動に、カウラと誠は頭を抱えた。
「これ……全部飲むんですか?」
誠がざっと見ただけで三ダースあった。
「飲まないでどうするよ。これでしばらく晩飯後の晩酌には事欠かないだろ?」
得意満面でかなめは胸を張って誠達を見回した。
「神前、飲みすぎるなよ」
カウラの言葉でおそらくラムの消費に自分が貢献しなければならないことを察して誠は頭を抱えた。




