第7話 裏方の凄さを見た日
「よし、飯も食ったし。オイ!午後の作業始めんぞ!」
まだ昼休みは終わっていないと言うのに、車の完成とそれがもたらす金に目のくらんだ島田は思い思いに休んでいた部下達に声をかけた。島田はもうPCにかじりついていた。邪魔者は早く出ろと言わんばかりの手のひらが振られる。
「それじゃあ、お邪魔みたいなんで失礼します」
誠はまだ仕事に戻るつもりは無いので、そう言って島田にあいさつした。
「おう、邪魔だ。失礼しろ!とっととこの車を完成させてまたあの金持ちに売りつけてやるんだ!今度の金でグラウンドに観客席でも作るか?パートのおばちゃん達も喜ぶぞ」
島田の声に送り出されて誠は島田達の居た倉庫を後にした。
「島田先輩も管理部には顔を出せって言ってたことだし……行くか。まだお昼休みはに十分残ってるからな。あの菰田先輩も休み時間にはのんびりしてるから大丈夫だろ」
誠はそう自分に言い聞かせて、隊舎の本館の階段を上った。
『駄目人間』である部隊長嵯峨惟基の巣窟の隣の資料室の横が誠が足を踏み入れたことが無い管理部の部屋だった。
扉を開こうとした誠だったが、自然に扉が開いた。
「なんだ、神前か」
そう言ったのは誠がこの部隊で一番会いたくない男、管理部部長代理菰田邦弘主計曹長だった。
「菰田先輩はお昼は済ませたんですか?やっぱり仕出しのお弁当ですか?」
誠は引きつった笑みを浮かべながら、苦手な先輩にとりあえずの挨拶をした。
「島田の馬鹿の趣味で選んだ弁当屋の弁当なんか食えるか!カップ麺だ!そっちの方がよっぽどマシだ」
犬猿の仲の島田の話題が出たことに明らかに怒りの表情を浮かべた菰田はそれだけ言うと誠を押しのけて廊下をトイレの方に歩いていった。
「カップ麺の方が体に悪そうなのになあ。あの弁当、結構おいしいし。瘦せ我慢もいい加減にすればいいのに」
誠は心の底からそう思いながら菰田の開けた管理部の扉の中に入った。
そこはパソコンが並ぶまさに『管理部門』と言った部屋だった。ただ、島田が言う『パートのおばちゃん達』の姿はそこには無かった。おばちゃんと言うとごちゃごちゃ雑談しているイメージのある誠にとってその静けさはある意味不気味だった。
「ここのパートのおばちゃん達はお昼はどうしてるのかな……この部屋で間違いないはずだよな……生協の食堂?あそこだったらうちで頼んでる弁当の方が安いもんな。それにおばちゃん達の習性としてお弁当を持ってくると考えた方が自然だ。僕の母さんも外に出かける時は必ずお弁当を用意してくれていたからな」
そう言いながら机の間をすり抜けて奥に向かう誠の耳におばちゃんらしい明るい笑い声が響いてきた。
「確かにここにいるんだな。でも……」
声はすれども姿は見えず。その状況に戸惑いながら誠は部屋の中を見回した。確かにこの部屋の中にパートのおばちゃん達が居ることだけは声から判断できるのだが、どこにいるのか一向に分からない。
誰もいないというのに……何かが聞こえる。にぎやかな声、笑い声だった。
壁際のカーテン、その奥からだった。少し勇気を出して、誠は手を伸ばした。
「たぶんあの中だな」
覚悟を決めた誠はそのカーテンの向こう側に足を向けた。
「失礼しまーす」
遠慮がちにカーテンを開いた誠は中のおばちゃん達の休憩室として使われているらしい小部屋に入り込んだ。
給湯室らしくミニキッチンなどが設置されたその部屋の中央にはテーブルが置かれ、六人の四十代から五十代くらいの女性が談笑に花を咲かせている最中だった。
「いらっしゃい!どうも……初めて見る顔ね……もしかしてあの『近藤事件』で『光の剣』で敵をなぎ倒した『英雄』の誠君?あらやだ、素顔を見られちゃった。今日はちゃんとお化粧しておけば良かったわ」
おばちゃん達の中央で話題を仕切っていた小柄な丸顔の中年女性が誠に向けてそう言った。
「今度配属になった神前誠です。挨拶が遅くなってすいません」
誠はどうやら歓迎してくれるらしいおばちゃん達の雰囲気に心から申し訳ない気持ちを持ちながらそうつぶやいた。
「何言ってるのよ!パイロットはうちの花形なんだから。私達パート職員には手の届かない存在なの」
「そうよ、この部隊には若い独身の女の子が沢山いるんだから。こんなおばさん達の相手をしてくれるなんて最初から期待してないわよ……でも気を利かせて挨拶してくれるなんて。私の娘のお婿さんにもらおうかしら?」
「あなたの娘さんはまだ中学生じゃないの。早いわよそんなの」
「お芋食べる?サツマイモ。昨日お隣さんからたくさんもらって、朝ふかして持ってきたんだけど食べきれなくて……。ささ、パイロットは体力勝負なんだからお弁当だけじゃ足りないでしょ?食べなさい、食べなさい」
パートのおばちゃん達は見慣れない誠に物怖じすることなく話しかけてくる。そのマシンガントークにやられながら、おばちゃん達の圧に負けた誠は仕方なくメガネのおばちゃんが差し出したサツマイモを受取った。
「それじゃあいただきます……それにしても本当に挨拶が遅くなって」
誠はホクホクして意外に美味しいサツマイモを頬張りながらそう言った。
「良いのよ、どうせあの部長代理の菰田君のことが気になってたんでしょ?あの人、仕事はできるんだけど愛想が悪いし、暇ができるとなんかいつもここで島田君と誠さんの悪口を言ってるし……。だから女の子にモテないのよ。ああ、挨拶がまだだったわね。ここのパートリーダーの白石です」
最初に誠に声をかけてきた小柄な中年体形の白髪交じりの女性が誠に向けてそう名乗った。
誠は予想通りの白石さんの柔和な表情に安心すると同時にもう誠に関心を失って別の話題で盛り上がっている他のパートのおばちゃん達のバイタリティーに圧倒されていた。
「それにしても大変なお仕事よね、機動部隊のパイロットって」
白石さんは誠がサツマイモを食べ終わるタイミングを見計らってそう言ってきた。
「そうですか?いつもはランニングなんかの体力トレーニングをして、空いた時間にはシミュレータで訓練する毎日ですよ。それほど大変と言うわけでは……」
暇人扱いされている誠達『特殊な部隊』の隊員達の仕事を『大変』と言う白石さんに少し違和感を感じながら誠はそう答えた。
「だって人間切り替えが難しいのよ。いつもは暇でもいざ事があるとそれこそ不眠不休で任務に当たらなくてはいけなくなる。そっちの方が私達みたいにいつもルーチンワークをこなしてる経理職より大変じゃないの」
白石さんは笑顔でそう言ってきた。その安心できる笑顔を見て島田の言う通り白石さんは裏表のない頼りになる人だと初対面の誠にもすぐに理解できた。
「白石さんは隣の工場で勤めてたんでしょ?工場だって納期が厳しい仕事が有ればそれこそ徹夜とか平気でするんじゃないですか?そっちの方が大変ですよ」
自分の仕事をあまり大変だと思っていない誠はそう答えた。
「十年前まではそうだったんだけどね。でも、工場の仕事は危険と言えば機械の操作ミスとかの労災だけ。それに比べて司法局実働部隊の出動ではシュツルム・パンツァーで戦ったりするんだから。やっぱりそっちの方が大変じゃないの」
白石さんの表情から笑顔が消えていた。
確かに工場なら事故でも起こらない限り命の危険はない。ただこの『特殊な部隊』の任務の中には白兵戦闘やシュツルム・パンツァーでの戦闘も含まれている。命の危険は白石さんが言うように圧倒的に高いのも事実だった。
「確かに白石さんが言うように他の仕事よりは危ないことが多いですけど……その分危険手当も出てますし」
その『もんじゃ焼き製造マシン』体質から誠には友達がほとんどおらず、軍以外の仕事については社会常識程度の物しかなかった。
「お金で命は買えないわよ!命は大事になさいね。私達は戦うことは出来ないけど、その準備とかを助けることができるから。何か心配事が有ったらいつでも言ってね」
そう言う白石さんの顔には最初に誠が見た笑顔が戻っていた。
「はい……、それの言葉を心に刻んで大事にします!」
「そんなに気にしなくてもいいのよ。でも、本当に素直。あの西園寺さんとかベルガー大尉とか気難しい人達と上手くやれてるのも、そのせいかしらね」
白石さんに褒められた誠は少しいい気分になって満面の笑みを浮かべた。
「そう言えば、白石さんは島田先輩が言うには、隣の工場長にも顔が効くんですよね。凄いですね、それって。工場長って偉い人でしょ?それがパートの人の言うことを聞いてくれる……それだけ頼りにされていたんですね」
誠は島田に聞かされた話を思い出して白石さんをそう褒めるしかなかった。
「凄くないわよ、全然。今の工場長は良い人だから。本来あんな偉い人が一パートの言うことを聞いてくれるなんて他の工場じゃ考えられないわ。よく気が利くし、体も引き締まって渋いロマンスグレーの髪も素敵だし、私の理想の上司。もし私が若いころに出会ってたら恋に落ちてたかも」
白石さんは笑いながら工場長の偉さをそう讃えた。誠はその話を聞いて、『駄目人間』上司の嵯峨惟基との差を思い出してその工場長に会ってみたくなった。
「工場長なんだけど、元々は大学野球の推薦でここの野球チームのサードとして入ったのよ。入った当時はそれはもう凄かったのよ。それこそプロのスカウトやマスコミがこの工場の入り口に押しかけて大騒ぎ。入社当初からその年のドラフトの有力候補ってことで注目されちゃって……それでも、その時は仕事は新入社員として経理の手伝いをしていたんだけど、そっちの方も完璧で……こんな人いるんだなあって驚かされたわ」
白石さんの工場長との付き合いは工場長の入社直後から始まるらしいことに誠は驚かされた。そして、野球だけではなく社会人としても見どころのある青年と周りから思われていた工場長と『特殊な部隊』で『もんじゃ焼き製造マシン』としてか、『ツッコミ』としてしか役に立っていないと思われているらしい自分と比べて少し憂鬱になった。
「そんなすごい選手だったんですか?それに仕事も完璧……スーパーマンだ」
誠も高校時代『都立の星』としてプロのスカウトやマスコミの取材を受けたことが有ったがそれもポチポチと言う感じでマスコミで騒がれる都市対抗野球のスター選手のそれはまるで違うものであろうと想像することができた。
「でも、都市対抗が終わってすぐの練習で右足に大怪我して守備ができなくなったとなると……冷たいものよね、プロの世界は。それからは野球部でも指名打者で出てたんだけど、バッティングの調子もつかめないってことで三年で社業に専念するってことで引退したの」
白石さんは心から人に共感できる人らしい。工場長の当時の悲しみを再現して見せる口調から誠はそう感じていた。
「でも、それからはやっぱり一流は違うわね。本社の法人営業部に転属になっても話題の豊富な営業マンとして出世街道を驀進して、四年前にここの工場長になって戻ってきたわけ。取締役執行役員でもあるのよ……ああ、神前さんはそう言う社会常識はゼロなんだったわね。ごめんね、難しいことを言って」
そう言って白石さんはおばちゃんらしい大笑いをした。誠の社会常識ゼロと言う事実は誠が挨拶に来ていなかった管理部にまで知れ渡っていた。
「でも白石さんのおかげで工場長がうちに便宜を図ってくれているんですよね。凄いですよそれは。島田先輩が頼んだ面倒な部品の加工とかをすぐにやってくれるって感謝していましたよ」
社会常識のことで馬鹿にされることには慣れているので、誠は無視して白石さんを持ち上げた。
「偉いのは私じゃないわよ。工場長よ。おかげで島田君達の技術研修の資材とかの手配もしてくれるし、シュツルム・パンツァーのメーカーメンテナンス技術者とはいつでも連絡できるように便宜を図ってくれているもの」
白石さんは謙遜して手柄を工場長のものだといった。
「隣の工場ってシュツルム・パンツァーを作ってるんですか?もうそんな大きいものは作ってないと聞いてたんですが……」
白石さんが『シュツルム・パンツァーの技術者』と言う言葉を吐いた時に誠はこれまでランから聞いていた隣の工場がすでに『終わった工場』だというイメージを塗り替えなければいけないような気がしてきていた。
「『05式』は菱川重工豊川が兵器工廠としての最後の技術を結集して開発した機体だもの。確かに他の新しい工場のエリートの技術者の作った汎用性の高いシュツルム・パンツァーと比べると、局地戦に特化したその設計は評価が低くて量産化なんて見込めない代物になってしまったけど、ちゃんと司法局実動部隊では戦果を挙げている。『近藤事件』でのこの部隊の活躍を聞いて工場長も鼻が高いんじゃないの?」
意外にシュツルム・パンツァーの性能に関する勉強までしている白石さんに誠は驚きを隠せなかった。
『確かに僕の『干渉空間』による瞬間移動が出来れば機動性ゼロの05式の欠点なんて目をつぶれる。それにタイマン勝負に特化した局地戦用シュツルム・パンツァーと言うことはうちみたいに局地戦しか考えられていない部隊にとっては最適の機体だ。まるでうちに配備されるために設計されたような機体だもんな』
誠は白石さんの誉め言葉を聞きながら05式の欠点がまるで自分が運用するために設計されたんじゃないかと思っていた。島田達のお遊びからシュツルム・パンツァーの運用まで。すべてのことが白石さん無しには動くことが無い。
誠はその事実を知って目の前にいるどこにでもいるおばちゃんのように見える白石さんに尊敬のまなざしを向けた。
その時、昼休みの終了を告げるチャイムが部屋中に鳴り響いた。
「じゃあ、お仕事しましょう。神前君も午後の体力トレーニング、頑張ってね」
「はい!一生懸命走ります!」
誠は白石さんの応援を素直に受け取って、午後に始まる体力トレーニングのランニングの準備の為に男子更衣室へと急いで向かった。
誠は背中にまだ、あの優しい声が残っているような気がした。