第68話 『特殊な部隊』、唯一の良心が壊れる日
「それにしてもいつ来てもここ、落ち着くわね。あー、私もたまには運転手じゃなくて誰かの運転で心行くまでビールを飲んでみたいものだわ」
突然そう言いだしたのがパーラだったので一同は彼女の顔を見つめた。
「おい、パーラ。何か悪いもんでも食ったか?それにオメエは自主的に運転手を買って出てるんだってアメリアの奴が言ってるぞ。違うのか?」
かなめは驚きのあまり、トリ皮串をぽとりと落とした。
「パーラちゃんがそう言うなんて意外よね……ってかなめちゃん。いつ私がそんなこと言ったのよ!パーラの車が一番大きいから便利だとは言ったけどそんなパーラがいつも自主的に運転手を買って出てるから飲ませる必要はないなんて言ったことなんて一度も無いわよ、私は」
かなめとアメリアがまったりとした表情のパーラを見て驚いたようにそう言った。
パーラは初めて自分のこの自己主張が意外過ぎるものと受け止められている事実を知り、グラスをカウンターに叩きつけた。
「何よ!私が落ち着く場所があるのがそんなにおかしいの?隊ではいつもアメリアの尻拭いばかり。出動すればしたで他の娘が休憩を取りたいと言えば半舷休息中でも呼び出されるし……本当に『特殊な部隊』では私ばかり損しているわ!その点この店ならやることはすべて春子さんと小夏ちゃんがやってくれるし、焼鳥はおいしいし……良いじゃないの!私がそう思ったって!それも全部アメリアのせいじゃないの!アメリアの尻拭いはもうたくさん!その点ここならアメリアの馬鹿の尻拭いは全部春子さんと小夏ちゃんがしてくれる!私が羽を伸ばしたって罰が当たるわけじゃ無いでしょ?少しはアメリアも反省と言う言葉の意味を覚えた方が良いと思うわよ!」
ムキになってパーラがそう言い返す。パーラの言う通り、『特殊な部隊』で唯一の常識人であるパーラは損をすることが多かった。暴走する隊員達の尻拭いはすべて彼女に押し付けられることが通例となっていた。誠もその事実には同情の念を禁じえなかった。
「だってーパーラが一番無茶を聞いてくれるんだもの。頼みたくなっても当然でしょ?」
アメリアは悪びれる調子も無くそう言ってジョッキのビールを飲み干した。
「その態度!いい加減にしなさいよ!アメリア!もう少しアメリアも私以外の人に頼るってこと、覚えなさいよ!」
パーラは自分の嘆きをまるで理解していないアメリアに向けてそんな怒りをぶつけた。
「でも~、頼っても良さそうな雰囲気してるのがパーラちゃんだけなんだもん♪他のメンバーは無茶を頼むと嫌な顔するんだもん♪」
しかし、アメリアの辞書には反省と言う言葉は無かった。
「それがずるいって言ってるのよ!いつも私ばかり損をしてる!なんでこんな上司の下で働かなきゃならないの?不条理でしょ!」
酒は飲んでいないはずなのにパーラの口調は鋭く攻撃的だった。
「分かった分かった。少しは落ち着け。でも、パーラの言うことに間違いは無いぞ。同じここでは酒が飲めない私もそう思う。それとアメリア。貴様はパーラに頼り過ぎだ。確かに誰かが損をすることがあるのが世の中だが、貴様は運航部の部長だ。そのストレスがパーラ一人に偏っている現状は感心できるものでは無いと思うぞ」
烏龍茶を飲んでいたカウラはそう言ってパーラをかばった。誠は珍しくキレているパーラを驚いたような視線で見つめた。
「……は、私、なんか変なこと言ったかしら?神前君が変な目で私を見てる……そうよね、こんなこと言うなんて私のキャラじゃ無いわよね……」
パーラは何かを諦めたようにそう言うと静かにレバーの串に手を伸ばした。
「確かにな……他の店はバイトがすぐに変わったりとか時間制で二時間経つと追い出されたりとか……ろくな店が無いからなこの辺りは。まあ、パーラは運が悪いからな。そう言う星の下に産まれたと諦めろ」
酒好きのかなめはここ豊川近郊の飲み屋を飲み歩いたのだろう。その指摘は正確なものなのだろうと誠は思った。
「そんな、かなめさん。うちを褒めても何にも出ませんよ。本当はうちも小夏には勉強に集中してもらうためにバイトを雇いたいんだけど、これって子が来ないのよね。ネットに求人はいつも出してるのに。でも、私はね、皆さんが『ここに戻ってきたい』と思ってくれる限り、それで十分なんですよ」
春子はかなめの誉め言葉に気を良くすると自分もビールをコップに注いで飲み始めた。
「俺もこの店好きだな。まず、変な焼鳥屋は変なこだわりで豚串を出さねえ。俺、豚串が一番好きだ。だからこの店が好きなんだ」
そう言うと島田は目の前に山と積まれた豚串を頬張った。
「そんな理由?ヤンキーの考えることは浅いわね。私は春子さんの人柄だと思うの。私がこの中では一番春子さんと年が近いからなんとなく分かるんだけど……春子さんって若いころ相当苦労してるでしょ?」
結構飲みすぎているようでふらふらしながらアメリアがそう春子に語り掛けた。
「昔話は湿っぽくなるだけ。それにそう言う話を私がしないから皆さん来ていただけるんでしょ?」
春子はアメリアの質問をそうはぐらかすと空いたグラスに再びビールを注いだ。
「そうねえ……この店が一番落ち着く場所なのは事実だな。実は叔父貴の野郎がここに来たがっているんだ」
何気ないかなめの言葉に全員が彼女の方を見つめた。
「あの貧乏人が?ランちゃんがおごってくれるから?」
アメリアはかなめの言葉が意外だというようにそう言った。
「ちっちゃい姐御は『駄目人間に払う金はねー!』って言って止めてるんだ。ここだけの話だが……実は春子さんに気が有るらしい」
『エー!』
かなめの一言に、一同は思わず声を上げた。
「でも、考えられるわね。隊長の女好きは今に始まったことじゃないし……そう言えば休みになると休日の昼間にこの付近を隊長がうろうろしてるのを見たって運航部の通信担当の娘が言ってたけど……春子さん、隊長と会ったことあるの?」
アメリアがいやらしい目つきをしてビールを飲む春子にそう語り掛けた。
「さあ、どうかしらね」
年齢の分、春子の方がアメリアより一枚上手でアメリアの問いを再びかわすと笑顔で源さんが焼鳥を焼いている調理場に姿を消した。
「でも、僕も初めて来た時からこの店は気に入っています。お世辞にも綺麗とは言えないけど清潔感はあるし、焼鳥はおいしいし、ビールはすぐ出てくるし。それに毎回出てくる突き出しが凝っていて何が出てくるか毎回楽しみなんです」
誠は心に思った本心を口にした。
「やっぱりここは良い店だ」
「落ち着くよな」
テーブル席の男子寮の住人達もそう言って頷きあった。
『……たぶん、ここは全員にとって隊長が言う『逃げ場所』なんだろうな。クバルカ中佐も、きっと本音では分かってる。だから普段はここの払いをクバルカ中佐が面倒見てくれているんだ……クバルカ中佐はみんなの『逃げ場所』を僕達に与えてくれている……僕も……誰かの『逃げ場』になれるくらいにはなりたいんだけどな』
誠は安心しきった表情のその場にいる隊員達の顔を見ながらそんなことを考えていた。
「じゃあそろそろお開きにしますか。アメリア、大丈夫か?今日はオメエ結構飲んでたみたいだから。明日もあるんだ。しっかりしろよ」
飲みすぎて肩を揺らしているアメリアにかなめはそう言った。
「はいはい、反省しまーす♪ でも可愛い子がいるとつい甘えたくなるのよねぇー♪それと話は変わるけど本当に今日の払いはかなめちゃんなの?それに明日があるってどういうこと?」
アメリアはいつもの無責任ぶりを発揮してかなめに話題を振った。
「今日はアタシが払うって言ってるだろ?貴族に二言はねえ!それと明日の引っ越し祝いの飲み会はちっちゃい姐御のツケで払うことが決まっている。これは今朝ちっちゃい姐御から連絡が有った」
アメリアがよろよろと立ち上がるのを支えながらかなめはいつもぶら下げている銃の入ったホルスターの下のポケットから札入れを取り出した。
「どうせ今日一番飲んだのは西園寺だ。西園寺が払うのが当然だな」
残り少なかった烏龍茶を飲み干すとカウラは静かに立ち上がる。それを見て島田達カウンターに座っている隊員やテーブル席の寮の住人達も帰り支度を始めた。
「カウラさん。寮まで送って行ってください」
「あ、カウラ。アタシも寮にバイク置いてきてるんだ。帰りは頼むわ」
誠の頼みのどさくさに紛れてかなめがカウラにそう言った。
「西園寺はまた面倒なことを言う……まあいいだろう。銃を持ってバスに乗られたらただでさえ悪いうちの評判が更に低下する。仕方がない」
カウラはそう言って四人乗りの『スカイラインGTR』にかなめが乗り込むことを許可した。
「ああ、旨かった。パーラさん、俺も帰りはよろしく」
「島田君の違法行為を止めるためだもの……仕方が無いわね」
パーラもまた大回りして寮まで島田を送るという貧乏くじを引かされた自分を嘆いた。
「じゃあ!帰るぞ!」
こういう時は自分勝手なかなめが早速縄のれんに手をかける。
「まあ、ごちそうさまと言っておくわ」
アメリアは少しふらついた足元を気にしながらそう言ってかなめの後ろに続いた。
「明日は忙しくなりそうですね」
「そうだな」
誠は『スカイラインGTR』のカギを取り出して店を出ようとするカウラの後ろから声をかけた。振り向いたカウラは、ほんの一瞬だけ、作り物ではない『本当の笑顔』を見せた。それは誠にとっても、この夜の最高の一杯に匹敵する出来事だった。




