第62話 未完の正義
「鍵、開けましたわよ」
自分のバイクを島田のバイクの隣に置いたまま部品の山を見ていたかなめが茜の言葉に振り返ると、そのまま助手席のドアを開けて乗り込んだ。
誠は茜の乗るセダンの高級車に少しばかり遠慮がちに乗り込み、慣れない雰囲気に流されるようにして後部座席に座った。茜は運転席で何か足を動かしているように見えた。
「まじめだねえ、やっぱり履き替えるんだ」
かなめは先ほど茜が自分を『法律の専門家』と自称した通り、交通法規を守るその順法精神に感心していた。
「司法当局に身を置く人間としては当然のことではなくて?」
そう言うと茜はキーを入れる。高級車らしい落ち着いたエンジンの振動が始まる。緩やかに車はバックして、そのまま空きの多い下士官寮の駐車場から滑り出した。
「かなめさん。お話があるでしょ?」
目の前を見つめながらハンドルを操る茜の手を軽く見やった後、かなめは頭の後ろに両手を持ってきて天井を見上げた。
「まあな……」
エアコンが強力に吹きつけて熱気を次第に奪っていく。室温は次第に快適な温度へと近づいていった。
「オメエが腰を上げたってことはだ、それなりにやばい連中が動き出したと考えていいんだな」
「ずいぶんとかなめさんにしては遠まわしな聞き方ね。それに昨日から同じような質問ばかり。少しはご自分で動いてみたらいかが?その義体の通信機能を使いこなせれば私よりも新鮮な情報が手に入りますわよ」
茜は大通りに出るべくウィンカーを右に点灯させた。宅配便のトラックが通りすぎたのを確認して、左右に人影が無いのを確認するとそのまま車を右折させた。誠もネットに直結しているはずのかなめより茜の方が情報を知っている事実を疑問に思っていた。
「何度だって確認したくなるさ、昨日みたいな法術適正者、それもかなりの格の奴がアタシ等の周りをうろちょろしてる状況なのはわかりきっているんだから」
誠は自分を襲撃した自称『革命家』の言うことを思い出した。
「法術犯罪専門の同盟機構直属の捜査機関の設立理由としてはそれで十分ではなくって?」
茜の口元に浮かぶ笑み。それを見て誠は甲武四大公家の当主である嵯峨の娘の茜もまたの上流貴族の一人娘であると言う事実を思い出した。
「茜よ、現場じゃ銃弾が飛んでるんだ。会議室の理屈で片付けるなよ。そんな統計と報告書だけで作られた部隊が何の役に立つってんだよ」
かなめはあきれ果てたようにそうつぶやいた。
「でも『飛ばないようにする』のが私たちの役目でしょう?統計と報告書。サイボーグでネットと繋がった脳を持ちながらその重要な情報を軽視して暴力に走る……かなめお姉さまはそんなことをおっしゃっているといつまでたっても『関白太政大臣』にはなれないですわよ?」
茜は上品な笑みを浮かべてかなめを見つめた。誠もかなめのガサツなところがその甲武の貴族の最高実力者の位『関白太政大臣』には向かない点では口には出さないが心の奥では同意していた。
「『関白太政大臣』にアタシがなれねえのは親父が邪魔しているからだ!それに銃弾ばかりじゃねえ、最近じゃ法術なんて言う物騒なもんが平気で使われるようになった。確率論的に法術適正のある人間なんてそうはいない。それなりの組織としてもあれほどの法術使いをそう大量に抱えているとは思えない。そうなるとそうちょくちょく襲撃するのはリスクが大きすぎることくらい連中も知ってるはずだ。それにこちらもアタシ等が護衛につく。昨日のギャンブルじみた襲撃があったとしてもこちらは上部組織に連絡するくらいの対応は出来るんだ」
「そうなると?」
前の車の減速にあわせてブレーキを踏む茜は決して後ろを振り向こうとしない。それにいらだっているように語気を荒げながらかなめは言葉を続ける。
「叔父貴やランの姐御が出張ってきたら、奴らにとっちゃ悪夢の再来だろうな……特に『廃帝』自身以外ランの姐御に対抗できる手駒を『廃帝』は持ってねえ。そうなると茜が出てきた時点でいつあの『汗血馬の騎手』が現れるか分からねえと慌てるわけだ」
かなめは腕を組んで吐き捨てるように言った。
「昨日のアロハ……あいつ、アンタの顔を見た途端、即逃げた。あれが何よりの証拠だ」
「……だとしたら、私の登場は成功でしたわね……確かにクバルカ中佐の影をちらつかせることが出来ただけでも成功と言えるかも」
茜はアクセルを少し踏み込みながら、あくまで淡々と応じた。そう言うとかなめは今度は手をダッシュボードの上に移した。誠は嵯峨やランの存在がテロ組織にとってどの程度の物か理解できずにいた。
「そうおっしゃるけど、法術の存在が公になってしまった今ではどのような事態が起きたとしても……」
「それにしちゃあ、ずいぶん控えめな対策じゃねえか。確かに東和警察でも法術犯罪捜査部隊が一都三県で発足した。甲武の公安憲兵隊も法術対策室を立ち上げて人員の選定をすすめている……東和共和国が動いて同盟が動かない……どう見てもおかしいじゃねえか」
かなめは分からないことだらけだと言うように茜にそう愚痴った。
「そうね、でも東和の反応は迅速だわ。どうせお父様が事前に東和警察の幹部連に情報をリークしていたんでしょうけどそうでなければこの国はそう簡単に動かない。この国に住むようになって感じたのはその判断スピードの遅さだと私は思ってますの」
茜はまったく動じない。ただ前を見てハンドルを切る。
「ハンイル、遼、遼北、西モスレム、ゲルパルト、外惑星。どこもそれなりに国家警察レベルではそれなりの対応をしている……そのくせ同盟機構自身が……後手に回ってねえか?」
ここでかなめは言葉を飲み込んだ。茜のポーカーフェイスがいつまで続くか試している。誠はかなめのの言葉選びにそんな印象を受けた。それでも誠はかなめの声を聴いた茜の指先が一瞬わずかに止まった瞬間を見逃さなかった。
「同盟司法局の専任捜査員の数が二桁行かないってのはどういうことだ?中途半端過ぎるだろ。各国の国益優先の人材配置が行われているのは百も承知だ。現状を作り出したのが叔父貴の独断専行なのもわかってる。だけどそんな中途半端な専従捜査員、そしてテメエみたいな野良の弁護士上がりが指揮を執る。そんな部隊を作ったところでなんになるよ」
かなめは抱えていた疑問を吐きつくしたとでも言うようにポケットからガムを取り出して噛み始めた。
「確かに人材の配置転換が始まって法術適正者の選抜が行われているけど、どの同盟加盟国でも軍、警察、その他各省庁の実力部隊までしか適性検査を行えない段階ですわよ。それだけの数の分母で適正者がそうたくさん出てくると考えるのがおかしいんではなくって?それにあくまで彼らはそれぞれの国や地方自治体の内部での犯罪捜査や事件対応が優先事項ですわ。その枠を超えての捜査となれば直接動くメンバーよりは少数の調整役を用意したほうが効率的ですわね。それにあくまで法術に関する専門部隊と言うのは司法局にとっては実験的な部隊……大規模な部隊になると考える方がどうかしていません?」
茜が言う限り、『法術特捜』は法術犯罪捜査の『実験部隊』と司法局が位置付けていると誠は理解した。
「まあ……国際的テロリストを相手にするときに法術師やその知識を十分に持っている調整機構が指揮監督するのは賢いやり方だとはわかってるよ。それにより多くの訓練や人材発掘のノウハウを獲得するには各国で行われている適性検査や訓練の情報を統括する組織があったほうがいいのは百も承知だ」
「なら問題は無いんじゃないですの?」
茜は彼女の父親、嵯峨惟基とよく似た舐めたような表情を浮かべる。その態度にかなめの言葉はさらに強い調子になる。
「法術師の総本山の遼帝国。あそこにオメエのコネはあるのか?あそこの近衛師団辺りなら教官が務まる人材もいるんだろ?そいつの予定を抑える仕事をした方がこんな都会の片隅でつまらねえ事件を追うことになるより生産的だろ?」
バイパス建設の看板が並び、中央分離帯には巨大な工作機械が並んでいる。車は止まる。渋滞につかまったようで、茜は留袖を整えると再びハンドルを握った。
「遼帝国宰相ブルゴーニュ侯はお父様とは犬猿の仲なのはご存知でしょ?遼が人材の出し惜しみをしているのは事実なのよ。正直なところ内戦中の敵対関係を未だに清算できないでいるブルゴーニュ侯の意趣返しですわね」
前の砂利を積んだトラックが動き出す。茜は静かにアクセルを踏む。
「つまらねえことを政局に使いやがって!叔父貴も叔父貴だ、司法局が舐められてるのは発足以来のことだって納得しているのかね。まあそれはいいや」
かなめはタバコに手を伸ばそうとしたが、鋭い茜の視線にその右手は宙を舞った。
「昨日のアロハ……北川公平とか言う元学生活動家上りだって話じゃねえか……」
「学生活動家?」
誠は聞きなれない言葉に思わずおうむ返しで繰り返していた。
東和では数十年周期で学生運動が活発になることもあったが、最近はまるで鳴りを潜めており、誠の大学もそんなものとは無縁な大学だった。
「ネットをご覧になったのですわね……北川公平。元東都工業大学学生会中央執行委員会委員長……5年前に器物損壊と銃刀法違反容疑で逮捕後処分保留のまま釈放されてから今に至るまで潜伏中……まあ典型的反社会的左翼活動家ですわね」
かなめはそう言って誠の疑問にこたえた。
「反社の左翼って……あれですよね?『地球資本帝国主義打倒』がどうたらこうたらとか言ってる人たち?」
誠は自信なさげに口を挟んだ。
「大学でもそんな話、聞いたことないんですけど……うちの大学は学生運動とか全部終わってるんで」
「その『どうたらこうたら』が無かったら意味ねえだろうが。『どうたらこうたら』に遼州民族主義が入ってくると反社右翼になるんだから。左翼連中は地球資本からの独立と東和の財閥解体を叫んでる連中なんだよ……まあどっちも東和じゃ改造拳銃を使って内ゲバをやるのが関の山だがな。平和な連中だよ、アタシから言わせりゃ」
「はあ……」
誠はかなめの言葉がいまいち理解できないままあいまいな表情を浮かべてうなづいた。
「北川公平が法術師だった……まああり得ない話ではないことですわ……これまでも何度か公安がそのアジトを突き止めたことがあるらしいですけど……見事に北川だけはその場から消えていた。法術師だったら干渉空間を展開して跳べばいいだけですもの。道理で捕まらないはずですわね。当時の左派革命を唱える活動家の多くはほとんど身柄を拘束されている……その中で一番の大物の北川公平だけがその追及の目を逃れてその気配すら見せなかった……その事実を考えれば彼が法術師であったという種明かしがあれば当たり前の話だと納得できる話だと思いますわよ」
茜は表情も変えずに渋滞を抜けようと左折して裏道に入り込んだ。
「どうせ連中の武器は『サタデーナイトスペシャル』だからな。ただ、あの干渉空間を展開してくるのはどうにも……」
「『サタデーナイトスペシャル?』」
誠は慣れた調子で誠の知らない言葉を言うかなめにそう尋ねた。
「質の低い改造拳銃を闇の業界ではそう言うの!一発弾が撃てればいい程度の粗悪品だ……ただ干渉空間を展開してすべての銃撃を無効化しながらその一撃のタイミングを待たれたら……こりゃまた面倒な話だねえ」
郊外の住宅街と言う豊川市の典型的な眺めが外に広がっている。かなめはそんな風景と変わらない茜の表情を見比べていた。
茜は無言だった。かなめは何度か茜の表情の変化を読み取ろうとしているように見えたが、しばらくしてそれもあきらめた。かなめは頭を掻きながら根負けしたように口を開いた。
「あそこまで堂々と自己紹介をしてくるとは……背後の組織はそれなりの形になってるとみるべきってことか。となるとアタシ等が法術特捜に手を貸す必要もある訳だ」
かなめは茜の沈黙に負けて現状を受け入れるというようにそうつぶやいた。司法局の方針が法術特捜には人員を割くつもりが無い以上、彼女もその指示に従わざるを得なかった。
「現実を受け止めてくださるなら、こちらとしてはありがたいですわ」
茜は視線を逸らさずに言った。
「目の前にある『リアル』こそが、あなたの銃より強い武器かもしれませんわよ?」
「へえ、皮肉も一人前になったじゃねえか」
かなめは感心したように笑って見せたが、手元のタバコをくわえたまま火はつけなかった。
陸稲の畑の中を走る旧道が見えたところで、茜は車を右折させた。
「ったく人使いが荒いねえ。叔父貴は」
「それは今に始まったことではないでしょ」
そう言って茜は笑う。かなめは耐え切れずにタバコを取り出した。
「禁煙ですわよ」
「バーカ。くわえてるだけだよ!」
そう言うとかなめは静かに目をつぶった。
「ここは右折でよろしいですの?」
造成中の畑だったらしい土地を前にして道が途切れたT字路で嵯峨茜が声をかける。
「ああ、そうすればすぐ見える」
「それにしても西園寺さんは甲武国一のお姫様でしょ?凄い豪邸にでも住んでるんですか?」
興味本位で誠はかなめにそう尋ねた。
「豪邸?興味ねえな。住まいなんぞ、寝る場所とシャワーくらいあれば十分だ。家に見えを張る馬鹿の気が知れねえ」
かなめの素っ気ない一言に誠は心底がっかりした。
「でも西園寺さんの実家はそれこそ観光名所になるほど立派な家なんでしょ?それなのになんでそんなに住まいに冷淡になれるんですか?」
「観光名所になってるのは門と客を迎える本殿だけ。アタシが実際暮らしてたのは狭い木造の二階家だ。西園寺家は代々倹約家なんだ。家の見てくれにこだわるのはかえでだけで十分だ」
家風が合わず西園寺家を出て日野家と言う家を興したかなめの妹日野かえでの名を口にするとかなめはふくれっ面のまま黙り込んだ。
かなめは相変わらず火のついていないタバコをくわえたまま、砂埃を上げる作業用ロボットを眺めていた。茜がハンドルを切り、世界は回る。そんな視界の先に孤立した山城のようにも見えるマンションが見えた。周りの造成地が整備中か、雑草が茂る空き地か、そんなもので構成されている中にあって、そのマンションはきわめて異質なものに見える。
まるで戦場に立つ要塞のようだ。誠はマンションを見上げながらそう思った。茜は静かにその玄関に車を止めた。
『これが『甲武一のお姫様』の住まい?まるで『誰も近づくな』と叫んでいるような、無言の防壁だ』
目の前にそびえるマンションを前に誠はそんなことを考えていた。
「ああ、ありがとな」
そう言いながらかなめはくわえていたタバコに火をつけて地面に降り立つ。
「ありがとうございました」
「いいえ、これからお世話になるんですもの。当然のことをしたまでですわ」
茜の左の袖が振られる。その様を見ながら誠は少し照れるように笑った。
「それではごきげんよう」
そういい残して茜は車を走らせた。
「おい、何見てんだよ!」
タバコをくわえたままかなめは誠の肩に手をやる。
「別になにも……」
「じゃあ行くぞ」
そう言うとかなめはタバコを携帯灰皿でもみ消し、マンションの入り口の回転扉の前に立った。扉の横のセキュリティーシステムに暗証番号を入力する。それまで銀色の壁のように見えていた正面の扉の周りが透明になって汚れの1つ無いフロアーがガラス越しに覗けるようになった。
建物の中には大理石を模した壁。いや、本物の大理石かもしれない。何しろ甲武国の大公殿下の住まうところなのだから。
「ここって高いですよね?」
「そうか?まあ、親父が就職祝いがまだだったってんで、買ってくれたんだけどな」
根本的にかなめとは金銭感覚が違うことをひしひしと感じながら、開いた自動ドアを超えていくかなめに誠はついて行った。




