第56話 寮メシと嫉妬と経済観念
「班長!飯の準備ができました!」
かび臭い幽霊部屋の雰囲気に飽きて寮の廊下を移動していた誠たちに、食事当番の整備班員が駆け寄ってきた。
「ちゃんとアタシ等の分は用意してあるんだろうな?無かったら射殺するからな。ああ、オメエじゃねえ、射殺するのは島田と菰田だけだ」
部屋を見回していたかなめが食事当番の下士官に声をかける。
「ああ、もっと遅くなるって班長が言ってましたけど。大丈夫です。班長と菰田曹長の分を回しますから。班長には『西園寺さんには逆らうな』って言われてるんで」
食事当番の整備班員は気を利かせてかなめにそう答えた。
「朝早く着くなら最初に言っといて下さいよ……ああ、朝飯どうしよう」
かなめに幽霊部屋を押し付けたことに罪悪感を感じているのか、いつもは食って掛かるはずの島田ががっくりとうなだれた。
「自業自得でしょ?コンビニ弁当でも買って食えばいいじゃないの」
あっさりとそう言うとアメリアは勝ち誇ったように笑う。
「そんな金ねえっての!今月は俺のバイク旧車だから部品1つが凄い値段なんですよ……それに、今月はサラと3回映画見に行ったし」
島田は財布の中を覗き込むと、軽く舌打ちして天を仰いだ。島田の金遣いの荒さは誠も知っていた。まず、島田に経済観念と言う社会常識を理解させること自体が無理なのはいつもの馬鹿っぷりを見れば誰にでも分かることだった。
「サラに買ってきてもらえば?彼女なんでしょ?お金くらい出してくれるんじゃない?それにたぶん今だったらまだアパートに居るでしょうから、電話してパーラの車をコンビニに寄るように頼めばいいじゃない」
アメリアの言葉を聴くと、島田は弾かれるようにして携帯を持ってそのまま消えていく。
「すまんなあ菰田。アタシ等は飯食ってくるから掃除の段取りとか考えといてくれや。どうせ隊に持ち込んでるカップ麺の買い置きがあんだろ?それでも食って自分の無策ぶりを嘆いてろ」
うなだれる菰田の肩を叩きながらかなめ率いる一行は食堂を目指した。
「飯付きか……やっぱ良いよな。アタシは料理ができねえから……助かるわ」
かなめには料理どころか家事全般を期待することが間違っている。誠はそう思っていた。
「さすが……甲武一の貴族様でいらっしゃることで。何もかも召使がやってくれてたんでしょ?まあ、私も食事は外食で済ませてるから人の事は言えないか」
アメリアはそう言って苦笑いを浮かべた。
「そう言えばアメリアはよくこの寮の神前の部屋に泊まっていると聞くが……ここの食事は食べた事が有るのか?」
カウラの言葉にかなめはアメリアを怒りの表情でにらみつけた。
「そんな誤解を招くようなこと言わないでよ。誠ちゃんと二人っきりだなんてそんな……サラとパーラが一緒にいるわよ。エロゲの企画とか、深夜放送を聞いたりとか……まあ、結構おいしいわよ。ここの料理。夜起きてる隊員が居れば夜食も用意してくれるし。結構便利よ、ここ」
寮の環境を褒めるアメリアを見ながらアメリアが余計なことを言わずに済んだことに、誠は胸をなでおろした。
「そりゃあよかった……飯は期待できるわけだ。良い環境じゃねえか」
「そうよ、しかも格安の家賃。『事故物件』のうちのマンションより安いんだもの。これで色々自由に使えるお金が増えるわね」
アメリアはどうやらこの寮がかなり気に入っているらしい。確かに誠もこの寮での生活においては島田の無茶に付き合わされることと、常に菰田達に監視されていること以外は不満は無かった。
「サラはちゃんと起きられたかしら。あの娘、休日の朝に弱いのよね……」
そう言うとアメリアはさっさと食堂に入った。ご機嫌なかなめと真顔のカウラの後ろをついて誠も食道に入る。一部で冷ややかな視線を投げてくるのはカウラに異常な執着を持って誠に嫉妬しているヒンヌー教徒達だった。
「おい、神前。ギャラリーが注目してるぞ。いい身分じゃねえか、うらやましいねえ」
トレーを手にしながら立つかなめの姿がタレ目を際立たせる。彼女が食堂中を見回るが、ヒンヌー教徒では無い多くの隊員は三人を珍しそうに眺めているだけだった。誠はその注目がいつ殺意に変わるか分からないものだと感じていたので、ヒンヌー教徒たちの視線を避けるように、誠は壁際をそろそろと進んだ。
「今日の朝食は……お粥?ああ、外れの日だわ、今日は」
そういいながらまんざらでもない表情のアメリアが厨房の前のトレーを手にする。そして椀に粥を取るとピクルスを瓶からトレーに移す。
「まったく朝から精進料理かよ……寺かよ、ここは」
一汁一菜と言った風情の食事をかなめはしみじみと眺める。
「必要なカロリーは計算されているはずだ、不満だったらそれこそ足りない分はコンビニで買ってくれば良い」
すべてをとり終えたカウラがそのまま近くの席に座る。自然に誠がカウラの隣に座ったとたん、一斉に視線が誠に突き刺さってくる。さらにアメリアが正面に、反対側にはかなめが座った。
三人とも別に気にすることも無く黙々と食事を始めた。誠は周りからの視線に首をすくめながら、トレーに入れた粥をすくった。
「いい身分だな」
カップ麺を持った菰田が食堂に入ってくる。誠は苦手な先任曹長から目を逸らす。管理部は豊川支部でも異質な存在である。隊舎の電球の交換から隊員の給与計算。はたまた所轄の下請けでやっている駐車禁止の切符切りの時にかなめが乱闘で壊した車の請求書の整理まで、その活動範囲が広い割にあまり他の隊員との接触が無い。しかも隊員にそれらに必要な書類をお願いに来るのは大概はパートのおばちゃん達なので、菰田の存在は寮では浮いていた。
さらにいつもカウラと一緒に行動していると言うことで、島田から関わらないように言われていることもあって、菰田にはヒンヌー教の教祖と言う以外のイメージがわいてこない。ヒンヌー教徒以外の隊員にとって副寮長である菰田の存在はあまり関わりたくないと言う印象のものだった。
「リゾットねえ、確かにここのそれは絶品なんだよな」
そんな菰田の姿はそう言いながらそのままカップ麺にお湯を注ぐべく厨房に消えた。
「そうだな。これはなかなか捨てたものじゃない。菰田もたまには良いことを言う」
カウラが菰田を褒める場面を誠は初めて目撃して思わずスプーンを取り落としそうになった。
「そうでしょベルガー大尉!俺はここの粥が一番好きなんですよ!」
カウラの言葉を聞きつけた菰田が、厨房から飛び出してきてそう叫んだ。だがすぐにカウラの顔が誠を見ていることに気づいて喜びの表情は消え去り、嫉妬に狂いながら再び厨房へと消えて行った。
「アイツのカップ麺。ここらのスーパーの特売品の一番安い奴だぞ。アイツはケチだからな」
かなめは菰田が厨房に入ったままなのを良いことに彼の陰口を叩いた。そのタイミングでカップ麺にお湯を入れ終えた菰田が出てきて明らかに不服そうな表情でかなめをにらみつけた。
「西園寺さんが食べるわけじゃないでしょ?島田と違って俺には経済観念が有りますから」
そう言って誠達と同じテーブルに腰かけた菰田はまだ時間になっていないのにふたを開けてカップ麺を食べ始めた。
「菰田君。そのカップ麺、具がほとんど入ってないじゃない。経済観念以上に健康の方が心配になるわよ」
好奇心の塊のアメリアは菰田のカップ麺をのぞき込んで軽蔑するようにそう言った。
「クラウゼ少佐。余計なお世話です」
アメリアの茶々をかわすと菰田はテーブルに置かれたやかんから番茶をコップに注いだ。
「そう言えば部屋なんですけど、カウラさんとアメリアさんは2つのうちどこにしますか?」
明らかにアメリアとかなめを無視して菰田はカウラに話しかける。そのあからさまな態度にかなめの粥を掬う速度が速まった。
「私は別にこだわりは無いが」
カウラらしいと言えばカウラらしい無味乾燥な返事が菰田に返された。
「それじゃあお前が一番奥の部屋な。菰田達の変態行為がアメリアにバレて隊から追放される日が来れば万々歳だ」
そう言ってかなめはもう粥を食べ終えて菰田を皮肉を込めた笑みを浮かべてにらみつけた。その表情には明らかに量が足りないと言う副寮長の菰田に対する不満も含まれていた。
「やっぱり幽霊部屋は私のにしてくれない?幽霊を見てみたいし」
アメリアはまだ幽霊を見てみたいらしく満面の笑みを浮かべてそう言った。それを聞いてかなめが立ち上がって怒りの表情でアメリアを指さした。
「幽霊が見たいだ?そんなの口実だろうが!テメエがあそこの部屋にいるといつ階段を下りて神前を襲うかわからねえだろ?モテない三十女は黙ってろ!あそこはアタシの部屋だ!」
かなめは怒鳴りながらも、どこか「そこを奪われること」が怖いような、そんな焦りすら見せていた。
「今考えてみると、あそこに西園寺が住むのは考えものだな。アメリアより西園寺の方が危ない」
カウラはゆっくりと粥を掬いながら静かにそう言った。
「どういう意味だ!カウラ!アタシが神前を襲うと?笑わせてくれるねえ、なんでアタシがこんな気の小さい男の相手をしなきゃなんねえんだ」
完全に菰田のことを忘れてカウラとかなめがにらみ合う。
「やめましょうよ。食事中ですし」
誠のその言葉で二人はおとなしく座った。誠の言葉には、カウラとかなめが素直に従う……その事実が、食堂中に知れ渡った。痛い視線を感じて振り返った誠の目の前に、嫉妬に狂うとはどういうことかと言う見本のような菰田の顔があった。
「神前、お前に言われると腹が立つな」
そう言いながら菰田は麺を食べ終え、スープを啜りだした。
「菰田君……スープも全部飲むの?だから高血圧なのよ」
菰田を冷やかした後、アメリアの時々開く鋭い眼光のひと睨みでヒンヌー教徒の刺すような視線を感じ震えていた。彼等の崇拝するカウラの他にかなめとアメリアさえ誠に気を使っているように彼等には見えているのだろう。その殺気は誠の背中に痛いほど鋭く突き刺さっていた。誠はヒンヌー教徒たちの冷ややかな視線を感じながら、なるべく彼らの射程外の椅子に逃げ込んだ。
その慎重さは、まるで敵陣に踏み込む斥候のようだった。
「でも、ここは本当に安くていいわね……家賃が。この部屋の賃料なら近くにロッカールーム借りても今の三分の一の値段だもの」
アメリアはゆっくりとリゾットをすする。
「しかし、島田の奴。将校に昇進したくせに何でここを出ねえのか?下士官寮だろ?ここ」
実はこの寮の別棟には数人の将校が暮らしているので実は『下士官寮』と言うのは名目だけだと言う事実を知っている誠はどうやらそのことを知らないらしいかなめの言葉にその事実をかなめが知った時の反応を想像して不安を感じていた。
「島田は将校と言っても准尉だ。それに島田が技術部長代理なのはあくまで正規の士官が技術部部長に着任するまでのつなぎだからな。確か部長の役職手当も島田には支給されていないはずだ」
かなめの愚痴に付き合ってカウラは島田の境遇を説明して見せた。いつものことながら見事なコンビネーションだと思いながら誠も粥を啜る。
一方、カップ麺のスープを飲み終えた菰田は明らかに不機嫌そうに見えた。
『この隊は今日も騒がしい……けれど、なんだかんだで居心地がいい』
そんな思いを胸に、誠はそっとスプーンを置いた。




