第54話 女子寮(予定地)に潜む歴史の闇
昨日のかなめの妹の配属について知らないことに対する怒りの怒鳴り声が耳から離れない。かなめがなぜ妹であるかえでをそれほどまでに嫌うのか不思議に思いながら、誠はそんな状態でゆっくりと目を開ける。
誠がドアを叩きつける音にようやく気がついて起き上がると、そのままベッドから降りて戸口に向かう。太陽はまだ窓から差し込める高さではない。頭をかきながらドアを開けた。
「遅せえんだよ!さっさと着替えろ!」
そこには島田と菰田がジャージ姿で突っ立っていた。犬猿の仲の二人が肩を並べるなんて、珍しいにもほどがある。そんなレアな光景に誠は目を疑った。
「それとこいつ。返しとくぞ」
寝ぼけた目で菰田から渡された三冊の雑誌に目をやる。この前のコミケで買った18禁同人誌だと確認すると自然と意識が冴え渡った。
「どうしてこれを……」
誠はあまりこの手の本には手を出さないうぶな青年だったので、恥ずかしい秘密の本を二人から渡されて顔を真っ赤にした。
「あのなあ、お前があの部屋に置いたんだろ?自分の部屋にあると時々顔を出す西園寺さんに見つかると恥ずかしいからとか言って『図書館』に持ってきたじゃないか」
誠はようやく事態が飲み込めた。
西館の二階の3つの空き間。男子寮に於いては『図書館』と呼ばれる特別な部屋があった。
そこは一言でいえばエロの殿堂である。ポルノ雑誌、アダルトゲームやセクシービデオのレーザーディスクなどが山ほど保存されている。寮では階級によってそこの使用可能時間が決められており、誠も男の生理的欲求に駆られて何度か利用したことはあった。
『あの部屋にあの三人を?島田先輩は自ら地雷原に踏み込むつもりか?』
誠は島田の決定に半分呆れながらそんなことが脳裏によぎった。
「あそこに来るんですか?西園寺さん達は?本当にあの部屋で良いんですか?前があんな部屋だったなんてことがバレたら特にかなめさんあたりに僕達、磔刑にされて射撃の的にされますよ」
正直、誠は呆れていた。寮の住民も必要な時以外は近づかないようにしている聖域である。そこに女性のしかも士官が住み着くことになるとは想像もつかない。
「だから急いでるんだ。お前は少ないから良いがこいつは……全くむっつりスケベの考えることは分からねえな。貧乳のロリものばっかり集めやがって。給料の何割あれにつぎ込んだんだ?」
島田は含み笑いをしながら菰田を見つめた。
「何を言うか!数の問題じゃない!金額で言ったらお前の方が買ってるレーザーディスクの値段は高い!俺の方が正常だ!」
全く自慢にならない二人の会話に誠は完全に呆れ果てていた。
「そりゃあ……オメエは貧乳で人気の無い女優物ばっかり中古のワゴンセールを狙って買い漁ってるからだろ?人気女優のデビュー作を狙ってコレクションしている俺の方が女の趣味が良い訳だ。分かったか?変態!」
菰田と島田は他人には聞かせたくないような会話を大声でしていた。しかし、その視線はすぐに冷ややかな目で自分達を見つめていた誠に向いた。
「そうだ、セクシービデオ系はまだしも、エロに使う金ではこの中では神前が一番だったな。オメエが買ってる美少女アニメの円盤、プレ値ついてんじゃねえの? 一枚1万って、何考えてんだ?一枚当たりの単価で言えばオメエがこの中で一番だったわ。悪りい悪りい、甘く見てたわ。それじゃあ、アニメオタクの神前君!とっとと着替えて来い!」
そう言うと島田が力任せにドアを閉めた。
もしあの部屋の以前の役割を知ればかなめは激怒し、カウラは呆れ、アメリアはにんまりと笑って寮の住民をゆするに違いない。
誠はとりあえずTシャツにジーンズと言うラフなスタイルで『図書館』に向かった。
「消臭剤はどうした!ここでマス掻くのは禁止だって何度言えば分かるんだ!」
部屋に漂うにおいに島田は雑巾で床をぬぐう整備班員の一人を怒鳴りつけた。
「そんなの村山に言ってくださいよ!アイツ金が無いので部屋にテレビが無いからこの部屋のテレビを使ってるんです。他の連中はちゃんと自室でやってますよ!」
図書館での自慰行為は寮則で禁止されていた。誠も初めはなんでこんな馬鹿げたことを決めなければいけないのか分からなかったが、この状況になるとその意味が心の底までよく理解できた。
「消臭剤ですね!掃除を始めた時にすぐに西が気づいたんで奴が買いに行ってます!」
この禁断の『男の園』に住まわせられると知ったかなめの怒りとそれに伴う制裁を想像するとこの寮の住人達は気が気でなかった。それぞれにコレクションのレーザーディスクやビニール本をビニール紐でまとめ、慌てふためきながら畳や壁を丁寧に雑巾で拭っている。
「急げよ!島田!サラはどう動いてる」
菰田は寮の住人達に部屋の汚れのひどい場所を徹底的に磨くように指示を出しながらサラの彼氏である島田にそう言った。
今日の掃除にはサラとパーラも助っ人で駆り出されていた。硬派を気取っている島田にとってこの部屋の存在をサラに知られることは最悪の屈辱だった。
「さっき電話した時は起きたばかりだったみたいだからあと3時間くらいはどうにかなるぞ!ターゲットが到着するのは3時間後だ!それまでに何とかごまかすぞ!急げ!」
必死の形相の島田がそう叫んだ。
そこはまるで戦場である。島田と菰田が仕切り、『図書館』の中からダンボールを次々と運び出す整備班の面々。据えつけられた端末のコードを巻き取っているのは情報担当の技術部員達だ。
「こんな部屋をあてがわれるなんて知ったら、西園寺さんここの全員を射殺するだろうな」
誠はとりあえず走り回る先輩隊員達の必死の形相を見ながら何もできずに立ち尽くしていた。
「島田先輩。本当にここでいいんですか?」
誠はそう言いながら部屋を見渡す。正直この部屋にあの三人を入れるとなればどんな制裁が自分に加えられるかと想像しながら誠は島田の表情を探る。
「大丈夫だって。この部屋の存在は寮の男子隊員共通の弱みだ。誰もこの部屋のことは知られたくないはずだからな。それにアメリアさんが今住んでいるのは前の住人が借金で首が回らなくなった結果、首を括った『事故物件』で相当の格安の家賃で借りてるらしい。そんなこと気にする人達じゃねえよ、あの人達は」
島田は背後に人の気配が近づいてきているのも気づかずにそう言って笑った。誠から見えた三人の人影に誠の顔は自然と青ざめた。
「……あら、知られたくないんでしょう?こういうの。私は別に気にしないけど……そっちの二人はどうかしらねぇ?……でもまあ、あの子達が来てくれるってのは安心だけどね、ふふん♪」
島田と誠が振り向いた先には満面の笑みのアメリアがいつものように『一撃必殺』と描かれた青いTシャツを着て立っていた。アメリアは『図書館』の床に散らばる雑誌を拾い上げ、ジャケットをくるりと裏返す。
「ふーん……こういう趣味なのね。誠ちゃんも……?そう言えば誠ちゃん絵が得意だとか言ってたじゃない?今度、うちで作ってる同人エロゲの立ち絵描いて見せてよ。アタシが点数付けてあげるから」
アメリアはさすがに同人エロゲに情熱を注ぐだけあって余裕の表情で女性の裸体が描かれた誠のお気に入りのビキニアーマーヒロインが活躍する美少女アニメのレーザーディスクのジャケットを眺めていた。
「おい、島田。オメエ一遍死ね!いいから死ね!何ならアタシが射殺してやる!変態のかえでが来るってだけでも虫酸が走るのに……なんでよりにもよって『ここ』なんだよ!かえでの面を思い出させやがって!やっぱり殺す!ぶっ殺す!」
消臭剤を買ってきたばかりの西からスプレー缶を取り上げているかなめの頬は怒りに震えていた。
「ひ、一筆書きます!ここに誓ってアダルトコンテンツを断捨離しますので、命だけは……!」
必死に言い訳をする島田の表情が恐怖に凍り付き、菰田の顔が青ざめていくのが分かる。それを見る誠の肩も震えていた。
「島田にデリカシーと言う物を期待した私が馬鹿だった」
そしてこめかみに指を当てあきれているカウラの姿があった。
「島田の馬鹿が!あんな部屋に女に住めって言うのか!ぶっ殺すからな、絶対に!」
かなめの怒声が黙ってすべてを見守っていた誠の耳の奥で響いていた。
すべてが……終わった。その事実を知って島田は力なくその場に崩れ落ちた。
「貴様等、私達にここに『住め』というわけか?この部屋が以前何に使われていたかと同じ目線で見られる生活を私達に強要しようとしているわけか……馬鹿にするのもいい加減にしろ」
見開いた目を島田と菰田に向けるカウラに二人は目を見合わせてすぐさまうなだれた。
「菰田ちゃん。そこのゲーム一山で手を打つってのはどうかしら。パートの白石さんがこの部屋を見たら……さぞ面白いショーが見れそうね」
周りで呆然としている隊員を尻目にアメリアはそこにあるエロゲーのジャケットを物色する。
「アホだなオメエ等。女の住む場所にこんな部屋を選ぶなんて、島田。オメエ1回死ねよ。ああ、1回とは言わない、100万回ぐらい死ね」
かなめは西から取り上げた消臭スプレーを撒き散らかしている。
「それはですねえ……ちゃんとした理由が……ええと……」
島田は完全に追い詰められた。じりじりと彼の額に浮かぶ汗は暑さのせいではないだろう。
そんな島田の顔が急に明るくなった。誠は島田が何かをひらめいたのだろうと思ったが、あまり状況をよくすることになるとは期待していなかった。
「間違えました!この上の階です!三階は倉庫として野郎は一人も居ませんから!三階を『女子寮』と言うことにしましょう!そうしましょう!」
苦し紛れに島田が叫ぶ。
「それにしちゃあずいぶん必死じゃねえか。この建物が三階建てなのは誰が見ても分かる。じゃあなんで最初から三階にしなかった。テメエ、やっぱ馬鹿だ」
周りで隊員達は冷や汗を流している。気分で暴れるかなめは彼らにとっては天敵である。とりあえずどうすれば彼女から逃げれるか必死に考えている姿は今の誠にも滑稽に見えた。
「ここじゃあ無いのならそこに案内してくれ。少なくともこんな異臭を放つ部屋をあてがわれるのは御免だ」
額に手を当てたカウラの目線が誠に注がれ、彼もまた苦笑いを浮かべた。
「良いんですか?あそこってそれこそカビた洗濯物やら腐ったメロンやら何でもかんでもいらないものは島田先輩が放り込んで……」
誠にも三階は人が住む場所ではなく『倉庫』と言う認識しかなかった。部屋の作りは二階と同じなのに何故島田と菰田が三階を倉庫扱いしているのかの理由が分からなかった。
「文句は言うな!他に部屋が無いんだからしょうがないだろ!あそこにあるものはほとんどがいらないものだ。有るものを捨てるだけだから掃除は簡単だろうが」
誠に島田が耳打ちする。菰田は複雑な表情で三人を案内する。三階の西館。日のあたらないこの部分は明らかに放置されていた区画だった。階段を上るだけでもその陰気な雰囲気は見て取れた。
「島田、あご砕いて良いか?さっきの部屋よりカビ臭せえじゃねえか。どこがさっきよりましなんだ?」
かなめはそう言いながら指を鳴らしている。カウラも半分はあきれていた。アメリアは『図書館』に未練があるように下の階を眺めている。
「大丈夫ですよ!ここは元々『豊川紡績』の女子寮だった建物なんですから。三階は元々使用する予定が無かったんで男子便所が無いんです。それで、寮生を入れずに倉庫として使ってたわけです、ちゃんと女子トイレはありますよこの階にも」
言い訳に終始する島田を女性陣は冷めた視線で見つめていた。
「苦しい言い訳ね。この建物は元々女子寮だったんでしょ。それじゃあ、私達だけで住みましょう。ここのみんなには出ていってもらって、自分の部屋は自分で探してもらいましょう。それが良いわ。我ながら良いアイディア」
アメリアの声が陰気な廊下に響く。
「そんな残酷な……ここの寮費の五倍はするんですよ、ここらへんで部屋を借りると」
バイクに給料のほとんどをつぎ込んでいて金に余裕のない島田が懇願するようにこの中では常識のありそうなカウラの袖に縋りつく。
「自業自得だ。これまでの怠慢のツケが回ってきただけだ」
島田の嘆きにカウラのあっさりとしたそれでいて非情な返答が帰ってくる。
三階の薄暗いカビ臭い廊下に立ち尽くしているのもなんなので、まずは島田は一番階段に近い部屋の前に立った。
島田は鍵を取り出すと扉を開けた。




