第45話 それぞれの想い、交錯する夕暮れ
ほんの数時間前にバーベキュー場と『特殊な部隊』の陣取る浜辺へ行き来した道の歩道には人影はほとんど無かった。車道は次々と帰路に着く車が通り抜ける。倦怠感に実を包まれるようにして二人は歩いていた。
「今日はいろいろありましたね。最後に大変な目に遭いましたけど」
そう誠が言えたのはバスの停めてあるホテルに入る小道に足を踏み入れたときだった。
「まあな、本当に最後にとんでもねえ目にあったけどな……しかも助けに来たのがアイツとは」
「私の手で助けられたことがそんなに不満ですの?まったく助けた甲斐が無いですわ……まったく骨折り損のくたびれ儲けと言うところかもしれませんわ」
駐車場の生垣として植えられた太いイチョウの木の陰から現れたのは茜だった。よく見れば東都警察の勤務服にぶら下げられた西洋風のサーベルが違和感を感じさせる。
「オメエ帰れよ。干渉空間を展開すれば隊まで跳べるだろ?とっとと消えろ!オメエは叔父貴と似ていてどこか信用ならねえ!気を利かせてとっとと消えろ!」
そう言ってかなめはそのまま帰りのバスに向かって速足で歩く。
「命の恩人にそれはありませんこと?それにあのだらしないお父様と一緒にされるのは心外ですわ。それにかなめさんはいくつか私に聞きたいこともあるって顔してますわよ」
そう言って口先だけの笑みを浮かべるところが、父である司法局実働部隊隊長の嵯峨惟基を彷彿とさせた。
「まったく親子そろって食えねえ奴だよ。だからアタシはオメエと叔父貴を信用できねえんだ」
かなめはそう言ってサングラスをかけなおした。茜はそれを見て、にこやかに笑ってみせる。
「ふふっ、そうかもしれませんわ。でも、まずなぜ私が法術特捜に配属されたか。それを知りたいんじゃなくって?少しは推察力と言うものがあると言う方なら当然その点が気になるように私は思いますけど……違いますの?」
かなめが聞きたいことのまず初めに来るだろう質問に答えようとする茜だったが、かなめはそれを聞くのを拒絶するように首を横に振った。
「ああ、叔父貴から聞いてた。異動はまだ先になるんじゃなかったのか?それともあれか?『近藤事件』で法術が表ざたになったおかげで予定が早まったわけか?」
つれない感じでかなめは答える。茜は特に気にする様子でもなく話を続けた。
「確かに誠さんの『近藤事件』が無ければこんなに早く私が法術特捜に配属されることは無かったでしょう」
茜はあくまで上品なお嬢様の雰囲気を崩さずにそれでいて真面目に誠に向けてそう言った。
『やっぱり出てくるのはここでもあの『近藤事件』だ……僕はあの事件を一生負って生きていくことになるのか……』
誠は心の中でそんなことを考えながら茜の言葉を聞いていた。
「でも実際、同盟司法局はすでにテロ組織は法術を使った活動を準備していると言う見方をしております。事実、パイロキネシストを使った自爆攻撃はもう遼州のテロリストの常とう手段と言うことになってますから当然その対応は以前から求められていたんですの」
上品でいてそれでいてどこか油断ならないエリートである茜は緊張した面持ちのかなめに向けてそう言った。
「そのこれまでの事実。そして誠さんが宇宙全体に『近藤事件』で公開してしまったそれ以外の『法術』存在。それを全宇宙が知っている今の状況はそれほど悠長なことを言ってられないことは、先ほどのアロハシャツのお客様をごらんになればわかるのではなくって?その程度の推察は出来て当然のことではなくて?……私の言うことに間違いはあります?もし私の言葉に間違いがあるのなら訂正していただきたいと思っておりますわ……私も元弁護士。言葉を職業としてきた人間ですもの。正確に事実を伝える。私の認識に間違いがあればそれを正す。それが当然のことだと考える心の余裕は持ち合わせておりましてよ」
それまでの茶目っ気のある笑顔が茜の表情から消えていた。
「一々癇に障る奴だな。これだからエリートは嫌いなんだ。回りくどい言い方は止してズバリ言えよ。どこだ?動いてるのは。さっきの野郎は自分を『革命家』だと言った。どこの組織の手の者だ?知ってるなら教えろ」
気の無い調子でかなめがたずねる。誠もまたその問いの答えを期待していた。
「今の時点で断言はできません。でも……奇妙な兆候はありますの」
茜の声が一段、低くなる。
「遼州各地で起きていたパイロキネシストによる自爆テロの事例が、ここ数ヶ月……ぴたりと止まっている。まるで……誰かが意図的に『温存』しているかのように」
そう言う茜の表情には先ほどまでの余裕はどこにも見えなかった。
「良い話じゃねえか。発火能力を使っての自爆は見ててやりきれないからな。それでもテロの件数自体は減っていないことぐらいアタシも知ってるよ。それが減ってる……逆に法術特捜の必要性は落ちてるんじゃねえのか?」
さすがに茜の父親を思い出させる舐めた話しかたに業を煮やしたと言うようにかなめが後ろで呟く茜に向き直った
「必要性が『落ちる』かどうか……それは、私達が『戦わない理由』にはなりませんわ」
茜は立ち止まり、はじめて真剣な表情でかなめに向き直る。
「誠さんや、かなめお姉様のように『前線で命を張る人間』がいる限り……私たち『知の騎士』も、それを支えなければならない事実から目を逸らすことは出来まして?つまりテロ組織の直下で法術適正を持った組織員が自爆テロ以外の行動をとろうとしている、または他の第三勢力の元に彼らは集められて、来るべき活動のために訓練を受けている。今のところ推察できることはこれくらいですわね。かなめお姉さま達だけでこの事態に対応できるのかしら?先ほどの男のような連中が束になってかかってくる……かなめお姉さまご自慢の銃は効かないのはお分かりになりましたわよね?」
かなめは静かに天を仰ぎ、にんまりと笑った。そして再び茜を無視しているように歩き始める。
「既存のテロ組織には法術適正の人物に対し、訓練を行う設備など持ってるはずもねえ。いや、正確に言えば制御された法術によるテロを行うための訓練をすれば、逆に無能な上層部は力に目覚めた飼い犬に手を噛まれる羽目になるってわけだ。そんな危ない連中を手なずける程の力量のカリスマ。お目にかかりたいもんだねえ」
皮肉のつもりでそう言ったかなめだが、茜はまるで気にしていないと言うように余裕のある笑顔を浮かべている。
「私もですわ。既存のテロ組織は、宗教、言語、民族、人種、イデオロギーを同じくするものの共同体みたいなものですもの。上層部は作戦立案と資金の確保を担当し、下部組織はその命令の下、テロの実行に移る。そこには必ず組織的ヒエラルヒーが存在し……」
かなめは不意に立ち止まり、茜の顔をまじまじと見つめる。
「話が長えよ。要するにどこの誰ともわからねえ連中が、テロ組織の法術適正所有者を身元は問わずに片っ端からヘッドハンティングした。そう言いたいわけだな。まったくご苦労なこった。そうまでしてこの遼州を滅茶苦茶にしてえわけか」
かなめはタバコを取り出そうとしたが、目の前の茜のとがめるような視線を受けて止めた。
「そうですわね。一番それがしっくりいく回答といえますわ。でも、それだけのことを行うとなれば相当な資金と組織力が必要となりますわ。しかも、今日現れた刺客の言ったとおり、力を持つものが支配する世界の実現と言うことになれば、それに賛同するような酔狂な国は宇宙に1つとして存在しないでしょう……少なくとも今のところは法術師の支配する国がこの宇宙のどこにもありませんもの」
誠も気になっていたその一点を茜は指摘した。そのうれしそうにも見える顔つきは確かに彼女が嵯峨家の一員であると言うことを示しているようにも見える。
「逆に、だからこそ支援をする国もあるんじゃないのか?そんなことは不可能だが自分の権益確保のために投資しておく価値はあるということで」
皮肉めいたいつもの笑みを浮かべ、かなめがそう言った。
「同盟の不安定化は地球圏国家の思惑と一致するのは言うまでもないことですわね。でも制御できない力を自分を受け入れることが絶対に無い組織に与えることが、いかに無謀かは想像がつかないほど無能な為政者はいらっしゃらないでしょう。それにベルルカン大陸の動乱をごらんになればわかるとおり、下手につつきまわせば、それこそ泥沼の戦争に陥って抜け出せなくなることも経験でわかっているはずですわ」
茜が胸の上で腕を組む仕草に、誠の目がつい引き寄せられた。
「おい誠、見るんじゃねぇ。そいつの胸は国有財産か? いや、『凶器』だ。見たら処刑されるぞ」
拳が誠の頭に飛ぶ。
「なあ茜、オメエも少しは恥じらいってもんを持てよ……上官にツッコミ入れさせんな!」
茜は唇に指を当てて、くすっと笑った。
頭を押さえる誠を見ながら、茜は心の奥から楽しそうな笑みを浮かべた。
「ふふふ、誠さんとかなめさん。本当に仲がよろしいんですね」
微笑む茜に誠は思わずかなめを見た。一気にかなめの頬が赤らむ。
「べ、別に深い意味はねえよ。調子乗んなよ?」
そう言うとかなめは誠の首根っこをつかむとヘッドロックをした。
「苦しいですよ、西園寺さん!」
「いいじゃねえか、ほらアタシの胸が頬に当たってるぞ。あ?うれしいだろ?な?茜。アタシとコイツはこういう仲なんだ。別に彼氏彼女とか言う関係じゃねえんだ。叔父貴に変なこと吹き込まれたかもしれねえみたいだがそれは改めろ……さっき自分は元弁護士で事実を正確に把握するのが仕事だって言ってたじゃねえか。これがアタシと神前の関係の事実だ」
誠は幸せなのか不幸せなのかわからないと言うような笑みを浮かべた。
「本当に、息ぴったりですわね。……ええ、まるで『バディ』みたいですわ」
茜はあえて『恋人』という言葉を使わなかった。
それがこの関係の『危うさ』と『深さ』を、逆に際立たせていた。
「かなめちゃん。独り占め……なんて、私が許すと思ってるの?」
アメリアの声は風にかき消されそうなほど小さかったが、確かな熱を孕んでいた。
「神前……その道の先に、何が待っているか……分かってるのか?」
カウラのこぶしが震えていた。それは『仲間』の顔ではなかった。
「神前。馬鹿の相手をしていても無駄だぞ……法術でも銃でもねえ、こういうもんが、いちばん効くんだよ……バカ」
かなめはそう呟き、壊れた巻貝をポケットの奥にしまい込んだ。




