第41話 引かれた腕のままに
「そうだ。神前、オメエはここに来るのは初めてだったな。ここはお前にはまだ早い……でも、今日くらいは見せてやるか」
少しだけ照れたような、誇らしげなかなめの声に、誠は思わず足を止めた。
「ちゃんとついて来いよ!それと距離が有るんだ、これを履け!」
誠は彼女の手からビーチサンダルを受け取った。今度は先ほど向かった岩場とは反対側に歩く。観光客は東都に帰る時間なのだろう、一部がすでに片付けの準備をしていた。
「もう風が変わってきましたね」
松の並木が現れ、その間を海に飽きたというようなカップルと何度もすれ違った。
「そうだな。良い風だ」
会話をするのが少しもったいないように感じた。なぜか先ほどの時と違って黙って並んで歩いているだけで心地よい。そんな静かな心地よさを味わいながら、誠はかなめと共に、海辺の公園のような道を歩いた。
「実はこの先に港が有ってな……どこにでもあるような鄙びた漁港だが、その雰囲気がアタシは好きなんだ……どこか懐かしいんだよ。華やかな舞台に立つ前の芸人も、食うためにこうして汗水垂らしてたんだろうなって思うとさ……あの光景。あれだけがアタシの甲武のいい思い出だったのかもしれねえ」
かなめは照れているように額に乗っけていたサングラスを掛け直した。
「西園寺さんが好きな風景……漁港と言うと『ふさ』のある多賀基地を思い出しますね」
その『もんじゃ焼き製造マシン』体質で乗り物にまるでダメな為、ほとんど旅行の経験のない誠が知っている漁港の景色と言えば運用艦『ふさ』の母港である多賀港位のものだった。
そこは『釣り』に命を懸ける、趣味に行き過ぎた隊員達がわずか二年で観光雑誌に載るほどの釣りのメッカとなっていた。
「あの『釣り』に命を懸けてて人生終わってる連中の話はするな。良いから来い」
かなめはそう言うと強引に誠の右腕を引っ張って歩き始めた。
「漁港の風景……確かに僕は旅行の経験がありませんから実際に見るのはあの時以来ですけど……テレビとかでは見てますよ。漁港」
さすがに誠でもテレビの旅行番組くらいは見たことがあるし、旅行が出来ない分そう言う番組は好きだった。
「アタシは庶民が働いている雰囲気が好きなんだ。西園寺家の食客達はそれぞれに手に職持って働いてた。そう言う姿を見るのが昔から好きなんだ」
かなめは昔を思い出すようにそう言うと口元に笑みを浮かべた。
「手に職って、確か西園寺さんの家に居候しているのは芸人とか画家とか音楽家の卵って言ってましたよね。漁師さんとはかなりイメージが違うような……」
芸術家の卵と言えば、誠の頭の中では漁師の力仕事をしている日に焼けた労働者のイメージとはかけ離れていた。
「そんな芸1つで生きていけるほど甲武も東和も甘くはねえよ。連中はアルバイトで食い扶持を稼いでるんだ。道路工事とか、ごみ収集とか、庭師の手伝いとか色々アルバイトの口も甲武の首都である『鏡都』にはあるんだ。だから、うちじゃあ家の修繕とか庭の管理とか日常のこまごまとしたことも全部食客達がやってくれる。芸人もその芸で食えるようになるまでは労働者なんだよ」
かなめは、まるで家庭教師のように丁寧に、食客たちの生活ぶりを語って聞かせた。
「そうなんですか……かなめさんはそう言うアルバイトで生活している居候に囲まれて育ったんですね。かなめさんが庶民的な理由が分かりました。
かなめの意外な一面に触れて、誠は微笑みを浮かべて強引に腕を引っ張るかなめの後に続いた。
「そう言えば……あの西君って甲武の平民の出身ですよね。よく口減らしにあわずにうちに来れましたね」
誠はかなめがアルバイトをして生活している食客達が好きだと言ったことで、かなめが以前教えてくれた甲武の平民の暮らしについての話を思い出しそうつぶやいた。甲武の平民出身の隊員と言えば整備班長の島田のお気に入りの西高志兵長が思い出された。
誠が知る西は、整備の現場で常に冷静沈着で、島田の無茶にも笑って応える若者だった。まだ19歳ながら、人事部や上官たちからの信頼も厚い。誠には眩しい存在でもあった。
「アイツもそれはそれは貧しい宇宙コロニーの出身だからな。しかも聞いた話じゃ、口減らし……これは甲武で要らない子供を殺したり女郎屋に売ったりすることだ。奴は男だから女郎屋に売るわけにはいかないから地面に埋められて殺された口だな。その口減らしの対象の次男坊だっていうじゃないか。口減らしにあわなかったのはアイツは運が良かったんだろうな。まああの西って、下手したら島田より腕は上じゃねぇかって噂もあるくらいだ。……あ、これはオフレコな。そんな事をアタシが言ってたなんて島田に知れたら西の立場が無くなる」
口元に浮かんでいたかなめの笑みが消え、真剣な調子でかなめはそう言った。
「元々『貴族主義』の甲武は平民の立身出世を面白く思ってない輩がたくさん住んでいる。だから平民に高等教育なんて無用ってのがあの国のやりかたなんだ。甲武の平民の義務教育は『尋常小学校』の六年間だけだ。それを終えたら大概の平民は農民になるか街に出て工場で働いたり、金持ちの平民の営む商店とかで丁稚奉公に出る。まだ十二歳だぜ。ろくに世間について知らないまま、学らしい学も持たずに社会に放り出されるんだ。それが甲武の普通の平民って奴だ」
甲武についてまた新しい知識をかなめに与えられて彼女が何も知らない貴族のお姫様では無いことを誠は改めて理解した。知識として知っていた『貴族主義』の甲武。だが、かなめの口から語られるその現実は、教科書よりも生々しく、重かった。そして、彼女が不遇な境遇に置かれている平民達に同情していることに誠は心打たれた。
かなめは平民の暮らしについて話し続けた。
「でも、その尋常小学校で優秀な成績を収めた子供には国からの奨学金が出て中等学校に進むことができる。東和では高校にあたるところだな。そこでも優秀な成績を収めると大概は軍に入る」
ここで初めてかなめの暗かった口調が少しだけ明るくなった。
「軍にですか?でもなんで……戦うことを強制されるんですよ。それのどこが良いことなんですか?」
誠は甲武における軍部の発言力の強さは『近藤事件』によって肌身で感じていたが、かなめの言葉を理解できなかった。軍に入れば戦争が起きれば最前線に送られる。当然、命の危険にさらされる。それが成功への唯一の道だとすればあまりに悲しい。誠はそんなことを考えていた。
「確かに戦争が起きれば平民なんて使い捨ての駒だ。最前線で士族の連中から無茶な命令を出されて死んでいくのがほとんどだ。前の大戦でも死んだ軍人のほとんどはそう言った平民出身の兵隊達だ」
二十年前に起きた『第二次遼州大戦』では敗北を喫した甲武は1億人の死者を出していた。兵士だけでも八千万人が死にかなめの言葉によるとそのほとんどが平民上がりの一兵卒だと言う。確かに要の父親西園寺義基が平民に権利を与えたくなるのも無理はないと誠は思った。
「でもそれは戦争が起きた時の話だ。戦争が無い今みたいな平和な時は軍では技術職としての能力を身に着けることができる。アイツも島田の部下、技術部員だろ?シュツルム・パンツァーの整備に必要な高度な技術は下手をすると、そのまま高等学校を出て大学を出るより高いものが必要とされる。アイツの勉強熱心さはオメエも知ってるだろ」
かなめの口元はここまで来てようやく笑顔に変わった。
「確かに僕も大学は出てるけど島田先輩達が専門用語で話始めるとちんぷんかんぷんですから。確かに技術を身に着けるには軍は向いているかもしれませんね。下手な大学で勉強するよりよっぽど実践的な知識が身に着く」
あの馬鹿なヤンキーにしか見えない島田も、技術部部長代理で整備班長である。その部下の指導ぶりには誠も感心させられていた。西もまた先輩達の手伝いの傍ら物理学や化学の勉強を独学でしている場面には誠も何度か遭遇していた。
「だから技術を学べる上に平民には考えられない高額な給料が出る軍は平民にはあこがれの的なんだ。下手に勉強ができるからって大学なんて行ってみろ。年収の何十倍と言う奨学金を一生かけて返さなきゃならなくなる。東和だってそうだろ、奨学金を返すのに困ってる若者が結構いるってテレビでやってたぞ」
かなめはそう言って西が軍にいる理由を誠でも分かるように説明した。
「じゃあ、西君は平民としては成功してるんですね」
技術を身に着けて大学を超える知識と同時に給料までもらっている。西がいつも明るく誠に接してくれるのはそのせいかもしれないと誠は思った。
「ああ、それ以上にアイツはこの『特殊な部隊』では司法局の人事部にも覚えのめでたいうちではレアな存在だ。気が利くし、覚えも早い。何をやらせても整備班で一番うまくやる。人事評価を付けるちっちゃい姐御も整備班では西に一番の評価を付けてるって言ってたぞ」
人使いの荒い島田の無茶に淡々と応えてみせる西の姿を見ているだけに、誠はかなめの言うことに同意した。そして、そんな西を副部隊長のランがしっかり見ていることに安心感を感じた。
「まあ、あれだけ気が利くんだったらむしろ金持ちの平民やってる店で丁稚奉公……なんて東和生まれのオメエにゃあ分からねえだろうな。いわゆる就職って奴だ。でもまあ正社員じゃなくてアルバイト見習いみたいな感じかな……まあ西はそこから始めた方が成功するかもしれねえがな」
かなめは話題を変えて別の平民の成功例として『丁稚奉公』を挙げたことに誠は少し違和感を感じた。
「丁稚奉公……さっきも平民が小学校を出て街に出るとそうなるって言いましたけど、なんで西君がそうした方が良かったって言うんですか?」
誠は島田に丁稚扱いされたことがあるが、東和には無い丁稚という職業についてはあまり知識が無かっが、商店の下働きが出世への道だなどと誠には思いつかなかった。
「丁稚奉公ってのはな、大きな商家に住み込みで働きながら、下積みから実地で商売を学ぶ制度だ。最初は掃除や炊事みたいな雑用から始めるが、真面目にやれば帳簿の管理も任されるようになる。数字に強けりゃ経理に昇格だ。東和で言うと……中小企業の経理部長ってとこか? 実際、甲武じゃこのルートで財を成した奴も少なくねえ」
かなめは誠に向けて教え諭すようにそう言った。
「ビジネスの実戦訓練みたいなもんですね……」
誠は、かなめの話から察するに、甲武での丁稚奉公は現代のサラリーマンのような意味合いを持つらしいと理解した。
「アイツのことだ。面は結構良いからな。うまくすればその店の跡取り娘なんかの婿として迎えらることもあるかも知れねえ。そうすればもうその店は西の自由になる。平民としては大成功の部類に入るようになる訳だ」
かなめは甲武にも一部の金持ちの平民と言うものが居ることは言っていたので、そうなれば貴族に馬鹿にされない大富豪になれるらしいと誠は思った。
「婿入りですか……甲武は家制度がしっかりしてますからね。でも、それだったら西君も丁稚奉公に行けばよかったのに」
丁稚として下働きから初めて立身出世していく姿の方が、この『特殊な部隊』でヤンキー島田に顎で使われる境遇より西には似合っているように誠には思えた。
「それじゃあうちが困るだろ?アイツがいてくれねえと技術部は回らねえよ。アイツは部隊では最年少だが技術部では島田に意見できる唯一の存在だ。いつも顎で使われてそれをすべてうまくこなしてるから島田も西の言うことには逆らえねえんだ。アイツがいなかったらアタシ等のシュツルム・パンツァーはまともに動かなくなるぞ」
かなめの指摘通り、自分勝手な面々で構成されている技術部がとりあえず1つにまとまっているのは島田の暴力による支配と西の気遣いによるものだと肌で感じていた」
「やっぱり西君って凄いんですね。まだ19でしょ?」
まだ誠が大学に入ったばかりで世の中の事をまるで知らなかった年にすでに世の中の重要な地位を占めるようになっている。確かに西には誠は感心させられることばかりだった。
「そうだな。アタシは28だが19の時は陸軍士官学校で馬鹿やってた。まったく見習わなきゃならねえな」
そう言うとかなめは右に大きくカーブする岩場へと続く道を指さした。
「あの先が漁港だ。今の時間は閑散としてるがそれも味があって良いんだ」
かなめは話題を戻して自分が誠に見せたいという漁港があるという場所を指さした。




