第39話 届かない声を、それでも
「あのー……」
誠はそう言いながらそのままかなめの手を取っている自分を見た。驚いた表情をかなめは浮かべた。そして誠自身もそのことに驚いていた。そして自分でも恥ずかしいと思いながら、それでも誠は思わず声をかけた。
「少し、散歩でもしませんか?」
自分でも十分恥ずかしい台詞だと思いながら誠は立ち上がろうとするかなめに声をかけていた。
「散歩?散歩ねえ……まあ、オメエが言うなら仕方ねえな。付き合ってやるよ」
そう言うとかなめはしばらく誠を見つめた。彼女はタバコをもみ消して携帯灰皿を荷物の隣に置いた。そしてその時ようやく誠の言い出したことに意味がわかったとでも言うようにうなだれてしまう。
「カウラさん!すいません。ちょっと歩いてきます」
そう言うと誠はかなめの手を握った。
「え?」
かなめはそう言うと引っ張る誠について歩き出す。少し不思議そうな、それでいて不愉快ではないと言うことをあらわすようにかなめは微妙な笑みを浮かべた。
「散歩ねえ……アタシにはたるいだけだけど」
不服げにそう言うかなめに誠はため息をついた。
「やっぱり散歩なんて嫌いですか?」
自分の提案がかなめにとっては余計なことだったのかもしれないという思いが誠を少しがっかりさせた。
「まったく、どうかしてるぜ……でもまあ、オメエとなら……悪くねえかもな」
かなめはそう言って皮肉を込めた笑みを浮かべた。その笑顔を見て誠は最高の笑顔をかなめに向けるようにした。
堤防の階段を上ってそのまま海沿いの舗装の禿げかけた狭い道を二人は進んだ。誠はそよ風に吹かれる度にかなめに目をやるが、かなめは特に気にする様子もなくサングラスの下のまなざしは正面を見つめているだけだった。
ただゆっくりとした時間が流れた。
「今頃、クバルカ中佐達何してるんですかね……」
あまりにゆっくりと流れる時間が自然と誠にそんなことを口走らせていた。
「なんだよ、オメエから誘っておいて他人の話か?空気の読めねえ野郎だな」
突然話を変えられて不服そうにかなめはそう言った。
「いや、仕事のことが気になって。それに僕達がいないと隊長が何するか分からないじゃないですか。あの『駄目人間』。誰か監視してないと何を企むか分かったもんじゃありませんよ」
『駄目人間』嵯峨惟基に騙されるようにしてこの『特殊な部隊』に入ることになった誠にはいまだに嵯峨に対する猜疑心が消えることが無かった。
「まあな。叔父貴は何をしでかすか分からねえ。まあアタシも人のことを言えた義理じゃねえがな」
かなめはそう言うとタバコを口にくわえた。
「でも二人っきりになるって久しぶりですね」
そう言うと誠は雲1つない晴れ上がった空を見上げた。空には鳶が一羽、優雅に旋回を続けていた。
「そうだな。いつもアメリアの馬鹿かカウラが茶々入れてくる。人が良いのかなんだか知らねえけどよ」
どこまでも、地球圏までも続いている空が誠達の上空に広がっていた。
「良い風ですね」
誠は相変わらず驚いた顔をしているかなめに話しかけた。
「まあな」
うわのそらと言った感じでかなめは視線を泳がせている。砂浜が途切れて下から並みに削られたようにのっぺりとした岩が現れる。はだしの誠にはその適度に熱せられた岩の表面の温度が心地よく感じられていた。
「あそこの岩場ですか?小夏ちゃん達がいるのは」
誠は砂浜が切れて岩肌が露出している岩礁を指さしてそう言った。
「そうなんじゃねえの。アタシには餓鬼が何して遊ぼうが関係ねえな」
状況がわかってくると次第に機嫌の悪いいつものかなめに戻る。とりあえず誠についていてやることがサービスのすべてだとでも言うように、誠の視線に決してその視線は交わらない。誠も変に刺激しないようにと、ただ海岸線を二人して歩く。
海を臨めば、波は穏やかでその色は夏の終わりとは思えない青さである。かなめは誠が海を見れば山を、山を見れば海を見つめている。次第に磯が近くなり、海の中に飛び出す岩礁の上に白い波頭が見えた。
「オメエ。つまんねえだろ。カウラ達のところか、小夏のところへでも行ってこいよ」
そう吐き捨てるように言うと、かなめは砂浜から大きく飛び出した岩に腰を下ろした。
「別につまらなくは無いですよ。僕はここにいたいからここにいます」
そう言い切った誠にかなめは諦めきったような大きなため息をつく。
「まったく、勝手にしろ」
そう言うとかなめはいつもの癖で普段の制服ならそこにあるはずのタバコを探すように右胸の辺りに手を泳がせた。
「何だよ」
かなめがサングラスを持ち上げて直接その瞳で誠をにらんでくる。
「別に何でもないですよ」
素顔のかなめを見ることができて本当はうれしい誠だったが、そういうことを口にするには誠は不器用すぎた。
「嘘つけ。もう飽きたんじゃねえの」
かなめは一度誠の視線から逃れるように下を向くと顔を上げた。作り笑いがそこにあった。時々かなめが見せるいきがって見せるような儚い笑いがそこにあった。
「どうせオメエも怖いからここまで付いてきただけだろ?アタシに近づく奴は大概そうだ。とりあえず敵にしたくないから一緒にいるだけ。まあそれも良いけどな。親父のことを考えて近づいてくる馬鹿野郎に比べればかなりマシさ」
そう言って皮肉めいた笑みを口元に浮かべた。いつもこう言う場面になるとかなめは自分でそんな言葉を吐いて壁を作ってしまう。そこにあるのはどこと無くさびしげで人を寄せ付けない乾いた笑顔が誠の目に焼き付く。
「そんなつもりはないですけど」
真剣な顔を作って誠はかなめを正面から見つめた。そうするとかなめはすぐに目を逸らしてしまう。
「自覚がないだけじゃねえの?アタシはカウラみたいに真っ直ぐじゃない。アメリアみたいに器用には生きられない。誰からも煙たがられて一人で生きるのが向いてるんだ」
そう言うと立ち上がって、吹っ切れたように岩場に打ち付ける穏やかな波に視線を移すかなめ。誠は思わず彼女の両肩に手を置いた。驚いたようにかなめが誠の顔を見つめる。
「確かに僕は西園寺さんのことわかりませんでした」
ほら見ろとでも言うようにほくそ笑んだ後、かなめは再び目を逸らす。
「そんな一月くらいでわかられてたまるかよ」
そのまま山の方でも見ようかというように安易に向けた視線だったが、誠のまじめな顔を見てかなめの浮ついた笑顔が消えた。
「そうですよね。わかりませんよね。でもいつかはわかろうと思っています」
「そいつはご苦労なこった。何の得にもならねえけどな」
さすがに誠の真剣な態度に負けてかなめは誠に視線を向けた。かなめの表情は相変わらずふてくされたように見える。
「そうかもしれません、でもわかりたいんです」
そう言う誠の真剣な誠の視線。かなめにとってそんな目で彼女を見る人物というものは初めてだった。何か心の奥に塊が出来たような感覚が走り、自然と視線を落としていた。
「そうか……勝手にしろ」
搾り出すようにかなめが言葉を吐き出す。自分の肩に置かれた誠の手を振り払うとそのまま海を眺めるように身を翻す。
「ええ、勝手にします」
誠はそう言うとかなめの座っていた岩に腰掛けた。
「ろくなことにはならねえぞ」
「でも、僕はそうしたいんです」
風は穏やかに流れる。二人の目はいつの間にか同じように真っ直ぐに水平線を眺めていた。
「海か……甲武にも海はあるが水の海じゃねえ。とても泳げる代物じゃねえんだ」
水平線を見ながらかなめは誠にそう言った。
「知ってますよ。甲武は地球で言う『金星』に似た環境ですから。硫酸の海が広がっていて、毎日のように硫酸の雨が降り注ぐ。その硫酸を防ぐ特殊コーティングに覆われたコロニーに人が暮らしてる……僕にだってそのくらいの社会知識はあります!まあ、全部クバルカ中佐からの受け売りですけど。勤務中暇が出来るとクバルカ中佐は僕を呼び出して会議室で色々教えてくれるんです。ありがたいです」
誠は馬鹿にされたように感じてそう言い返した。そして同時に社会常識を必死になって教えようとするちっちゃな上官クバルカ・ラン中佐の永遠の8歳幼女にしては迫力のありすぎる眼光を思い出した。
「そうだ。普通に生活できる環境じゃねえんだ。ここと比べれば人が暮らすこと自体が無茶な環境。それが甲武だ。そんな甲武には地表と軌道上に作られた宇宙コロニーに3億人の人間が暮らしている」
かなめはサングラスを額に乗せたまま自分の生まれた国、甲武について語りだした。
「3億人ですか?東和の三倍じゃないですか……その大半が平民なんですか?」
貴族の生まれでありながら庶民派のかなめに向けて誠はそう言った。
「そうだな。その人口の99%以上が平民だ。そのほとんどが生きるか死ぬかのぎりぎりの生活をしている。しかも、甲武の国是の『復古主義』のおかげで空気や水は供給されるが東和のような便利な機械は貴族や役人を務める士族が独占している」
かなめの語る甲武の国情に誠は興味を引かれた。
「まさか、電気もガスも無いんですか?」
貴族に技術を独占された世界。誠にはその不便さを想像することができなかった。
「そんな文明の利器の恩恵にあずかれるのは平民でも一握りの金持ちだけだ。当然、テレビもラジオもネットもねえ」
今時そんな遅れた環境で3億人の人間が生活している事実を知って誠は驚いた。
「それはやりすぎですよ!復古主義って言ったって便利なものは便利なんですから。電気の無い生活なんて僕には想像もつきませんよ」
便利な東和共和国に生まれ育った誠にはその『復古主義』が甲武の平民の貧しさのすべての元凶のように思えた。
「昔の人がそう決めたからそうなってんの。だから前から言ってんだろ。あそこのほとんどの平民は生きるか死ぬかのぎりぎりの環境で暮らしてるんだって。電気料金やガス料金を払うより先に空気と飯と水を確保するだけで精いっぱい。それが甲武の現状だ」
宇宙空間で営まれている過酷な生活を想像して誠は自分がここ東和に生まれて良かったと改めて思った。
「でも、オヤジはそんな平民も豊かにしたいんだ。確かに貧しいから人口が増えるばかりで、それを減らすために口減らしをさせている現状は異常だからな」
かなめはそう言ってタバコの煙を空に吐いた。
「地方のコロニーの中でも特に産業の無いところでは男の子が生まれると家を継ぐ長男以外はすぐに土に埋めて殺され、女が生まれると女郎屋に売られるために育てられる……そんな国どう考えても異常だろ?」
かなめは彼女なりに尊敬している彼の父であり甲武国宰相の西園寺義基の理想を語り始めた。
「確かにその現状は異常です」
「でも、貴族と一部の平民が独占している富と権利をすべての平民に分け与えれば人口爆発は止まる。地球の21世紀に起きた現象がそれを証明している。だから、まずオヤジは平民に選挙権を与えた。飲まず食わずの平民に自分達と同じ環境で育った代表を選べる制度を作ったんだ。自ら『関白太政大臣』を辞して本来なら就くべき『太閤』の地位も断り、最高の貴族の地位を捨ててその地位にしがみつく貴族共を笑い飛ばして平然と『平民宰相』を名乗って平民の為の政党を立ち上げてその党首として選挙に勝って政権を握った。貴族連中だってこれまでひれ伏してきた『太閤殿下』にそんなことをされたら下手に手出しもできねえ。それはもう見事なやり方だった。さすが伝説の外交官と呼ばれただけのことは有るよ」
父親について語る時のかなめはどこか優しげな表情をしているように誠には思えた。
「そして次は経済だ。貴族と金持ちの平民に高額の税金をかけてその富を生活に困っている平民に分配する。『所得再分配』なんて社会用語では言うんだが……テメエには分からんか」
誠は『特殊な部隊』でランなどの教育もあって少しは改善してきてはいるものの、まだ社会知識ゼロの理系脳の持ち主だった。
「はい分かりません。昔からそう言う難しい言葉を出されると混乱しちゃって……」
誠はかなめに難しい用語を出されるとそう答えるしかなかった。
「だが、そうすれば今は電気もガスも無い環境で暮らしている平民達にも政府による支援の手が行きわたる。持っている金が増えて家族をすべて自分で養えるようになれば口減らしも止まる。そうなれば一時的には人口が増えるかもしれないが、社会が平等になれば産まれる子供の数が減って人口爆発もおさまる。それがオヤジの理想の世界だ」
誠には父西園寺義基のことを語るときのかなめは輝いて見えた。
「でも、そこまでには時間がかかりそうですね……西園寺さんのお父さんが宰相を務めている間にそんな社会が実現するんでしょうか?」
父親の遠大な理想を語るかなめの姿に誠は感動を覚えていた。
「無理だろうな。オヤジは叔父貴やランの姐御みたいに『不老不死』じゃねえからな。それに宰相が長いこと同じ地位にとどまれば権力は腐敗する。いずれ同じ理想を持つ後継者にバトンを渡して良くなっていく甲武を見ながらお袋に見守られて死にたい。オヤジはそう言うんだ」
自分の引退後や死後のことまで考えて政治を行っているかなめの父親西園寺義基の偉大さに誠は息をのんだ。
「立派な人ですね、かなめさんのお父さんは」
誠も私立高校の剣道教師で単身赴任までして自分を育ててくれた父親を尊敬していた。しかし、かなめの話す父親像は誠はスケールが違った。
「まあ政治家としてはな。父親としては最悪だ。アタシがグレても何も言わねえ、それどころかアタシの妹のかえでの問題行動を黙認してるなんて……『個人主義』って言っても程度ってもんがあるだろうが!」
自分が不良化している自覚が有るらしいかなめを見て誠は苦笑いを浮かべた。




