第32話 錆と鼻骨とヒーリング
ユニフォームに着替えた野球部員達は思い思いに素振りやキャッチボールを始める。真新しい芝の外野の本格的なグラウンドでの練習は部員の誰もが楽しみにしているところだった。
「誰か!こいつをマウンドまで運べ!」
かなめの叫び声がグラウンドに響いた。その背後にはワゴン車に乗ったままの古びたピッチングマシンが鎮座していた。
「本当にそれ使うんですか?仕方ねえなあ……じゃあみんな運ぶぞ」
島田が整備班員の部員達に声をかけるとそれまでの笑顔を消した部員達はノロノロとピッチングマシンに向って歩いていった。
「なんだよ、せっかくのマシンだぞ。もっと嬉しそうな顔しろよ」
一人ご満悦のかなめに恐怖を感じて島田達はサビだらけの古びたピッチングマシンをマウンドの手前まで運んだ。
「本当に動くんですか?これ」
部員の誰もがマシンに近寄ろうとしないので仕方なく誠がピッチングマシンに歩み寄るのを見て、他の野球部員達ものろのろとその後ろに続く。
「動くんすか?本当に」
さびたスプリングを見ながら島田がそう言ってマシンを押し始める。
「一応140キロゾーンに有ったマシンだぞ。そんだけのスピードが出なきゃあのおっさんが詐欺師だったことになる」
かなめは自慢げにそう言うとマウンドの前に設置されたマシンを眺めていた。
「じゃあ、試運転だ。アメリア!テメエが受けろ!まずは試験運転だ」
指名されたアメリアも明らかに不服そうな目でかなめをにらみつける。
「かなめちゃんそれは無いんじゃないの?確かに私が一番キャッチングは上手いけど私は四番サード以外はやらないって言ってるじゃないの!それにそんな旧式のマシン。どこに球が行くか分からないわよ」
突然かなめから指名されたアメリアがめんどくさそうに抗議する。
「アメリアさんキャッチャーもできるんですか?」
誠は隣でパチンコをあきらめて屈伸をしていたカウラに声をかけた。
「西園寺としてはクラウゼに正捕手を務めてほしいらしいがな。確かにキャッチャーとしての腕はクラウゼが一番上だ。しかし、アメリアが野球部では四番サード以外のポジションを頑として受けようとしない。したがってうちのキャッチャーは日替わりで、アメリアと比べるとどうしても格落ちになる」
アメリアがそういうところはわがままなのは誠も知っていたのでなんとなく納得できた。
「はあ……四番サードですか。確かに響きがいいですからね、それ」
キャッチャーが野球では重要だと知っていて自分の球を受けるにはちゃんとしたキャッチャーを用意してもらいたい誠はアメリアのわがままが許されるのかと腑に落ちない様子でため息をついた。
アメリアは仕方なくレガースをつけてキャッチャーの姿で本塁後ろに座った。
「じゃあ行くぞ!スプリングは最強出力……」
かなめは容赦なくマシンを操作して最大球速が出るように調整する。
「ちょっと待ってよかなめちゃん!こんなサビだらけの古いのフルパワーで動かして大丈夫なの?そんなの受ける身になってよ」
最高時速に設定しようとスプリングをいじるかなめに向けて呆れたような調子でアメリアが抗議する。
「大丈夫だって!オメエの技術なら捕れる!じゃあ行くぞ」
そう言うとかなめは軟球をピッチングマシンに投入した。
「まともな球、出るんですかね。バッティングセンターのマシンって、だいたい中古の軟球使ってるから、滑って変なとこ行くんですよ。うちで使ってる新品の球ならマシかもですけど」
「西園寺のことだ。期待しない方が良い。それに何かが起きそうな気がする」
野次馬を気取る誠とカウラはアームに軟球が装填される様を静かに見守っていた。
やがて鈍い作動音と共に高速の軟球が発射され、ど真ん中にミットを構えるアメリアの手に軟球は捕球された。
「ほらな、ちゃんと動く。サビてるのと機能は関係ねえ」
得意げにかなめはそう言って笑った。
「一球だけじゃ分からないでしょ……カーブを投げてみて」
納得できないアメリアは捕球した軟球を何かあった時の為に隣に立っていた看護師のひよこに渡すと再びミットを構えた。
またピッチングマシンはうなりを上げ、見事な軌道を描いて落ちる球をアメリア向けて発射する。
「できるわね……動くんだ……へー」
感心したようにアメリアはそう言うと再びミットを構えた。
「だから言っただろ?サビと機能は関係ねえって。じゃあ十球ぐらいは慣らしをやって、そこからは誰か打席に立ってもらうからな!期待しとけよ!」
かなめは快調に動く古びたピッチングマシンを自慢げに眺めながらそう言ってこのマシンを侮っていた野球部員達を眺めた。
指定した十球はすべてアメリアの構えたミットの位置に素直に飲み込まれて行った。
「ほらな。誰だ?このマシンはビンボールしか投げられないなんて言ったのは。じゃあ、誰が行く?」
かなめは得意げに笑うと野球部員達を見渡した。
誰も手を上げない。十球程度の慣らしで信じるにはそのマシンはあまりに古びて見えた。
「誰も行かないなら俺が……」
ためらう野球部員達の後ろでユニフォームすら着ていないマネージャーの菰田が手を挙げた。部員達は嫌われている菰田が人身御供になってくれるなら大歓迎だというように彼の前を避けて道を作った。
「菰田……オメエが打席に立つのか?バントだって空振りするオメエが?」
菰田と相性の良くない島田が冷やかし半分にそう言った。
「とりあえず安全だって証明するのもマネージャーの仕事です。打席に立つだけなら俺にだってできます!」
そう言う菰田の頬は引きつっていた。愛するカウラの前で少しでもいい格好をしたい。そんな下心がこの場にいる全員から丸見えだった。
「かなめちゃん。ちゃんと動かしてね」
マスクを外して菰田の様子をうかがっていたアメリアがかなめに向けてそう言った。
「任せてろ!最大出力でど真ん中にストレートをお見舞いしてやる」
心配そうなアメリアをよそに、自信ありげにかなめはそう答えた。
「じゃあお願いします!」
そう言うとヘルメットを深めにかぶった菰田は右バッターボックスに入った。
「構えはちゃんとしてるんですね……そんなに野球に向いてないんですか?菰田先輩。恰好だけは立派に見えるんですけど」
「典型的な見かけ倒しだ。期待はするな」
かたずを飲んで見守っているカウラに向けて誠は正直な感想を口にした。マシンに軟球が挿入され、スプリングの力でアームが後ろに後退する。
初球だった。放たれたボールはこれまで見たことのないようなスピードで放たれ、そのまま菰田の顔面を直撃した。
「やはりな。当然の帰結だ」
カウラのギャンブラーとしての勘は見事に的中した。菰田はそのまま崩れ落ちるようにバッターボックスに倒れこんだ。
「やっぱりこのマシン危ないですよ……って菰田先輩あんなに明らかに顔面に直撃するコースの球を避けられないんですか?」
菰田のデッドボールは誰もが予想していたものらしく、心配して駆け寄るのは心優しい看護師のひよこだけだった。
「折れてます!鼻骨が折れてます!」
声も出さずに黙り込んでいる菰田の顔を診察したひよこの叫び声でどうやらことが大事になったらしいことを誠は理解した。
菰田の怪我は顔面の鼻骨骨折と言う大怪我だった。それなのに誠以外誰一人菰田の事を心配する様子が無いのに、誠は『特殊な部隊』の隊員達の神経を疑った。
「まあ、ひよこちゃんがいれば平気よね」
転がる軟球を拾い上げたキャッチャーのアメリアの顔には心配する様子などみじんも無かった。菰田の大怪我に誰も動じない部員たちに、誠は言葉を失った。
「アメリアさん。いくら嫌われ者の菰田先輩のこととはいえひどくありません?それに鼻骨が骨折って結構重症ですよ。下手をすると脳に障害が残ったりして……その割にみんな冷たくないですか?」
誠も目の前の事故の重大性に気づいて走って菰田の倒れこむホームベース上に向かった。
「菰田先輩!大丈夫ですか!」
黙っているひよこの後ろから誠は声をかけた。菰田は顔面に球を受けた衝撃で脳震盪を起こして気絶していた。
「それにしても、皆さん酷くありません!仲間が骨折したんですよ!? それなのに誰も心配しないなんて……おかしいですよ!」
菰田の事故を見ても動こうとしない野球部員に向かって誠は叫んだ。
「だって、ひよこちゃんがいるじゃない」
「そうだ、ひよこがいる」
最初から心配する気は無いという様子でアメリアとかなめはそう言って事態を静観していた。
「良いんですよ、誠さん。これからが私の『力』の出番です」
ひよこはそう言うと折れている菰田の鼻骨の辺りに手をかざした。
「手当ですか……そんなことして何が……」
隣に立ってその様子を見守っていた誠はすぐにかざされたひよこの右手に起きた異変に気付いた。ひよこの右手がまるで静かな灯火のように青白く発光し、やがて柔らかく菰田の顔全体を包みこんだ。そうすると苦痛に歪んでいた菰田の顔はまるで何事も無かったかのように穏やかなものに変わっていった。
「手が光ってる……何が起きているんだい……」
目の前の理解不能な状況に誠は戸惑いつつそうつぶやいた。誠が見たことが無い明らかに不思議な光景を見ても部員達はそれが当然と言うようにただ黙って見守っているだけだった。
「これが私がこの部隊にいる理由……『ヒーリング能力』です」
ひよこの手の光はしばらく続き、そして静かに消えていった。
「もう治りましたよ。菰田さんはしばらく寝かせておいてあげましょう」
そう言うとひよこは傍観していた野球部員達に目をやった。気づいたアメリアが菰田を抱き上げるとそのままダグアウト裏へと運んでいく。
「『ヒーリング能力』?それって、僕の『光の剣』や『干渉空間』みたいな『法術』ってこと?じゃあひよこちゃんも……『法術師』?」
誠はようやくひよこもまた自分と同じ『法術師』で有ることに気づいた。
「そうです。以前言いましたよね?この部隊でけが人は出ても死人は出たことが無いって。それは私の力が有るからです。軽いけがや病気はどうにもできませんが、骨折や腕がちぎれるような致命傷をした時、私の『ヒーリング能力』で元通りにできるんです。だから隊長は私を拾ってくれたんです。それが私がここにいる理由。こんな私でも役に立つことができて隊長には感謝しています」
驚いている誠に戸惑ったような表情を浮かべながら、ひよこは誠にそう言った。
「そんなすごい能力……みんなの為に使わないと!『特殊な部隊』の馬鹿が独占しているなんて社会の損失だよ」
誠は初めて見る『ヒーリング能力』の凄さに驚いてひよこの肩を掴んでそう叫んだ。
「意外とありふれた能力なんですよ。この能力。町の『名医』と呼ばれる人の中にも『ヒーリング能力』を持つ人がいます。『法術』が伏せられていたから誰も指摘しなかっただけで、私はそんなに凄い人じゃありません。『光の剣』みたいなレアスキルを使える誠さんの方が凄いですよ」
『法術』の存在が誠が『近藤事件』で『光の剣』を使うまで公然の秘密だったことを思い出して、誠は得意がることも無くそのまま菰田の寝ているダグアウトに向けて歩き始めたひよこの後姿を眺めていた。
「そうなんだ……みんな、知ってたんだね。自分だけが、普通の常識で世界を測ろうとしていたのかもしれない……地球人達と同じように僕もまたこの宇宙の常識にとらわれて……そうだよね。僕達遼州人はこの宇宙の外から来た『異世界人』なんだから」
誠は自分自身にそう言い聞かせるようにこの遼州人の国が自分達の能力を地球人から隠して暮らしてきた事実を再確認した。




