第30話 モネとカラシニコフ
部屋に戻った誠は荷物を片付ける仕事があった。それと、球場に入る時はトレーニングウェアーを着ろと野球部の監督のかなめからきつく言われていた。
島田は入り口のそばで屈伸をしている。こちらもすでにトレーニングウェアーに着替え終わり、準備万端と言う状況だった。
「早くしろよー!」
サングラスをかけた島田が上目遣いに誠をにらむ。誠はそそくさと隣の和室に入ると、クローゼットにかけてあった儀礼服をバックに突っ込んだ。
「それだけか?荷物」
お菓子やらどこで読むのか分からない漫画やらを突っ込んでいる島田のバッグは誠の必要最低限の物しか入っていないそれに比べて一泊だけの合宿に行くにしては明らかに巨大だった。
「ええ、とりあえず一泊ですから。それに野球道具の一式は整備班の野球部の人達がまとめて管理してくれていますし」
そう言うとジッパーを閉めてバッグを小脇に抱えた。大型のリュックを背負って島田が立ち上がる。
「おい!行くぞ」
ドアをたたいて島田が呼んでいるのが聞こえた。
「暑いなあ、さすがに。ビールでも飲みたい気分だな」
ドアを出た誠を島田は突拍子もないことを言って迎えた。
「島田先輩、帰りも運転でしょ?警察が飲酒運転したらまずいでしょ?酒は数時間では抜けないんですよ」
常識のないヤンキーである島田を誠がなんとか諭そうとする。
「分かってるよ、そんなこと。まったく……うちの隊員で大型一種は誰でも持ってるくせに二種を持ってる奴となると俺とカウラさんしかいねえんだもんな……まあ、オメエに愚痴っても仕方ねえか。オメエに運転させたら命がいくらあっても足りやしねえ」
島田はそう言うと苦笑いを浮かべた。
「それにしてもいい天気だな」
誠は島田の言葉に釣られて大きな窓に目を向けた。水平線ははっきりと見える。空の青はその上に広がり、太陽がそのすべてに等しく日差しを振りまいている。
「よしっと。野球の練習には最適の天気だ」
窓の前で島田が再び屈伸をした。誠はやる気満々の島田に少し引きながら冷静な目で目の前のヤンキーを眺めていた。
「もしかして午後行くのはプライベートビーチとかですか?」
ホテルの裏の、時期にしては閑散としているように見える浜辺を見た誠がつぶやく。
「いやあ……そこまでは……。それにどうせアメリアのおばさんが『プライベートビーチなど邪道だ!』とか意味不明なこと言い出すから。一般海水浴場に行くんだと」
「誰がおばさんよ!誰が!」
いきなりドアが開いて胸だけを隠しているように見える大胆な格好をしたアメリアが怒鳴り込んできた。彼女はそのまま島田の耳をつまみ上げる。
「痛い!痛いですよ!鍵がかかってるでしょ?どうやって入ったんですか?」
島田がそう言う後ろから、一枚のカードを持ったかなめが入ってくる。
「一応、このホテルの名義はアタシだからな。当然マスターキーも持ってるわけだ」
「聞いてないっすよ!」
島田の驚く顔を見てかなめは満足げに頷く。涙目になりかけた島田を離したアメリアが誠の手をつかんで引っ張った。誠はとりあえずかなめの機嫌がよくなっていることに気づいてほっと胸を撫で下ろす。
「さあ誠ちゃん!行きましょうね!」
紺色の長い髪をなびかせながら誠を引っ張ってアメリアは廊下に出る。廊下には遠慮がちにアメリアの荷物を持たされている淡い緑色のキャミソールを着たカウラがやれやれと言ったように二人を眺めていた。
「んじゃー行くぞ!」
かなめが手を振ると皆はエレベータルームに向かった。
「西園寺さん。この絵、本物ですか?」
明らかにこの集団が通るにはふさわしくない瀟洒な廊下が続いている。そこにかけてあるのは一枚の絵画だった。
印象派、ということしか誠には分からない絵を指してかなめに尋ねた。かなめはまったく絵を見ることはしない。
「ああ、モネの睡蓮な。模写に決まってるだろ」
「そうですよね」
そのかなめの言葉で誠もさすがにかなめのお姫様ぶりにも限界があると安心した。
「本物は甲武の美術館にある」
かなめは当たり前のようにそう言った。
「へー。遼州星系にあるんですね……なんていう名前の美術館なんですか?そこ」
「西園寺記念美術館」
それだけ言ってかなめは立ち去る。あまりにも自然で当然のように振舞うかなめにただ呆然とする誠だった。
「西園寺記念美術館ってことは……西園寺家当主の物……つまりかなめちゃんの物……本物持ってるの?かなめちゃん」
思わずアメリアが突っ込む。かなめはめんどくさそうに額に乗っけていたサングラスを鼻にかける。
「まあ、あの美術館の所有品は全部アタシ名義だからな……持ってるって言えば持ってるわけか……親父が9歳誕生日にプレゼントだってくれた」
相変わらずかなめはそっけなかった。プレゼントのレベルがあまりに高すぎるので誠は黙って話を聞いているしかなかった。かなめにとっては伝説の名画も自分を縛る鎖にしか過ぎないと思っているのではないかと誠は悲しい気分になった。
「誕生日プレゼントに……モネ……どんな金持ちだよ」
誠は『モネ』と言う画家が何者かは分からなかったが、それなりに価値のあるものらしいということだけは分かった。
「アタシは印象派は趣味じゃねえけどな……突っ返すのもなんだから美術館の隅に飾ってある。まあ、甲武では印象派は人気だから結構客寄せにはなってるらしい」
開いたエレベータの扉に入る。感心したようにかなめを見つめるアメリアと島田。カウラは意味がわからないと言うように首をひねりながら誠を見つめている。
「さすがにお嬢様ねえ。昨日の格好も伊達じゃないってことね」
アメリアが独り言のようにつぶやくと、かなめは彼女をにらみつけた。
「怖い顔しないでよ。他意はないんだから」
アメリアはサイボーグのかなめを怒らせても得は無いことは知っているのでなんとか笑ってごまかそうとする。
島田は両手で計算をしている。誠にはつぶやいている内容からして、実物のモネの睡蓮の値段でも推理しているように見えた。
扉が開き、エレベータルームを抜けたところで、先頭を歩いていたかなめの足が止まった。
「これは奇遇ですね」
誠が廊下の先を見ると、そこに昨日風呂場で会った少年が立っていた。少年は手には大きめの黒いアタッシュケースのようなカバンを持ち他意の無い笑みを浮かべていた。
「こいつか?昨日、神前が見たって言う……」
失礼なのをわかっていてかなめが彼を指差す。
「西園寺中尉、お初にお目にかかります。僕は……」
昨日誠に向けてアンと名乗った少年の言葉にかなめのタレ目がすぐに殺気を帯びる。その迫力に思わずアンは口を噤んでしまった。
「おい!誰が中尉だ!アタシは大尉だ!」
いつもならすぐに殴るか蹴るかなめが不意に手を止めたことが誠には少しばかり不自然に見えた。アンは苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「失礼しました、では西園寺大尉とお呼びするべきなんですね。そして第一小隊隊長、カウラ・ベルガー大尉。運用艦『ふさ』艦長アメリア・クラウゼ少佐。僕が……」
誠はかなめの目を見て冷や汗を流した。その目にはかつて誠を救出に来た時、次々とマフィアの三下を射殺していった時の殺人者の光が宿っていた。
「オメエ、少年兵ってにわかじゃねえな……物心ついた時から銃を撃ってた面だ……ベルルカンで何度か見た。相当修羅場をくぐってきた。そんな目をしてるなオメエ」
アンの言葉をさえぎって、不敵な笑いを浮かべながらかなめがそう言った。
「なぜそう思うんです?」
まるでその言葉を予想していたように、アンも頬の辺りに笑みを湛えている。誠にはかなめの言葉の意味がわからなかった。そんな誠とは関係なく得意げにかなめは話を続ける。
「なに、匂いだよ。それとそのかばん……ガンケースじゃん。後生大事に銃を持ち歩くってのは銃が無いと不安になる根っからの少年兵の悪い癖だ……直した方が良いぞ。ここは東和だ。いつも銃を持ち歩いてるアタシが言えた義理じゃねえがそのかばんはちょっとヤバすぎる」
一呼吸置こう、そう考えているとでも言う様に、アメリアは深呼吸をした。
「それについては否定も肯定もしませんよ。この中には僕の『友達』が入ってるんです」
アンはそう言って大事そうにガンケースを撫でた。
「友達?銃が?」
アメリアがけげんそうにそう尋ねた。
「大きさからみてカラシニコフだな。ベルルカンや遼大陸の内戦では普通に使われている。民兵御用達の銃って訳だな。どんな最悪な環境でも、どんなに酷使しても平気で動く。作動性能だけで言えば歴史上最高の銃だ」
カウラもまた少し警戒しながらアンを見つめていた。
「銃だけが『友達』の少年兵……」
誠は風呂で見たアンの銃創だらけの背中を思い出して少しばかり恐怖を覚えていた。そして自分にとって『友達』と呼べる存在は何だろうと誠は自問自答した。
あえて言えばかなめ達。周りにいる『特殊な部隊』の面々が友達と呼べるのかもしれない。
『アン君……君にも銃以外の友達は出来るよ……きっと……吐いてばかりで友達の居なかった僕にもこうして『友達』が居るんだから……』
誠はそう言いたい衝動に駆られたが、気の弱い誠にはそんな恥ずかしいセリフを吐く度胸は無かった。
「それよりオメエさん、ただ顔見せに来たってわけか?ご苦労なこった」
せせら笑うようなかなめのいつもの表情にもアンはうろたえることもなかった。
「実は嵯峨隊長に会ってくれと言われました。もし馬が合わないようならそのまま帰ってもかまわないと言うことでしたが」
嵯峨らしい配慮である。誠はあの間抜けな顔をした部隊長がめんどくさそうに画像通信をしている場面を思い浮かべた。
「それでどうするつもりだ?帰るなら早いほうがいいぞ。少年兵上がりを飼っとくほどうちはまだ人手不足じゃねえ」
かなめがサングラスをずらして小柄なアンを見下ろした。
「いえいえ、帰るなんて。なかなかいい環境のようじゃないですか。それに司法局の本局で事前に聞いていたほど、お馬鹿な集まりじゃないと分かりましたし」
そんなアンの言葉にかなめは複雑な顔で黙り込む。
「そうよねえ、馬鹿なのはこの男子二人とかなめちゃんだけだもんね」
アメリアはそう言って島田、誠を眺めている。
「アメリア……本当にいっぺん死んで見るか?」
かなめがこぶしを握り締めてアメリアをにらみつける。アメリアはいつものようにすばやくかなめから遠ざかると誠の陰に隠れてかなめを覗き見るふりをした。
「アン……フルネームは?」
誠はアンに少しの恐怖心を感じながらそう尋ねた。
「本当の名前は憶えていません。六歳で民兵組織に売られた僕にはそんなものは必要ありませんから。書類上はアン・ナン・パクとなっています。階級は軍曹です」
丁寧にそう答えるアンを皆がら誠はアンが手にしているガンケースの中身が気になってそわそわしていた。
「それではみなさん。本部に出頭するバスの出る時間なので……失礼します」
アンはペコリと頭を下げるとそのままロビーへと足を向けた。
「そうだな。では本部で会おうや……ベテランの新兵さん」
黒いガンケースを抱えたアンを見送りながらかなめはそうつぶやいた。
「隊の形ができたってことか」
「そうか?民兵上りはしつけが色々となあ……」
カウラの言葉にかなめはめんどくさそうにそう答えてアンが去っていったロビーへと歩いていく。
「置いてくぞ!」
振り返ったかなめの言葉に一同はようやく我に返ってロビーへ続く廊下を進んだ。




