第3話 合宿参加資格:童貞・下僕・嘔吐癖
……あの戦いから、1か月。
世界は変わったらしいが、『特殊な部隊』の日常は何も変わらなかった。
夏は合宿。合宿を仕切るメンバーに自他ともに認める『女王様』であるかなめが居る時点で合宿には地獄がついてくる。僕にとっては、乗り物酔いという形で……。
そんな思いにとらわれている誠を他所にランは棋譜を見つめながら頭を抱えていた。
「『ビッグブラザーの加護』が消えちまったのはもう終わったことだ。隊長の『駄目人間』も『ビッグブラザーの加護』が初戦には効くからって余裕かましてたんだ。それが一気にパーだ。その対策を立てろってアタシは言われてて……考えるだけで頭がいてーや。それより何度も言うけどさっき言ってた海での夏合宿の件だけど、アタシは欠席でよろしく」
ランは腕組みしながら先ほどまでの難しい表情を崩して満面の笑みでつぶやいた。
「仕事なら仕方ないわね。機動部隊は一名欠員……っと」
アメリアはそう言って手元のメモ帳に印をつけた。そんな彼女の背後から小柄なカーリーヘアーの女子隊員が入ってきた。
部隊専任看護師の神前ひよこ軍曹だった。法術の存在が明らかになった今では彼女が隊の法術関連の技術主任も兼任していることを誠は知っていた。
いつものように軽い足取りでアメリアに近づいてくる。
「クラウゼ中佐。技術部の参加希望者決まりましたけど。野球部の人は全員出るんですけど……それが……その……」
アメリアはひよこのおずおずと差し出した手からすぐにその手帳を受取ると少しがっかりしたようにため息をついた。
「ふうん、ずいぶんとまあ……参加人数少ないのね。技術部の貧乏人の連中は飲み代で首が回らないから今回の合宿の会費は出せないって言ってるんでしょ?せっかくかなめちゃんの顔が効く高級ホテルに格安で泊まれるって言う話なのにねえ。つまんないの。折角、甲武一のお姫様がその威光をちらつかせてこの忙しい時期に貸し切りで抑えたホテルなのよ。まったくもったいないわね、バカね、ほんと」
その予想に反する海合宿の不人気ぶりにアメリアは珍しく落ち込んだような表情を浮かべた。
「野球部の連中はアタシが『欠席したら射殺する』って釘差しといたからな。他の連中は今の海に出るクラゲが恐いんだろ。クラゲを舐めてるからだ、クラゲを。それにアタシから言わせるとあんなホテルは大したことねえぞ。オメエ等が貧乏人なだけだ。アタシは甲武一の貴族様なんだよ。甲武四大公家筆頭西園寺家当主。いずれは甲武国の関白太政大臣になるのがアタシの定めなんだ。オメエ等とは格が違うの。分かったか?」
ため息をつくアメリアをかなめが冷やかしながら視線を誠に向けた。
「神前。おめえは甲武一の貴族様であるアタシのお気に入りの『下僕』だから、強制参加な。それ以前に『都立の星』と呼ばれた本格サウスポーが本気で本格的に投げ込むところを監督のアタシとしても見てみたいから休むとか言ったら射殺する。金がねえなんて下らねえ理由を持ちだしたらアタシが貸してやる。何をさておき絶対に出ろ」
かなめは銃弾の入った愛銃の銃口を容赦なく誠に向けた。普通なら驚くところだったが、かなめが人に実弾の入った銃の銃口を向けるのはいつもの事なので誠もすでにこの『特殊な部隊』の異常なパワハラには慣れっこになっていた。
『毎回毎回、西園寺さんは発言の末尾に『射殺する』を付ける……言葉の最後に『射殺する』を付けるのが常習って、どこの戦国武将だよ……でも断れない僕も僕だ。ほんと、どうかしてる』
誠は口には出さないが何かというと銃を持ち出すかなめを見ながらそんなことを考えていた。
「はい……僕には拒否権は無いみたいなんでそうします……あとお金は今月はそれなりにありますんで借りなくても大丈夫です」
新入りの誠に拒否権は無いので、そう言うしかなかった。しかし、『特殊』な上司とは言え美人が多い実働部隊なので誠はごく自然と嬉しそうな顔をすることができた。
「それより隊長は行かないのか?って言うまでもないか。あの人はグラウンドでタバコ吸って草野球リーグを永久追放になってるからな。それにこの隊で一番金が無いのが隊長だし」
アメリアの手にある参加者名簿に目をやりながらカウラはそう言った。
この『特殊な部隊』の主である、部隊長・嵯峨惟基特務大佐。一見、25歳すぎに見えるが実は47歳の中年『駄目人間』がこんなめんどくさいイベントに出るわけがないことは、入隊後半月余りの誠にもよくわかった。
「隊長ですか?何でも第二小隊の増設の打ち合わせで手が離せないとかで……まあ、あの人は小遣い3万円だから参加費自体払えないでしょうけどね。でもあの人も大変ですね。娘さんに給料全部取り上げられて……隊長は特務大佐ですよね。特務は二階級上扱いですから給料は少将クラスのはずですから相当な月給が出てるはずですよ。しかも、隊長は甲武国の四大公家末席の嵯峨家の当主だから荘園からの上納金も相当な額有るはずなのに……それも全部娘さんに管理されてる。ちょっとかわいそうですね」
ひよこはカウラに苦笑いを浮かべながらそう言った。
『つまり、隊長は隊長は給料も地位も名門の家柄もあるのに、娘さんに財布を握られて一銭も自由にならない。ある意味、僕より哀れかもな……娘さんも少しは勘弁してあげればいいのに……確かにあの『駄目人間』に金を持たせてもろくなことに使わないのが目に見えてるけど……このままじゃ違法行為に走ってとんでもないことになるぞ』
誠はひよこの言葉を聞いて隊長である嵯峨に同情しつつその『駄目人間』ぶりから金を持たせてもろくなことにならないことを再確認した。
「それじゃあ……サラ!小夏ちゃんに連絡した?今回はいつもお世話になってる月島屋の人達にも来てもらってよりサービスを向上してもらおうとも考えているんだから!その点は抜かりはないわよね!」
アメリアは手にしていた名簿を自分によこすようにと手を伸ばしてきたかなめに手渡した。
家村小夏。彼女が看板娘を務める『月島屋』と言う焼鳥屋は『特殊な部隊』の終業とともに隊員達が集う憩いの場だった。
特にその払いは全てランが引き受けると言い切っている以上、タダで好きなだけ酒が飲める『月島屋』の存在は『特殊な部隊』にとっては無くてはならない存在だった。そして、そこの美人女将で小夏の母親である三十路半ばの和服美人家村春子はある意味理想の女性像を体現したものと隊の男性隊員はみな思っていた。
「うん!ちゃんと予定空けてもらってるわよ!春子さんもお店を閉めて参加するって!楽しみにしてるって喜んでたわよ!」
ピンクのセミロングの髪をかき上げながらサラは元気にそう答えた。
「小夏ちゃんも来るんですね。なんだか楽しくなりそうですね」
誠はそう言って一人手持ち無沙汰にしているパーラに声をかけた。
「そうね……この前のゲリラ即売会にも来てたしね。イベントを一番楽しみにしてるのは小夏ちゃんだもの」
アメリアの言葉でいかにこの『特殊な部隊』が、年中イベントだけをやっている暇人の集団であるかが誠にも分かった。
そして実働部隊の夜の拠点となっている焼鳥屋『月島屋』の看板娘、家村小夏と女将の家村春子の二人もこういうイベントには欠かせない存在なんだと誠はこの会話から理解することができた。
「これで、小夏ちゃんと春子さんが来て……この人数だとバスは一台で済みそうだけど……まあ安くつくには越したことないわね。でも問題なのは……誠ちゃんよね」
アメリアはそう言いながら誠を見つめた。
全員の視線が誠に向いていた。
誠はひどい乗り物酔いをする癖があった。
『近藤事件』への出動前に運用艦『ふさ』の母港多賀港へ向かうバスの中でも誠は吐しゃを続けた。さらに『ふさ』に乗艦したらしたで、今度は宇宙酔いで一週間にわたり医務室に監禁される羽目になった。
まず誠はその乗り物酔い体質から旅行というものをしたことが無かった。それどころか用があって近郊まで電車で移動するだけでも途中で何度も気分が悪くなって降りるということでその移動には異常に時間がかかる困った体質だった。
隊では誠のことを『もんじゃ焼き製造マシン』と呼んでいた。
そんな自分の体質が迷惑をかけることになるのはわかっているので誠は弱弱しい声で説明を始めた。
「『近藤事件』の時にクバルカ中佐特製の薬局では手に入らない強い酔い止めを飲めば……大丈夫ですよ……たぶん……あの薬を飲めば、たぶん大丈夫です……『スカイラインGTR』で月島屋に行く時も、吐かなかったですし……たぶん……今回も……」
そう言ってみる誠だが全く自信は無かった。
「誠ちゃんって、もはや『自走式もんじゃ製造機』よね。猫が毛玉、誠は胃の中身。ほら、自然の摂理!」
アメリアは誠を猫扱いすることで自分を納得させていた。
『摂理って言うな。猫と違って、僕は泣けるんだぞ……』
誠はアメリアの決め付けに瞳が潤むのを感じていた。
「……まあ要するに、僕は“吐く生き物”扱いされている。猫の毛玉レベルで」
誠は諦め半分に自分が猫扱いされる程度にはこの『特殊な部隊』の特殊な環境には慣れ切っていた。
「アメリア、それはフォローになってねえぞ。神前を少しは人間扱いしてやれ。自分達『ラスト・バタリオン』が人間扱いされないのをあれだけ怒ってるくせにおかしいじゃねえか」
笑っているアメリアにかなめがそうツッコミを入れた。
「……たぶん……吐く回数は少ないと思いますよ。それに、あれからはシミュレータの中で吐く回数も減ってますし……」
誠はなんとか自分に火の粉が降ってこないように言い訳をした。
「それでも吐いてるじゃねえか。それは事実だろ?吐かねえ保証はあるのか?」
かなめは冷やかすような口調で誠に向けてそう言ってきた。
「それは……保証はできませんけど」
「保証できないって……つまりまた『もんじゃ焼き』生産フル稼働ってことね。分かった。バスにビニールシート敷いとくわ」
明らかにうんざりするような視線を投げてくるかなめを見ながら、誠はただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。