第27話 夜のバーと姫の本音
ドレスを身にまとい先頭をあるくかなめが振り返ると誠の肩を持って島田に向き直った。
「島田。悪りいがこいつ借りるぜ」
そう言うと部屋の中に置き去りにされた飲みかけのコーヒーをもの惜しげに見つめている誠の横に立ち、肩に手を当てた。
「アタシなりの詫びだ、付き合え」
そう言うと有無を言わさず誠をつれて、そのまま静かに部屋を出た。カウラとアメリアは突然のことに呆然として宴席に取り残されるだけだった。
そのまま通路を通り抜けた二人はホテルのエレベータに向かう。
「何を?どこに付き合うんですか?」
誠はいつものこととは言え気まぐれなかなめの態度に少しムッとしながらそう尋ねた。
「まあいいから付き合え。オメエからしたらアタシが居るのにふさわしい場所だ」
エレベータに乗り込んだかなめはいつもの自然体のかなめに戻っていた。
そしてたどり着いたのは地下だった。その雰囲気はかなめが言う通り彼女に似合っていると誠は思った。
そこは先ほどまでの明るい雰囲気とまるで違った。上の階の華やかな落ち着きと違うどちらかと言えば危険な香りがする落ち着いたたたずまい。実に静かな雰囲気のバーにかなめが向かう。
店には客はいなかった。それでも一人年配に見える女性ピアニストがジャズを弾き続けていた。流れていたのはコール・ポーターの古いスタンダードだった。かなめは笑顔を振りまくピアニストに微笑みかけた後、ドレスのスカートを翻すようにしてカウンターに腰掛けた。黙って見つめるかなめの隣の席に誠は当然のように座る。誠はあまりにも自然で自分でも不思議な感覚にとらわれていた。
「凄いですね……こんな素敵なバー初めて来ました」
誠はその『もんじゃ焼き製造マシン』としての宿命から友達が少なく、こんな洒落た場所に来る機会などこれまでなかった。ピアノの旋律がビル・エヴァンスを思わせるような静謐さを帯びていた。そんな雰囲気に似合いすぎるかなめの姿を見て誠は息をのんでいた。
「そうか、アタシはこういう場所が好きなんだ。マスターいつもの頼む」
慣れた調子でバーテンにそう言うと、かなめは手袋を外し始めた。バーテンはビンテージモノのスコッチを一瓶と氷が満たされたグラスを2つ、二人の前に置いた。
「アタシの産まれと性格のギャップに気づかなかったアタシが馬鹿だったんだ。柄にもねえことするからだな。罰が当たったんだな。オメエもそう思ってんだろ?それにオメエに理解できねえような甲武の仕組みを教えたところで無駄だったのも分かってる。知らなきゃ知らねえで良いことなんだ」
かなめはそう言いながら氷の満たされたグラスを手にした。乱打するような激しい曲が終わり、今度は静かなささやきかけるような演奏が始まった。
「そんなこと無いですよ!僕が、その……ええと……確かに運用艦で食べた『釣り部』の釣ってきた新鮮な魚料理もおいしかったですけど今日の一流シェフが料理する魚もおいしかったですよ。それに今日かなめさんの素敵なこともよく分かりましたし……確かに言ってることはよく分からなかったですけど」
言い訳をしようとする誠にかなめはいつものどこか陰のある笑みで応える。誠は申し訳無さそうに顔を上げる。そんな彼を首を横に振りながらかなめは見つめる。
「気にすんなよ。アメリアの口車に乗ったアタシが馬鹿だったんだ……多少は大公らしいとこを見せろってな……貴族に生まれてうんざりしているってのによ。アタシだって好きであんな家に産まれた訳じゃねえんだ。オメエみてえに普通の家に産まれたかった」
スコッチが注がれた小麦色のグラス。かなめはそれを手に取ると目の前に翳して見せた。そして静かに今度は誠を見つめる。誠も付き合うようにして杯を合わせた。ピアノの響きは次第にゆったりとしたリズムに変わっていく。誠とさして歳が違わないように見えるバーテンは静かにグラスを磨きながらピアノ曲に浸っているように見えた。
「言い出したのはやっぱりアメリアさんですか」
確かに今回の食事会は仕掛けが凝りすぎていた。それにかなめに難しいことをしゃべらせるように誘導したのもすべてアメリアの仕業だった。
「まあな……あのアマ……人を調子に乗せるだけ乗せてはしごを外しやがった……糞が!」
多くは語りたくない。そんな雰囲気で言葉を飲み込みながらかなめはスコッチを舐める。なじんだ場所とでも言うようにかなめは店に並ぶ酒を見つめる。
かなめのその目は安心したと言う言葉のために有るようにも見えた。
誠はそう思いながら慣れない苦いスコッチを舐める。舌に広がるアルコールの刺激。それを感じてすぐにグラスをカウンターに置いた。静かな曲は日が暮れるように自然に沈黙に引きずられて終わりを迎える。
「済まないな、暇で。今日はアタシの貸切みたいなもんだから。この掻き入れ時に貸し切りなんてことを言い出した勝手なアタシを許してくれよ」
かなめがバーテンに声をかけた。バーテンは落ち着いた笑みを浮かべ首を横に振る。そしてかなめは再びグラスをかざして中の氷が動く様をいとおしげに見つめていた。
「それにしても藤太姫様。いつもの……葉巻はやられないんですか?出しましょうか、愛用の『コヒーバ』」
上品そうにひげを蓄えたバーテンがそう言ってなじみの客であるかなめに向けて笑いかける。
「ああ、今日はこいつがいるからな。今日は葉巻は無しだ」
バーテンの一言に軽くかなめが誠の顔を一瞥した後微笑んだ。
「やっぱこっちのほうが合うぜ、アタシは。ああいう貴族の気取った世界が嫌いで軍に入った癖に、三つ子の魂百までってのは本当だな。ドレスを着るときっちりお姫様の動きになっちまう。このがらっぱちのアタシがまるで嫌でしてる演技みたいに見えたかもしれねえが……そんなことはねえんだ。こっちが本当のアタシだ。でもアタシには神前みたいな剣も、法術もねえ。ただ銃が上手いだけの戦う機械……それがアタシのすべてなんだ。だからせめて、この服くらいは、堂々と着てなきゃな……まあ、庶民しか居ねえ東和共和国で育って『光の剣』と言う必殺技まで持ってるヒーローのオメエにゃあアタシの気持ちは分からねえだろうな」
かなめは自虐的にそう言った。
そんなかなめを見ながら誠は着飾っていながらどこか陰のあるかなめに惹かれていた。かなめにはワインよりもスコッチの水割りのほうが似合う。誠も同じ意見だった。今のかなめの姿はまるで舞踏会を抜け出したじゃじゃ馬姫のようだ。その方が彼女にはふさわしい。口には出さないが誠はかなめを見ながらそんなことを考えた。
「でも島田さん達はそれなりに喜んでたじゃないですか。人によるんですよ」
そんな誠のフォローにかなめは心底呆れたような表情で彼を見つめる。
「ヤンキーとその連れの馬鹿娘達が喜んでもな……ひよこは良い。アイツは苦労人だから。母子家庭に育って今でも弟達の学費を給料から仕送りしてる……無駄遣いばかりのアタシとは人格が違うな……そう思うだろ?オメエも」
かなめの自虐に誠は首を横に振った。
「人それぞれですよ。かなめさんはかなめさんです。今のかなめさんは素敵ですよ」
ふと見たかなめの顔に悲しげな影がさしているように誠には見えた。
「着慣れたドレスを褒められてもうれしくねえよ。いつものラフなスタイルの時にそう言え。そっちの方がうれしい」
かなめらしいひねくれ具合に誠は戸惑いつつ微笑んだ。
「やっぱりあれですか、西園寺さんはああいった食事をいつも食べてたんですか?甲武にいる時は」
誠は話題が思いつかずに地雷になるかも知れないと感じながらそう言った。
「うちは和風……と言ってもおふくろは料理なんか出来ないから、家事は全部食客任せだけどな。おふくろはアタシと同じで家事なんかできねえ。アタシはおふくろ似かな……あれも『鬼姫』なんて呼ばれてる戦う女だ。まあ、法術師としての素質を受け継がなかったのはアタシとしては残念だがな」
かなめはそう言うといかにも残念そうにロックのスコッチの入ったグラスを口に運んだ。強さにこだわるかなめとしては法術師として覚醒できない自分を情けなく思っている。誠にはそんな彼女の弱さを知って自分が持つ力はむしろ彼女にふさわしいと思うようになっていた。
「そう言えば西園寺さんの話題に時々出てきますけど食客ってなんです?」
かなめの発する聞きなれない言葉に誠は首をひねった。
「居候だよ……アタシの実家にはものすげえ数の芸人とか、書生とか、学者の卵なんかが住んでるんだ。そいつ等が当番でうちの家事をやるわけ……まあ、アタシの実家は敷地がでけえからな……長屋みたいなのがあってそこに寄生している連中だ……昔の中国の『田文』とか言う偉い人の故事を聞いた数代前の当主が始めたんだが……それが今じゃあ万単位の人数がうちの敷地内に住んでるんだ。あれじゃあまるでスラム街だぞ。ただアタシとしては平民の暮らしを知るいい機会だった。ああ言った人間でこの国は構成されているんだなって実感できた。他の貴族の家じゃあ平民の暮らしなんて見る機会なんてねえだろうからな」
立派な屋敷に薄汚い貧乏人達が居候している姿は誠には想像もできなかった。スラム街と言うくらいだから数万の居候達は長年西園寺家で生活しているのだろう誠はかなめの家が想像を絶する広さの敷地を持っていることを知って驚いていた。
「そうですか……それでかなめさんは平民の西とかにも優しいんですね」
誠はそう言ってかなめに向けて笑いかけた。そんな誠を見てかなめは照れたような口元をグラスで隠してみせる。
「アタシが優しい?そんなこと言う奴は初めて見た。まあ、誰にでも分け隔てなく接しろってのが親父の教えだ」
庶民の誠には全く理解できない規模の話に呆然とするしかなかった。
そう言ってまた一口、かなめはウィスキーを口に含む。高音域をメインとしたやさしいピアノ曲が流れる。
「うちの母は料理が趣味でしたから。まあ和風と言えば和風の料理ですけど、時々、お試し料理と言ってなんだかよく分からない料理を食べさせられることも結構ありましたけどね。やっぱりアメリアさんが言うようにかなめさんと僕は違いすぎますね」
誠も付き合うようにグラスを傾ける。その姿にかなめは時折本当に安心したときにだけ見せる笑顔を誠の前で見せる。
「へー母ちゃんの手料理ねえ……うちの鬼婆は死んでもやらねえだろうがな!アイツはかえでと一緒で社交界が好きで好きで……料理とか掃除とかそういったこまごまとしたことはまるっきりしねえんだ。まあ、あの性格じゃあそもそもやれって方に無理があるんだろうがな」
そう言い放つといつもの笑顔がかなめの中に見えた。誠はそれがうれしくてかなめの空になったグラスに酒を注いだ。
「来年は菰田達の方に顔出すか。二日連続バーベキューでもいいじゃねえか。要は焼くものを変えればいい。初日はシーフードで二日目は肉とか」
ようやく吹っ切れたようにかなめは伸びをした後、誠が注いだグラスを口元に運んだ。一端止んだピアノの音が復活を宣言するかのように激しい曲を奏で始めた。
「それにしても……いい酒ですよね、これも」
誠はよくわからないスコッチの瓶を指差す。
「まあな。だが気にするな。それ以前に飲みすぎんなよ。明日は朝から野球の練習だ。それに備えろ」
かなめにそう言われると誠は逆に酒の銘柄が気になった。
「ジュラ……」
「まあいいじゃないか!オメエ飲みすぎだ!帰るぞ!」
かなめの仕草でそのスコッチが知られた銘柄ものであることを察した誠はかなめに急かされるように店を後にした。
「でも……」
「明日もあるんだ!さっさと寝ろ!」
かなめはそう言うとハイヒールの割には素早くエレベータにたどり着きそのまま誠を階下に残して姿を消した。
「僕……このまま帰るんですか……」
誠はかなめの気まぐれにただ呆れながらエレベータのボタンを押した。
「なんだったんだ今日は」
今朝からの濃密な一日の内容にただ呆然としながらエレベータを眺めていた。全身に痺れたような感覚が残っている。
「こりゃあ酒が明日まで残るな……」
後悔ばかりが残る中、よたよたと開いた扉に吸い込まれた。




