第23話 かなめ様、本日お嬢様モードにつき
「ただいま戻りました……って、島田先輩、なんです?その恰好。」
大浴場を出て部屋に帰った誠が見たものは信じられない光景だった。
『この旅行は野球部の合宿でしょ?そこで礼装?まさか……何かあるの?確かに僕も『ちゃんとした服を持ってこい』って西園寺さんに言われたけど……』
誠は混乱しながら礼服姿の島田を見つめた。
「風呂行ってきたのか?へへーん。どうだ?少しは様になるだろ?」
部屋に戻った誠を待っていたのは黒い礼服のネクタイを締めている島田だった。部屋にいるのは島田一人で、先ほど疑り深い目で散々見つめられたので会いたくなかった『ヒンヌー教徒』菰田の姿はそこには無かった。
「何ですか?島田先輩がそんな正装なんかしちゃって……らしくないですよ……いったい何が有るんです?教えてくださいよ」
誠は状況が読めずに、思わずそんな言葉を口に出していた。確かにヤンキーの島田には整備班のつなぎか暴走族の特攻服しか似合わない。誠から見ても礼服を着た島田はその茶髪もあってホストかキャバクラの客引きにしか見えなかった。
そんな誠の言葉に島田は大きなため息をついた。
「うるせえ!俺だって立派な社会人だ!フォーマルの一着も持ってる!似合わねえのは十分承知の上で着てるんだ!そんなこと敢えて口に出して言うんじゃねえ!全く」
島田にも自分にフォーマルな服が似合わない自覚は有る様だった。それに似合わない自覚もあるようなので誠はなぜか安心した。
「じゃあなんでそんな服着てるんですか?確かにこのホテルはドレスコードとかありそうですけど、ネクタイしてれば別にそんな堅苦しい恰好しなくてもいいじゃないですか?何もそこまで格式張らなくても……」
旅行に行ったことが無い誠もホテルやレストランによってはドレスコードでネクタイが義務付けられているくらいの知識はあった。テレビで見る限りネクタイさえしていればオールオッケーくらいの認識しか誠には無かった。
「そりゃあ西園寺大公殿下主催の食事会に出るためだよ。聞いてなかったのか?礼服持参とちゃんと言われてたろ?貧相な背広を着て行ってみろ……後で西園寺さんに『恥をかかせやがって』とか難癖付けられて射殺されるぞ。さては趣味に金を使いすぎて礼服が買えねえんだな……全く困った奴だ」
金が無いのは人の事を言えないじゃないか。誠は口をついて出そうになった言葉をようやく飲み込んで冷静を保った。
確かに見栄っ張りなかなめならそういう無理難題を押し付けてくるのも分かる。そしてそれを理由に自己の快楽を追求するための残虐行為を行いかねないのは誠も知っていた。
「確かにそうですけど……島田先輩。別にフォーマルなんか着なくたって礼服って東和軍の儀仗服とかで十分じゃないですか?島田先輩は東和陸軍からの出向だから支給されてるでしょ?東和陸軍の儀仗服……入隊の時に支給されないんですか?東和陸軍では。僕は東和宇宙軍ですけど入隊式の為に支給されましたよ、儀仗服」
そんな誠の言葉に誠が全く事態を呑み込めていないことに呆れ果てたとでもいうように島田呆然と立ち尽くす。
「お前なあ。俺達は野球部の練習もそうだが遊びに来てるんだぞ?仕事を想像させるようなもの着るかよ。それに俺の儀仗服は改造済み。襟を詰襟にしてボンタン長ランにしたからドレスコードには間違いなく引っかかる。それともあれか?礼服の一着も持ってないわけじゃないだろうな?まったくプラモとアニメ二ばかり金を使ってるからだ」
島田がそう言うと確かにそれが事実だったので誠はうつむいた。大きなため息が島田の口から漏れた。
仕方なく誠はバッグの中から濃い緑色の東和陸軍の儀礼服を取り出した。
「なんだかなあ。そんな堅苦しいの、僕は苦手なんだけどなあ」
そう言いながら服を着替える。窓の外はかなり濃い紺色に染まり始めている。ワイシャツに腕を通し、ネクタイを締めた。
『ベルルカンの少年兵……』
先ほど風呂で会った少年のことを思い出していた。近年、荒れに荒れた『修羅の国』と呼ばれたベルルカン大陸には安定が戻り始めていた。すでに五か国が遼州同盟に正式加盟し、その中にはアンの国『クンサ』も含まれていた。
『まあいいか……ただの偶然だろ……それにしてもクンサの軍ってお金持ってるんだな。こんな高級なホテルに派遣要員を泊まらせるなんて。あの『修羅の国』ベルルカン大陸も情勢が安定すれば変わるものだ』
誠はアンの存在を不思議に思いながら、ベルトをきつく締めて部屋から出かけることにした。
「神前、ちゃんとついて来いよ。このホテルは広いから迷子になったらことだからな」
ドアのところで着替え終わった誠を待っていてくれる辺りに誠は島田の男気を感じた。
「島田先輩、馬鹿にしないでくださいよ。ちゃんと食事をする場所がどこかはバスの中でパンフレットを見て覚えてきました。それに僕って道を覚えるの得意なんですよ。迷子になったことなんて一度もないんですから」
島田に導かれて部屋を出て廊下を進む誠達はエレベータルームに向かった。
「桔梗の間か。名前まで和風なんだな。これも西園寺さんの趣味かな?」
そう独り言を言って上昇のボタンを押す。静かに開くエレベータの扉。誠は乗り込んで五階のボタンを押した。
上昇をはじめるエレベータ。上昇音は静かで東和宇宙軍の本部の古ぼけたエレベータが発するような異音は一切しなった。四階を過ぎたところで周りの壁が途切れ展望が開ける。海岸べりに開ける視界の下にはホテルやみやげ物屋の明かりが列を成して広がる。まだかすかに残る西日は山々の陰をオレンジ色に染め上げていた。
誠はエレベータのドアが開くのを確認すると、目の前に大きな扉が目に入ってきた。『桔梗の間』と言う札が見える。誠はしばらく着ている儀礼服を確認した後、再び札を見つめた。
「ここで本当にいいのかな……神前!確か場所は覚えてるって言ってたな!」
誠の前を歩いていた島田は何も考えずにここまで歩いてきたらしかった。ある意味その無責任なところは島田らしいと言えるが、もし自分がパンフレットを見ていなかったらこの大きなホテルの中で二人して遭難していたかもしれないと思うと呆れるしかなかった。
「これまで何を考えてここまで歩いてきたんですか?島田先輩は。合ってますよ。ここで間違いないです」
いい加減な島田の言葉に呆れながら誠はそう言って扉を開いた。
一気に視界が開けた。天井も壁もすべて濃い紺色。よく見ればそれはガラス越しに見える夜空だった。だが誠が驚いたのはそのことではなかった。
その部隊のハンガーよりも広いホールに2つしかテーブルが無い。その1つの青いパーティードレスの女性が手を上げている。
よく見るとそれはかなめだった。誠は近づくたびに何度と無く、それがかなめであると言う事実を受け入れる準備を始めた。
白銀のティアラに光るダイヤモンドの輝き。胸の首飾りは大きなエメラルドが5つ、静かに胸元を飾っていた。両手の白い手袋は絹の感触を伝えている。青いドレスはひときわ輝くよう、銀の糸で刺繍が施されている。いつもの東和警察と共通の『特殊な部隊』の夏服にショルダーホルスターと言ういでたちのかなめの姿は今の彼女の姿からは想像もつかなかった。
「神前曹長。ご苦労です」
かなめはいつもの暴力上司とは思えない繊細な声で語りかける。誠は驚きに身動きが取れなくなる。だが明らかにそのタレ目の持ち主がかなめである事実は覆せるものではなかった。
「西園寺さん……その恰好は……」
着飾ったかなめを見る誠の心臓は一瞬、鼓動を止めたような錯覚すら覚えた。あれが本当に、いつも拳で机を叩いているあのかなめなのか……?誠には銃を振り回すかなめの変貌ぶりにただひたすら息をのむ事しか出来なかった。さすがは甲武国一の貴族の姫君である。いつものタンクトップにダメージジーンズをはいて、常にホルスターと銃を持ち歩く姿をレディーにふさわしいドレスに変えればかなめはまさに社交界の花形に成れる素質を持っているのである。誠はかなめの美しさに胸が高鳴るのを感じた。
「何事も時と場所を考えなさいとあれほど申し上げているでしょ?ささ、誠さん。緊張なさらずにくつろいでくださいな」
いつもの暴力娘の言葉遣いはそこには無かった。それは高貴なレディーにふさわしい優雅でエレガントな雰囲気を醸し出すものだった。
誠はそんなかなめの変わり身にただ立ち尽くすことしかできなかった。
「レディーを待たせるなんて、マナー違反よ。島田君が時間にルーズなのはわかるけど、誠ちゃんまで遅れること無いじゃないの」
その隣でアメリアは髪の色に合わせた紺色の落ち着いたドレスに身を纏っていた。アメリアがいつもの突拍子の無い文字の書かれたTシャツの私服以外に『ドレス』と呼べるようなものを持っている事実に誠は衝撃を受けた。ただ、アメリアが着ているドレスはかなめのように宝飾品を身に着けてキラキラ輝くそれでは無く、あくまでパーティーに出る時用と言う庶民でも手の届きそうなそれだった。
驚いている誠を見るとアメリアは微笑んで自分の隣に座るカウラに目をやる。カウラも誠と同じく、東和陸軍の儀仗服に身を包んでいた。
パチンコ依存症でそれこそランが言うには入隊当初はカウンセリングまで受けていたカウラにドレスを買うお金が無いことは誠にも容易に想像がついた。それ以前にあまり着るものの事を考えていないカウラにとってはわざわざドレスを用意するなどと言う発想は最初からなかったのだろうと誠は推察した。
「じゃあ、俺はあっちのテーブルだから。神前、くれぐれも粗相のないようにな。オメエの命のために」
そう言うと島田は誠を置いて奥のもう1つのテーブルに向って歩いて行った。
もうひとつのテーブルにはサラ、パーラ、そしてそわそわした様子のひよこが腰をかけて誠の方を見つめていた。サラとパーラは東和海軍の、そしてひよこが着ているのは東和陸軍の儀仗服だった。サラもパーラもかなめの気まぐれに付き合うほど暇ではないと言う顔をしていたし、母子家庭で家計の苦しいひよこにドレスを買う余裕などあるわけが無かった。
誠はカウラやサラ達を見てとりあえず自分の着ている東和宇宙軍の儀仗服がこの場のドレスコードはクリアーしている事実を知って少し安心した。
「あのー、他の方々は?」
誠がそう言うとかなめがいつもと明らかに違う、まるでこれまでのかなめと別人のように穏やかに話し始めた。
「ああ、菰田さん達ですわね。あの方達はこういう硬い席は苦手だと言うことで裏にあるバーベキュー場で宴会をなさるとか……明日のお昼もバーベキューをするのに。本当にバーベキューが好きなんですわね、あの方々は」
かなめの猫なで声を聞いてアメリアとカウラは明らかに笑いをこらえるように肩を震わせている。確かにいつもと同じ顔がまるで正反対の言葉遣いをしている様は滑稽に過ぎた。思わず誠も頬が緩みかける。
「この話し方はTPOって奴だ。笑うんじゃねえ」
声のトーンを落としたかなめがいつもの下卑た笑いを口元に浮かべて二人をにらみつけると、その震えも止まった。
黒の燕尾服に身を包んだ、動作の洗練された初老のギャルソンが静かに椅子を引いて誠が腰掛けるのを待っていた。こういう席にはトンと弱い誠が、愛想笑いを浮かべながら席に着いた。
『隊の食堂とはまるで別世界……まるで貴族の晩餐会だ……ああ、西園寺さんは甲武の貴族なんだよな。当然だよな』
誠はあまりの自分の置かれた場違いな雰囲気に戸惑いながらそんなことを考えていた。
「神前曹長。もっとリラックスなさっても結構ですのよ。カウラさんもそんな堅苦しい顔はなさらないで……ああ、そうですわね。堅苦しいのはいつもの事でしたわ。ホホホホホ」
そんなかなめが上品なジョークと笑いを口にするのを聴くと一同がまた下を向いて笑いをこらえている。誠は笑いを押し殺すと、正面のかなめを見つめた。
いつもの『がらっぱち』と言った調子が抜けると、その甲武四大公家の跡取り娘と言う彼女の生まれにふさわしい淑女の姿がそこに現れていた。
ドアが開き、ワインを乗せたカートを押すソムリエが二人とパン等を運ぶ給仕が入ってくる。誠は生でソムリエと言うものを初めて見たので、少しばかり緊張しながらその様子を見ていた。
「伺いますけど、今日は何かしら?」
ゆっくりと顔を上げたかなめはソムリエの隣に立つシェフの方にそう尋ねた。
「はい、今日は魚介を中心にしたコースとなっております。藤太姫様のお口に合うよう誠心誠意務めさせていただきますので、よろしくお願いします」
シェフはそう言うとそのまま厨房へと消えていった。
「皆様、どうぞお気になさらず……今日は心ゆくまで、美食と静寂を楽しみましょう」
かなめはそう言って上品なほほえみを浮かべて誠達を見つめた。その一連の二人のやり取りはかなめがこういった場をかなりの数こなしてきていると言う事実を示していた。
「お魚?じゃあ白がいいかしら……白ワインは今日は何をお選びになりましたの?」
かなめが上品にそういう様子がツボに入ったらしく、アメリアが必死になって笑いを堪えている。それを無視したソムリエは背後に運ばれてきたワゴンに向って振り返り、そこから氷で冷やされたワインを一便取り出す。
「ドイツのモーゼルがあります。2423年ものです。その年の気候はブドウの生育にあっていたらしく、非常にマイルドな味に仕上がっております。きっと要子様(かなめの本名)のご期待に沿えるものであると確信いたしております」
かなめの隣に立ったソムリエは静かにかなめに向かってワインを勧める。誠は一言も口をはさめずにただ黙り込んでいた。カウラもアメリアもにこやかな笑みを浮かべて黙っていた。
給仕によって目の前のテーブルが食事をする場らしい雰囲気になっていく様を見つめていた。ソムリエは静かに白ワインを取り出すと栓を抜いた。
いくつも並んでいるグラスの中で、一番大きなグラスに静かにワインを注いで行く。誠、カウラ、アメリアは借りてきた猫の様に呆然のその有様を見続ける。
「皆さんよろしくて?」
かなめが白い手袋のせいで華奢に見える手でグラスを持つとそれを掲げた。
「それでは乾杯!」
アメリアがそう言ってぐいとグラスをあおる。明らかにアメリアはかなめへの嫌がらせとして空気を読まない行動を取っている。誠もカウラもわざわざかなめの怒りに火をつけるような行動を平気でするアメリアに嫌な顔をした。
「あら、急がないで。ワインは焦って飲むものではありませんわ?」
説教。しかもいつものかなめなら逆の立場になるような言葉にアメリアが大きなため息をついてかなめに向き直った。
「かなめちゃんさあ。いい加減そのお嬢様言葉やめてよ。危うく噴出すところだったじゃないの!それにこういう時は一気に飲めって言ってるのはだれ?え?」
隣のテーブルの島田達は完全に好き勝手やっているのがわかるだけに、アメリアのその言葉は誠には助け舟になった。




