第2話 モテない英雄と世界の終わりの始まり
「まあ神前が『光の剣』で近藤の野郎を処刑した後だったからな……カウラが少し誠を頼もしく思ってそんなことを言わせる気分になったのかもしれない。あん時はアタシも神前が英雄に見えた。アタシはそんな気がする。まあ、神前が甲武の士族の生まれなんかでその面とガタイと高校時代の野球の実績が有ればその年で童貞なんてことは考えられねえとはアタシも思うんだけどね。でもここは東和で神前はモテない宇宙人の遼州人なんだ。ま、顔と成績が良けりゃモテるなんてのは、地球の話。ここじゃ遼州人の『童貞王子』が限界ってわけよ。現実って残酷だよな、神前?」
かなめはニヤついた顔を真顔に戻すと思い出したかのようにそう言った。
……『近藤事件』。
配属1か月の新兵・神前誠が“光の剣”で甲武国貴族主義者の近藤貴久中佐のクーデターを潰した、あの戦いから、まだ数週間しか経っていなかった。『法術師』の存在は以前から全宇宙の非公然な異能力として認識されていた。誠が近藤の旗艦『那珂』を地球圏や遼州圏の元地球人の国の艦隊のドローンが監視する中で『光の剣』を展開した。その『法術師』の力で一撃で巡洋艦を屠ったことでもはや遼州人には『法術師』と呼ばれる、地球人からすれば魔法使いにしか見えない存在が居ることは公然の事実となっていた。
英雄と持ち上げられても、本人は相変わらずただの『モテない宇宙人』だった。
作戦中の緊張感を思い出しながら、誠はそっとカウラの横顔に視線を向けた。
気丈な性格、それでいてどこかはかなげで、目を離せばどこかへ消えてしまいそうな印象のあるカウラとの約束。思い出すと恥ずかしくて身もだえてしまうような気分になる。
満足げに誠の隣まで歩み寄ってきたアメリアの姿を見ると、時々思い出したように将棋盤のわきに置かれている書類の束にハンコを押していた小学校低学年にしか見えない実働部隊副長、クバルカ・ラン中佐はそのまま立ち上がった。
そんなランを無視してアメリアは話を続けた。
「実はね、これは先週の私達運航部が豊川駅前でやった次の同人エロゲの即売会の慰労会も兼ねてるわけよ。あの時に客寄せに配った誠ちゃんが描いた『萌え萌えビラ』が大好評で……そっち系のオタク達がひそかに私達の情報を拡散してくれているのよ……まあ、ネタが下品すぎて、客が携帯端末で撮ってネットで流した映像が動画サイトの運営から削除されちゃったのが残念だけど。でも元ネタにした同人エロゲが売れてるから言うことなしだわね。おかげで次の作品はプロの声優さんの声も入れられるのよ!これで一挙にメジャーストリートに駆け上がれるわ!」
アメリアが出張に行く前に『エロゲ制作集団』の異名を持つアメリア麾下の運用艦『ふさ』の運航を担当する運航部が暇を見つけてはやっているコントや落語、漫才の練習の笑い屋、そしてアメリアが命を懸けている同人エロゲームは誠が絵師を務めさせられていた。
ここは『特殊な部隊』なのである。常識人などアメリアの尻拭い担当のパーラぐらいのものだった。
「海か?夏と冬のいつものことだろ?行ってこいや。どうせ9月まで海水浴場やってんだから。それに西園寺がもう練習用のグラウンドとか抑えてるんだろ?今更キャンセルも効かねーだろーし。それにあの近藤の野郎が生贄になったおかげでしばらくは過激な主張をする連中も大人しくしているだろーな」
ランがいつも通り隣に置かれた将棋盤から目を離さずにそう言うと、アメリアは大きく頷いて周りを見回した。
「じゃあ、機動部隊は全員参加でいいわね!まあ四人とも野球部員だしね。かなめちゃんは監督、カウラちゃんは正ショート、誠ちゃんに至っては秋になってリーグが再開したらサウスポーのエースになってもらうんだもの!当然名誉監督のランちゃんも参加よね?」
そう言うとアメリアは機動部隊詰め所を後にしようとした。
「ああ、アタシはパス!仕事だかんな!それに名誉監督はあくまで『名誉職』だ。アタシまで一緒に行って一々指図なんてしたら、監督の西園寺の顔が潰れるだろ?アタシなりの配慮って奴だ。楽しんでこいや。アタシは賑やかな場所は苦手でね。このなりだとどうしても餓鬼扱いして来る馬鹿が沢山現れる。アタシは戸籍上は34歳なんだ。餓鬼じゃねえ!酒も飲める!というか酒がねえと人生がつまらねえ」
ランが軽く手を挙げながらつぶやいた。
「えー!ランちゃんいないの?せっかくフリフリ衣装の魔法少女コスで宴会を盛り上げてもらおうと思ったのに!」
いかにも残念そうなアメリアの叫びが部屋に響いた。誠はこの『特殊な部隊』でアメリアを制御できる稀有な存在であるランが旅行に同行しないと言う事実に一抹の不安を覚えた。
「誰が魔法少女だ!冗談はさておき、機動部隊長は大変なんだよ、いろいろと。なんと言っても『近藤事件』で『ビッグブラザーの加護』が意味をなさなくなったのが痛えー。後々の戦術を根本から考え直さなきゃなんねーんだ。オメー等もそこんところ考えてからこれからのシミュレータでの訓練に励めよ」
誠は『近藤事件』で誠達を勝利に導いた『ビッグブラザーの加護』が消失したというランの言葉に驚いた。東和国民の乗艦する艦や操縦する機動兵器に攻撃を仕掛ければすべての敵対兵器を自爆させる究極の防御システム。そのシステムの消失の話を聞いて誠は身の毛がよだつのを感じていた。
「『ビッグブラザーの加護』ってあれですよね。東和共和国しか作れない『アナログ式量子コンピュータ』の複雑なコード構造を利用して、いとも簡単に敵のシステムに侵入可能なデジタルシステムに対する相性を生かしてこの宇宙に存在する東和共和国以外のすべての兵器にウィルスを製造段階でウィルスを仕込んで東和国民を攻撃しようとすると自爆させるというシステムですよね。まあ甲武国の兵器にも仕込まれていたのは当たり前の話ですから……あれのおかげで『近藤事件』では二十倍の敵相手に勝てたんですけど……どうして意味をなさなくなったんですか?」
『近藤事件』において、決起した巡洋艦『那珂』を旗艦とする近藤中佐の艦隊の保有するシュツルム・パンツァーは百機を超えていた。それを『特殊な部隊』の保有するたった四機のシュツルム・パンツァーで撃退できたのは、誠やカウラのような東和国籍を持つパイロットに攻撃を行うとシュツルム・パンツァーの持つミサイルや実弾兵器が自爆するという『ビッグブラザーの加護』が一役買っていたのは事実だった。
「考えてもみろや。これまでここ東和共和国は戦争をしたことが無かった。東和国軍の兵器に銃を向けるような馬鹿は一人も居なかったんだ。だから東和国民が『ビッグブラザー』の意志でその命が保証されているなんて誰も知らなかったんだ。だから東和の軍関係者以外の誰もが東和の国民がそんな加護を受けてることなんか知らなかったんだ。当然、近藤の味噌頭にもそんな情報は無かった。だから奴は見た目の戦力だけ見て勝てると踏んで決起したんだ。さも無きゃ東和国民相手にはどんな戦力も意味はねーと言うことも知らずに力任せの作戦なんて立てるわけがねー。アタシ等が目の前に現れた時点で降伏するくらいの脳みそはアイツにも有ったろ」
ランは真剣な表情で社会常識に疎い誠にそう語り掛けた。
「なー神前。あの事件で『ビッグブラザーの加護』が東和の裏技だったって、銀河中にバレちまった。今ごろ各国は血眼で自国の兵器を総点検中だろうよ。ウイルス、見つかるぜ。ワクチン、作られるぜ。……そうなりゃ、アタシ等の『神の加護』は消えるってわけだ。たとえどんなに少数の部隊でもそこに東和国民が乗ってるだけでその戦いは負けるってことが分かっちまった。その事実を知った各国軍は自国の兵器の制御システムの総点検をしているだろう。当然、ウィルスが発見されてワクチンが開発される可能性が高い。そうなれば『ビッグブラザーの加護』は終了だ。これからはあの戦いのようにはいかねーぞ。本当の技術と戦力が試される戦いになる。覚悟しておけ!」
相変わらず一人困ったような表情を浮かべて8歳幼女にしか見えない小さなランはかわいらしい小さな右手でペンを回していた。
「確かにそうですね。自軍が攻撃されないと知ってる東和共和国が侵略戦争を始めるという可能性が無いとは言えませんから。でも、東和の国是は『武装中立』で『いかなる戦争にも関与しない』って言うものでしょ?」
平和ボケした誠の言葉にランはあきれ果てた表情を浮かべた。
「あのなー。軍人って職業はあらゆる可能性に対応しなけりゃいけねーんだ。東和がその国是を覆して侵略戦争を始めることも当然その想定の中にある。それに対応するためにも『ビッグブラザー』が仕込んだウィルスの駆除をしなきゃなんねー。それに東和共和国の経済力は地球圏から見ても魅力的と言うより脅威だ。東和共和国を侵略するプランも考えてる国もあるかも知れねー」
恐ろしいことを言いだす『永遠の八歳女児』、クバルカ・ラン中佐の言葉に誠は冷や汗をかいた。
「……じゃあこれからはこんな戦力差の戦いがあったら、どうするんですか?僕の『法術』で全部の敵を薙ぎ払えって言うんですか?無理ですよ、そんなの」
誠は自分の専用機『05式特戦乙型・愛称ダグフェロン』を駆って近藤の乗艦である『那珂』のブリッジをその専用軍刀と誠の持つ『法術』の発する『光の剣』を発動して一撃で破壊した。
ただ、それは一隻の巡洋艦のブリッジを破壊しただけである。何十隻と言う大艦隊が相手となれば話は違ってくる。誠は『那珂』のブリッジを破壊した段階で力を使い果たして気を失っていた。
その時、黙って聞いていたカウラが顔を上げて静かに言った。
「確かに『ビッグブラザーの加護』が無くなるのは苦しいが、『法術』の存在が公表された現段階では攻撃的な動きを取る勢力の存在があることは考えにくいな。東和共和国は『法術師』の素養を持つ遼州人の国だ。神前だけが『法術師』であると考えるほどどの勢力も馬鹿じゃない。『法術』の研究をして十分に対策を立てなければ動くことは出来ないだろう。それまでの間は遼州系は平和なはずだ」
それまで黙って誠とランの会話に耳をそばだてていたカウラは顔を上げてそう言った。
「つかの間の平和って奴ですか……僕がもたらした……僕はそれだけのことをやったんですね……」
誠はカウラの言葉にどこか引っかかるものを感じながらそう言った。
『あの『光の剣』で、命を奪った。その感覚だけが、今も手の中に残っている気がする。……カウラさんは以前、人を殺すことに慣れるなと言った……僕も慣れたくない……でもこれからは本当の意味で力を使って人を殺し続けなきゃいけない……クバルカ中佐も僕を上回る『法術師』だというけど……きっと僕と同じような葛藤を心の中では繰り広げていたんだろうな……』
そんな自分を責めるようなところがある後ろ向きな青年。それが誠の特徴だった。