第15話 陽気な出発、陰気な裏事情
「若者達はいいねえ。野球部の合宿か。俺も最初の試合までは呼んでくれたのにな。ファーストの守備なら自信あるんだ。俺も神前と同じ左利きだから」
窓の外を隊の敷地から出て行くバスを見送りながら嵯峨は恨めしそうにそう言った。
「その試合でファーストの守備中にタバコを吸って、リーグから永久追放食らったんだったな。馬鹿だよなー隊長は」
隊長席でのんびりとタバコをふかしながら、嵯峨は窓を開けて身を乗り出すようにして通用門に向かうバスを眺めていた。その背中で仕事をさぼって合宿に行きたがる上司に対し軽蔑を込めた言葉をランはぶつけた。
「ラン。お前も行けばよかったのに。お前さんは俺と違って野球部の名誉監督で行く資格はあるんだ。そのうち騒がしくなったら遊びにも行けなくなるぜ」
振り向いた嵯峨の一言にランはめんどくさそうに口を開く。
「確かにそうなんだけどよー……隊長がまだ出すなって言ってる『近藤事件』のオープンにできる報告書の方の直しが有ってな。それにアタシまでここを空けたら面倒なことが起きた時、誰が対応するんだよ」
ランはソファーに腰掛け、隣に立っている司法警察と同規格の制服を着た女性を見やった。黒いセミロングの髪の女性は、胸の前で手を組み、立ったまま嵯峨の様子を覗っている。
「秀美さん、とりあえず腰掛けたらどう?汚いところだけどさあ……」
嵯峨は窓のサッシに寄りかかりながら笑顔でそう言って見せる。そこにはいつもには無いかつての『戦友』を見るような視線を向ける女性の姿があった。
「服が汚れるから止めておくわ。嵯峨さん、整理整頓と掃除は仕事の基本じゃないの?最後にこのソファーを拭いたのはいつかしら?」
やわらかい笑顔を浮かべながらこの『特殊な部隊』の隊員とはどこか毛色の違う雰囲気をまとう安城秀美少佐はそれを断った。
「そうだな……ラン、西の奴が暇な時に頼めるようになんとかならないかな」
嵯峨は安城に対する明らかに気のある気の使いようとは別の気の置けない相手の様にランにそう言った。
「テメーの部屋ぐらいテメーで掃除しろ!『駄目人間』」
ランはそう言って嵯峨の指示に対して罵声で答えた。
「掃除は苦手なんだよなあ……そうだ!茜が今度ここに来るから茜に頼もう!」
静かだが明らかに軽蔑したような安城の視線に嵯峨が身をすくめる。
「いい大人なんだから、娘さんに頼るのもいい加減にしたら。昔からそうよね、嵯峨さんは。嵯峨さんがフリーの弁護士時代。私が公安の役人だというのに外部に出しちゃいけない情報を平気で出して当然というような顔で聞いてくる……あの時から変わらないのね」
安城はそう言って嵯峨を冷たい視線で見つめた。
「秀美さんも厳しいなあ……あれは俺が一目ぼれした女にしか見せない態度。そう思うと自分がいかに魅力的だって分かるでしょ?そう言うことにしておいて」
嵯峨は開き直るようにそう言った。安城は立ったまま困った子供を見守る母親のような視線を嵯峨に向けた。
司法局の正規の特殊部隊である公安機動隊隊長の安城秀美少佐はそんな視線を向けながらも、自分が一番頼りにしているのが目の前にいる嵯峨である事実を思い出して苦笑いを浮かべた。
「それより近藤資金の生データがなぜうちに来ないのか、説明して貰えるかしら?私と嵯峨さんの仲じゃないの。私は嵯峨さんを惚れさせた女なんでしょ?それに私に流すだけなら情報の水漏れが無いのは保証するわ。おそらく『ビッグブラザー』にも知られることはない。それなのになぜ?」
詰問するような調子で安城は嵯峨を見据えている。その鋭い視線は数々の修羅場をくぐってきた嵯峨でさえ一瞬怯ませるものだった。
『公安の女剃刀』それが陰で安城のことを人が呼ぶ隠語だった。秘匿性の高い情報を扱わせることと、特に危険性の高い武装組織への強硬手段の指揮に関しては東和共和国でも彼女の右に出るものは居なかった。
「中佐殿。あれだけだろ?ウチで把握してる資料って……」
嵯峨は助けを求めるようにランに視線をやった。
「例の近藤の裏資金、要するに軍の黒金だな。確かにあれだけ……」
嵯峨はようやく執務用の椅子に戻って目の前の決済済みの書類の山をぺらぺらとめくる。彼は決して安城を見上げようとはしなかった。ただ、安城は視線を嵯峨からランに変え、鋭い視線でランを見つめ続けた。
「諦めろよ、隊長。安城少佐相手に隠し事なんてするだけ無駄だ」
安城が東和共和国屈指のハッカー能力を持つことを知っているランのそんな一言を聞くと、嵯峨は仕方がないと言うように手元にあった紙切れに四文字のカタカナを書き付けて机の端に置いた。
「それで正面からウチのシステムに入れますよ。そこに入ってますよ。ちゃんと見やすいように俺が整理しときました。偉いでしょ。褒めてちょうだいよ」
それを見ると安城は歩み寄ってその紙切れを拾い上げた。安城は目的を果たしたというようにようやく嵯峨の満足できるような妖艶な笑みを嵯峨に向けた。嵯峨の視線か秀美に釘付けになった。
「秀美さん。今日はこんな紙切れのためだけにこんな豊川くんだりまで来たんじゃないんでしょ?本当の目的、教えてよ」
ランが見ていることに気がつくと、嵯峨はそう言いながら咳払いをして椅子に深く座りなおした。
「そうね。法術特捜部隊の設立に関して同盟司法機関直属の実力部隊としての総意を取り付けようと思って……今度設立させる『法術特捜』の拡張充実の件、それは早急かつ万全である必要があるということで」
ようやく穏やかな表情に戻った安城が嵯峨を見つめる。
「それなら次の司法局の幹部会にでも……」
嵯峨は期待を裏切られたとでもいうように残念そうな表情で視線を机に落とした。
「あら、いつもそこで居眠りばかりしている人は誰なのかしら?おかげで司法局には無駄飯食いが多いと軍や同盟幹部から突き上げを食らうのはいつだって私なのよ。分かってるのかしら?」
そこまで言うと参ったと言うように嵯峨は両手を頭の後ろに持ってきて苦笑いを浮かべる。
「きついなあ、秀美さんは。あの会議には『ビッグブラザー』の息のかかった連中も出てる。そんなところで何を話したって無駄だよ。情報と言う奴は信用が置ける場所でしか表ざたにするものでは無い……鉄則でしょ?そんなの」
嵯峨のそんな態度に安城は明らかにいらだっているように大きく見せ付けるように息を吐いた。
「パイロキネシス……いわゆる人体発火能力のように以前からのテロ行為とのハイブリッドの攻撃だけならうちでも対応可能かもしれないけど……。戦術的な意図を持って法術を使用してのテロが行える組織が存在するようならうちの手には余るわ」
ここまで言うとさすがに嵯峨も関心がある話なのでそのまま安城を見上げるようにして机の上に頬杖を付いて真剣に聞き入る。
「それにウチはにはここの神前君や嵯峨さん、そして『人類最強』のクバルカ中佐みたいな法術適性上位クラスの隊員はいないのよ。あくまで私のように軍用義体持ちのサイボーグによる急襲作戦が主体……物理攻撃以外を仕掛けてくる相手は手に余るわ」
大きくため息をつく安城を見ながら嵯峨はタバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。
「確かに同盟機構の上層部が機動部隊であるうちと対テロ部隊の秀美さんの部隊の設立には積極的だったのは法術の公表の前の話だからね。自爆テロと爆弾テロを組み合わせてるとか、同盟加盟に難色を示す一部の軍部隊の暴走やベルルカンで動いている同盟軍の側面支援とか。そんなことしか頭に無かった偉い人には法術犯罪の専門部門を司法局に新設する必要性なんて感じてないかもしれないねえ」
諦めたように静かにつぶやく嵯峨。ランも黙ってその様子を見つめている。
「つまり法術絡みになればうちはお手上げなわけよ。新設される『法術特捜』のフォローは嵯峨さんの所でしてもらわないと困るのよね。たぶん手に余ることが多いでしょうけど……主席捜査官とそれの補助の捜査官一名。どう考えても人員不足は明白だわ。司法局は法術に関しては軍事利用は条約で禁止されているのだから各国で対応してくれってお考えのようね。でもこの司法局本局が置かれた東和の首都東都で大規模な法術テロが行われるなんてことは想定しているのかしら?それを捜査官二人で対応する……司法局本局はよほど東都警察のことを信頼しているみたいね。まあ、嵯峨さんの『特殊な部隊』の例があるから法術師を抱えるだけ経費の無駄だと判断しているのかもしれないけど」
そう言い切られて嵯峨は困ったような顔をして押し黙る。
「そんな顔しても無駄よ。まあこちらの領分、既存のテロ組織関連の事件ならいつでも引き受けるつもりよ。そこは今まで通り任せておいてくれないかしら」
穏やかな口振りだが、語気は強い。ソファーに腰掛けたランが伸びをすると、困ったような目で安城を見つめる嵯峨の姿があった。いつまでも困った顔を続ける嵯峨に安城は大きくため息をつく。
「先週の同盟司法会議でも柔軟に対応すると言うことでお手伝いが出来るような体制を作るように上申しておいたの見てなかったの?まあ嵯峨さんはまた寝ていたみたいだけど」
寝ていた事実を指摘されるとさすがの嵯峨も頭を掻きながら手にしたタバコの箱を転がすことしか出来なかった。そのまま嵯峨は再びどっかりと椅子に体を預ける。
「だってさあ……頭の固いお偉いさんに具体的な事例も挙げずに戦力強化のお話なんて……結果が見えてるもの。話しをするだけ体力の無駄だと思ってたからねえ」
とぼけたような嵯峨の態度に安城は苛立つばかりだった。
嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。
「何、これ」
安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。ランはそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かに頷いていた。
「プレゼント。という事でどう?さっきのとは別。たぶんこれの存在は秀美さんも知らないんじゃないかなあ」
嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。
「見ないのか?隊長は」
ランは嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。
「見たよ。ランよ、うちの情報将校達もよくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」
そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。
「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」
安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。
「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに俺も苦労したよ」
そう言うと嵯峨は相変わらずの間延びした顔で安城に目を向けた。
「末端組織まで……諜報局からのデータにいくつか加筆したのか?出所は……『ビッグブラザー』の独占している裏情報ルートをたどったな?でもどうやって……って聞くだけ無駄か。隊長は絶対情報ソースは秘匿するからな」
見上げたランの先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。
「『東ムスリム革命戦線』、『皇国の旅団』、『聖職者会議』。これらの組織がまあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……甲武の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……甲武の演習場の管理人にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金と分配の能力は政治家、しかも派閥の領袖だって務まるよ。殺すには惜しい男だったというところかな」
嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。
「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」
安城の目色が変わる。
「遼帝国の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役のアメリカ海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」
いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。
「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」
苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答えた。
「このところベルルカンの『失敗国家群』が妙に静かじゃない?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ。年中新聞を騒がせてきたおなじみのテロ組織、『東ムスリム革命戦線』は去年の一年間で法術テロを5件やってるが『近藤事件』以降はまるで音沙汰が無い、遼帝国の遼州人至上主義を掲げる『皇国の旅団』もアングラサイトでの同志の勧誘を停止した、ベルルカン大陸で地球圏の指揮命令下にあるとされる『聖職者会議』。こちらもまた定期的に更新しているアジテーションのサイトの更新を停止している」
安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。
「『近藤事件』以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」
ようやく気がついたかのように安城はそう言った。
「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」
嵯峨は相変わらず安城を惑わすような曖昧な言葉づかいで事態を説明した。
「つまり、正体不明の資金がどこかに流出しているって言う訳?確かに甲武の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど……やはり『廃帝』ね」
安城はそう言って手にしたディスクを見つめた。
「いや、違うんじゃないかな……法術師を囲ってることで言えば『廃帝ハド』が一番なんだろうけど、奴にはそれほど金を必要とする組織無いはず……懐具合は甲武陸軍の機密費で十分やっていけると思うよ……それよりゲルパルト……火が入るとかなりヤバいことになるかもね」
そう言うと嵯峨は頭を掻きながら安城を見上げる。
「嵯峨さんを目の敵にしてるネオナチの残党……確かに極秘裏に大規模な艦隊を所有している彼等には資金が必要ですものね……」
『嵯峨さんはフリーの弁護士時代からそうだった。物事の確信を外したことが無い……だからこのかわいらしいクバルカ中佐も嵯峨さんには勝てなかった……今回も嵯峨さんの目は正確に的を得ている』
安城は感心半分に静かにため息をついた。嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。
「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度うちの若いのに連絡させてもらいますよ」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」
嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。
「残念だけど、これから所用があるのよ。ちょっと面倒な組織の内偵者との対面……それに茜さんと約束もしてるし……」
そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。その視線にはどこか嵯峨に対する諦めのようなものがあるようにランには見えた。
嵯峨の笑みが『茜』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのをランは見逃さなかった。
「さっき言った通りテロ組織で派手に動きそうなのは『廃帝』とネオナチ位なんだから……蕎麦を食いながら今後の方針を……それに『廃帝』がらみなら茜を交えて真剣にやらないと……」
食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。
「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」
安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて立ち上がった。
「……この人さえ真面目にやってくれたら、私の人生、もっと楽だったのにね」
誰に言うわけでもなく放たれた安城の言葉は嵯峨の耳には届かなかった。嵯峨は出て行く安城の背中を悲壮感丸出しの顔で見送った。
「振られてやんの」
「笑うなよ中佐殿……」
振られた嵯峨を見て笑うランに情けない顔を晒す嵯峨だった。
「それより、ランよ……お前さんの所にどこかの国から勧誘は有ったか?」
とぼけたような調子でそう言う嵯峨にランの表情は固まった。
「隊長に隠し事は出来ねえな。外惑星と西モスレム……あと地球圏で数か国から連絡があった。アタシを欲しいとよ……だがどれも断った。もう二度とアタシは戦争の道具にはならねえんだ」
決意を込めたランの引き締まった表情を嵯峨は満足そうに見つめた。
「ああ、そうかい。どこの指導者たちも相当戦争がお好きらしい。『法術師』……俺達を戦争の道具としか見ない連中と誰が手を組むもんか」
嵯峨は相変わらずの緩い表情でそう言うとタバコに手を伸ばした。




