戦う神官と怒る娘
突然やってきたアンバーを祖父ホートリヴァイジャはすぐに受け入れた。
送ってくれた御者は、お礼の腕輪と首飾りを与えて帰ってもらった。
彼を見送ると、祖父はアンバーを家に上がらせて、事情を問いただした。
訳を聞くと、ホートリヴァイジャは彼女の父であるカーシー王の無責任さと非情さに対して怒ったが、アンバーはそれを宥めた。
確かに彼女も怒りを感じていた。でも、アンバーはわかっていた。
カーシー王もシャルヴァも、別に彼女を害そうと思っていたわけではなかったということを。ただ、家族と国を守ろうとしただけだ。
そして、それにはアンバーが邪魔だったのだ。
アンバーはもうこれ以上、誰の邪魔者にもなりたくなかった。
アンバーは祖父たちと同じように、苦行をすることにした。
この世界では、前世の罪が今世の幸不幸に影響を与えていると考えられている。そして、その罪は苦行をすることで浄化できると考えていた。
つまり、苦行をすれば、来世は幸せになれるのだ。だから、高齢になると職を退いて苦行をしようとする人も多い。
祖父も含め、そんな人々が集まっているのがこの苦行所だ。
アンバーも自分に訪れた不幸を前世の業のせいだと考えた。
因果応報。それが正しい考え方だった。
それに、今更誰のせいにしてもどうにもならないなら、自分のせいにした方が遥かにマシだった。少なくとも、アンバーにとっては。
アンバーが苦行をし続けて、六年の月日が経ったころのことだ。驚くべきことが起きた。
いつも通り苦行として洞窟に篭って断食していたアンバーの前に、突然光輝く少年が現れたのだ。そばには雄の孔雀を連れている。
「我は軍神スカンダ。お前のことを、我が父シヴァは気に入られた。これはその証である。」
スカンダは一方的にそう言うと、驚きで声も出ないアンバーの手にそっと花輪を置く。
アンバーがスカンダから目を逸らし、花輪を見たわずかの間に、スカンダは忽然と消えてしまっていた。
アンバーは初め、苦行の苦しみで見た幻覚かと思ったが、花輪はいつまでも枯れずにあった。
青蓮華で作られたその花輪は、アンバーが婿選びで使うはずだったものによく似ていた。
しばらくして、一度祖父の苦行所に戻ると、そこは何だか騒がしかった。祖父はアンバーを見つけると声をかけた。
「丁度客人が来ているので、挨拶をしてくれ。くれぐれも失礼のないようにな。」
「わかりました。どなたですか。」
「ジャタマグニの子のラーマ、通称パラシュラーマ様だ。」
アンバーはその名前を聞いて驚いた。
パラシュラーマは、世界屈指の強さをもつ婆羅門だ。ラーマーヤナのラーマ・チャンドラ王と区別するため、パラシュラーマと呼ばれている。
その長い生涯の中で、二十一度戦士階級を殲滅したという、アンバーにとってはほとんど伝説上の英雄だった。
今は長い生涯をもてあまして、旅をしながら、婆羅門の若者を中心に見どころのあるものを弟子にとり、育てているという。
パラシュラーマは客間で、武具の手入れをしていた。しかし、アンバーがやって来たのに気づくと顔を上げる。
「君は誰かな、お嬢さん」
アンバーは頭を下げて名乗った。
パラシュラーマは祖父よりもはるかに年上のはずなのに、アンバーとそう変わらない年格好をしていた。快活な声と引き締まった肉体からは、若々しさが溢れている。
「私はアンバー。ここの主、ホートリヴァイジャの孫です。」
パラシュラーマは、不思議そうな顔をした。
「アンバーか、良い名前だ。それでどうしてこんなところに?ここは若い女性が来るようなところじゃない。訳を聞かせてくれないか。」
「それは……」
パラシュラーマに促されて、アンバーは婿選びのことから、シャルヴァに拒絶されたことまで、全てを話した。
「こうして、私は行き場を無くしてしまったのです。それが六年前のこと、それから私はここで修行をしております。」
「なるほど、そんなことがあったのか。……実はビーシュマは俺の弟子の一人でな。弟子の無礼は、俺の無礼でもある。できることは何でもしよう。なにか望みはあるか?」
話が終わると、パラシュラーマはそう尋ねた。パラシュラーマは何かを期待しているように見える。
しかし、アンバーはにっこり笑っていった。
「ありませんわ。今更、誰を恨もうとどうしようもないこと。私はただ、来世に望みをかけるのみです。」
「それは、満足しているとは言えない。ただ、諦めているだけだ。お前一人が割りを食って本当にいいのか?」
「良いわけがありません。
しかし、あきらめなかった所で、一体何が実るのでしょう?私がもう一度もとの地位に舞い戻って、幸せになれるとでも?」
「確かに、それもそうだな。まあこれは持論だが、どうせ変わらないのなら、思いっきって復讐するのも一つの手だと思うぞ。
自分の誇りを取り戻し、前を向いて生きていくためにも。」
アンバーの体に衝撃が走った。
(そんなこと、考えたことなかった。)
でも、きっとそれは素敵なことだろう、そうアンバーは思った。思ってしまった。
その上、気づいてしまった。アンバーはこの六年間、心の奥底ではずっと復讐を望んでいたのだと。
だからきっと、こんなにも胸が躍るのだ。
アンバーが見て見ぬふりをしていた怒りは、六年の間にすっかり蔓を伸ばし、花をつけ始めていた。
もはや、なかったことにはできない。
アンバーはまっすぐパラシュラーマを見据えた。
「……気が変わりました。パラシュラーマ様、先程の私の発言、撤回させて下さい。」
「おや。では、何をお望みか、聞かせていただこうか。」
アンバーはパラシュラーマに手を差し伸べる。
「私は、ビーシュマに復讐がしたい。願わくば、武器によって打ち倒されたあやつが見たい。どうか協力して下さいませ、パラシュラーマ様。」
王女の目に宿る轟々とした怒りを見て、パラシュラーマは満足げに笑う。
(やはり、おれが見込んだ通りの逸材だったか)
パラシュラーマは退屈していた。父の復讐を終えてから、彼は心躍る戦いをしたことがない。
いつしか、彼は、あの興奮は復讐でしか味わえないと思うようになった。
そして、不謹慎にも誰かの復讐の機会をうかがっていたのだ。自分が暴れるためだけに。
アンバーを煽ったのは、償いが半分、そんな期待が半分だった。
「ああ、もちろんだ。俺以外にビーシュマを倒せるものは存在しない。」
蓋を開けてみればどこまでも期待通りだった。全く、己の先見の明には惚れ惚れする。
パラシュラーマは差し出された手を取った。
「さあ、あいつに果たし状を出そうか。安心しろ、あいつは師匠の願いを無視はしないさ。」
パラシュラーマが磨いたばかりの斧がほの暗く光った。