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【間話】駒遊び




「きっと迎えに来るから、この部屋で待っていておくれ」

 そう言って、祖父はルカを暖かい書斎に閉じ込めた。

 

 幼い頃、ルカは別荘で祖父と暮らしていた。

 祖父はルカの英雄だ。中々おしゃれな人でどんな服装も長身によく似合って格好良いのだ。ルカも真似してみたが、どうやってもあんな風にはなれない。

 同じような白銀髪なのに、祖父の方が暗めで無造作に格好良い。ルカの若葉色の目には、祖父の檜皮色のような渋さはない。

 仕方ないと言われればそうなのだが、地団駄せずにはいられなかった。

 

 ここに来たばかりのルカは身体が弱く、よく熱を出した。

 丘の上の別荘に吹き上げる風は、森の恵みを豊富に含んでいる。その清廉な風を浴びるうちに、ルカの体は少しずつ頑丈になった。 

 祖父は森へ行けば、狩りや木登りを教えてくれた。

 川に行けば、ゆっくりと釣りをした。

 

 祖父と遊戯盤で遊べば、巧みな語りでそこは戦場や舞踏会に妖精の国など様々にかわり、沢山の勝負の場になった。 


 

 森が朝靄をまとって微睡むなか、静かな矢音が空を切り裂いた。

 縫い留められた霧影は一瞬硬直すると、するりと姿をあらわした。


「じいちゃん、じいちゃん!見て見て!」

「おお、随分立派な鳥を仕留めたな。……ふむ、霧雁か。別荘に戻ったら、料理長に煮込みにしてもらおう」

 

「やった、芋料理じゃない!」

「……芋はとても栄養があるんだぞ?凍ると旨味が増すし」

「嫌だよ、馬鈴薯もう飽きた!」

 

「よしよし、はじめての霧雁だし、お祝いしような」

「じいちゃん……飲み過ぎは駄目だよ?」

「…………今日は大丈夫さ」

 

「じゃあ駒遊び、またできる?」

「もちろんだとも、今夜は騎士と狩人の話にしようか」

「騎士のお話!楽しみだなぁ」


 そうしてその夜も駒が動くたびに物語がうまれ、森奥で聖域を守る騎士と秘宝を狙う狩人の友情があつく結ばれた。  

 

 そんなある冬の寒さが厳しい日、状況は突然変わった。

 その日の朝食まではいつも通りで。外に行く為の廊下で何かを見たらしい祖父はルカを抱き上げた。硬い表情で雪遊びは中止だと静かに言って、書斎に引き返した。

 

 閉じ込めた祖父が開けていった床の非常用倉庫には、沢山の食糧と日用品がある。

 飲み水は以前祖父と一緒に、蛇口を作った。豪雪地帯のこの辺りは冬になるとよく雪が積もる。その窓の外に積もった雪が貯水槽兼浄化濾過装置を経て、書斎に届くように一緒に作ったから、いつでも美味しい水が飲めた。

 書斎専用のそれ以外の簡単な水回りは、出入口とは別の扉の先にある。

 

 だから待った。

 

 ソファにマットと緩衝材とシーツとタオルを敷いた簡易ベッドはとてもふかふかで寝心地がいい。タオルケットと羽毛布団と毛布をかけてルカが横になると、あっという間に眠りに落ちた。

 

 時折、眠りのふちで恐ろしい音が聞こえた。

 怖くなったルカは恐ろしくてぎゅっと眠りに集中する。時折『まだ起きてはいけないよ』、『まだ眠っているんだよ』という声と共に、深い眠りがやってきた。


 とてもとても長い長い間、眠っていた気がする。

 そんな中でたまにすすり泣くような祖父の声も聞こえた。


「誰にも!何者にも、ルカを害させるものか!」

 

 突然叫び声が聞こえ、祖父の気配が変わった。 

 眠っていたルカは思わず、驚いて身を起こす。 

 でもそれからはもうなんの音もしなくなった。

 この別荘はルカが生まれた都からずっと離れた山奥、未開拓の丘の上にある。辺りには誰もいないし、用がなければ誰も来ない。


 


 鳥の声だ。

 窓の外を見ると、あんなに積もっていた雪は消え、山は鮮やかな緑に染まっていた。

 賑やかな鳥達の囀りは春の喜びを歌っていた。

 

 こんなに時間が経っていたなんて。

 でも祖父は迎えに来ると言った。だから待っていなければ。


 それから数回日が昇り月が沈んだ。 

 とうとうどうやってもこれ以上眠れなくなった。

 仕方がないのでルカは遊戯盤で遊んだ。

 少しでも心を覗き込んだら、怖さと寂しさと悲しさに耐えられなくなる。


「……国を守る銅貨の騎士と草原を駆ける黒猫の一族が、互いの未来を賭けた戦いを今、始めようとしていた……。さあ、騎士よ!信念を賭けた戦いをしようじゃないか!…………えっと、なんだっけ」

 

 だから祖父との対戦を思い返して再現する。

 幸い邪魔するものは誰もいない。

 祖父のそらえがいた言葉をひとつひとつ記憶から拾い集め、思い出せないところは自分でつないで、物語を盤面におこす。

 幾つも、いくつも。思い出せる限りルカは祖父の駒の棋譜と物語を書き起こした。


 非常用倉庫の食糧はどれも祖父と食べたことがあるものばかりだったが、どれを食べても以前のように美味しいとは思えなかった。

 だから食事より駒遊びに没頭した。

 そうやって三ヶ月ほど経つと、とうとう非常食を食べ尽くしてしまった。

 

 ソファはぺちゃんこだし、いらないものはなるべくまとめるようにしてきたけど、だんだんと場所をとるようになってきた。

 あたたかかった毛布は今じゃ暑すぎて邪魔でしかない。

 祖父に教えてもらった洗濯を思い出してやってみたりもしたが、屋内で干すからか、中々乾かないし、なんだかへんなにおいがする。

 

 ルカはどうしていいかわからなくて、更に遊戯盤にのめり込んだ。

 数日すると、お腹が空いて動けなくなった。

 

 同時にもういいか。と思った。

 

 料理長も侍女も執事達も。たまに別荘を訪れる商人達すら、ルカが触れてくることを恐れていた。

 祖父以外の人はルカにいつも怯えていた。 

  

 ルカは他の人より体内の魔術膜の性能が遥かにいい。強い感情をおぼえると、強い魔術を無意識に動かしてしまう。

 魔術膜の能力が低く、魔術に敏感な人と触れると、場合によってはそのまま人を殺しかねないのだそうだ。


 そのせいかどうかはわからないが、父や母をルカは知らない。もっと幼い頃にいなくなってしまった。


 だから誰も傷つけないよう、風呂や素手でなければならない時以外は、白手袋をするのだ。

 それは誰に言われても、祖父に言われたって絶対に譲れない。ルカが自分で決めた約束だ。

 

 そんな祖父はルカと同じように魔術膜が強く、ルカに触れても硬化しない。

 祖父だけがルカを愛してくれた。

 祖父だけがルカが存在する理由だった。

 

 じいちゃんがいないならもういいや。

 食べても飲んでも美味しかったのは、祖父の姿があったから。ひとりで過ごしてみてよく分かった。

 胸がずんと重くなって、のどやおなかが空き過ぎて痛いのすらどうでもよくなる。

 

 かたり


 音がした。いい匂いが鼻をくすぐる。

 でもそれに何の意味があるだろう。

 もう側に来てくれる人はいない。


 不意に目の前が揺らいだかと思うと、優しいスープの匂いと一緒に黒ローブの男が現れた。

 

「食べて。君の命はおじいさんが、ルーカスが守ったものなんだから」 

 男は僕の前にひざまずくとスープを差し出した。

 

 だれ。じいちゃんじゃないなら、ほっておいて。

 

 もう声も出ない。

 幻覚をみているのか亡霊が出たのか知らないけど、なんであれ祖父でないなら受け入れる気はなかった。


「だめだよ。ルーカスはそれは君を大事にしているんだ。君が君を殺してはいけない。森奥で聖域を守った騎士だって、死を選ばなかっただろう?ルーカスが悲しむよ」


 森の騎士は仲良くなった狩人を殺しかけた自分を許せなかった。だから一度は死を考えるけど、狩人とよい距離で共に生きるを考えることにしたんだ。

 それはいつか祖父が盤上で語ってくれた物語だった。

  

 青い目に静かな怒りをこめて、男はこちらを見下ろした。

「生きるんだ。君を生かそうとしたルーカスの遺志を、君が継がなきゃ」

 幻覚にスプーンを持たされて口に運ばされ、ルカはどこかで祖父を待つことを諦めた。

 じいちゃんは迎えに来られないのだろう。

 

 ひとくち食べはじめれば、あっという間にスープを平らげていた。スープの湯気が目に沁みて、視界が滲んで頬が濡れた。身体が飢餓感に震えだした。満たされない衝動に辺りを見渡す。

 

 そこには誰もいなかった。やっぱり幻覚だったんだ。

 でも代わりに事務机の上に柔らかそうなパンと湯気をあげるスープがあった。 

 何にも考えず、夢中で食べた。食べ終わると、腹が痛くなった。

 身体をよじってじたばたしているうちに、ふと食べ物があるということは、誰かが部屋に入ったことだと気づいた。

 

 扉に駆け寄って取っ手を掴む。

 でもどんなに力を込めても扉はうんともすんとも動かない。

 当然だ。この部屋は内外どちらから開けようと思っても、鍵がないと開かない。

 だから祖父はルカをここに置いて行ったのだ。

 

 あの人はどうやって入ってきたのだろう。幻覚にしては、スープの器が増えている。

 

 蛇口を捻って、器を洗うためバケツに水を張る。以前ルカが不用意に触ったせいで魔術が付着して硬化し、でこぼこになったバケツ。それでも水が入ると、水面は滑らかな平らだ。 

 凪いだ水面に目が落ちくぼみ、ぼさぼさ白銀髪に若葉色の目を爛々とさせた幼い子どもがうつっている。

 

 多分、祖父がルカをおいていったのは、弱かったからだ。

 だから戦えるように、おいていかれないようにならなきゃ。


 

 祖父の本を読んで、遊戯盤を使って戦術を学んだ。

 遊戯盤の指南書はもちろん、物語に図鑑、山での生き残り方や戦術書、よくわからない様々な種類の専門書。頭が痛くなったりもしたけど、みんなみんな読んだ。あちこちに祖父の付箋が挟まっていた。

 たくさんの書付は読めないものや分からないものも多かったけど、祖父の話を聞いているようでとても穏やかな気持ちになった。

 

 それから数日に一度、不思議な黒い男が部屋の中に見えるようになった。彼は沢山の食糧を持って、現れては消えていく。

 

 最初は一瞬だったのが、回を重ねるごとに現れる時間が長くなり、会話できるようになった。

 どうやら彼はここにいる時間を自分で選べないようで、何か言いかけている最中にいなくなってしまうのも、しょっちゅうだった。 

 だんだん滞在時間が長くなると、会話したり一緒に遊んだりしてくれた。

 

 不思議なその男は『時の渡り人』レトロと名乗った。

 祖父と同じように、レトロとも色んなことをした。祖父とはまた別の、たくさんのことを教えてくれた。

 

 遊戯盤の駒の由来や、星図の読み方。

 海と険しい山々と湿地帯に囲まれた深い森の国の話。

 砂でできた海を漂う街や水辺、それを追って彷徨う生き物達や国達。

 鉱石がたくさん採掘される鍛治の国。

 見えないものを信じる力を競い合う国。

 海の恵みを使って陸地を豊かにしていく国。

 

 魔術の基礎は呼吸だからと、彼と一緒に何度か深呼吸をした。正しい姿勢や、肺の膨らませ方、その肺をぐるりと取り囲むように魔術膜があることを意識すること。それが大事らしい。

 

 でも魔術の使い方は教えてくれなかった。危険だから駄目らしい。本にある使い方は自分には合わなかったようで、上手く動かす事はできなかった。

 

 いざ自分で食糧を取るとなったらどう動くのかも話した。

 

 本棚には仕掛けがあって棚を動かすと、剣や魔術杖、弓と矢や高価な銃まで、ずらりと武器が並んでいた。

 レトロはひとつひとつ説明して、どう使うのか教えてくれた。弓矢は扱ったことがあるから簡単だったけど、他は中々時間がかかりそうだ。

 

 書斎の廊下へ通じている扉が開かなくても、あの窓を開ければ外に出ることができるらしい。 

 山の中には獲物になる生き物はたくさんいるから、罠を仕掛けてもいいし、武器を使って捕まえてもいい。食べられる木の実や植物を採取してもいいだろう。

 

 でもまだどこかで祖父を待ちたかったルカは、ここから出たくなかった。

 

 紐付きの弓矢を使って獲物を射止めて、屋内に引き込んだ。

 毛皮や羽を取り除いて下処理をして綺麗に洗い、火起こしの術具で中までしっかり焼いて食べる。

 

 最初にレトロが教えてくれたからなんとかできるようになった。

 最初のスープ以降、食事に味を感じた覚えはなかった。それでも調味料を使っていたのは、消毒と身体を維持する為だ。

 気づけばその残りも少なくなっていた。

 

 仕方がないから、しっかり焼いてよく噛んで食べる。歯応えと食感を頼りに食べているから、意欲にあまり変わりがないのが幸いだ。

 食べ終わったゴミはしっかり焼いて砕いてから、窓の外に棄てた。灰はすぐ風にのって流されていった。

 

 この周辺で手に入れることができる植物や動物の種類や、食べられる部位を教えてもらった。事務机の中から見つけた空の手帳に書き留めて覚える。 


 どうしても魔術を使いたくて、レトロが現れるたびに強請った。

 レトロは散々渋った末、魔術の塊の作り方だけ教えてくれた。でもそのかわり、ここを出て魔術師の塔ノワールの塔主アルガネロ以外から魔術を学ばない、と魔術契約を使って約束させられた。


 不思議なことに、雪解け水はいつ尽きてもおかしくないのに、夏でも冷えた水が蛇口を捻れば、ざぁ、と出てきた。

 弓矢を警戒して鳥が見える範囲に寄って来なくなってもおかしくないのに、弓矢を手に取ると小鳥が数羽窓の外に舞い降りてきた。

 

 気がつけば、この部屋に入った冬の終わりは過ぎ、目覚めた春が終わり、レトロが来た夏を越えて、秋が来て、冬に向けて木々は葉を落としはじめた。

 

 かつりと黒衣のレトロが駒を置く。

「……ねえ、そろそろ外に出てもいいんじゃないかな?」

 

 かつりと下着姿のルカが駒を置いて相手の駒を獲る。まだ寒くない。洗濯したくないからではなく、寒くないからこの格好でいい。……明日はそろそろ着なきゃいけないかもしれないけど。

「まだ棋譜が全部出来てない。あとひとつなんだ。これで終わるから、これだけは」


 かつ 

「もう少ししたら食糧が尽きるね」


 かつ

「またレトロが持ってきてくれるんだよね?」


 かつり

「……ルカ、ごめん。今回が最後なんだ」


 かっ

「なんで?もう来てくれないの?」


 かちり 

「……はい、僕の勝ち。前も言ったけど、僕は時の渡り人。君達と違って過去に進むんだ。だから、僕にとっての『次』は君にとっての『この前』なんだよ」

 

「じゃあ、レトロにとっての『この前』は?」

「……ルカ。食糧の底をつく前に必要なものを持ってここを出て、都に行くんだ。……大丈夫、僕とは遠い未来でまた会えるよ。でもその時の僕は敵だ。決して信じてはいけない。どうか、運命が変わることを祈って――」

 ルカの目の前で、レトロは煙のようにふっと消えた。

 


 書斎でまたルカひとりになった。

 ルカはその日はもう何も考えずに寝ることにした。

 

 朝目が覚めたら、祖父が生かしてくれた身体に餌をやった。いつにも増して味がしない。

  

 それから雪が降っても大丈夫なように身支度をして、罠の仕掛け方、獲物の仕留め方や食べてはいけない部位を再度確認する。


『この駒を使う時はあの駒が退場した後だ』

 

『この駒が優勢な時は、あの駒で後ろから奇襲するんだ。そうしたら、この駒は退場しなきゃいけなくなる』

 

 残っていた祖父との駒のやり取りを棋譜にする。

 最後のひとつは中々思い出せず、あちこちを紡ぎ直した。

 丸一日かかったが、これで覚えている限り、全て棋譜にした。


  

 遊戯盤の駒をひとつとる。魔術杖と王冠を組み合わせた駒。

 祖父が大事にしていたそれを丁度良い大きさの鞄にしまう。そこに残りの食糧に水筒、小さな武器を入れる。手帳や複数のハンカチ、思いつくかぎり必要そうなものを詰め込むと、弓を背負い、矢筒と鞄を肩にかけて腰に小さなナイフと小さめの剣をさげた。


 

「よし行こう」

 この書斎は三階だ。そのままでは降りられないと、タオルケットやシーツを結んで作った長い紐を持って窓を開ける。

 久々の外は風や音に満ちていた。

 今日は雲がほとんどないから、余計に太陽が眩しい。


 バルコニーに出て柵にシーツを結び、下に垂らしてみる。紐の長さが全然足りない。

 横をみると、建物の隣で枝葉を伸ばすもみの木の枝が、内側にはいり込んでいた。 

 考えを変えてタオルケットを畳んで仕舞い、木を伝って降りた。


 そこから先はとても長かった。

 狩りも罠も何度失敗したか。

 

 捕まえられるようになると、今度は病気や状態の悪い小動物を食べて、何度もおなかを下した。

 最終的には腹の中が鍛えられて、大抵の生き物を食べてもおなかを壊さなくなった。 

 安定して食べられるようになると、旅用の干し肉や路銀稼ぎになりそうなものを採取した。

 

 祖父と遊びに来た時には普通の森だったのに、今では森のあちこちが透明硬化していた。綺麗だけど、何故こうなったのかよく分からず、少し怖かった。

 

 近くの町へ続く道に出る。

 ここから数日かければ、人里に着くはずだ。

 

 振り返って気づいた。

 丘の上の四角い別荘が見える。森の葉はもうすでにみんな落ちてしまっていた。

 もうすぐ初雪が来る。雪が降るまでに人里に辿り着かなきゃいけない。

 

 少し道をいくと、倒木二本交差するように道を塞いでいた。

 切り倒されたこの印の意味は『この先疫病につき、立ち入り禁止』だ。

 

 違う。病気なんかじゃない。 

 祖父が僕を何から守ろうとしたのかは分からない。

 でもただの伝染病だったら、ほとんどを一緒に過ごしていたんだから、きっと隣にいられたはずだ。

 

 倒木を跨ぐ。

 

 (行っておいで)

 

 祖父の声がして、優しく頭を撫でられる感じがした。

 

「じいちゃん……!!」

 思わず振り返ると、倒木のところから大きな大きな透明な壁が立っていた。


 よく見ると、丘の上を中心として、ぐるりと球状の薄い透明な結界が張られていた。中からは何も見えなかったが、外から見るとこの結界の有無がよく見える。

 

 ルカは胸が熱くて痛くなった。

 何か証拠があるわけではなかったけどわかってしまった。

 迎えに来れないだけじゃない。じいちゃんにはもう会えないのだ。

 

 この結界はなにがどうしたかわからないけど、祖父だったものだ。

 

 祖父とお別れなんかしたくなかった。また駒遊びをしたかった。もっとずっと一緒にいたかった。でも、もうそれはできない。 

 頬が熱くて冷たい。視界が滲んで何も見えない。

 道を急がなきゃいけない。

 けれど、今この時だけは。


 大声で心の限り泣き叫んで喚いた。


 

  

 球状結界と言われるそれは、人々の魂を魔術結界に変える禁忌の成果だった。

 祖父はその犠牲となっていた。

 それは害意をもつものをはじく強固な結界で、後世で絶対守護と呼ばれた。

 あの四角い別荘を結界の様子から水晶宮と呼ぶ様になったのは、それからだ。 


 しばらくして、ルカが再度水晶宮に来た時、結界はまた優しく頭を撫でておかえり、と言ってくれた。

 

 それから、数百年。

 四角い別荘は王宮としてあるのに相応しいだけの増改築が行われてきた。

 

 今日もルカを守るように、ルーカスの結界はそこにある。

 

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