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銀の笛と秘密の息抜き


 スルツェに頼み、真夜中の王城へと舞い降りる。

 目指すは兄の部屋のバルコニー。


 王城のあちこちに灯りがともり、まるで祭りの夜のようにざわめいている。

 そのざわめきには祝祭の喜びとは違う、どこか不安を感じさせるものがあった。

 不穏な気配が城を覆っているが、まだ人ならぬものの介入はないらしい。


 つまり、兄は今も生存しており、自室に立てこもっているのだろう。

 バルコニーに降り立つと、即座に側近の騎士たちが反応し、鋭く剣を向けてきた。

 だが、俺が両手を上げて敵意がないことを示すと、ほんの一瞬だけ躊躇の色が見えた。

 

 その瞬間。

「……オーバーノート!」

 ルバート兄上が周囲の静止を振り切り、窓を開け放った。

 彼の顔には、抑えきれない安堵と、それ以上の激しい感情が浮かんでいる。

 

「兄上?!」

 次の瞬間、強く抱きしめられた。

 ぐっと腕が回され、息が詰まるほどの力で引き寄せられる。

 言葉が頭から吹っ飛んだ。

 

 ……ああ、そうか。

 兄上の肩幅が広い。腕の感触が大きい。

 今までずっと、俺の方が体格が上だった。

 兄上は少年で、俺は青年だった。


 けれど、今の俺は少年姿で、兄上は成長して青年になっている。

 その違いを、兄上の腕の中でまざまざと実感する。

 こんなふうに抱きしめられるのは初めてで。

 ……どうしていいか分からなかった。


「ミギュゥ!……ミッ!ミ、ミミ?」

 潰された小さな生き物は無理やり懐から逃げ出し、非難の声をあげる。

 じたばたと暴れながら、俺を睨みつける。

 

「やあ、レント。ごめん、ごめん。まだ力加減が慣れなくて」

 兄の言葉にふと気づく。

 レントの体温が、いつものぬくもりに戻っている。

 なんとか治せたか。良かった……。

 

「兄上……今、どうなってるんですか?」

 兄上は、俺を一度じっと見てから、短く息を吐いた。

 

「僕がオーバーノートを殺した犯人にされて、父王と中立派――いや、公爵家に追い詰められてる」

 俺を……殺した?

 

 言葉の意味を咀嚼する間もなく、頭の中で疑問が次々と膨れ上がる。

 王を襲ったのは公爵家か?

 それなのに、なぜ王は自分を襲った相手と手を組んで、第一王子を排斥しようとしている?

 

 ……自作自演か? 

 

「兄上、海軍の不正で監査院が摘発していましたよね?」

「ああ。火器の不正だったね。こちらでも把握している。確か、申告漏れの新型銃器が多数あったとか」

 

「それとは別に、火薬の輸入にも不正がありました。最近、火薬が高騰していたのは、密売によって数量を誤魔化していたからです」

「おや……?」

 

「おそらく、それで王城内に火器や火薬を持ち込んでも、不正調査の名目が立つようになっていたのでしょう。……ですが、火薬の調査は監査院ではなく、私の管轄となり、実際には王城に持ち込まれませんでした」

「それは不幸中の幸いだったね」

 

「ただ、この件を調査し始めてから、暗殺者が妙に増えていたんです。もしかすると、火薬の不正を調べる口実を得るために、誰かが暗殺を仕掛けてきたのかもしれません」

 

「……暗殺者? なるほど。それはしっかり調べておくよ。となると、火器と火薬を王城に持ち込んで、一体何を狙っていたんだ?」

 

「それがまだ分かりません。ただ……王も襲撃されたようです」

「王が?」

 

「詳しい事情は公爵が知っているはずです。公爵が主導していたのか、あるいは王がそれを利用しようとしたのか……。考えられるのは、王が公爵の勢いに乗じて、同じ統一派の私を完全に掌握しようとし、同盟派の兄上から乗り換えた……という筋書きでしょうか」

 

「なんだか、しっくりこないね」

 

「公爵家が王家に成り代わろうとしたのは分かるけど……父上の狙いが見えない」

 

「同盟派をなくしたかったんでしょうか?」

「でも、そんな簡単に潰せるほど、同盟派は弱くないよ。むしろ、王家よりも勢力があるくらいだ」

 首を傾げる仕草が少年だった頃と同じだ。

 兄上の姿が変わっても変わらない様子に内心少しほっとした。

 

「そもそも、この地方は統一しても旨味はないのに、どうしてそこまでこだわるんだろう……?」

 

「……――兄上」

 考えても結論が出ないことは、一旦置いておくしかない。

 

 それよりも、俺自身が決着をつけなければならないことがある。

 たとえ、これを訊くことに大した意味がなかったとしても。

 

「なんだい?」

「お守りの場に手紙が置かれていました。それで俺は中庭に誘き寄せられた」

 

「そうだったんだ……すまない」

 兄上は短く息を吐いた。目を伏せ、ほんのわずかに眉を寄せる。

 

「私の落ち度だ。裏切った側近に場所が漏れていたようでね……。もしかしたら、君からのお守りがなかったのは、その時に盗られていたのかもしれない」

 

 あれは兄弟ふたりの秘密だった。 

 何か不備があっても、互いに確かめたり、誰かに相談できるような状況ではなかった。

 だからこそ、仕方ない。

 そこに思い至らなかった俺たちの失敗だ。 

 それでもこうして振り返ってしまうのは、やはり悔しい。

 

 青年姿でも、ルバート兄上にしょんぼりされると、つい許したくなってしまう。

 姿が変わっても変わらない、その少しだけ情けない表情を見ると、何故か胸がざわつく。

 

「多分、俺も盗られていたんだと思います」

 小さく息を吐いて、別の話題に切り替える。

 いくら悔やんでも、過去は戻らないのだから。

 

「……ルバート兄上。兄上は国王になったら、どんな国にするつもりなんですか?」

 兄上はわずかに目を見開いた後、ふっと笑った。

 

「そうだね。戦争はもういいかな。国内が疲弊している。もう一度足元から信頼を築いて、関わったみんなが笑顔になれる国にしたい」

 

「その本音は」

「同盟で各国のいいところを少しずつ学び取りながら、国内の基幹産業を育てたいね」

 

 兄上は遠くを見つめながら言う。

「貿易と外交で儲けが出るように。……戦争ではなく、交易で国を豊かにする。それが、僕の理想かな」

 

 ふと、兄上の横顔に影が落ちた気がした。

 理想を語るその声の奥に、未だ拭いきれない迷いや覚悟があるように思えた。

 

 ……やっぱりな。

 兄上は理想を語るけど、同時に実利も計算している。

 綺麗ごとを言うだけの人じゃない。

 

 だからこそ、信じられる。 

 ただ夢を掲げるのではなく、現実を見据えた上で、それでも理想に近づこうとしているから。

 

 ――なら、俺も覚悟を決めよう。

 もう少し、兄上に歩み寄るために。

 

「……兄上、俺は王に従属の印を刻まれた」

「従属の印?! あれは人間に刻むものではないし、駄目だろう!」

 兄上の声が、驚きと怒りで跳ね上がる。

 

「……でも、色々あってなくなった」

「なくなった……?」

 兄上は絶句する。

 

「人ならぬものたちにすら破るのが難しい強固な魔術が……そんな簡単に?」

「人間用に改変したせいで、もろかったのかもしれない」

 理由は分からないが、確かに今、俺は自由だ。


  

「あんなものを使って国を支配する奴は、これからも必ず現れる。父は、その最初のひとりに過ぎない。」

 

「……君は、それを止めたいんだね」 

「あれを許していたら、どこかでまた繰り返される。従属を使う者が王になれば、国そのものが歪む。俺はそんな光景、見たくない」

 

「従属を禁止する……ということか」 

「あんなもの、二度と使わせない。人間には絶対に」

 

「……転用例が君しかないなら、人間はそれでいい。けれど、突然の全面禁止は難しい。戦争や外交の場で、人ならぬものが必要になる局面もあるからね」

 

「……分かった。人間に対しては、絶対に禁止で。それにせめて、人ならぬ者たちにも苦痛にならないよう、改良を進めたい」 

 兄上は考え込んだ。

 

 沈黙が長くなる。

 やがて、小さく息をついた。

「……人間への転用は禁止。人ならぬ者に関しては、使用範囲を制限し、許可制にする。改良の研究も推奨しよう。約束する」

「……ありがとう」


「それで、もうひとつ」

 兄上の瞳が静かにこちらを見つめている。

「……まだ、怒りは消えていないんだね」

 

 目を伏せ、ぎゅっと拳を握りしめた。

「あんなものを使う奴を、俺は王と仰ぎたくない」

 

 兄上の目が細められる。

 沈黙が流れた。

「……父を玉座からおろすんだね」

 

「……俺は、ずっと父を憎んできた」

 兄上をじっと見据え、静かに言う。

「それだけじゃ、足りない」

 

 兄上の声が低くなる。

「つまり……父を殺すのかい?」 

「恨みは消えない。それが王家の汚点になるのは分かってる。だけど、俺にはどうしても必要なんだ」

 

 俺は彼の目を真っ直ぐ見つめた。

「汚名は俺が着る。だから……兄上は、父上みたいにならないでくれ」

 

 兄上はゆっくりと目を閉じる。沈黙のあと、静かに首を傾げた。

「それはちょっと困るな。僕は弟に汚いところを押しつける兄になりたくない。……というか、オーバーノート、君は王になりたかったんじゃ?」


 思わず息をのんだ。 待ち望んでいた問いだった。 気づけば、知らぬ間に笑みが浮かんでいた。 

 彼の目をじっと見つめた。

「……それを訊いてくれたのは、メイ以外、兄上がはじめてだ」 

 兄上は少し驚いた様子で目を瞬かせたが、すぐに真剣な表情になった。

 「王なんて、なりたくもない」

 その言葉が、まるで長年抱えていた何かを吐き出すような感覚だった。

「俺は、縛られずに生きたい。ただ、好きなように旅をしていたい」

 

「王族としてやるべきことはやる。でも、それ以上は縛られたくないんだ」

「兄の補佐はしてくれないのかな?」 

 少し間をおいてから、俺は肩をすくめるように言った。「それは……気分次第かな?」

 

 兄上の真剣な視線に少しだけ気後れしながらも、俺は続けた。

「手伝いはするけど、俺のやりたいこともやらせてくれよ。戦争はもう真っ平だ」 

「そうか。できるだけ手伝ってほしいけど、まぁ、いいんじゃないか?」

 そう言ったものの、どこか心配げな顔をしていた。

 

 俺は軽く肩をすくめて続けた。

「だから兄上、この六花地方が深森や砂海に蹂躙されそうになったら、俺はこの地方をすべてまとめて征服してしまうよ」

 

 兄上は眉をひそめ、軽く首をかしげた。

「ん?戦争は嫌いなんだろう?」

  俺は頷きながら、少し苦笑いを浮かべた。

「ああ、そうだ。遥か先まで東西大国の代理戦争の舞台にされるくらいなら、その火種を今、手で潰すことも辞さないくらい嫌いだ」

「なるほど、分かったよ。そうならないよう同盟を築いて、戦争を避けてくれってことだね」

 

「それが兄上の理想かな?」

 兄上はにっこりと微笑んで言った。

 

「いや、僕の理想はもっと高いよ。届かないくらい高い理想を目指して口に出さなきゃ、叶わないからね。王として、僕はもっと綺麗ごとを言わなきゃいけない」

 俺はその言葉に少し驚き、思わず目を見開いた。

 その拍子に損傷していた魔術膜が痛んだ。


 俺の異変に気づいた兄上は、慌てて手を俺の背にあてた。

 流れ込んできた魔術が魔術膜を修復し、身体に力が戻ってきた。

 なるほど、兄上は回復の魔術が使えるのか。


 ふと、疑惑のお守りのことが頭をよぎる。

「なぁ、どうして前々回のお守りは怨嗟の涙だったんだ?」


 兄上は驚いた様子で答えた。

「そんな物騒なもの、君に渡す訳ないじゃないか……。まさか、置かれていたのか?」


「兄上じゃなかったのか……良かった。じゃあ、俺は兄上に疎まれてたわけじゃないんだね?」

「当たり前じゃないか!この件はきっちり調査してしっかり後始末しよう」


「うん……兄上は氷香の王と気が合いそうだ」

「え、あの狸親父と?いや、ちょっと待ってくれ。ノート、考え直してくれないか?僕と彼に共通点なんてないだろう?」


 兄上に落ち度はあれど、悪気があったわけではないのだろう。

 ならもういい。俺はただ、自分の落ち度を思い知るだけだ。

 


 決起の合図、銀の笛。

 空へ吹き鳴らし、高らかに響かせた。

 

 

 王城に散らばっていた反乱軍の仲間たちが、一斉に動き出す。

 どうやら、部屋の外の連中を包囲したらしい。

 廊下が急に騒がしくなってきた。


 魔術膜が回復したことで、俺は取り込んだ魔術を使い、一時的に青年の姿へ戻る。

 本当に成人の状態で安定させるには、あと数年は魔術の蓄積が必要だろう。

 だが今は誤魔化すしかない。

 旗頭が健在であると見せることは、敵にも味方にも重要だ。


「なぁ、君は実は暴れるのが大好きだろう?」


 不意に兄上が笑う。

 その笑顔が、少し怖い。


「それは心外ですね。調停の魔術を授かるほど、俺は紳士的ですよ?」

 冗談めかしながら、臣下風に丁寧に返す。


「……調停の魔術が必要になるのって、大体、本格的に関係が拗れて、お互いが損害を負った後だよね?」


「俺から手を出したことなんて、片手で数えるくらいしかないんですけどね?」


  

 扉の外の音が激しくなったかと思えば、急に静まる。


 ノック音が響き、次の瞬間、メイが顔を出した。

「オーバーノート王子、ご無事ですか」

「メイ、お前が一番賑やかだな」

「顔だけと思われないコツは、想像以上の暴力です……で、外は制圧済み。今は?」


 肩をすくめる仕草を見せながらも、目は冷静にこちらを射抜いていた。

 見極めようとしている。

 俺が従属の印で操られ、メイたちを罠に嵌めたのかどうかを。


 ……これだから怖いんだ。

 自分で始めたことは、自分で落とし前をつけろ。

 言葉にせずとも、そう言っている。


 仕方なく、俺は左手首を見せた。


 

「従属の印は消した」

「消した? 調停の魔術でも駄目だったのに、解けるものだったんですか?」

「本来は人外用だったのを無理やり人間に使ったせいで、穴があったんだろう。それに、運も良かったんだと思う」


「それより、俺はルバート兄上に付く。同盟の方が統一より全体の利が大きい。だから、その天秤が傾かないよう尽力する。……不服なら、次の御輿を探してくれ」


「あんたがそうしたいなら、それでいいって、ドゥールも言うと思いますよ」

 赤ん坊の頃から俺を背負い、戦場を渡り切った男は、ふっと笑って頷いた。 

「……さて、それじゃ俺は休暇に戻らせてもらっていいですかね?」


  


 俺と兄上が囮となり、反乱軍は城内を制圧した。

 反乱軍の目的は、俺を旗頭にした統一による終戦。


 まずは協力者たちに感謝を伝え、終戦を約束する。

 ただし、統一の方針は一旦保留だ。兄上の動向を見極めるまで。

 

 組織は大きくなりすぎた。今さら解散はできない。

 だから、手元で管理する。


 反乱軍が捕らえた王を、兄上に引き渡した。

 兄上は国王代理として関係者を招集し、すぐに会議を開く。


 審議の結果、公爵家が監査院の調査を不正に妨害し、俺たちへの敵対行動にも関与していたと判明。

 内乱罪。取り潰しは決定事項だった。

 

 問題は父王——リゾルート前国王の処遇だ。

 第一王子派の一部、前国王派、中立派が「裁判の上で処刑すべきだ」と主張し、会議は紛糾した。


 だが、俺は待たなかった。

 俺は、休憩時間の隙をついて王を斬った。

 独断だ。自己満足だ。分かっている。


 前王が逃げ延び、独立政権を築き、他国を引き込むくらいなら——その芽は摘むべきだった。

 禍根を残すくらいなら、汚名を被る方がマシだ。


 それに、あの従属の印が普及するなんて——。

 そんな未来、冗談じゃない。

 

「ノート……。君だけに父殺しの汚名を着せるつもりはなかった」

「兄上には綺麗でいてもらいたいからな。俺が被った方がいい泥は、教えてくれ」

 

「被らなくていい」

「被らせてくれ。俺の勝手だ」

 

「ダメだよ。いや、君はやってしまうのだろうけど……。せめて、次からは人の命に関わることがあるとき、事前に相談して。僕だけでも君の考えを分かっていないと、心配で仕方ない」


「なんで? 戦場では当たり前に殺していた」

「今は戦争をなくすんだよ? だから、命を奪うのは最後の手段だ。君は王弟となる。この国を代表する立場に近づくんだから。戦時中は勝つ為に、と特別に許されていたことはなくなる。これからは法治国家として、法を守ることが求められるんだ。ノート、君が自由にしていても、君の行動がこの国の信頼を背負うことになるんだ」


「……分かった」

 戦争がなくなったら、上からの理不尽は減る。

 でも、面倒なことが増えるんだな。


 

 父殺しをしたことで、皆は俺を恐れ、嘆願は頭を抱える兄のもとへ集まるようになった。

 おかげで「国王は兄であるべき」という流れが自然にでき、これは好都合だった。

 兄上も軍のことなど、こちらが詳しい部分は逐一尋ね、協力する姿勢を示してくれる。


 まずは、新体制の立ち上げだ。

 急ぐべきものから順に決めていくが、今回の事件に関与していない部分や、兄と俺が最優先で決めるべきこと以外は、ひとまず現行のまま。

 理想と妥協の落としどころを見極めるためにも、各分野の優秀な者たちが白地図を持ってくるのを待つとしよう。

 

 

「兄上、ちょっと俺を密使にしてくれないか」

 会議の間じゅう考えていたことを、切り出した。


「悪巧みかい?」

「いや……お隣さんに同盟を持ちかけたいんだ」

「お隣さん?」

「ああ、ちょっとした遊び仲間でね」

「そっか。いいよ、それで僕は誰宛に書けばいいのかな」

「氷香のルカ王に」

「ルカ王ね、ああ氷香の」 


 兄はさらさらと滑らせたペンを、ぴたりと止まった。


「……って、え? あの魔術王?! え、色んな噂が飛び交ってるあの?」

「どの噂? 俺、社交の噂は疎いんだ」

「そうだね、伝説は数多くあるけど……今は昔。今はただの耄碌した、認知の入ったお爺さんでしかないよ」

「お爺さん? 俺が見た時は、いつだって青年にしか見えなかったが」


 兄が顔を上げる。俺の表情を確認するように、一瞬沈黙した。

「……何回か同じ式典に出たよね? あの人、同じ時に見てるよね?」

「そうだな」

「……まさか、見てる人によって顔を変えてる?」


 言われてみれば、確かにおかしい。

「中々情報管理が徹底しているな」

「そういう問題じゃない……そうじゃなくて。…………はっ!まさかあの耄碌爺、うちの可愛いノートを、あんな悪い遊びやこんな悪い遊びに引き込んで」

「そう言うのじゃない!ただの遊戯盤の遊びだ」


 とんでもなさそうな想像を即座に否定して、話を逸らした。

「それで、どんな噂や伝説があるんだ?」


 兄がしぶしぶ語る話と、自分の知る事実を繋ぎ合わせていく。

 点と点が線になったとき、ルカ王の絶妙な外交戦術が見えてきた。

  

 

「やあ、落ち着いたのかい?」

 水晶宮の自室に戻った雪月は、待ち構えていた俺を見ても驚かず、親しげに声をかけた。

 

「……なあ、どうしてそんなに綺麗事ばかり言えるんだ?」

 言葉がこぼれる。苛立ちとも、呆れともつかない声になる。


「ふむ?」


 雪月は穏やかに首を傾げる。

「――あんたの長い君臨は、国じゅうから『時代遅れの老害』だと嗤われてる。愚行ばかりの耄碌王だってな」

 苛立ちがにじむ。

 誰も気づかない事実を突きつけられるのが、悔しかった。

 

「誰もあんたのことを認めていない。……本当は、何手も先を読んで、誰よりも最善を掴んでいるのに」

 拳を握る。自分でも気づかぬうちに、強く。

 

「おや、そんな風に私を見てくれたのかい?」 

 若葉色の瞳がきらりと光る。嬉しそうな顔をされると、まるで俺たちが気づかなかったのが悪いみたいで、油断ならない。


「自分が選択した場合の結果を予測してみた。どうやっても、あんたみたいに綺麗には収まらない。内戦になるか、良くて煙鋼と信赦が影響を増して、こっちの勢力が落ちる。なんでだ?」


「ふむ……私の真意なんて、見えない方がいいんだよ」


 雪月は肩をすくめる。


「王様の仕事は、民が富むように土を耕し、種をまくこと。害虫は駆除するが、天候や巡りは予測の域を出ない。つまり、博打だ。だから、収穫者に期待されても困るし、適当くらいに思ってくれた方がいい」


 淡々とした口調。でも、それが本音ではないことは分かる。


「……そうか」

 優しく解説してくれたが、本来ならこんなこと、のぞんだって叶わない幸運だと、今はもう良く分かっていた。

 

「そして綺麗事を私が言わなければ、残念ながら誰もそこを目指してはくれない」

 雪月は静かに微笑んだ。

 その横顔に、ふと別の誰かを重ねる。 

 

「はは……そうか、あんたも兄上と同じか」

 思わず笑う。

 もしこの二人が並んで話したら、どんな会話が生まれるのだろう。

 

「篝海の次期国王陛下がそうお考えであれば、この地方も安泰だな」

 さすが情報が早い。

 どうやらうちにも諜報が入っているらしい。

 位置くらいは把握しておくべきだな。


 雪月がにこりと微笑んだ。それを合図に、俺は本題へ踏み込む。

 

「互いの国土を的確に守りつつ、必要な盤面では同盟を組む。篝海と氷香が同じ考えであれば、この地方にとって、これほど強固なことはないだろうな。……さて、本日の私は、密約の勅使でして」

「おや、そうだったのかい」

 

 雪月は手紙を受け取り、指先をかざす。

 淡い魔術の風が書状を包んだ。

 やはり、独自の確認手順があるらしい。

 後で篝海の方法も整理しておく必要があるな。


 雪月が目を通し終えたのを見計らい、俺は背筋を正した。

「氷香王国の国王陛下に内密のご提案です。氷香と篝海とで不可侵同盟を組んでいただけませんか」

 


 そこからは怒涛の日々だった。

 スルツェには何度も使いを頼み、同盟の内容を詰めに詰めた。


 互いに利があるところはしっかり取りに行くが、譲れない部分は譲れない。

 調停の魔術で、落としどころを探る。

 何度もぶつかり合ったが、それでも最善の形にまとめた。


 一日に何度も往復し、疲れ切ったスルツェは氷香で歓待された。

 あまりの居心地の良さに『ここに棲む!』と言い出したらしい。



  

 兄上の即位式に、ルカ王は真っ先に駆けつけてくれた。

 式典前に茶会で打ち合わせをする。


 兄と雪月を会わせてみたが、兄は伝説の魔術王を前にカチコチだった。

 これでは「以前から仲が良かった」と宣伝するのは無理だ。


 仕方なく、兄の予定を詰め込み、代理で雪月と俺が親しかったことに。   

 兄も仲が良く、俺に紹介してくれた、という設定に変更。

 新王の威厳のためには、そういうことにしておくらしい。


 確かに『出会いは暗殺でした』とは言えない。

 だから、すべて笑顔で誤魔化す。

 式典の総責任者の笑顔の圧に、俺は頷くしかなかった。

   

 即位式の後、新王の宣言のもと、篝海と氷香の同盟の調印式が行われた。


 ……そうだな。

 これから各国との停戦会議を重ね、戦火を繰り返さないよう努めていかなければならない。

 たとえ兄と対立しようと、東西の大国に脅かされようと、同盟を維持し、どうにかして折り合いをつけながら共に歩んでいく。


 レントを連れ、兄やメイたちと共に進む。

 外交を名目に、時折雪月と駒を交わす日々。

 あの頃は行き止まりだった人生が、こんなにも満たされた日々に変わるなんて。


 ――この平穏を手放さないよう、これからも歩んでいこう。


 


 

 時間をつくって火竜スルツェに乗り、夜の散歩に出る。

 お気に入りの偽装の眼鏡をかけて、行き先は内緒。

 目的地の窓からは、温かな光がこぼれている。


「やあ、放浪者。今日も来たね」

「よお、雪月。今日は借りを返させてもらうぜ」

 

 スルツェは俺が降りるとすぐに身を仔犬ほどに縮めた。

 一目散に雪月の元へ駆けて行き、ひと通り撫でてもらって満足すると、椅子の下の定位置におさまる。


 放浪者と雪月は向かい合わせで座り、机上に盤を並べる。

 俺は珈琲とチョコレート。雪月は紅茶と焼き菓子。気分転換の品も忘れずに。  

 レントが肩に登り、周りの匂いを嗅ぎながら、二人の感情の動きに敏感に反応している。

「……さて、はじめるか」

「いつでもいいぞ」


 ことり、と、最初の駒が盤に置かれる。

 次の駒が、すぐにかつりと動く。

 かつ、こつ、こつ、かつ――


 それは夜の息抜き。

 利益に反する話は、今日はなしだ。

 同じ盤上遊戯を愛する者同士、ただ純粋に楽しむためだけの、贅沢な時間。


 次は明日か、一ヶ月後か。

 次回がいつか分からなくても。

 この遊戯を愛している限り。

 秘密の息抜きは、きっとまた開催されるだろう。

 

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